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「スマステーション特別企画:西遊記 三蔵法師・孫悟空が目指した天竺とは!」
これまで何度となく映像化され、その度、大きな話題となってきた「西遊記」。そんな名作に、今度は、我らが香取編集長が主役・孫悟空として臨むことになりました。そこで今回は、「西遊記」の元になった名僧・玄奘の足跡を追い、玄奘が目指した天竺でのロケを敢行。この名作の魅力を、よりディープに紹介します。
中国で人気のキャラクターは…
「西遊記」とは大唐国の三蔵法師という僧侶が天竺国、霊鷲山雷音寺(りょうじゅせんらいおんじ)にあるという経典・大乗仏法三蔵を求め、遥か西へと旅に出るストーリー。そのお供として、孫悟空、猪八戒、沙悟浄、そして龍が姿を変えた白馬が付き添い、一行が、途中現れるさまざまな妖怪や、困難と戦っていくという物語です。この物語が書かれたのは、いまから500年ほど昔、中国がまだ明、と呼ばれ、日本では織田信長や豊臣秀吉が活躍した時代。呉承恩(ごしょうおん)という人物によって書かれたといわれています。中国では「三国志」「水滸伝」「紅楼夢」と並んで四大小説と称えられ、幼い子供から大人まで誰でも知っている、超有名作品。実際、作品としての人気も高く、これまでに中国だけでテレビ化4回、映画化に至っては実に11回も…。中でも名作といわれているのが、1986年に中国中央電視台が制作した作品。京劇の役者が孫悟空を演じ、CGを駆使したこの作品は、なんと89・4%という驚異的な視聴率を記録しました。この作品を始め、中国の「西遊記」の特徴は沙悟浄。日本で沙悟浄といえば当然、河童。しかし、河童は日本特有の妖怪。中国では、体格が良くて顔色の悪い、まるで山伏のような恐ろしい妖怪として描かれているのです。さらに、キャラクターの中でも日本では圧倒的人気を誇るのは孫悟空ですが、中国で人気なのは猪八戒。欲望のままに突っ走り、お約束のように失敗する独特のキャラクターが共感を呼んでいるそうです。
世界各国で映像化された「西遊記」

この「西遊記」は、中国だけでなく、世界各国で映像化されています。ハリウッドで映画化された「西遊記」のタイトルは、「Monkey King」。監督は「ランボー3・怒りのアフガン」や「ネバーエンディングストーリー3」で知られるピーター・マクドナルド。現代の中国研究者が孫悟空や猪八戒らとともに、時空を越えて、「西遊記」の作者、呉承恩を妖怪の手から救い出す、というSFX超大作に仕上がっています。

韓国でも1990年、KBSにおいてテレビアニメ化されています。このときの最高視聴率は48%。子どもなら誰でも見ていたほどの一大ブームを巻き起こしました。さらにイギリスでも「西遊記」は大人気。日本で1978年に堺正章、夏目雅子、西田敏行、岸辺シロー出演で作られたドラマがBBCで放送され、以来、あまりの人気から何度も再放送されているほど。ちなみにこのイギリス版では、孫悟空はモンキー、猪八戒はピグシー、沙悟浄はサンディ、三蔵法師はトリピタカと、イギリス人にも親しみやすい名前に変えられているのです。

そして日本。まずは1940年、喜劇王・榎本健一が主役を務めた、映画「エノケンの孫悟空」。この作品はエノケンが歌い踊る、オペレッタ形式で、戦時下とは思えない、徹底した娯楽作品となっています。更に1960年にはあの手塚治虫によってアニメ化もされています。日本アニメーションの原点のひとつとして、いまも高く評価されているこの作品は、 世界数10カ国に輸出され、「西遊記」がアジア以外の世界各国に広く知られるきっかけともなりました。

しかし、そんな中で「西遊記」が全く知られていない地域があります。それが中東。というのもイスラム教にとってブタは不浄の動物。そんな動物…猪八戒が活躍するストーリー、ということ自体、ありえないのです。そして、原作に忠実というわけではありませんが、孫悟空の名を世界中に知らしめた作品といえば、「ドラゴンボール」。なかでも最初のシリーズには、「西遊記」からのエピソードがふんだんに取り入れられていました。この「ドラゴンボール」は原作コミックが世界で3億部以上売られ、アニメも40カ国以上で放送されているのです。

三蔵法師のモデル・玄奘とは?
アジアの誇る壮大なファンタジーであるこの「西遊記」は、同じく世界的人気を誇るファンタジー「ハリー・ポッター」や「ロード・オブ・ザ・リング」などとは違い、実話を元に書かれたことを皆さんはご存知でしょうか。7世紀、中国に生まれ、歴史にその名を残す名僧・玄奘。玄奘とは、日本の薬師寺、そして清水寺に代表される、法相宗の開祖にして、日本で最も親しまれているお経「般若心経」を作り上げた人物。つまり日本のその後の仏教に多大な影響を与えた僧侶なのです。

「西遊記」とは彼が実際に経典を求め、1万キロ以上の道のりと長い歳月をかけ、中国・長安から仏教発祥の地・天竺へと旅した、その実話なのです。「西遊記」、そして三蔵法師のモデルとなった高僧・玄奘が生まれたのはいまから1500年近くも昔、日本ではあの聖徳太子が活躍していた6世紀終わり、中国が隋と呼ばれていた時代です。幼い頃から学問に秀で、13歳という若さで特別に出家を許された玄奘は、その徳の深さ、熱心さで瞬く間にあらゆる教えを取得、20代の若さで、広く名の知られる僧侶となっていきました。しかし当時最も仏教研究が盛んだった地といえばやはり、仏教発祥の地、天竺――現在のインドでした。そこで玄奘は仏教の真髄を見つけようと、628年、26歳の若さにして、天竺へと旅立つことを決意。本当に民衆を広く救うことのできる教えを求め、長安を後にしたのです。「西遊記」で三蔵法師が目指していたのは、天竺にあり、お釈迦様が住むという、霊鷲山・雷音寺。一方、玄奘が実際に目指したのは、天竺の中でも仏教研究の中心地、ナーランダでした。当時、唐という新しい国が誕生したばかりでまだまだ混乱の時期。そのため天竺への渡航許可をもらえなかった玄奘は、たったひとりで、1頭の馬だけを連れて旅を始めたのです。そう、実は「西遊記」の三蔵法師は実在の人物、玄奘をもとに描かれていますが、孫悟空、猪八戒、沙悟浄についてはそのモデルすら存在しないのです。
孫悟空・猪八戒・沙悟浄の誕生秘話
では何故、作者・呉承恩は猿・ブタ・河童というこの3人を従者として登場させたのでしょうか。実は「西遊記」とは玄奘が残した旅の記録に、呉承恩がもともと中国に伝わる神話や民話を加えて完成させた物語なのです。まずは、孫悟空。中国においては釈迦の弟子のひとりが猿の生まれ変わり、とされるなど、猿は神格化された存在。そのため、仏教にまつわる数々の神話に登場します。実際「西遊記」の中でも、孫悟空は如意棒を自在に操り、72変化の術に不老長生の術を手に入れた、非常に霊力の強い存在として描かれています。ちなみに孫悟空が生まれたというふるさと・花果山のモデルとなった山は、中国の連雲港に実在し、いまもたくさんの猿が生息しています。

孫悟空といえば、キン斗雲。キン斗とは「宙返り」という意味で、「西遊記」には、悟空がひょいと一回宙返りをする間に10万8000里もの距離を飛べる、と書かれていますが、この10万8000里、いまの距離に直すと一体何キロくらいでしょうか。正解は、およそ6万キロ(1里=560メートル)。地球1週がおよそ4万キロですから、孫悟空が一回宙返りをする間にキン斗雲では地球を1周半することができ、月までなら6秒ちょっとで着くことができるのです。

そしてもうひとりの旅の仲間が猪八戒。こちらはもともとブタではなく、実はイノシシ。中国では猪は霊力をもち、旅の道案内役と信じられ、数多くの神話に登場します。「西遊記」では猪八戒のコミカルな面を強調するため、猪というよりブタに近く、描かれたのです。一方、沙悟浄は、もともと中国では河童ではなく、凶暴な妖怪。三蔵法師を前世で9回にわたって殺してきた天敵という設定。コミカルな猪八戒とバランスをとるキャラクターとして一行に加えられたといわれています。こうして「西遊記」という三蔵法師の旅を彩る、個性豊かなキャラクター達が誕生したのです。
たったひとりの玄奘の苦難の旅
そんな「西遊記」とは違い、実際にはたったひとりで国境・玉門関を出た玄奘。許可のない旅のため、彼は、監視の兵の目を潜り抜け、砂漠をひとり馬で歩んでいきました。一方、「西遊記」の三蔵法師が孫悟空と出会うのが、この国境から隣国・ハミまでの道中。悪さをしたため、お釈迦様によって五行山の岩の中に500年もの間封印されていた悟空を救い出し、第一の弟子としたのです。そして玄奘が馬に救われたのと同じように、三蔵法師も龍が姿を変えた白馬、そして残りの仲間と出会い、以降、ともに天竺を目指すのです。

玄奘も実在のハミの国、いまの新疆ウイグル自治区に到着。続いて新疆ウイグル自治区の一部であるいまのトルファン、高昌国を訪れました。この高昌国の背後にそびえ立つ山が「火焔山」です。紅砂岩という赤い岩でできており、木が一本も生えておらず、気温が上がると陽炎によって燃えているようにも見えるという不思議な山です。この火焔山は、「西遊記」にも孫悟空ら一行が強敵・牛魔王と死闘を繰り広げた場所として登場します。炎燃え盛る山での戦い。ここで孫悟空は仏の力を借りてようやく牛魔王を倒し、魔力を持つ扇を奪います。火焔山は「西遊記」の中でも最大の山場のひとつとなっているのです。玄奘は実在する火焔山を超えてはいませんが、ふもとにある石窟寺院、ベゼクリク千仏洞を参拝したといわれています。 こうして玄奘は行く先々の国で食べ物や通訳などの補充をしながら、天竺への道を進んでいきました。標高4000メートルを越える天山山脈の峠を越え、当時は金色に輝いていたという、アフガニスタンのいまは無きバーミヤンの巨大石仏を通り、いよいよ天竺の入り口、ガンダーラへと到達しました。そんな中、玄奘は最も訪れたかった場所として、最終目的地・ナーランダの前に立ち寄っている場所があります。それが、ブッダガヤ。仏教の開祖、仏陀が悟りを開いた場所で、いまも仏教徒にとっては最大の聖地です。この地に玄奘は9日間もの間止まり、仏陀の足跡を偲んだのでした。そして旅を始めて実に3年後、玄奘はようやく、目的地ナーランダに到着しました。5世紀の中ごろ、当時の王によって初めての伽藍が建てられ、以来、ナーランダには多くの寺が集まるようになり、やがて仏教の教えを伝えるための大学が建てられました。玄奘が訪れた当時、ここには1万人もの僧侶が学んでいたといわれています。玄奘は、このナーランダの印象をこう記しています。

宝台のような建物が星のごとくつらなり、玉にもたとえられる 美しい塔のような建築が山嶺となってたちならぶ。天竺の伽藍の数は千万をもって数えるほどあるけれども、実に壮麗崇高という点でこれはその極致である。
SmaSTATIONスタッフが、天竺へ
ようやくナーランダに到着した玄奘は、この地に5年もの間とどまり、さまざまな経典についての講義を受け、その心を取得したのです。そんな玄奘が憧れ、感動してやまなかった、遥か西方の地・天竺はナーランダに、スマステーションスタッフが向かいました。

リポーターを務めたのは、番組の構成を手がける放送作家・鈴木おさむ氏。ナーランダへ行くには、日本から飛行機で、首都ニューデリーまで9時間、そこから電車にのりかえ13時間で地方都市パトナに到着し、更に車で3時間…計25時間かかりました。ナーランダとは蓮の花を意味する「ナーラ」と、与えるという意味の「ダー」というふたつの言葉が組み合わさったもの。

インドでは蓮の花は知識や知恵の象徴、つまり知識が開花する場所、というのが名前の由来です。ここで鈴木氏が飲んで見せたのは、牛の小便。ヒンズー教では聖なる動物として大切に扱われている「牛」。日本でも女性に人気の「アーユルヴェーダ」では、この牛の尿が胃だけでなく、なんと、癌や糖尿病、婦人病など何にでも効く万能薬として珍重されているのです。そして胃腸薬として売られているガイムートラは、この牛の尿を精製したもので、インドでは200ルピー、日本円でおよそ500円で売られています。そしてスタッフは、日本人も大好きなあるものを発見しました。それは「温泉」。ほとんどの人がヒンズー教を信仰するインドでは、温泉といっても、それはあくまでも、沐浴場。そのためガンジス川で沐浴をするときと同じように、透けない布を身につけることが決まりとなっているのです。今回スタッフが入ったのは、地元の方だけが身を清めることが出来る神聖な場所。カメラはもちろん外国人が入るのは今回が初めてです。

やがてスタッフは、ナーランダ遺跡に到着しました。玄奘が5年を費やし、仏教を学んだと言われるこの場所には、 かつて900万冊の書物が所蔵され、1万人の学僧と2000人の導師たちが日々勉学に励んでいました。そして遺跡から車で30分、「西遊記」で三蔵法師が目指した霊鷲山(リョウジュウセン)は実在します。スタッフは、霊鷲山を目指しました。上り始めてから20分、霊鷲山山頂に到着。山頂には釈迦が説法を行ったという、精舎の跡が残っています。 ナーランダで5年の修行を終えた玄奘は、657部もの莫大な経典を象に積み、再び祖国への道を歩みだしました。「西遊記」では三蔵法師ら一行は、仏の力で雲に乗り、あっという間に長安に戻っていますが、玄奘はもちろん徒歩。行きとは違い、帰りは重い荷物があったため、長安に戻るのに、なんと9年もの歳月がかかったそうです。往復、実に17年にも及ぶこの旅で訪れた国の数、実に128。その距離は3万キロを越えていました。そして玄奘は、持ち帰った経典を残りの生涯をかけ、死ぬ1ヵ月前までの実に19年もの間、サンスクリット語から中国語に訳し続けました。それらの経典・教えが日本へも伝えられたのです。こうして63年といわれるその生涯を仏にささげきった玄奘。玄奘の死後、およそ900年もの歳月を経て、彼の成し遂げた偉業を伝えるため、名作「西遊記」は誕生したのです。
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