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金融政策論議の不思議(19) 議論の終わり方と政治のあり方

Bewaad氏から『議論が平行線をたどるであろうことが明らかになってきたようなので、ここで一区切りとすべきではないか』とご提案頂いた。実のところ、筆者自身もどこを落とし所にすべきかは色々と考え、〆の文章まで書いてあったのだが、そのタイミングを見失ったまま各論に走ってしまっていたので、Bewaad氏の全体像を見失わないご提案にはもう感謝するよりほかはない。

そんなわけで、今回は各論については捨象して、いわゆる「リフレ」について議論の全体像について書いてみることにしたい。実のところ、筆者が1ヶ月以上前に準備していた〆の文章は、Bewaad氏のコメントに良く似ている。たどり着いた結論は違っても、その過程で考えることというのは似通ってくるものなのだなと思えて、すこし不思議な気分になった。この記事を読んで読者の方々にもこの感覚が伝わればいいなと思う。

議論の黒白と前提条件

議論というのはある種のゲームであり、本来勝敗が存在するものだ。ただし、議論に厳密な意味での勝敗がつけられるのはお互いが完全に同じ前提条件を共有している場合だけだ。もし前提条件が同じなのに結論が違うのなら、どちらかの論理構成に間違いがあることになり、そこで勝敗が決する(解が複数あるような問題もあるので、この場合は引き分けという形で勝負がつく)。

しかし、実際の議論で前提条件が同じになるということはあまりない。物事の捉え方(価値観)は人それぞれで、全ての議論はそれぞれの価値観を前提に作られるからだ。価値観は理屈ではないので、議論の対象にはならない。「論理の嫌いな日本人(2) 日本人の議論の仕方」でも書いたが、価値観は否定する事は出来ても、批判する事は出来ないのだ。これをやると大概けんかになる。このけんかに勝つことを議論に勝つことと勘違いしている方がたまにいるのだが、色々と迷惑なので勘弁してもらいたい(朝生あたりでそういう口げんかを「議論」と称して見せるからイカンのではないかとたまに思う)。

だから、どこかで議論が平行線になってしまうのはもうしょうがない。議論は、互いの前提条件が違うことを確認したらそこで終了となる。その段階ですでに十分有意義なのだ。

最初、筆者はBewaad氏とかなり似通った前提条件を共有していると思っていた。実際、相対的には「経済学的」な議論ということで、かなり近い前提条件を共有していたのだと思う。それでも、なんども議論のやり取りを続けていくうちにお互いの立脚点の違いが見えてくるのだから面白い。

Bewaad氏も指摘していることだが、筆者は「歴史的にこうだったから」「統計的にこうだったから」といった考え方にはどうしてもなじめなかったし、逆にBewaad氏は合理的期待形成(または、micro-foundedな考え方)という考え方にさほど執着されていなかった(敢えて言い訳をすると、インフレターゲットという考え方が合理的期待形成を前提にして初めて成立する考え方なので、筆者はついこだわってしまったわけだが)。

そのこだわりの違いは価値観の違いであり、どちらの意見が説得力を持つかは読み手の価値観に大きく左右されることになる。というわけで、この議論をどう評価するかは、ここまでお付き合い頂いた読者の方々の判断にお任せすることにしたい。どちらが正しいというよりも、経済政策に対する考え方にも色々あるんだな、と感じていただければ、とりあえず筆者としては十分満足だ。


政治判断の価値

ただし、実際の政策決定の場では「平行線なのでしょうがないっすね」と言うわけにはいかない。時間がなくとも、情報が足りなくとも、理解が不足していても、とにかく結論を出さねばならない。その意味で、政治家が必要とされるのはこの段階だ。どちらの意見が正しいかはわからない。両方正しいかもしれない。価値観の違いが問題なので、理屈では意見の優劣をつけられない。そこでえいやっと判断を下すところにこそ、政治家の存在意義があるのだろう。

だから、「大臣竹中平蔵氏の拓いた道」で書いたことと若干矛盾するのだが、政治家に根本的に必要なのはゆるぎなき価値観であって、細かい専門知識ではないのだろう(もちろん、自分が何を判断しようとしているかは理解すべきだが)。その点、少なくとも今の日本は小泉首相という人材を得ている。後は、彼にどれだけ考え抜かれた選択肢を提供できるかが、日本の政策立案の質を決めるのではないだろうか。選択肢の一つがBewaad氏の言う「パッチワーク」であっても一向に構わないのだろうし、別の選択肢として理論的整合性の高い「美しい」モデルも用意されて良い。

その辺り、多様で洗練された選択肢を用意する能力が今の日本政府周辺には乏しいように思えてならない。今までは首相への選択肢は主に官僚が準備してきた(ように見える)。ただ、多様性という点ではこれは物足りない。学界も、財界も、単に政府に要望するのではなく、それぞれの立場で考え抜かれた政策を立案すべきだし、それこそが真のロビー活動ではないだろうか。アメリカのように、政策系シンクタンクがある程度の影響力を持つような時代がくればよいのだが。


ブログを始めてから実に半年間、まさかここまで長大なコンテンツになるとは思ってもいなかった。必ずしも読みやすい記事ではなかったと思うのだが、ここまでお付き合いいただいた読者の方々、鋭いご指摘を下さった方々には改めてありがとうございますと申し上げたい。とっつきにくいコンテンツに、これほど多くの方から反応を頂けたのはうれしい誤算だった。そしてもちろん、ここまでお付き合いいただいたBewaad氏には感謝してもし足りない。一歩間違えば感情論の泥仕合に突入しかねないこのネタで、最後までしまった議論が出来たのは一重にBewaad氏のおかげだ。ありがとうございました。

では、19回に及んだシリーズもこれでひとまず〆とすることにしたい。


本日のまとめ

前提条件の異なる議論は、前提条件の違いが浮き彫りになった時点で終了する。

前提条件の違う意見は理屈で優劣をつけることが難しい。政策立案の世界では、ここで政治的判断が必要になる。

19回にわたる議論にお付き合いいただきましてありがとうございました。

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Comments

こちらこそ長い間議論にお付き合いいただきまして感謝しております。いろいろとご指摘をいただく中で、自分が安易に寄りかかっていた思い込みをじっくりと見つめなおすことができたのも馬車馬さんのおかげです。

性格ゆえか、自分のサイトではいくつも中途半端な企画が走っておりますが、やはり馬車馬さんのご対応を見て自ずと背筋を正さざるを得なかったせいか本件はきちんと年内にまとめられることができ、その分気持ちよく年越しができそうです(笑)。

引き続きいろいろとinterestingなテキストを拝見させていただくことを楽しみにしております。

それでは。本当にありがとうございました。

Posted by: bewaad | December 19, 2004 at 06:30 AM

Bewaadさん、今まで本当にありがとうございました。

私がブログを始めるきっかけになったのもBewaadさんのサイトを拝見したからですし、生来いい加減な性格の私がここまで続けることが出来たのもこの議論にいつも背中を蹴飛ばされていたからではないかと思っています(その意味では、これからが大変です)。

半年間の長きに渡ってお付き合いいただきましてありがとうございました。では、良いお年を!

Posted by: 馬車馬 | December 20, 2004 at 10:17 PM

こんにちは~馬車馬さん。
長きに渡り非常に妙味あるお話を聞かせて頂き有難うございます。ご苦労さまでした。

話は変わりますが、私、今回の年末年始はさほど忙しくないようです。
過去に経験したこの様な時には世相の変わり目であったと記憶しております。
言うなれば、物事に白黒の決着を急ぐ人が少なくなった(笑)・・・人々に余裕ができたと見るべきでしょうか?

経済の底辺極まる場所からのお話ですが(笑)、来年は良い年になりそうですね。

Posted by: 三郎 | December 21, 2004 at 02:31 PM

三郎さん:

三郎さんはこのブログの最初からずっとお付き合いいただいているのですよね。随分長い議論になってしまいましたが、この必ずしもリーダーフレンドリーとはいえない文章にお付き合いいただいてありがとうございました。

確かに、最近期末になると「今度は何が起こるんだ?」という緊張感は和らいだような気がしますね。景気の動向は良く分からんのですが、経済システムはようやく不安定な時期を脱したのかもしれませんね。(この2つをどれだけ別に考えていいものかどうかは難しいところでしょうが)。

Posted by: 馬車馬 | December 21, 2004 at 08:50 PM

馬車馬さん、こんにちは。
長い議論、お疲れ様でした。このエントリーを最初に目にしたとき、まず思ったのは、よくぞこの議論に足を踏み入れる決意をされた、ということです。過去数年間、あくまでも金融調節の実務的なレベルで金融政策の変遷をウォッチしてきた一人としては、経験的にこの論争で最後は厚い壁にぶつかる思いを何度も味わい、しかも気が付かないところでリフレ派と思われる方々から散々叩かれる目にも遭い、個人的にはやや身を引く思いで議論を眺めておりました。お二方が冷静に議論されてきたことに敬意を評します。
引き続きブログを楽しみにさせていただきます。今後ともよろしくお願いします。

Posted by: 本石町日記 | December 21, 2004 at 08:52 PM

本石町日記さん、ありがとうございます。

おそらく、債券市場関係者はほとんど例外なく、国債買えばいいとか非不胎化介入が有効とかいった議論に強い違和感を持っていると思います。

私も市場関係者の端くれ(だった者)として、この違和感を何とか代弁、ないしは経済学の言葉に翻訳できないものだろうかと思ったのがそもそもこのブログを始めた最大の理由でした。正直、代弁という点では完全には程遠いと思うのですが、直接マネーマーケットに携わる市場関係者が持っている直感の一部でも説明できていればいいな、と思っています。

今回ちゃんと議論を収束させることが出来たのはBewaadさんという冷静な討論者を得ることが出来たからで、これは大変幸運なことだと思っております。

本石町日記さんの更新も日々楽しみにさせていただいております。今後ともよろしくお願いします。

Posted by: 馬車馬 | December 21, 2004 at 11:59 PM

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