長岡市の製造業者が作ったガトリング砲の5分の1サイズの模型=18日、長岡市南陽2の旭精機
5分の1「ガトリング砲」が完成
長岡の製造業者有志、継之助記念館に寄贈
戊辰戦争時に長岡藩家老、河井継之助が撃ったとされる手動機関銃「ガトリング砲」の5分の1サイズの模型を、長岡市の製造業者有志が作った。「長岡の歴史を広く伝えたい」との思いで、27日に同市のホテルで開かれる河井継之助記念館の開館3周年記念講演会で、同館に寄贈する。
ガトリング砲は、1862年に米国で発明され、継之助が日本で最初に使ったといわれている。
模型を作ったのは、同市南陽2の精密産業機械メーカー「旭精機」など同市の製造業3社。同社は、同館に展示されている原寸大模型の製作に協力しており、その際に使った図面を活用して、縮小版を作った。
模型は鉄製で長さ約40センチ、幅約20センチ、高さ約30センチ。1カ月掛けて製作した。6本の銃身を回転させるハンドルや、銃身の角度を調節するダイヤルなど、実物と同様に動かせるよう精密に作った。
同社の中村康夫専務(55)は「小さいと組み立て作業が細かく、逆に作るのが大変だった」というが「出来はかなりいい」と自信をみせる。
模型は5台製作しており、寄贈する1台以外は希望があれば15万円で販売する。中村専務は「ガトリング砲は長岡のシンボルだと思う。継之助や幕末に興味のある人に広めたい」と話した。