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12/16:手が3本の人たち


立食形式にもにも関わらず、舞台の真ん中にイス席。そこには藤子A、松本零士、ちばてつや、浦沢直樹他々、巨匠がズラリ。その周りの重力がすごかった。



昨日は謝恩会でした。今年の謝恩会は今までで一番充実していたというか、いつものようなつまみ入れられた感じじゃなくって、落ち着いて楽しめました。ただし二次会のみ。一次会は相変わらず華やか過ぎて・・・しかし、一次会でその日のハイライト。何と、あだち充大大先生に挨拶して、さらに少しお話させてもらうことができまして!もうこれは一次会というよりも、人生のハイライトというべきイベントでしたなあ。



twitterでフォローしあってるサンデー系作家先生の方々にも挨拶(残念ながら、一次会の慌ただしさのなかで、なかなかお話できなくて・・・・)。中山先生には会えなかったのが心残りですが。



早め移動で席取り競争に大勝利した二次会では、大高先生と畑先生を交えてお話。ボクと畑さんが一緒に話すと毎回「サンデーをもっと売るにはどうしたらいいか」という話題を延々と繰り返すので、周りの人たちはヒいていたんじゃないだろうか。でも、相変わらず他の先生の話を聞くと勉強になったり、感心したり。



ボクが話す様子を見ていたスタッフM田君が「あれ?若木先生、仕事場としゃべり方全然違うじゃないっすか!」だって。普段仕事場のボクは超わがまましゃべりというか、人の話を全部自分の意見で塗りつぶそうとする、「いやでも人間(人の話してることに対して、何でも「いや、でもね・・・」という相づちから始める)」なのです。しかし、自分より実績のある人にはへりくだることに気付いた模様。よ、余計なこと言うんじゃねー!



帰ってきたら、疲れ切って珍しく爆睡。起きたら、筋肉痛です。普段遠出しないのと、緊張で・・・。それに伴って、例によってハイになった後の後悔感というか・・・。自己嫌悪のターンに苦しみながら、普段の生活に戻っています。


 


それにしても、今回のボクは例年になく、誰かに「神のみ好きです」と言われることが多かった。今までも、読んでくれている人はいたんでしょうけど、すごく好きだ、ということをわざわざ伝えに来てくれるようなことはついぞなかった。そういうのに慣れていないから、嬉しいと同時に不安になる。そういう人達に今も、これからもちゃんと応えられるんだろうかなんて。



そのなかで、もう帰ろうかという頃に1人、ボクのマンガが好きという女の子がやってきて。名前を聞かなかったこと、ちょっと後悔してるんだけど。



マンガの相談をされた。その女の子もマンガを描いていて、今色々悩んでいる様子が伝わってきた。きっとその子は、ボクが新人時代の苦労をよくブログで書いているので、何か今の状況を打開するいいアドバイスでももらえないかと期待していたんだと思う。でも、ボクはその相談に巧く応えられなかったような気がして・・・今でもすごく心残りです。



マンガの描き方を人と共有することはとても難しい。「ボクのマンガはキャラが弱くて」みたいなことを話しても、「キャラ」を作り出す要素は様々だ。そもそも「キャラ」と「ストーリー」と「ドラマ」の区別を付けているか付けてないかで、同じ話をしても内容までシンクロできてるか、大きく変わる。よく新人の作家さんは、「キャラが弱い」というと、対策に、そのキャラのトラウマを重くしたり、過去のストーリーを山盛り作ったりする。しかし、ボクの基準では、それは「キャラ」じゃなくって、「バックボーン」だ。その背景の結果どういう「キャラ」になったかというのが(特にページ数が少ない少年漫画の場合)問題なのだ。桂馬に重い人生やトラウマがあるだろうか?


担当氏と作家の打ち合わせもそう。お互いの話している言葉とそれが指す内容のすりあわせができてないうちは、本当の意味の話し合いはできない。まして、初対面の人に何かを伝える難しさというのは計り知れない。こういう時、テレパシーがあれば・・・と思う。



ボクも同じ日に、同じことを体験した。



あだち先生にお会いした時に、ボクはあだち先生の持つセリフ感というか。あだち先生のあの最小限のセリフだけで、裏に流れるストーリーを感じさせる能力(これを他の人がマネをすると単に静かなマンガになってしまう)について聞きたくて、「あれはちゃんと計算してやってらっしゃるんですか?」みたいな質問をしたのです。そしたら「まあね。でも、セリフって難しいよね。でも、みんなに理解されるってムリだしね」みたいな、答え。これ、すごくシンプルだけど、おそらく、この言葉の裏にはあだち先生のなかで繰り返された議論が詰まっているはずなんだよ。しかし、そこから更に質問をできるような時間はなかった。



ボクも、その件の女の子に言ったんですよ。「マンガで煮詰まった時はさ、自分の好きなものを同じように好きな主人公を作って、ボクは○○が好きだ!って1コマ目で言う出だしから始めて、それを試されるようなイベントをぶつけていけば、オッケーですよ。神のみだってそうでしょ?」と。


でも、女の子曰く、「でも、それを頭ではわかっていて、やろうとしてもできないんです」みたいな。


それもそうなんだ。ボクも好きなものを話す主人公を作ればいい、なんてこと、ずっと前からわかっていた。でも、それができなかった。それができるようになるために、長いこと苦しんだ結果なんだ。



だから、むしろ言うと、苦しみなしに何も生まれない。



マンガを描く能力というのは、ある種の特殊能力。面白い話を考えたりするのは結構誰でもできる。しかし、それを実際にない舞台、自分以外のキャラクター、限られたページ数の紙の上で表現することは、全く新しい、別の能力が必要になる。それには、「新しい手」が必要だ。マンガを描くための、3本目の手が。


この手が最初から生えている人もいれば、後から生えてくる人もいる。新人さんの問題の多くは、この「手」の問題だと思う。一つ器官が増えるんだから、そりゃそれなりに苦しまないといけない。二次創作の同人誌やアリモノを組み合わせて作るMADなんかは、ここの部分を全部オミットしてるから楽しく作れる。しかし、プロになるならここは避けて通れない。まさに今の悩みは、産みの苦しみだと思って、やるしかないだろう・・・・。


しかし、その一方で、その手が生えるのをサポートすることもできるとは思う。作家の描きたいことととことん聞き、それを育て固めて、それが形としてちゃんと現れているか検証できるシステム、そして、それを途中経過でも人に晒せる場(手応えのある作品や表現に正当な評価が与えられると、一気に人は成長できる)があると、多少なりとも効率化できるとは思うんだけどね。ここの部分が、雑誌が弱くなって編集者がいなくなると誰が担うんだって話しになるんだが・・・。



なんか話が難しくなってきたんで。



ケーキでも。
立食ではこんなん出てきました。
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