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猿橋宿には昔の面影もなく、国道を進んでゆきます。酒の大布屋、立派な駐在所、
厚焼きせんべいの幡野屋、手作り豆腐の高見屋などが軒を連ね、それなりに活気が
あります。更に行くと、右側に白い大きな建物が現れ、壁に大きく紅富士太鼓道場
書いてあります。家の前にはギネス認定、直径4m80cm、世界一の大太鼓と書かれた
トラックが止まっていました。ここではその大きな太鼓を見ることができませんでしたが、
この先、笹一酒造でお目にかかることになります。


太鼓道場から400mは、右側に家が無く、眼下に流れる桂川が良く見えます。
現れた橋は
宮下橋で、たもとにはセブンイレブンがあり買い物に寄ってみましょう。
隣は円行寺、そして写真の
三嶋大明神へと続きます。屋根付きの土俵がある
小さな境内は、静かで休憩するにはもってこいです。


三嶋大明神の角は、
JR猿橋駅入口で、左へ160m行くと駅があります。
駅の裏からはシャトル桂台というケーブルカーのような乗り物が山の上まで
走っていて台地上にある住宅地の足の便となっています。甲州街道からも
左手後方に良く見えます。やがて国道は左にカーブし、その右奥に
阿弥陀寺
確認できたら、その入口が
猿橋一里塚跡です。いくつかある石碑の間、
第三自治会防災倉庫の前に、白い木の標注一本がその存在を訴えていました。
もしこの標注が腐って倒れてしまったら、旅人にはもう一里塚の存在は
分からなくなってしまうでしょう。大月市教育委員会の皆様、どうぞ立派な
石碑をお願いいたします。一里塚跡から100m、右の写真の場所で街道は右折です。
国道標識は甲府へ43km、勝沼へ28kmと有り、駒橋発電所への案内標識も
ある場所で、右側には大きな時計の付いた
山梨中央自動車があります。


旧道にはいると、雄大な景色が広がります。駒橋発電所の放水路、桂川、その向こうに
そびえるのが大月市のシンボル
岩殿山です。めざせ登山隊で登ったことのある山ですが
こうして街道から見るとまた違った情感が溢れてきます。と言うのも戦国時代が好きな
パパは、信玄・勝頼の時代小説も読み、この山をめぐる悲しい話を知っているからです。
この山の裏には稚児落としという悲しい旧跡があり、近年子供の骨が発見され史実が
確認できたそうです。中央自動車道を走っているとちらっとその断崖が目に入ります。



この静かな旧道は920m続きます。この通りはほとんど発電所通りと呼んでも良いように
東京電力の施設が並びます。右の写真は東京電力駒橋社宅で、街道よりそちらへの
道の方が太くて立派なので一瞬迷ってしまいます。ここは左の道を進んでください。


日本初の水力発電所は京都にある蹴上発電所で、ボクたちが歩く中山道で紹介しました。
そしてここ
駒橋発電所も日本初の長距離送電技術を用いた発電所です。時は明治42年、
需要が増えた東京の電力も日露戦争による石炭不足のため火力発電だけでは不足する
ようになり、この遠隔地に水力発電所を建設し、東京の早稲田変電所までの76kmを55,000Vの
電圧で送電しました。当時はスイス製の水車にドイツ製の発電機を5台設置し15,000kWの電力を
作り出していました。現在は、8本あった
導水管も2本となり、電力もこの近隣への送電に
留まっています。街道から眼下に見える赤い水車は、ここにあったものではなく、
旧桂川電力公司の鹿留発電所にあった
フランシス水車で1912年製です。


駒橋発電所を見たら、導水管をまたぐ所で街道は黄色い点線の道へ登って行きます。
ここはなかなか分かりづらい場所で、うっかりしていると、そのまま降りてしまって
桂川に架かる橋に出てしまいます。
導水管を越えたらすぐ左へ入ることを忘れずに。


実際、発電所に夢中だった私たちも、そのまま真っ直ぐ降りて桂川へ出たところで
気が付きました。しかしその橋のたもとには写真のような
美しい滝があり、なんか
徳をした気になりました。滝までは往復300mですので、余裕のある方はいかがでしょう。


正しい甲州道中を進むと、やがて第五甲州街道踏切で中央本線を渡ります。
渡ると70mで国道へ合流しますが、そのまますぐ
右の旧道へ入りましょう。

旧道は330m続き、その出口付近には厄王大権現があります。
この辺りが
甲州道中駒橋宿になるのですが、国道と線路でズタズタになり
旧宿場町の面影を見ることはできません。国道へ出たところにかろうじて
旧家を見つけることができましたが、生活のためには仕方ないことです。



 岩殿城跡
 武田24将岩殿城主小山田左兵衛尉信茂の里
  名城岩殿本城跡は戦国時代の幕あけのころ大永七年(1527)、郡内領守護小山田越中守信有により
 築城され標高637m。宝珠形にそそり立つ岩城の山頂部に戦国期の遺構が集中している。最高部の
 展望地には、「本丸」「のろし台」、「二の丸」、「三の丸」、その下に蔵屋敷や1,000m2もある「馬場」更に
 炊事に用いた「亀が池」又、人馬の水浴用とした「馬冷やし池」などがある。
  この城の守りとして西方城門には自然の巨石を切り開いて造った堅固な「揚城戸」や東方には70mに
 およぶ「から堀」大岩窟をそのまま城塞とした「七社洞窟」「新宮出丸」などがある。そのほか隣国領を
 遠望できる「物見台」や「帯くるわ」「たて堀」「土塁」「脱出路」など関東一を誇るこの名城の史跡は、訪
 れる人々に遠き戦国の時代をしのばせてくれる。岩肌に茂る老松に渡る風の音も武将の哀史を伝えて
 いる。明治十二年の晩秋、乃木大将もこの古城に登り、英雄の歴史に思いをはせ、剣に仗り帳然として
 夕陽を見ると万感せまる哀詩を残している。現在大月市街地を一望できる岩殿山にその詩碑が立てら
 れている

                                大月市・大月市観光協会・JR大月駅





駒橋の旧道から国道へ戻ると
デイリーヤマザキ大月桂川店がありますが、本来の
甲州街道はこの辺りから右へ再び入って行くことになるのですが、現在はまったく
消えてしまって道はありません。仕方なく国道を「
高月橋入口」の交差点まで
進んでください。ここで直角に右へ曲がって高月橋へ向かいます。正面には
岩殿山が迫力あるその山容を見せてくれます。この写真ちょっと変なのは、意図的に
電線や電信柱を消してみました。実際この場所で山を見ると、頭上に多くの電線が
ひしめき合い、とても素晴らしい景色とは言えなくなってしまうからです。
裏側の写真は、めざせ登山隊が登ったときのもので、岩殿山からこの場所を
見下ろしたものです。駅からちょうど一時間で頂上に立つことができますので
時間の許す旅人は是非登ってこの眺望を楽しんでみてはいかがでしょう。


高月橋入口交差点には三嶋神社があります。この神社の起こりは非常に古く
大同元年(806)、伊予の国(愛媛県)の大三島大山祇神社より勧請されたと
伝えられます。そのとき四本の大槻が植えられ、ここが四本木と呼ばれました。
その大槻が
大月の由来とも言われています。江戸時代には街道に面していたため
旅の安全を祈願する人で賑わい、私たちもあやかってみました。


街道は、この交差点を右折し、高月橋へ向かいます。JR跨線橋へは入らず、側道を
進むと線路に突き当たるので、左折しましょう。ふれあいの街
さつき通商店街のアーチを
くぐれば、もうJR大月駅はすぐそこです。