20-26


子供の頃
漢字のいっぺえ並んでる本こ見で
きれいだごだ
ど思った
そんなもんすかや
ちか゜うべ
あんださ分がっぺ
この言語か゜
おいの言葉か゜
活字がらはみ出しそうな
この おいの熱情か゜

注意
目次
はじめに
1986年 二十歳
1987年 二十一歳
1988年 二十二歳
1989年 二十三歳
1990年 二十四歳
1991年 二十五歳
1992年 二十六歳
1993年 二十六歳

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al Retpaĝo de GOTOU Humihiko

はじめに

 以下は、私が大学生時代 所属していたESS という英語部の名簿に、 86 年から 92 年まで毎年 載せていた「自己紹介」の原稿の羅列と、 それらを全部 並べて感想とともに他の団体の文集に 93 年に 載せたものである。 当時の私は一人称に「ぼく」を使い、 血液型を書くことにも何等の疑問を抱いていなかった。 英語が好きだった時代だから、横文字に対する姿勢も今とは違う。 人の性別への不要な言及があったり、 詩とかでも東京訛りの「文藝標準語口調」を使っていたりする。 まあ、その辺については、私も人並みだった訳だ。
 電網媒体が発達した今からすれば、 こんな媒体に精一杯こんな「生々しい」ことを書いてみせたって、 そんなことは「機能しない」のに、まあ、よく書いていたものだ。 と言いながら、その同じ文章をこうやって電網媒体に公開してみせたり するのだから、私もまるで進歩していない( というか、私は、もっと「生々しい」文章も公開している)。 電網媒体が発達したおかげでようやく私が悟ったこと――言葉は機能しない――。 それに懲りずに私は相変わらず、 似たようなことをやっている。よっぽど「言いたい」んだろうねえ―― 機能しないのに。
1986年 二十歳

本名 後藤文彦。生年月日 昭和41年9月27日。血液型 *型。学籍番号**T***。*学部**系。現住所 〒***仙台市***丁目*-****アパート***号 電話 ****(**)****。帰省先 〒***石巻市*町*丁目*-*電話 ****(**)****。斯くある設定の下この世の登場人物たらしめらる実体「ぼく」が演技を進めるに連れ呈し始めた特異なる特徴の一部を次に挙げる。読書傾向――安部公房、夢野久作、稲垣足穂、島尾敏雄、ポー、ビアス、ガルシア・マルケス、ボルヘス等(ついでにこれから読むことになりそうな作家――トマス・ピンチョン、フリオ・コルターサル、ジョン・バース、Georges Bataille、ミヒャエル・エンデ、中井英夫、渋澤龍彦等)。(尚、この手の本の入手は八重洲書房にて)。音楽の趣味――ストラヴィンスキー、Tchaikovsky、ショスタコーヴィチ、バルトーク、ドビュッシー、Sibelius、Prokofiev、R・Strauss、リゲティー、新ウィーン楽派、Beethoven等(一説によるとぼくがF研でロック音楽に傾倒しているという話だが、それは飽く迄、単にピアノを弾かせてもらえるという目的の為の已む無い手段に過ぎず、抑ぼくはクラシックファンである)。映画の好み――スタンリー・キューブリック、ルネ・クレマン、リドリー・スコット、Charles Spencer Chaplin、Francis Coppola、寺山修司? 等。――果たしてこれが台本の解釈の幅もしくは演技の即興性の許容範囲に包含され得るか否か――これはぼくが可能性を固定されながらこの軌道に同調し続けているのかあるいは新たな可能性へと逸脱し始めているのかを判断する絶好の手掛りになってくれると思う。曾てぼくは高校の文集にこんなことを書いた――「可能性を剥奪せられ猶この軌道に同調してるぼく――そろそろ脱出せねば。」と。大学生となった今、ぼくは果たして自分が全然脱出していないばかりか着実に自らの可能性の固定化に努めていることに気づくのだ――案の定! ぼくは振り当てられた役を忠実に演じているに違いない。何れにせよ、長7度の美しい不協和音が全てを象徴してくれる筈だ……


1987年 二十一歳

 「ぼくとは誰か? それを知る為にはぼくが誰と『つきあっている』かを知ればよい。」――これはA.ブルトン作『ナジャ』の冒頭であるが、この命題は今のぼくには当て嵌まりそうにない。というのは、今ぼくのつきあっている人間の中に「ぼくとは誰か」を知るに足る人間など果たしていないのではないかと思われるからだ。つまり、ぼくは「ぼく」という個性に友としての価値を見出だし得る友を必要としているのだ。尤も、曾てはそういう友も結構いたのだ。だのに、中学、高校、大学と進むに連れて、確かに成績の面での人間のレヴェルは明らかに高くなってきたが、友と呼べる友の数はむしろ少くなったと思う。斯く、大衆的な個性が脚光を浴び、純粋な個性が敬遠され易い風潮の中で、名簿に趣味や特技を並べることがどのように作用するのかぼくには分からなくなってきたし、この名簿の中で恐らくこのページだけが異質であろうということも予想は出来る。それをぼくの妥当性の欠如と片付けようが、それなりに共感してくれようが――I am I,nothing but I.ぼくはぼくでぼくだ。

 「ぼくとは誰か」を知る為に重要なことが上に書かれていることか下に書かれていることか――畢竟それが君から見た「ぼく」の価値なのだ。

本名 後藤文彦。所属 ***学科一年。生年月日 1966年9月27日。血 *型。現住所 〒******丁目*-****アパート***号。帰省先 〒***石巻市*町*丁目*-* 。いい作家 安部公房、ホセ・ドノーソ、彦武永福、ラテンアメリカの作家。いい作曲家 Stravinsky, Bartok, Shostakovich, Debussy。いい映画 「ヴェニスに死す」「田園に死す」「ときめきに死す」。???


1988年 二十二歳

12月13日 金曜日 公園に死す
 今まで通りこのままこの軌道に同調し続けていったら果たしてぼくの将来はどうなるのだろうかということを床に就いてから想像実験してみるのは面白いことだ。――恐らく、数年後ぼくはどこかの建設会社に就職する――やがて数回の見合の末、適当に妥協して結婚する――平凡な毎日の繰り返しが始まる――「このままではいけない。どうにかしなければ……」と考えているうちに停年を迎える――それから更に平凡な日々がやってくる――ある日、孫を連れて公園を散歩する――若いアベックがやたらと目に付く――「そう言えば、わしは果たして恋愛なぞというものを経験したことがあろうか」などと考えているところへ突然、心臓発作が襲ってくる――「おじいちゃん、おじいちゃん!」孫の絶叫を幽かに聞きながら人生の幕は閉じられる。

……このままいくとぼくはいつの日にか「公園に死す」ことになり兼ねない――きっと。そろそろ脱出せねば……

12月24日 火曜日 雪
 最近、ショスタコーヴィチだのバルトークだのばかり聴いていて、ふとベートーヴェンを聴いてみると、その知覚表象が昔抱いていた「音楽」の記憶表象にピタリと一致しているのを感じる――そう言えば、これが「音楽」だったっけ――と。 だから、ぼくは不断ぼくらが無意識に作っている不合理なポリシーによって、(某野球選手を自分のアイドルにしてしまったが為につまらないプロ野球を我慢して見ている女の子とか、「前衛的」ということを「芸術的」ということと勘違いしている前衛芸術家とかみたいに)苦いコーヒーを我慢してブラックで飲むようなことはせず、自分の感性に素直に――例えばブラジルの女の子のように、コーヒーには砂糖をたっぷり入れて飲もうと思うようになった。取り敢えずそのその辺から脱出を試みていこうと思う。

9月27日 火曜日 二年前の今日から二年後
 ぼくの見ているものがやっぱりぼくを見ていて、ぼくがそいつを見ているのかそいつがぼくを見ているのか分からなくなって――ふと気が付くといつのまにかぼくはもう22歳になっている――中学校で剣道部に入ったのが間違いだったのか、小学校で利己主義の女の子を泣かせたのが間違いだったのか、生まれた場所が間違いだったのか、生まれた日が間違いだったのか――畢竟、ぼくはぼくでぼくなのだ。

BOUNDARY CONDITION
本名 後藤文彦。所属 ***学科***学**室。生年月日 1966年9月27日。血の種類 *型。現住所 〒***仙台***丁目*-****AP***号 電話 ***(***)****。帰省先 〒***石巻市*町*丁目*-*。電話 ****(**)****。


1989年 二十三歳

 夜中の研究室の机に向かって、ふと――あんなに気を付けていたのに、迂闊にも"Jack Robinson"と呟いてしまう――文字通り「あっ」と言う間に大学の五年間が過ぎてしまってい……という感じの出だしでいつもの調子のやつを書こうかと思っていたのだが、そろそろ私を知らない世代の人々が主要な読者層となりつつあるだろうから、この紙面のもっと建設的な利用方法は何かないものだろうかと一応は考えてみた。そういえば、私は仙台**センターというところの政治的役職というか学生リーダーを担わされているので会員募集の宣伝をしたいのだが、これをするとある危険を伴う恐れがあるから今回はやっぱり諦めようか。新会員の登録は4月からと書いておけばその危険は半減するかも知れない。まあいいや。取り敢えず、英語を喋りたい人、お茶を飲みながら駄弁りたい人、ESS引退後の余暇活動を捜している人などにお勧めであ……というようなことを書いてみたのは、それがぼくの名簿の機能性に対する現時点での結論だからだ。というのも、ぼくはこれまで名簿にある種の暗号を埋め込んできたけど、その意図を解読して共感してくれた人なんて恐らくいないだろうし、このことは実はもっと直接的な表現を直接的に手渡すという大胆な実験によっても既に証明済みなのだ。そういえば、こんな実験もある”Jack Robinson Jack Robinson Jack Robinson Ja……おじいちゃん、おじいちゃん!”

なんの手掛かりにもならないし十分条件な訳はなく必要条件ですらないただの境界条件:本名 後藤文彦。所属 ****科****専攻****講座M1年。生年月日 1966年9月27日。血 *。現住所 〒*****区***-*-****アパート***号。でんわ***(***)****。帰省先 〒***石巻市*町*-*-*。でんわ****(**)****。


1990年 二十四歳

 自分が曾てESSの部員であったという記憶すら忘れかけているぼくのような年を取った人間にも、何処からともなく名簿用の紙が舞い込んできたので、せっかくだから遠慮なく書かせて戴くことにするが、六年前に夢想したのとは程遠い六年後になってしまったものだ。予想通り何の変化も起きなかったではないか。だからと言ってぼくは全然動かなかった訳じゃない。ぼくは動いたさ。ぼくの自意識の許容限界を完全に無視して一所懸命に動いたさ。けど、きっと出発点が遠すぎたんだよ。だからぼくは、この六年間をハンディということにしてもらって、明日の朝目を覚ましたら実はまだ大学一年生だった――なんてことにならないかなあ――などと思いつつ酔っ払って眠ってしまって、目が覚めたら――そう言えば、もう既におじいさんだったっけな――なんてことになっているんじゃないか――という強迫観念を抱きつつ、毎晩バーボンをかっ喰らって、果てしない十何年と何ヶ月かの歳月が過ぎて、やっと変化と言えそうな変化がやってきたとして、今でさえ斯くもひねくれてしまっているぼくが、さんざん待たされた上で果たしてそんな変化を素直に受け入れられるかどうかということは甚だ疑問だし、その時までぼくの肝臓が、毎晩のように無造作に流し込まれてくるアルコールの襲撃に耐え忍んでくれているという保証もないし、こんなぼくの次の六年後は自分でも考えたくもない――というこの文章さえ、酒瓶を睨みながらタイプしている――そんな純文学的な今日このごろである。

本名 後藤文彦。所属 ****科****専攻******室M2年。生年月日 1966年9月27日。血 *。現住所 〒*****区***-*-****アパート***号。 TEL***(***)****。帰省先 〒***石巻市*町*-*-*。TEL****(**)****。その他 仙台**センター会員。その他の他 *論がうまくいけば来年度はDC、失敗だったら**予備校講師。


1991年 二十五歳

 「ぼくとは誰か? それを知る為にはぼくが誰と『つきあっている』かを知ればよい」って誰かが言ってたけど(A.ブルトンの「ナジャ」だったっけ)、この命題を成立させてくれそうな「対象」なんて、結局未だに現れやしない。十歳まではぼくが内面を晒し得る「対象」としては「親」で十分に機能が果たされていたから問題はなかったんだけど、徐々に自意識が成長するに連れ他人に内面を晒すことに羞恥を催すべく条件付けられていったのだ。当初それは級友に対してのみであったが、高校の頃までには家族を含むすべての他人に対してぼくは内面を晒すことをしない人間になった。それは確かにかっこいいかも知れないけれど、内面の叫びを隠蔽するにはそれなりに精神の不飽和領域を惜し気なく提供しなければならない。とは言え精神領域も有界であり、一旦飽和した精神領域は然るべき「対象」の慰めによってしか還元されないとなれば、「対象」の不在が続くうちにやがて精神は飽和する。斯くして愈飽和してきたぼくの精神からついつい滲み出てくるぼくの内面を、ぼくは信頼できそうな他人の前にうっかりこんなふうに漏らしてしまっていて後で後悔するってパタンが最近増えてきたような気がする。大体においてこんなものを知らない人に読ませてみたりするぼくの意図はまるで見えない。

どうもおかしいと思っていたんだが
やっぱり違うんだ
苦痛のレヴェルが
彼等とは

白けるね

誰でも内面は
同じように苦しんでいるんだ
って思っていたからこそ
うっかり
内面の苦しみが
ちょっとずつ
漏れてしまってたんじゃないか

白けるね

共感は愚か
嘲笑を浴びせられてさ

白けるね

彼等はまるで苦しんでないばかりか
見掛け通りに
楽しいらしいんだ
そんな連中に同調してやる必要なんてないさ
今まで通り内面を閉ざして
軽蔑してやればいいさ

でも
こっちの種類のひとが現れた時
ぼくもこっちの種類なんだよ
ってことが分かってもらえるように
少しは
内面を
漏らしていた方が
いいのかもね
この際
嘲笑なんかはどうでもいい
一種の演出効果みたいなもんさ

いつかぼくの
ひねくれた内面を
優しく包んでくれる
ひとが
現れたなら
もし
そうなったら
そのときの
喜びは
楽しさは
違うんじゃないかな
レヴェルが
次元が
彼等のとは

そうじゃなきゃ
割に合わないよ

白けるよ


本名 後藤文彦。所属 ****科****専攻******室D1年。生年月日 1966年9月27日。現住所 〒*****区***-*-****アパート***号TEL***-****。帰省先 〒***石巻市*町*-*-*TEL****-**-****。その他 仙台**センター会員。


1992年 二十六歳

 確か四年の時にぼくは「あっ」と言う間の四年間だったと思ったし、翌日目が覚めたら実はまだ一年生だったなんてことにならないかななんて思ってたけど、そんなことを考えつつ大学八年生になっているぼくは、言わばあれからもう一回大学生をやった勘定になる。それでは一回目の四年間と二回目の四年間とで二回目の四年間の方がさぞ充実していたかというと、そういう訳でもない。一回目の四年間での経験と反省の蓄積に伴い、社交能力にせよ打算能力にせよ少からず改善されているのは確かだ。しかしそうしたぼくの対外対処技術の向上が反映されたところで、所詮有意差が発現することはなかろう。それだったら一回目の四年間を始める以前のぼくの論理思考能力だって、自分に有益な行動を的確に判断するという機能に於ては、既に十二分過ぎる水準に達していたさ。分かるかい? ぼくは着実に自明な解の方を歩んでいるのさ。ぼくには自分の精神を構成する内界のプロウグラムの中に、絶対に操作したくない領域というものがあって、それは例えば自分の性格であるとか価値観であるとか、一旦それに手が加えられたら物心ついてから連続性を満たしながら徐々に変化し持続してきた自我同一性が喪失せらるような、そんな神聖不可侵な領域なのだ。つまりぼくは自分の性格や価値観を変えずに、今のままの自分に今の自分が満足するような外界を設定してやりたいのだ。尤も、例えば人類が滅びて地球上に人間がぼく一人しかいないとか高々十人しかいないというような状況にでも陥れば、価値観を操作してでもしあわせに一番近付ける最適解を捜そうとするようにはなるやも知れない。しかしぼくには高々八年程度の統計から、現状の世界では今のままのぼくが満足し得るような特異解が存在し得ないと断定するだけの自信はない。 そうさ。簡単に言えば希望を捨てられないでいるのさ。 まあ、今更どっちに転んだところで建設的な最適解とは言えないね。呵呵。好きなようにするさ。ぼくはぼくを見詰めていればいいんだ、今まで通りに。

本名 後藤文彦。所属 ****科****専攻******室D2。生年月日 1966年9月27日火曜日。現住所 〒***仙台市**区***-*-****アパート***号TEL***-***-****。帰省先 〒***石巻市*町*-*-*TEL****-**-****。その他 仙台**センター会員。


1993年 二十六歳

……と、大学二年以来毎年ESSの名簿に載せてきた自分の文章をこんなふうに並べてみると、この七年間に自分の中で変貌を遂げた部分とまるで変わっていない部分との対照が今更ながら見事なまでに浮き彫りにされる。思えば、この現在を七年前のぼくは的確に予見していた。にも拘らず、ぼくはこの径路を回避することもできずに自分が危惧していた通りを忠実にトレイスしてきたのだ。というかぼくは、自分の未来に数多く与えられるだろう外乱に因って、近々別の世界への分岐もしくは飛び移りを経験することになるだろうという程度に甘く見積もっていたのだ。しかし、予想に反しその手の外乱などまるで訪れぬばかりか、焦ったぼくが自分自身で摂動してみたところで、悉くこの同一径路上に舞い戻っているのだ。周囲の人間を観察して得た統計デイタから判断すれば、それは確率的には明らかにおかしい現象の筈だ。その辺からぼくは、個々人を支配する確率関数が、如何に環境の似通ったひとたちに対してであっても、各々にまるで異なったものになり得るということを、その違いを生む人間社会の構造上の事情を徐々に悟り始めた。不思議なことではあるが、毎日擦れ違い、言葉を交わしているひとたちの見ている世界は、ぼくの見ている世界とは実は相当に違っているらしいのだ。ぼくには向こうの世界が見えないし、向こうの世界のひとにはぼくの世界が見えないのだ。都合よくできてるもんだね。だからこんなものを書いたところで、向こうの世界の住人には取り敢えず無害だろうし、特に何の機能もしないだろうから、ぼくは高を括って書いてみせるのさ。「ほらね」って一言、自分に呟く為に書いてみせるのさ。まあ、いいか。どうせ、ひとの考えていることなんて分かるものではない。分かった気がしてもそれが全てではない。誰かさんの言ってたように「一番目に言いたいこと」なんて所詮ひとには喋れないものだから、何がそのひとの内面の事実かなんてことは、そんなことは誰にも分からないさ。現に「『独りであること』、『未熟であること』、これが私の二十歳の原点である」とか言ってた誰かさんは二十歳で鉄道自殺してしまったし、「心よ 知れ/私の未来は/現在の永続なのだ」とか言ってた誰かさんは二十歳で分裂病に罹患してしまったし――やり切れないけど、そんなもんだね……

ぼくの見ているものが
やっぱりぼくを見ていて
ぼくがそいつを見ているのか
そいつがぼくを見ているのか
分からなくなって
でも実はそんなことは
全然重要なことじゃなくて
こんなふうな世界に
いつまでも
とっぷりと
浸かっていられたなら――
いいなぁ
ってぼくはずっと夢見続けてきて
未だに夢にすら見たことがなくて
ぼくの見ているものは
ぼくの見ているもので
ぼくを見ているものは
ぼくを見ているもので
ただそれだけで
ぼくは
ぼくは
ぼくは
ぼくは
――やっぱりぼくで







1999年 三十三歳!
 この一年後(つまり二十七歳のとき)に私が某団体?の文集に書いたものに加筆したやつがこれ。 それにしても、 あの頃から既に私はせっかくあんなにも悩み続けていたのに、 そして今はあの頃から更に何年も経ってしまったというのに、 私は未だに何も解決できていない。いつまでたっても常に「相変わらず」なのである。 いやあ、過去の自分に申し訳ない。 せめて電網上にでも、あの機能することのなかった言葉たちを並べてあげよう。 というか、今の私にも未だに有効な言葉たちなのだが……



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