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すなふきんの雑感日記

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2008-04-19

[]環境問題の落とし穴

前回のエントリhttp://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20080418/1208525027で、kogeさんから興味深いコメントをいただいた。

嘘でもいいから「温暖化なんてウソッパチ、資源もエネルギーも高度成長期のようにジャブジャブ浪費していいんだ」とするしかないのかもしれません。もう延命よりQOLの段階にきてるというか。

地球環境問題への対応はともすれば「自然に帰れ」的な誤ったアプローチで解釈されることが多いが、これは危険なことだと思う。この手の発想は経済成長への懐疑論と強く結びつきがちで、人間らしさを取り戻せとかおカネやモノの豊かさより心の豊かさとか、人々の情緒に訴えるだけの不合理なスローガン*1を唱える傾向にある。しかしいわゆる「人間らしさ」とは、実はおカネやモノを担保にして成り立っていることを考えれば、そうした考え方がいかに底の浅いものかということは見当がつくと思うのだが。*2

環境問題への対処はあくまで現代の科学技術や社会制度が到達した成果の延長線上で行われるべき*3で、イデオロギッシュな観念論による退行的な政策が台頭してくることはあってはならないことだと思う。経済的退行は社会的退行を招くとするならば、現代の日本のように安全な社会は維持できなくなるかも知れない。病気による死亡率も劇的に上昇する可能性がある。経済成長よさらば、自然に帰れと叫ぶ人たちは、彼らの理想が実現した暁には「世紀末救世主伝説」的世界が到来する可能性について考えたことはあるのだろうか。

*1:倫理主義的空気を帯びているところが厄介だ。

*2:昔は牧歌的で平和だったなんて大嘘だからだ。

*3温暖化への対応にしても、新エネルギー開発とか自然環境のコントロールとか、あくまで生活レベルを下げない前向きな方向性でなされる方がいいと思う。

yama-chanyama-chan 2008/04/20 13:43 温暖化温暖化と言われだして久しくなります。今の温暖化問題には私は多くの疑問をいだいています。と言うのは過去・・縄文時代は今よりも平均気温が1度高く、当時は日本でも今のフィリッピン辺りの気候のような感じで薄着でも生活する事が出来ました。
当然海面も今よりも上昇しており、大阪平野には巨大な河内湖が出現しており八尾辺りが大阪の海岸線にあたります。地球は基本的に寒暖を繰り返しながら地球の息吹を機能させてきたのだと思います。遠くは縄文時代あるいは今現在でも焼畑農法を繰り返している地域がありますが、木を燃やしてダイオキシンが発生しそれが公害だと言うのであれば人類はすでに何度も滅びなければなりません。産業革命の時のロンドンは霧の都と言われるくらい今以上に石炭によるスモッグに覆われており今の車の排気ガス等問題にならないくらいに空気が汚れていたのでは?と思います。当時もこの世の終わりのような話が出てきて
金持ちは少しでも空気の綺麗な場所を目指して逃げ出し自然を勤しみ野の花な田舎暮らし
ガーデニングと・・・その頃流行った話がアルプスの少女ハイジのお話です。
たしかに人類の自然破壊は目にあまるものがあり私も大変危惧している方の一人です。
だからと言って木を燃やしてはいけない!落ち葉一つ燃やしてはいけない!では温暖化の名を借りた暴挙と言うしかないでしょう。過去の歴史で木を燃やしたから温暖化あるいは公害なんて言う話はありません!戦争中は燃料に困り日本の山は禿げ山だらけだったはずです。生駒山などは終戦後に生えた木ばかりですので樹齢数百年の木は神社仏閣のみです。私の結論から言うと地球は活動期に入り出しており、大きな地震活動や火山活動の前段階に入っているために地球全体が電子レンジで暖められている状態になってきているのではと思います。

sunafukin99sunafukin99 2008/04/20 15:02 >yama-chanさん
そうですね。環境問題に限らずかつて歴史的に末法思想や終末思想などがはやった時代は何度もありました。その度にいろいろな(今で言う)「トンデモ」的ムーブメントが起こっては消えていったんじゃないでしょうか。現在の環境ブームにも同様な傾向があるかもしれないです。あるいは政治的に利用されている面もありそうですし、冷静な見極めが求められてると思います。

星屑星屑 2008/04/20 16:48 yama-chanさんの投稿はほとんど同意できるのですが、最後の「地球が電子レンジ」というところだけがどうも(苦笑)。
縄文時代は縄文海進と言って、平均気温は地球全体で今より2℃ほど高く(高緯度ほど高温傾向)、海水面は6メートルほど高かったと言われています。今の貝塚はその名残ですね。その後にも中世温暖期というのがあって1〜1.5℃ほど高温でした。
こうした長期トレンドの高温はともかく、短期イベントとしての温暖期もあるので、近年の高温傾向もそのひとつである可能性は十分にあります。

さて問題は「温暖化対策」といえばどんなトンデモでも罷り通ってしまっているのが現状です。
レジ袋に拘泥する愚かさは以前にも書きましたが、昨年も「打ち水大作戦」などというバカげたイベントが温暖化・都市高温化対策として大真面目に行われているのですから頭が痛いです。
もちろん環境対策はあったほうがいいに決まっているのですが、極論の「自然に帰れ」のようなポルポト的発想か、あるいは自分になるべく降りかからない面でお茶を濁して環境対策をしているかのように振る舞うペテンも良くないでしょう(レジ袋は後者にあたりますかな)。

もし環境を重視しようとすれば車社会の転換が必要です。かといって財産権でも認められた車所有を禁止しろなどといえば先の極論のうちですし、公共交通の充実を図りシフトをさせていくといった常識的な改善を徐々に進めていくほかないと思えます。
安倍政権時代の教育改革論議が「床屋政談レベル」と揶揄されましたが、環境問題もそうなってはいけないと思います。

sunafukin99sunafukin99 2008/04/20 19:22 >星屑さん
「打ち水大作戦」は確かに痛いですね。あれもノスタルジックな感情を呼び起こそうという以上のものではなかったように思われます。公共交通の充実についてはおなじみの財政難の中、むしろ「無駄遣い」として槍玉に挙げられそうです。ある意味悪い時期に環境問題がクローズアップされたと言え、そのためにそれへの対応もゆがんだ形で行われている、といったところでしょうか?

nabezo-rnabezo-r 2008/04/22 01:44 環境左翼の人たちの理想は、原始共産社会への回帰じゃないかと思うことありw

「ノスタルジックな感情」というのも、所詮は一世代前の「人間」の主観ですね。どっちみちミランコビッチ・サイクルのような理由で、地球の平均気温は変動するのですから、あまりに「人の記憶」に依拠して変化を拒否するのは、人間の驕りであるとも言えるように思います。地球温暖化のテレビ番組には、自然と生活する少数民族の人たちが、生活地域の氷河とか森林とか魚が取れないとかを嘆く様が必ず出てきますが、彼らはもっと長い年月かけて生活環境の安定を求めて移動していたはず。現在彼らは移動する先が既に開発済みで移動できないという宿命ゆえに「嘆く」のです。彼らのために、平均気温の変化を抑制するのは、逆に地球エアコン化とも言えるのではないかと思ったりします。

環境対策と、前世代のノスタルジーとの峻別は厳しくなされるべきでしょう。

sunafukin99sunafukin99 2008/04/22 07:10 >nabezo-rさん
>原始共産社会への回帰
昔は良かった=平和だった、という無根拠な思い込みって左右通じるものがあるんですかね。実際にはそんな牧歌的なもんじゃないのに。
>自然と生活する少数民族の人たち
この辺の報道も「自然に帰れ」的発想の流れですね。で、西欧文明の流入が民族文化や伝統を破壊云々・・・となるわけですが、文化や伝統も静態的なものではないはずですよね。

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