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【22−2121 この1年】(1)中川昭一氏死去

2009年12月20日 15時03分

 さまざまなニュースが駆け巡った2009年の十勝。年末恒例の連載「22−2121(本社編集局電話番号)」で、担当記者が悲喜こもごもの取材現場を振り返った。


政経部 安田義教
「一寸先は闇」政治知る

 9月27日。日曜でにぎわう帯広市内のパークゴルフ場に中川昭一さんはいた。Tシャツにジーンズというカジュアルな服装。遠くから会釈すると、「おう」と手を上げた。

 衆院選の落選から1カ月。お礼回りの一環で、市議の野遊会に顔を見せたのだった。報道陣にガードが堅いことで知られたが、この日は気さくな印象を受けた。「楽しいひとときを過ごせました」と笑顔で語り、夕方の飛行機で東京へ。そのまま二度と十勝に戻ることはなかった。

■衝撃の10月4日
 10月4日朝、編集局に衝撃が走った。「中川氏死去」。

 同僚の女性記者が「えーっ」と大きな声を上げた。「1週間前は元気だったのに…」、言葉が出なかった。すぐさま秘書や後援会幹部に事実確認の電話をかけ、過去のスクラップ記事をめくった。同日の本紙は1、2、3面、社会面そして対社面が、中川さんの記事と写真でみるみる埋まった。

 葬儀は8、9日に決まり、部長の指示で東京に飛んだ。会場となった港区の善福寺には、数千人もの参列者が参道に長い列を作った。中川さんの中央政界での地位を改めて認識させられた。

市議の野遊会に出席した中川さん。地元での政治活動はこれが最後になった(9月27日)

■「不器用なのか」
 思えば政治に追われた1年だった。担当になった昨夏以降、取材先では常に解散、総選挙の時期が話題になった。そして2月のローマでの失態会見。中川さんは財務・金融相の辞任に追い込まれ、おわび行脚を余儀なくされた。選挙戦本番では劣勢が伝えられたが、本人は「当選が目的ではない。当選して国政で仕事をするのが目的」「十勝が危ない、日本が危ない」と繰り返し、政策で勝負した。

 「お願いに徹するべき」「土下座してでも反省を前面に」と周囲は忠告した。しかし本人は聞き入れない。一票でもほしいはず。「不器用なのか、頑固なのか」と理解に苦しんだが、信念を貫く中川さんの政治姿勢の一端を垣間見た。

 解散風が強まった昨年秋、中川さんをインタビューした。結局記事にはならなかったが、議員生活を振り返り、「ここまで来られたのは私自身予想以上。一日一日恩返しをしたい」と語っていた。

 父一郎氏(元農水相)の遺志を継ぎ銀行員から政治家に。重要閣僚、党要職を歴任し、財務・金融相として絶頂期を迎え、次期首相との期待も強まった。その矢先の閣僚辞任、落選、突然の死。急激な暗転を誰が予想しただろう。「一寸先は闇」と言われる政治の世界を目の当たりにした気がする。

■しっかりと追う
 先輩記者が歴代務めた「中川番」。本格的な選挙取材は初めての私が、まさか訃報記事を書くとは…。くしくも十勝での政治活動を取材したのも私が最後となった。

 再起に意欲をみせていた中川さんが、どう出直し、再び国政に戻れるのかどうか、もう少し取材してみたかった。中川さんの後継は誰か、今後の政治情勢から目が離せない。激動の1年は終わっても、しっかりと追い続けたい。

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