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金融政策論議の不思議(17) 銀行というボトルネック

さて、前回は「日銀(または政府)がどうやってインフレを起こすのか、そのメカニズムを明らかにすることが重要だ」ということを確認し、そのメカニズムとしてスヴェンソン教授は円安を、筆者は財政政策を、Bewaad氏はベースマネーの増加などの金融政策を考えている、ということを書いた。

そこで、Bewaad氏はベースマネーを増やせばインフレになる理由として「日銀が銀行から国債を買えば、銀行のポートフォリオは現金であふれ、銀行は国債以外の様々な資産(株やら貸出やら)に投資するようになる。その結果現金は経済全体にあふれてインフレになる」という考え方を提示された。

それに対して筆者は「日銀に国債を召し上げられた銀行は、ポートフォリオマネージメントの結果としてむしろ株を売る可能性があり、狙った効果は得られない」「銀行のバランスシートはかなり悪化しているので、リスクフリーの国債を売って代わりにリスキーな各種資産を買う事は考えにくい」という2点で反論した。で、今回はその続きを。

日銀が国債を買ったら株は売られるのか?

さて、筆者の「国債を日銀がしこたま買いあさり、銀行は他から国債を買い直して元のポーフォリオを維持できなくなったとき、銀行はむしろ株を売却する可能性がある」と書いたわけだが、それに対するBewaad氏からの反論は2点。1つは「全額キャッシュポジションでは、はなから収益機会を放棄しているようなもの。従業員の給料も払えなくなる」という点で、もう1つは「国債と株以外にも銀行が買える資産はある」という点だ。以下、ひとつずつ。

とりあえず、議論をシンプルにするために、もうしばらくの間銀行が保有できる資産は株と国債、現金の3種類しかないと考えよう。それ以外の資産については後で説明する。

まず、ポートフォリオマネージメントの大前提に、マネージャーの経済見通しがあるということを確認しておこう。値動きの相関関係をいくら細かく検討しようが、ポートフォリオマネージャーが「この先金利とか株がどうなるかまるでアイデア無いんだよねー」とのたまったら、ポートフォリオは組めない。

前回、ポートフォリオマネージャーは中立的な景気見通し(景気は良くも悪くもならない)を持っていると仮定した事を思い出して欲しい(別に強気・弱気でも議論は同じ)。つまり、このマネージャーは株価の期待収益はゼロ、言い換えると50%の確率で儲けが出て、50%の確率で損をすると考えている。一方で現金の期待収益もゼロで、こちらは100%の確率で損も儲けも出ない。

ここで「じゃぁ5割の確率で儲かる株のほうがいいじゃん」と思った方。将来ギャンブルにはまる恐れがあるので注意した方がいい。あなたにはリスクという概念が全く無いか、頼まれもせんのにリスクをわざわざ取りにいく「勇者」だからだ。どうのつるぎ1本で魔王退治を請け負うどこかの国の勇者さま並みに非合理的な選択だ。

少なくともまともな投資家であれば、上のような単純な仮定であれば必ず現金を選ぶ。収益の期待値が同じなのに、株には価格の変動リスクがあるからだ。リスクに見合うだけの儲けが得られない限り、リスキーな資産に手を出すことはありえない。だからこの行動は「収益機会をみすみす逃している」ことにはならない。例え従業員の給料分赤字が出ようが、「赤字額を最小限にする合理的な選択」なのだ(脚注1)。


2点目。国債を全部日銀が吸い上げて買えなくなったとしても、株以外にも買えるものがあるかどうかという点だ。議論に入る前に、下の概念図を見て欲しい。これは各金融商品がリスクという点からどのように似ているかを示したものだ。この手の概念図はとにかくいい加減になりやすいので余り使いたくないのだが、可能な限りの裏付けをコメント欄に書いておいたので、興味のある方はそちらを参照していただきたい(脚注2)。

Assets-risks.GIF

前回も強調したことだが、現金と国債がいかに近い関係にあるか、それ以外の金融商品ではなぜ代わりになりにくいのか、直感的にお分かりいただけただろうか(なお、土地や銀行貸出はこの図の更に上の方に位置する)。世の中には様々なリスクがある。景気リスク、金利リスク、インフレリスク、信用リスク、流動性リスク、為替リスクあたりがメジャーどころだろう。それぞれのリスクには相関関係があったり逆相関関係があったりして、複雑に絡み合っている。

社債や政保債が国債の代わりになりえないのは、流動性がほとんど無い(特に地方債、政府保証債)のと、倒産の恐れがある(=信用リスクがある)からだ。社債の発行量が意外と多かったのには驚いた、というか認識不足に恥じ入ったのだが、社債や地方債が国債の代わりにはなりえないという事はご理解いただけるだろうか。

結局、銀行が国債の代わりに株やらなにやらを買うには、まずマネージャーの景気見通しが変わらなければならない。そもそも、この議論は上で書いた通り「どうやって期待インフレ率を動かすか(≒景気見通しを動かすか)」という議論から始まっているわけで、これでは議論が堂々巡りしてしまうわけだ。

少なくとも、Bewaad氏の「ポートフォリオ・リバランス」の考え方が、ポートフォリオマネージメントの理論から支持される事はありえない。


銀行の自己資本はどこまで「汚れて」いるか

Bewaad氏からは2点反論が寄せられている。

1つ目は、政府の注入した公的資金に返済義務があるかないか、という点だ。Bewaad氏は『本当の意味で返済と言い得るのは買入消却のみ』、いくつかの銀行は『政府保有株式を売却する形で「返済」している。 つまり返済義務はないということだ』と述べておられるのだが、これは誤解だ。政府保有株式を売却、というのは、要するに優先株(公的資金)の保有者である預金保険機構が、優先株を普通株に転換して市中に売却した事を言うのだが、これは銀行が一般投資家から新株を発行して出資を募り、そのお金で公的資金を返済したのと完全に同義だからだ。

実際にはもう一捻りあるのだが、その辺りをしっかり説明しているサイトを見つけたので興味のある方はこちらを参照していただきたい(厳密には、国有化されてもいいなら公的資金を返済せずとも良いのだが、まぁそれは議論する必要はないだろう)。


2点目は繰延税金資産による自己資本の「水増し」がどこまで問題か、という点だ。

少し誤解があるようなのだが、繰延税金資産がこれほど問題となるのは、これが自己資本としてバランスシートの借方に計上されるからだ(同時に貸方にも同額が計上)。そして自己資本とは企業が損失を出したとき即倒産しないためのバッファであるわけで、だからこそ「倒産したときの価値はどうなのか」について考えざるを得ない

だから繰延税金資産というある種バーチャルな数字が問題になるわけであって、『その理屈でいうなら、繰延税金資産に限らずすべての資産をゴーイングコンサーン価値ではなく清算価値で評価していなければ詐欺的だということになってしまう』という話には繋がらない。これは会計上資産であると同時に負債(資本)なのだ。

まぁ、筆者自身会計については大した知識があるわけではなく、特に銀行会計は特殊で落とし穴も多い。そこで、興味のある方はまずこちらの金融審議会の報告書をお読みいただきたい。一般的にヒステリックに詐欺扱いされることの多い(まぁ、筆者もそう扱ったわけだが)繰延税金資産の説明としては比較的バランスが取れていると思う(余り詳しい説明はないのだが、読み易いし、結論を急ぐには最適な資料だろう)。

ちなみに、上でご紹介した「磯崎哲也事務所」では、繰延税金資産はそれほど重要な問題ではないと主張している。このサイトはかなり面白い。特に株式市場関係者には強くお勧めしたい。やっぱり専門家は違うなぁ。ただし、この記事は繰延税金資産の問題が相対的にマイナーな問題であり、重要なのは資産評価の方法だ、ということを主張しているのであって、問題ないと言っているわけではない。とりあえずBewaad氏との議論では(今のところ)銀行の資産評価方法は問題になっていないので、このサイトの主張を受け入れても筆者の主張には特に変化は無い。

何にせよ、2005年3月期からは繰延税金資産の自己資本算入には一定の制限が課せられる事は既に決定しているわけで、その一点からしても繰延税金資産の問題が「為にする議論」で片付けられない問題だという事は明らかではないだろうか。

金融審議会: 繰り延べ税金資産報告書を承認 第2部会  金融審議会(首相の諮問機関)第2部会は22日、「繰り延べ税金資産」などに関する報告書を正式に承認した。金融庁はこれを受けて、主要行に対し、繰り延べ税金資産の自己資本への参入制限を05年度以降、導入する。導入方法は段階的に行う現実的な路線に落ち着いたが、それでも不良債権処理が遅れた金融機関には厳しい内容になりそうだ。

毎日新聞 2004年6月22日


経済政策は経済をゆがめるのか?

Bewaad氏から頂いたコメントにはもう1点ある。それは筆者の主張する財政政策は金融政策よりもゆがみがおおきいということだ。

ゆがみとはそもそも何なのかという疑問が筆者には依然として晴れないので、どうも書きにくい。Bewaad氏は『財政政策が具体的にどういう手段でどの程度の規模かをお示しいただかないことにはとらえようがない』とおっしゃるのだが、具体論に入る前にゆがみとは所得分配のゆがみのことなのか、余暇の量まで考慮に入れたより広い効用を基準に議論するのか(経済学では、所得が増えてもその分余暇が減ってしまっては必ずしも人は幸せになっているとはいえない、という考え方をよくするのです)、それともまた別のものなのか、その辺りをはっきりさせないと具体論には入りようがない。以下、少し大雑把に。

ゆがみの議論にどうしても筆者が積極的になれないのには理由がある。我々は「これからある政策を実行したらどのようなゆがみが生じるか」については、それなりの分析ツールを持っている。しかし、これだけでは「今すでにこれだけのゆがみが生じているのだから、新たなゆがみを作ってこれを正すのだ」といった主張に対しては答えようがない。

例えば、筆者は田舎に住んだことがないので、島根県や北海道にやたらと立派な道路が作られるのを見ると「財政政策のゆがみだ、もっとニーズのあるところに金を使え!」とか思ってしまう。しかし、田舎住まいの方からは、「そもそも首都圏に全てのインフラストラクチャーが集中していること自体が歪んでいるのだ。首都圏は十分に発達した。次は地方の番だ!」と反論されるかもしれない。

どちらが正しいのだろうか?適当な経済学のモデルを使えば、答えを出す事は出来る。ただし、別のモデルを使えば、まるで正反対の結論を出せるだろう。上の例でいけば、例えば一極集中のメリットとデメリットをどのように評価するかで結論は逆転してしまうし、そのメリットデメリットはゆがみとは何かという定義によって増減する。

その辺りを考えると、どうも千日手の匂いが強くする。あまりしっかりした議論にはなりにくい気がするのだ。もう少し議論をうまく絞ることが出来ればいいのだが、正直筆者にはアイデアがない。


本日のまとめ

国債に最も似通った資産は現金だ。

自分のポートフォリオから国債が減ったらそれ以外の(リスキーな)資産を代わりに買う、という投資行動を合理的に説明するのは難しい。

銀行の自己資本はやっぱり汚れている。

今現在も日本経済には様々なゆがみがあり、しかもなにをゆがみと捉えるかは人それぞれだ。それを無視してゆがみの小さな政策を追及することには余り意味が無い。

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Comments

脚注1:
実のところ、「あと少しの赤字で倒産します」という状況の場合には、銀行は当たるも八卦とばかりにやぶれかぶれのリスキーな投資に乗り出す可能性が高い。むしろその方が合理的だ。ただ、公的資金注入のスキームが確立している銀行の場合は、その可能性を考慮する必要は特にないだろう。

Posted by: 馬車馬 | October 03, 2004 at 10:31 PM

脚注2:
横軸の景気リスクは、金利リスクやインフレリスクを統合したもの。現金が無リスクの資産ではなく、景気にベア(不景気に得をする)な資産として描かれているのはそのため。

株が他の資産に比べて随分左に離れている(=高リスクとされている)が、これはボラティリティの大きさによる。
http://www.smfg.co.jp/financial/statement/h1503qa_pdf/h1503_7_03.pdf
こちらの資料によると三井住友の保有国債のdurationは3.5年なので、もし3%ポイント金利が上昇すると債券価格は10%程度低下する。一方、金利が3%ポイント上がる頃には株価は最低でも1万5000円、恐らくはもっと上になっているだろうし、少なくともそう思われている。そこで国債の景気リスクの約4倍の長さを取った。

社債のリスクは金利リスクなので国債と似た商品だが、国債利回りに加えてクレジットプレミアムが存在する。倒産確率は好景気には下がり、クレジットプレミアムも低下すると思われるので、国債よりも若干左に置いている。この位置にそれほどの根拠は無い。地債政保債も同様。

社債や地債政保債の流動性リスクを測る事は難しいが、地方債あたりになるとほとんどセカンダリーマーケットが無く、たまに売買が成立していたときは証券会社は国債の10倍以上の手数料を抜いていたはずだ。その辺りで、流動性の低さを推し量っていただきたい。

縦軸に流動性をとったのは筆者個人の好みと本文での説明のためであり、特に理由は無い。流動性リスクが極めて重要なファクターだということだけは強調しておきたいが、別に信用リスクを取っても同様のグラフを描ける。

Posted by: 馬車馬 | October 03, 2004 at 10:37 PM

>ゆがみとはそもそも何なのかという疑問が筆者には依然として晴れないので

経済学で言う「ゆがみ」とは政府が行う政策の有無によって資源配分、すなわち(民間の)経済主体の意思決定が変更されること、だと思います。

よく使われる例は、所得税と(馴染みにない言葉ですが)一括税で、所得に応じて税額が変わる所得税は資源配分を歪め、所得などの経済変数に依存しない一括税は個人の意思決定を変えないので、中立である、と。

貨幣であれば、デノミは資源配分を歪めないが、経済のある一部に貨幣を大量に与えた結果起こるインフレ(但し、短期的には貨幣の中立性は成立しないとする)は資源配分を歪める。などなど。

Posted by: night_in_tunisia | October 04, 2004 at 10:14 AM

すいません。最後まで読まずに書き込みました。
僕が書いたことぐらいのことは当然、ご存じですね。
削除できるのなら、削除してください。

Posted by: night_in_tunisia | October 04, 2004 at 10:16 AM

きっちりしたコメント有難うございます。こういう形で補足していただけるのは大変ありがたいです・・・って、消さないとダメですか?ものすごくもったいないんですが・・・

もし差し支えなければこのままにさせていただきたいのですが、いかがでしょうか?もちろん、night_in_tunisiaさんのお気持ちひとつですが。

それにしても、どういう切り口であればこの問題をうまく扱えるのでしょうかね?もし良いアイデアがあればお聞かせください。

lump-sum taxって一括税って訳すんですね。いつも訳に困っていたのですが、ひとつ賢くなれました。

Posted by: 馬車馬 | October 05, 2004 at 08:39 AM

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Tracked on November 07, 2004 at 01:44 AM

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