元レーサーの片山右京氏が経営する会社の社員パーティの遭難事故ですが典型的な『気象遭難』で二人とも凍死のようです。
(アサヒ・コム参照)片山氏によると、『150〜200メートルほど下でテントと2人を見つけたが、堀川さんはパニック状態だった。2人に毛布や寝袋をかけて温めたが、やがて宇佐美さんは泣き出し、ため息をつくようにして動かなくなった。堀川さんは奇声を発するようになった。』
それにしても酷い遭難で非難されても仕方がないでしょう。基本がなっていない。
まず、『17日午前6時半ごろ、御殿場口から登り始めた』とあるが冬至寸前の現在は日没が一番早い。
午前4時に自宅を出ているが、安全の為にはこの時間から登り始めるべきであっただろう。
この出発の遅れが予定外の安全でない場所でのテント設営となり今回の事故に繋がった。
(出発前の晩に元のレーサー仲間でもあるタレントのマッチこと近藤雅彦氏と飲んでいて、この不思議な時間設定になったと報じられている)
『登り始めたが、力量に差があり片山さんが先行した』とあるが、これは根本的なミスであろう。
力量に差があれば担ぐ荷物の分担で力量差(上る速度の差)を埋めるべきである。また同一パーティーでは安易に隊を分けるべきでない。
ですから隊を分けた時点でこの状態は、『既に遭難状態であった』と言われても仕方が無いであろう。
『悪天候のため引き返して合流。午後5時ごろ、片山さんは1人用テントで、宇佐美さんと堀川さんは2、3人用のテントで就寝した』とあるが、何故2、3人用の同じテントに入らなかったのか理解に苦しむ。
安全性よりも居住性を優先させたのであれば、何をかいわんや。到底登山者の遭難事故と呼べる水準にないお粗末な話である。
富士山の最大傾斜度は30度程度で遭難現場の6合目は何処にも危ない場所が無い。
墜落したわけではなくテント設営の不備が原因で、富士山特有の強風でテントごと斜面を転がった状態である。
テントを失ってもまだ片山氏のテントが残っているので、これに収容すれば二人とも凍死しなくて済んだ。
一人では麓まで担ぎ下ろすことは不可能でも数100メートル程度なら十分に行えるはずであるし、テントの方の移動も考えるべきである。
『毛布をかけた』とあるが何故こんな場所に毛布なんかがあるのでしょうか。?
しかも、毛布があるのに肝心の緊急時の風除けのツェルトザックが無い不思議極まる状態で、一体どんな冬山装備だったのだろうか。?なんとも不思議だ。
強風下では『如何にして風を防ぐか』が肝心で、テントやツェルト無しではどんどん体力を消耗する。
今回は遭難時に幸いにも携帯電話が通じ救助要請に成功したのであれば、如何につらくとも現場に踏みとどまって(危険な状態の遭難者だけにせず)共に救助隊を待っているのが常識中の常識である。
今回のようなパニックに陥っている状態の遭難者を、そのまま放置すれば必ず死ぬ。
(遭難時には情報が錯綜してしばしば誤報も混じるので軽々に判断するべきではないが)今度の事で自分だけ一人で下山して二人も見殺しにした片山氏の責任は免れないでしょう。
それにしても不思議な遭難事故である。
これは不慮の山岳遭難ではなく、よくある『納期を守るために』危険な仕事を無理して行った為に起こった『労災事故』では無いのか。?
元レーサーの片山右京氏の職業であるが、マスコミ報道では『自称』登山家、冒険家とあるが、普通これ等は『金を食う趣味』にはなるが、滅多に『金儲け』にはつながらないものです。
登山家としての何の実績も経歴も無い片山氏の職業登山家、冒険家とは、ノリピーこと酒井法子さんの夫の職業である自称プロサーファーと同程度ではないのか。
片山氏程度の実績でプロを名乗るのには出発点で無理があり、『経営していた会社』の営業(業務内容)とは何であったのだろうか。?
今度の富士登山が『会社の営業』の一環であったとしたら話が全く違ってくる。
それなら今度の遭難事故は山岳遭難ではなく、社員が上役の無理な業務命令を行っていて不注意でたまたま失敗した『労災事故』、『労働災害』に当たるでしょう。
片山右京氏には今回、登山パーティのリーダー責任以上に、社員の安全を守るべき上司としての管理者責任が何よりも問われるでしょう。
また自己の管理下にある遭難者を放置して二人も凍死させたのであれば、死亡原因が未定の押尾事件で押尾学が検挙された保護責任者遺棄罪にも問われる可能性が生まれる。
死亡原因と遭難者の放置との因果関係は押尾事件より明確なので、片山氏の責任の重大性は押尾学以上であるとも考えられるのです。
(アサヒ・コム参照)片山氏によると、『150〜200メートルほど下でテントと2人を見つけたが、堀川さんはパニック状態だった。2人に毛布や寝袋をかけて温めたが、やがて宇佐美さんは泣き出し、ため息をつくようにして動かなくなった。堀川さんは奇声を発するようになった。』
それにしても酷い遭難で非難されても仕方がないでしょう。基本がなっていない。
まず、『17日午前6時半ごろ、御殿場口から登り始めた』とあるが冬至寸前の現在は日没が一番早い。
午前4時に自宅を出ているが、安全の為にはこの時間から登り始めるべきであっただろう。
この出発の遅れが予定外の安全でない場所でのテント設営となり今回の事故に繋がった。
(出発前の晩に元のレーサー仲間でもあるタレントのマッチこと近藤雅彦氏と飲んでいて、この不思議な時間設定になったと報じられている)
『登り始めたが、力量に差があり片山さんが先行した』とあるが、これは根本的なミスであろう。
力量に差があれば担ぐ荷物の分担で力量差(上る速度の差)を埋めるべきである。また同一パーティーでは安易に隊を分けるべきでない。
ですから隊を分けた時点でこの状態は、『既に遭難状態であった』と言われても仕方が無いであろう。
『悪天候のため引き返して合流。午後5時ごろ、片山さんは1人用テントで、宇佐美さんと堀川さんは2、3人用のテントで就寝した』とあるが、何故2、3人用の同じテントに入らなかったのか理解に苦しむ。
安全性よりも居住性を優先させたのであれば、何をかいわんや。到底登山者の遭難事故と呼べる水準にないお粗末な話である。
富士山の最大傾斜度は30度程度で遭難現場の6合目は何処にも危ない場所が無い。
墜落したわけではなくテント設営の不備が原因で、富士山特有の強風でテントごと斜面を転がった状態である。
テントを失ってもまだ片山氏のテントが残っているので、これに収容すれば二人とも凍死しなくて済んだ。
一人では麓まで担ぎ下ろすことは不可能でも数100メートル程度なら十分に行えるはずであるし、テントの方の移動も考えるべきである。
『毛布をかけた』とあるが何故こんな場所に毛布なんかがあるのでしょうか。?
しかも、毛布があるのに肝心の緊急時の風除けのツェルトザックが無い不思議極まる状態で、一体どんな冬山装備だったのだろうか。?なんとも不思議だ。
強風下では『如何にして風を防ぐか』が肝心で、テントやツェルト無しではどんどん体力を消耗する。
今回は遭難時に幸いにも携帯電話が通じ救助要請に成功したのであれば、如何につらくとも現場に踏みとどまって(危険な状態の遭難者だけにせず)共に救助隊を待っているのが常識中の常識である。
今回のようなパニックに陥っている状態の遭難者を、そのまま放置すれば必ず死ぬ。
(遭難時には情報が錯綜してしばしば誤報も混じるので軽々に判断するべきではないが)今度の事で自分だけ一人で下山して二人も見殺しにした片山氏の責任は免れないでしょう。
それにしても不思議な遭難事故である。
これは不慮の山岳遭難ではなく、よくある『納期を守るために』危険な仕事を無理して行った為に起こった『労災事故』では無いのか。?
元レーサーの片山右京氏の職業であるが、マスコミ報道では『自称』登山家、冒険家とあるが、普通これ等は『金を食う趣味』にはなるが、滅多に『金儲け』にはつながらないものです。
登山家としての何の実績も経歴も無い片山氏の職業登山家、冒険家とは、ノリピーこと酒井法子さんの夫の職業である自称プロサーファーと同程度ではないのか。
片山氏程度の実績でプロを名乗るのには出発点で無理があり、『経営していた会社』の営業(業務内容)とは何であったのだろうか。?
今度の富士登山が『会社の営業』の一環であったとしたら話が全く違ってくる。
それなら今度の遭難事故は山岳遭難ではなく、社員が上役の無理な業務命令を行っていて不注意でたまたま失敗した『労災事故』、『労働災害』に当たるでしょう。
片山右京氏には今回、登山パーティのリーダー責任以上に、社員の安全を守るべき上司としての管理者責任が何よりも問われるでしょう。
また自己の管理下にある遭難者を放置して二人も凍死させたのであれば、死亡原因が未定の押尾事件で押尾学が検挙された保護責任者遺棄罪にも問われる可能性が生まれる。
死亡原因と遭難者の放置との因果関係は押尾事件より明確なので、片山氏の責任の重大性は押尾学以上であるとも考えられるのです。
幾ら人が二人も死んでいても『殺人罪』には当たらないでしょう。
『殺人』とは殺した側に『殺す意思』がないと成り立たないのです。
『痛い目にあわせてやれ』程度の犯意(意思)では傷害致死罪(3年以上の有期懲役)にしかならず殺人罪(無期あるいは死刑又は5年以上の有期懲役)にはならない。
今回の場合には故意ではないので過失致死罪(50万円以下の罰金)で、自動車の運転などのような業務上の過失である場合には業務上過失致死傷罪(5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金)です。
ただし2007年からは自動車は自動車運転過失致死傷罪として7年以下の懲役。
それにしても考えてみれば不思議ですね。
近代民主主義は個人の『違法行為』は処罰するが、それ以前の社会では重罪であると考えられていた個人の『内心』は、どれ程モラルに反する不思議な考えであれ凶暴であれ異常であれ『違法』とはせずに処罰しないのです。
民主主意とは、個人の『内心』を聖域として守ることで成り立っている。
近代社会とは個人の内心である宗教(道徳)から切り離す事で成立しているのです。
政教分離や思想信条の自由の原則ですね。
その為に宗教から科学が独立することが出来たし、それで近代社会は成り立っているとも考えられるのです。
民主主義の基本は、どれ程悪い事でも(あるいは良いことでも)内心である限り守るべき(誰も責任を問われない)ものなのです。
ですから、この基本どうりなら『個人の内心』と切り離して、すべて物事の『結果責任』こそ問うべきですが、面白い事に民主主義以前の社会の方が人の死に対してはシビアで『結果責任』を問題にしていた。
江戸時代に大八車での交通事故死の責任を問われて遠島(重罪)になっていますが、これは欧米でも事情は同じらしい。
現在のような『当事者の犯意を問題にする社会』、言い換えると『結果責任を問わない社会』が出来上がるのは産業革命以後の話で、これは『自動車を一般市民に売る為だった』なんて面白い説もありますね。
確かに、うっかり交通事故を起こしたら無期懲役では、誰も怖くて車を買う者は一人もいません。
私はこの遭難が報じられた日、仕事でちょうど富士山がよく見渡せる場所にいたんです。よく晴れてはいましたが雪煙が上がっているのが遠くからもよく見えて、こんな日はとても登れたものではないと見ていました。片山右京遭難のニュースを知った時には救助が遅れて死人が出るとは思いましたが...。
それにしても片山右京がパーティーを分けていたとは知りませんでした。これまでは彼が一人で下山してきたことの当否は判じかねると考えていたのですが、パーティーを分離していたことと考え合わせると、彼には独断専行の傾向があるようにも思えます。それは命懸けの冬山登山のリーダーが最もしてはならないことなのですが...。
F1レーサーも過酷な職業だということは聞きます。片山右京はその「過酷」というところを追いかけて冒険家に転身したのかもしれませんが、冬山ではレーサーのように自身だけが過酷さに耐えればよいわけではない。もしかしたら「片山社長」は、そこのところをよく理解できていなかったのかもしれません。
F1など4輪は良く知りませんがカートや2輪のレースに参加していた友人が何人かいましたが、これ等は根性が絶対に必要であるという共通項はありますが、幾らスポーツ登山であったとしても登山は競技スポーツではないので根本的に差があるようです。
レースに限らずすべての一位を争う競技では誰かの為に自分の命を犠牲にするなどの考え方ではなく、其の正反対の考え方である他人の足を引っ張ってでも勝つのが正しいのです。誰かがコケテくれれば自動的に自分に有利に働く。
何故元F1レーサーの片山氏は、植村直巳のように単独行を選ばなかったのか。?それなら自己責任の世界で、今回のような事故にはつながらない。根本的に出発点で間違っているようですね。
この問題は考え出すと実に興味深いですね。
近代以前の個人の『内心』を問題視する社会は、これはもう今よりも道徳的ではあるが矢張り住み難い堅苦しい社会ですよ。
幾ら心の中で妄想を膨らませても、あるいは道徳に反する事を小説などに書いてもリアルでなくフィクションであれば罰せられない今の社会は素晴らしい。
ところが近頃問題に為り出したセクハラや差別問題ではこのリアルとフィクションの境界線が曖昧です。
完全に事実だけを問題とせず被害者の内心が最優先される。
同じ行為、同じ言葉でも相手が嫌な異性の上司ならセクハラになるが同性の同僚なら問題なしで、密かに好意を寄せている異性なら飛び上がらんばかりに喜ぶ。
全く同じ行為や言葉でも三者三様で全く違ってくるのです。
何故そうなるかと言うと、この場合の『セクハラ』も『差別』も全く同じ『個人の内心』のことを考えているからです。
現実の『社会的制度としての差別』を問題にしているのではなく、個々の個人の内面にある心の中の差別意識『内心』を問題としているのです。だから悩ましい。
ブログとは不思議なツールで駅頭で大勢に向かって演説しているようでもあり、密室で親しい人と秘密の隠し事を語っている様でもある。
差別問題悪と言えばつい最近、ブログ市長として有名な鹿児島の阿久根市長が『高度医療と障害』の関連性を書いて『差別問題』として問題になっている。
一般に広く公開されているブログで市長という公人が書いては駄目でしょう。これでは忌まわしき優生学に限りなく近く道徳的には間違っている。
ところで科学的事実としては如何でしょうか。?
元々優生学が家畜の改良で実績があるので人間に応用しても必ず成果は上がる仕組みになっているので、科学的には間違っていないが、道徳的には間違っているのです。
市長のブログの事実は、今の高度医療が高度障害を生んでいるのは医療関係者なら誰でも知っている。
命を助ける程度の技術はあるが治療するまで達していない未熟な発展途上段階にあるのが残念ながら現実です。
ですから阿久根市長の発言自体は真実だが、『公開の場では言ってはいけない』ことなのですね。
僕は、冬の山も登るんですけど、たぶん冬の富士山は独立峰特有の強風と、滑落、寒波の影響には細心の注意するにあたいしますが、それさえ気をつければ・・・まぁ計画と経験と体力が伴っていれば難易度はそれほど高くありません。むしろ冬の剣岳や不帰のキレット、聖岳のほうが難しいでしょう。死亡率だけでしたら谷川の方が怖いぐらいです・・・。
あ〜・・・なんかわけわからんこと言ってますな。すんません。。
あの〜、ちょっと聞きたいんですが、まずテントについてなんですが、
「何故2、3人用の同じテントに入らなかったのか理解に苦しむ。
安全性よりも居住性を優先させたのであれば、何をかいわんや。到底登山者の遭難事故と呼べる水準にないお粗末な話である。」
って言うんですが、テントを分けるのって、むしろ安全性を増したんじゃないんですか?だって、その事故したテントに右京さんもいたら彼死んでたわけですし・・・。それに、冬でのソロテントってすごく寒いんですよね。むしろみんなで同じテントに寝たほうがあったかい。にもかかわらずソロにするのって、結構右京がんばってますよね〜。しかもソロテントもってあがるのめんどくさいし。まぁ、「一人で寝たい」っていう気持ちでもあったのだろうかね。いいんじゃない?って思う。少なくとも、批判されるところは何もないんじゃない?
あと、「墜落したわけではなくテント設営の不備が原因で、富士山特有の強風でテントごと斜面を転がった状態である。」ってあるけど、富士山じゃ、ちゃんと設営してても吹っ飛ぶよ。だから、不備かどうかはわかんない。吹っ飛び=不備ってーのはちょい違うんじゃないすかね?
仲間に対する応急処置や対策が正しかったのかはよくわからないけど、俺はそれは別に批判できないと思う。テントを移動させることや遭難者を担ぐことも簡単には言えない。その状況を判断しないとね。風が強かったり、暗かったり、何よりももう助からなそうな遭難者に時間と体力を使うのは正しくない。だから、まぁ批判できない。なにより、「今回は遭難時に幸いにも携帯電話が通じ救助要請に成功したのであれば、如何につらくとも現場に踏みとどまって(危険な状態の遭難者だけにせず)共に救助隊を待っているのが常識中の常識である。」とは俺は思わないし、間違ってるだろう。山では、まず自分の命の安全の確保こそが優先されるべきではないのか?実際、そういう法律もあったような・・・なかったような・・・詳しく知らん。。すまん。。。
何よりも、山という場所において、命は自己責任以外の何者でもない。それこそ常識ではなかったのか。今回不運にも亡くなってしまった二人だって、山の素人ってわけではなさそうだったし、それくらいの心得はあるはずだ。これは、別に大雪山のツアー事故じゃないんだし、それほど片山右京の管理者責任なんてあるんだろうか。別に、部隊のなかで右京さんが先行したって、それが部隊の中で決定されたのだったら、そんなのはご自由にって話だ。それが失敗だったか成功だったかは、生き残ったやつの反省と、俺たちの批判的興味の対象でしかない。
そして最後に。ここの主は冬の富士には行きましたか?
思います。常識のある方のご意見を拝読できてよかった。
世の中、片山右京をかばう人が多くてびっくりしています。
「号泣して謝罪」日本人はこれに弱いんですかねえ。
「泣いて誤ってるんだから許してやれよ」って感じ
でしょうか?
冒険家を気取り、南極遠征をもくろんでいたなら、
一人で行うべきで、他人を、まして自分とこの社員を
道連れにすべきではありませんよね。
その時点で、社長として、人間としてどうなの?と
思ってしまいます。
あと、こんなに右京をかばう人が多いのは、
同じ宗教を信じてる人たちの擁護かもしれませんね。
粘着質の長々とした文章、皆同じ気質に見えます。
不適切なら削除してください。
参照までに貼っておきます
押尾学事件より悪いと書いてありますが、個人的に片山右京に責任はないと思います。
上のコメントに書いてあるが、同じ宗教を信じてる人たちの擁護とありますね。
ならば、ここに書いてる人たちも同意見を求めて書いてる人たちですね。
この記事を書いた方のためにも私は反対意見を残しておきます。
ぼくは、北海道で山をやってるものです。
この度お亡くなりになった事については、とても残念に思い、心よりお悔やみ申し上げます。
僕は、山が大好きなんですが、いつも危険と隣り合わせであることから、入山した時点で自己責任と考えております。
つまり、誰が問題で、誰の責任と責めることは出来ないのではないのでしょうか?
入山するときの気候確認、装備のメンテナンス、健康管理などコンディションが万全だったのかが気になります。
ぼくは、片山氏の会見、亡くなられた方の親族のコメントを観て、皆が
「山が大好きだったんだな」
と感じました。
山に登る際は、自分にあったレベルの登山、保険の加入、個人の安全を大切にし、怪我せず楽しい登山を心がけて戴きたく思います。
なんか偉そうになってしまってすいません。
山を知っている人にコメントして貰うのは嬉しい限りですね。話が説明無しでも通じるので話しやすい。
昔の仲間内の冗談ですが、
『岩登りはそれ程危なくない』何故なら家の階段から落ちて死ぬ人は日本では年間2千人もあるが、山登りでは200人程度で、岩登りはもっと少ない。
『だから岩登りは安全だ』というものです。
特に冬の岩登りなんか特に安全で、私のザイル仲間で冬の壁で死んだのはたったの3人しかいない。それ以外は夏の壁での墜死とか氷河に落ちたとか別の理由で死んでいる。
しかし、今では時間が経ち山で死んだ岳友よりも畳の上で死んだ仲間の方が多くなってしまったので、いまでは『一番怖いのは畳の上』という事になるでしょう。
無味無臭さん。
3人パーティで小さなテントを二張り用意するより、すこし大きいテント一張りの方が軽いと思うのですが・・・装備が不思議ですね。
>『富士山じゃ、ちゃんと設営してても吹っ飛ぶよ』<
富士山であれ何処であれ、テントが『吹っ飛んだ』のであれば自動的に『ちゃんと設営していない』と判断されます。
ちゃんとした正式の冬山用テントであれば重量は嵩張るが、張り綱が切れるほどの強風でも耐えれる強度をもっています。冬の風に耐えれるから冬季用テントなわけで、強度があるぶん重さもあるので二張りも普通は用意できない。
片山氏らのテントは強風に耐えられない近頃流行の軽量テントの可能性が高いでしょう。
それより何故事故ったときにツエルトを使わなかったのかですね。
多分持っていなかったのですよ。此れはもう、初心者以下での恥ずかしいミスですね。
>『まず自分の命の安全の確保こそが優先されるべき・・・』<
>『何よりも、山という場所において、命は自己責任・・・』<
全く仰られるとおりで、此れが基本中の基本です。
今回の事故はこの『基本』が疎かになったのではないか。?
との疑問が出発点でこの記事を書きましたが事故後の『事故は全部自分の責任です』との涙の謝罪記者会見を見てこの感を強くしました。
事故後に登山家が泣くべきでない。!
死んだものに対して無礼千万、山の自己責任の原則をを舐めきった態度で失礼だ。
登山家が謝罪するな。!
其の時々に全力で最善を尽くしたのであれば、誰に対しても謝罪する必要は全くない筈だ。
登山家が『全部自分の責任』などと口に出すな。!
死んだ者に対して『責任』を如何とる心算か、?
責任を取る気がなくて軽々しく『責任』を言ったのであれば不真面目すぎる。
ただ、今回の参加者は片山氏を除けば自己の積極的意思で登山していたかどうかが疑問なのです。
自己意思での登山であれば、そこは自己責任の世界ですが、会社の業務の一環であれば『個人の自己責任』ではなく労災事故ですよ。
会社の慰労会などでの一気飲みの強制による急性アルコール中毒による死と実情が五十歩百歩でななかったのではないか。?
何故ならテントを飛ばされた後での二人のパニックぶりは『>富士山じゃ、ちゃんと設営してても吹っ飛ぶよ』<
なんて一度も考えてみた事がない人の『事故』にあったときの典型的パターンです。
事前に予測していたらパニックにも為りませんし、あわてる事もありません。
最後に、冬の富士山は強風以外に何ら危ない事が無いのですべての山岳会の新人訓練に使われており北海道や九州など遠隔地以外の人なら誰でも知っています。あそこで死んだら新人でもやまやとしては恥でしょう。不注意としか言いようがありません。
多分自分で考えず片山右京という名前で何となく一流だと持っているのでしょう。
でも一流だったのはレースの世界だけのことですよ。
ですからジェット気流に乗って太平洋を越えようとした風船おじさんとか、リヤカーで世界一周とかと同じレベルで、一人で行うなら『自己責任の世界』で誰も文句は言いません。
>『一人で行うべきで、他人を、まして自分とこの社員を道連れにすべきではありませんよね。』<
此処が一番の問題点でしょう。相手が社長でしかもリーダーではメンバーの意思がどれ程反映されていることやら。
通りすがりとか日本人の一人などの個人を特定していないHNはご遠慮下さい。
次回のコメント投稿では良好なブログ環境の維持の為に、何でも結構ですから個人名の特定できるHNでお願いいたします。
何で喧嘩腰で長文の意味不明の悪意のコメントして来るのでしょう。
ただ今回は山の事故以外の不思議な要素を含んでいます。
基本的に山は個人の趣味の世界であり、自己責任と自助努力、『自分の命は自分で守る』世界なのですが、今回は如何もそうではない要素が原因で死亡事故を起こしている。
メンバー個人個人は対等(平等)が原則なのですが、報道によると今回到底平等といえない力関係なんですよ。
ですから山屋の事故とは異質な部分が生まれてくる。
通常の山岳遭難ではなく、此れは限りなく労災事故に近いものですよ。
また覗きに来させて頂きます。有り難うございます。
実際に見たわけでなく、片山氏の想像ですよね
テントが強風で飛ばされたくらいで、山のプロ達が恐怖でパニックになるはずがないと思いませんか?
あくまでも推測の域をでませんが
大きなシロクマに襲われたんじゃないでしょうか?
でも片山さんも社員を管理する立場にあると分かっていたから泣いたり謝ったりしたんではないでしょうか。判断ミス等いろいろあるのでしょうが、「全部自分の責任です」って言えるボスは偉いと思いますが。
こういった意見(普通のみかた)は案外見落としにされがちですが実は本質を突いている場合が多いのでありがたい。
仲間内だけだと如何しても蛸壺的な狭い偏ったローカルルールをスタンダードだと勘違いしてしまうのです。
ですから『稚拙で感情的な「屁」みたいなコメント』などと謙遜なさらずに賛成、反対なんでも結構ですから其のつど気が付いたことは小まめにコメントをお願いいたします。
HNではなく、タイトルの方が『こしぬけ』だった方が多分ぴったりでしょう。
>『テントが強風で飛ばされた」<
というのは冬山では普通に起こりますし冬の富士山ではこの事実は誰でもが知っていなければならない常識ごとなのです。
ですから『常識的に見て普通に起こること』が起こってパニくる筈がないのですよ。
片山氏のその後の態度を観察しているとこの『誰でもが知っていなければ為らない常識』を知っていなかった可能性があるのです。
人間は未知の事柄が起こった時にパニックに陥る。起こると思っていることが実現しても誰もパニックにはなりません。
poorさん、コメント有難う御座います。
彼等は冬山では常識以前の、登山届けさえしていないのですよ。
警察に届ける山行き前の入山届けですが、届けを行っても何も登山行為にはひとつの利点はありません。
それでも必ず登山者は登山届けを行う。
理由は何かというとですね。登山届けを怠ると、もしものときの自分の遭難時にマスコミ等から非難されるからですね。
それで登山を行う者は誰でも例外なく行う、一人の例外も無く欠かさず届けを行っているのです。
それなら何故彼等は登山届けを行わなかったか。?
此れは、彼等は自分たちが遭難するとは思ってなんかいなかった。
だから行わなかったのです。
だから登山者なら絶対にありえない『私に全責任があります』等といって号泣できるのです。
何れも本当の登山者ならあり得ない話ですね。
事実を整理して、お互いの主張を比較するためにも、それは必要でしょう? なんか主は自分の主張しやすい土俵で勝手なこと言ってるだけに見えますよ。まぁブログでは日常茶飯事で、ここもか・・・という印象ですけど。
質問とは、
正しく質問された場合には、たいがいの場合には其の時点で8割がたすでに正しい答えが出ているものです。
当ブログでは『有意義な質問』には最大限誠実に答えていますよ。
ただ、此処は義務教育でないので小学生あいての『何でも子供相談』程度の話には相手にしていません。
誰でもが知っている(知らなければならない零度の)基礎的な初歩の話は御自分で調べてからコメントしてください。
此処は残念ながら義務教育でもないし、私は教師ほど親切でもありません。
『知らないから教えろ』では誰も相手にはしないでしょう。
誰かに何か、教えを請うときには最低限の礼儀をわきまえておく必要があるでしょう。
私の周り(私も含め)でも…
登山届けは出さずに登ってる人がいっぱいいますよ
どうして一人の例外も無くなんて言えるのでしょうか?
少なくとも片山さん達は出していないので三人の例外はありますよ(笑)
それに
遭難すると思って登る人は極少数じゃないのでしょうか?
>人間は未知の事柄が起こった時にパニックに陥る。起こると思っていることが実現しても誰もパニックにはなりません
そして
『テントが強風で飛ばされた」
というのは冬山では普通に起こりるわけで
彼等は山のプロ
つまり
「プロなのに常識を知らない」か
「他の未知の事柄が起こった」可能性があるわけで…
私は後者の説の可能性が高いと思っているわけです
私は以前、アザラシに襲いかかっているシロクマのTV放送を見たことがあります
シロクマに襲われたら
いくら山のプロでもイチコロですよ
実に良いところに目をつけられた様ですね。
今回の不思議な事件(物事)の核心部分に近づいている可能性があるでしょう。
>登山届けは出さずに登ってる人がいっぱいいますよ<
>遭難すると思って登る人は極少数じゃないのでしょうか<
ですから、これから推測できる事は、
彼等三人の内で一人でも自分たちの『遭難の可能性』を考えていなかったのですよ。
此れは多分間違いない事実でしょう。
普通、自分の遭難する確率のある登山をしている者を登山者(アルピニスト)と呼び、遭難しない山登りをしている人達をハイカーと呼んでいます。
日本では雪線以上の高山が無い為に両者は同じように思われていますが、欧米では厳格に区別されています。ヨーロッパアルプスの登山電車やケーブルカーではハイカーは順番待ちですが、アルピニストは後から来ても最前列で優先される。
理由は、登山者は『遭難』の可能性があるので、少しでも時間的に優遇してくれるのです。
登攀に時間がかかり其のために遭難事故が起きないためですね。
遭難の可能性があれば、誰であれ登山届けは省略しません。誰でも登山者なら行うのです。
そして、冬場であの天気で3000メートルの高所天気図をひけば初心者以外は誰にでもあの程度風は予想できるし、予想できる者だけが登る資格があるのです。
言い換えると、あの状態の冬の富士山には登山届けを出す者だけが登る資格があるとも考えられる。
>「プロなのに常識を知らない」か
>「他の未知の事柄が起こった」
実に科学的な考察です。この二つしか私にも考え付きません。
ですが、本土にはツキノワグマしかいませんし現在は冬眠中ですし其の地域には元々住んでいないし雑食性で基本的は人を襲わない。
白熊の可能性が考えられるが日本には生息例がない絶滅危惧種ですよ。
ですから片山氏たちがUFOに遭遇して宇宙人に拉致され強姦殺人された可能性と同程度ではないでしょうか。?
私としては常識的に、「プロなのに常識を知らない」を支持したいと思います。
プロは自称にすぎません。今までの数々の言動は到底ベテランの登山家の常識とはかけ離れています。多分緊急用(遭難用)ツエルト一つ用意していさえすれば今でも二人は生きていたでしょう。
しかし彼等の辞書には悲しいかな遭難の文字が無かったのです。気分は限りなくハイカーさんですね。
記事、コメントを流し読みしただけですが、なかなか興味深いですな。労災事故っていう視点はなかなか思いつかないですね。
付き添いのお二人が無理やり登山に連れていかれたってことならやっぱり社長としては責任あるでしょうね。
でも本当に無理やりだったんでしょうかね?なにか情報が出てるんですかね?
それにみなさんのコメントでは社長「片山右京」と冒険家「片山右京」という2つの見方がぶつかってる気がします。
読んでるうちにちょっと混乱してきました。頭の悪いコメントですみません。
では、僕の文章力が理由できちんと理解いただけなかったようなので、以下に整理します。
・・・と思ったら消されてました。「しばらくさらしておく」と書いていたように思うのですが、仕方ないのでもう一度指摘することにします。
以下では礼儀正しく書きますので、主はきちんと答えてくださいね。
まず僕の間違いからです。
◆「8合目まで戻った」というのは僕の間違いでした。失礼いたしました。
では、逝きし〜さんの間違いではないかと僕が思う、或いは疑問に思う個所です。?の部分を解答ください。
1.出発前の晩に元のレーサー仲間でもあるタレントのマッチこと近藤雅彦氏と飲んでいて、この不思議な時間設定になったと報じられている
⇒僕が見たのは、「もうひとりのレーサーと3人で食事をして、富士登山があるので片山氏だけ先に帰った」という記事です。「飲んでいた」「そのためこの時間になった」とどこで報道されていますか?ソースにあげていたアサヒコムで見当たらないので、URLを教えてください。
2.、何故2、3人用の同じテントに入らなかったのか理解に苦しむ。
⇒主が理解に苦しむ必要はなく、既に18日の時点でその理由は公になっています。「南極最高峰の登山に備え、一人用テントをトライする必要があったため」とのこと。つまり、逝きし〜さんの認識が早計だったのではないか?
3.上記の点はものの5分〜10分検索すれば行き着く情報だが、それをせず「安全性よりも居住性を優先させたのであれば、何をかいわんや。到底登山者の遭難事故と呼べる水準にないお粗末な話である。」とまで断じたのはなぜか? 「〜させたのであれば」と仮定のもとに書いているように見えるが、実際は批判色が強すぎ、どう考えても、あまりに偏見に満ちたコメントと思える。
4.テントを失ってもまだ片山氏のテントが残っているので、これに収容すれば二人とも凍死しなくて済んだ。
⇒こう断じる論拠は何か? その程度の発想が片山氏になぜできなかったのか、とは思わないのか? 確かに死因は凍死だが、これから検証され明るみに出るであろう事実を想定もせず、なぜここまで断言できるのだろうか?
5.如何につらくとも現場に踏みとどまって(危険な状態の遭難者だけにせず)共に救助隊を待っているのが常識中の常識である。今回のようなパニックに陥っている状態の遭難者を、そのまま放置すれば必ず死ぬ。
⇒放置した、と判断した根拠は? 下山したときの18日の片山氏のコメントでは、まだ生きている、となっていたが、実際には亡くなっていた模様。つまり今朝の報道(片山氏は12時間以上マイナス?度の中2人と一緒にいた)からも、亡くなるまで一緒にいたようだが。
6.死亡原因と遭難者の放置との因果関係は押尾事件より明確なので、片山氏の責任の重大性は押尾学以上であるとも考えられるのです。
⇒あの押尾以上と言っているが、この件は刑事訴追されるか否かを見ればすぐにわかるでしょう。逝きし〜さんがおっしゃっていることの正誤が。これは質問ではなく指摘です。あなたが主張していることが正しいか否かは、すぐにわかりますよ。正しければ私は必ずここにきて謝罪します。あなたはどうなんでしょうか?
また、無味無臭さんからの質問
7.「何故2、3人用の同じテントに入らなかったのか理解に苦しむ。安全性よりも居住性を優先させたのであれば、何をかいわんや。到底登山者の遭難事故と呼べる水準にないお粗末な話である。」って言うんですが、テントを分けるのって、むしろ安全性を増したんじゃないんですか?だって、その事故したテントに右京さんもいたら彼死んでたわけですし・・・。
8.ここの主は冬の富士には行きましたか?
以上が、質問でした。
ナンバーが降ってあるので、わかりやすいと思います。また、「小学生の言っていることに答える価値はない」と言うのでしょうか?
◆全く仰る通りです。 (ichiro.jr)
2009-12-20 14:26:27
これを『労災事故』という位置付けての視点は素晴しい論考だと思います。
◆勉強になります (志村建世)
たまたま見たコメント欄ですが、結果責任を厳しく追及されると自動車を買う人がいなくなるというのは勉強になりました。
◆かばう人が多くてびっくり (なつ)
初めまして。おっしゃっていること、いちいちごもっともと
思います。常識のある方のご意見を拝読できてよかった。
◆大変勉強になります。 (ichiro.jr)
2009-12-21 11:09:04
最初に稚拙で感情的な 「屁」みたいなコメント載せてしまって、ほんと恥かしく、穴があったら入りたい心境です。その後の皆さんのコメント全部拝読させて頂いて、自分はなんて不 勉強なんだと実感しております。特に「逝きし世の面影」さんの論考の幅広さにただ只、感心させられました。
◆う〜ん・・・ (ヴァニラ)
記事、コメントを流し読みしただけですが、なかなか興味深いですな。労災事故っていう視点はなかなか思いつかないですね。
たかが、「労災事故」という主張にこんな反応しますか? まぁ事実は闇の中ですが、不自然極まりないコメントでした。
どうもあなたは答えやすいところしか答えてないように思えてならないので。
9.こしぬけさんから
登山届けは出さずに登ってる人がいっぱいいますよ
どうして一人の例外も無くなんて言えるのでしょうか?
10.とおりすがりさんの
2009-12-21 07:34:23
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/091219/dst0912192053014-n1.htm
参照までに貼っておきます
についてどう思われますか?