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【から(韓)くに便り】ソウル支局長・黒田勝弘 「人道航路」の痛恨
「金日成将軍の歌」はぼくが知っている唯一の北朝鮮の歌である。金日成が旧満州で抗日革命闘争をしたという北朝鮮の“建国神話”を歌にしたものだ。学校の応援歌みたいな曲で「長白山の峰々、血にじむ足跡…」といった歌詞になっている。
今でも原語で完璧(かんぺき)に歌えるが、それには理由がある。今から約40年前、在日朝鮮人の“北朝鮮帰還”を新潟港で取材した際、覚えたのだ。
約10万人にのぼる在日朝鮮人の北朝鮮帰還は、今年でちょうど50年。さまざまな回顧が行われ「あれは“楽園”どころか“地獄”行きだった」として、あらためてその“無残さ”や責任のあり方が話題になっている。
北朝鮮帰還は1959年に始まったが、途中で“地獄”の実態が伝わるなどして68年に中断。3年後の71年に再開された。ぼくはこの再開第1船を新潟港で見送った。
当時、新潟港では毎日、歓送行事がにぎやかに行われ「金日成将軍の歌」がひっきりなしに演奏されていた。毎日、いや応なく耳に入るこの歌を自然に覚えてしまったのだ。
最近、平壌で開かれた「在日朝鮮人帰還事業50周年」の報告会は、やはり「金日成将軍の歌」の演奏で始まったという。そしてその歴史を相変わらず「熱烈な同胞愛」などと虚偽宣伝している。
在日朝鮮人の北朝鮮帰還については当時、ぼくも他のメディアと同じく「人道の船」とか「人道航路」とたたえて送り出した。今、考えると痛恨きわまりない。非人道を人道と伝えた、北朝鮮に対するこの錯誤、錯覚はどこからきたのだろう。
振り返ってみて、最大の原因は戦後日本社会に根強かった社会主義幻想と、反日・贖罪(しょくざい)史観ではなかったかと思う。
「北朝鮮は金日成指導の下、理想の社会主義建設を進めるけなげな美しい国」で「差別と偏見に満ちた日本より素晴らしい国」であり、戦前、植民地支配で彼らを苦しめた日本は「申し訳ない気持ちで彼らを支援し温かく見守ってあげなければならない」という考え方である。
同じ朝鮮半島でも南の韓国は“反共独裁国家”として顧みられず、否定的イメージばかりが流布された。北朝鮮=朝鮮総連のマスコミ情報工作も強力だった。当時の日本社会の朝鮮半島情報は、朝鮮総連経由で流される親北・反韓的なものがほとんどだった。
70年代以降の日本人拉致事件が長く表面化しなかったのも、こうした北朝鮮観が大きく影響している。有力マスコミや多くの知識人たちが、社会主義幻想と贖罪史観に引きずられ「北朝鮮がそんなことをするはずがない」と思い続けてきた。
在日朝鮮人の北朝鮮帰還問題と日本人拉致問題には、日本社会が北朝鮮を見誤ったという意味で共通したものがある。
北朝鮮をめぐる社会主義幻想はすでに崩れた。飢餓情報まで伝えられ、人民を食わせられない北朝鮮式社会主義にもはや「理想」など感じない。しかしまだ贖罪史観は根強い。「日本は歴史的に申し訳ないことをしたのだから、あまり北朝鮮を責めてはいけない。拉致問題より謝罪と国交正常化が先だ」というのだ。
今、北朝鮮はこれを唯一の頼りに日本非難に熱を上げている。あらためて、贖罪史観で北朝鮮の真実を見誤ってはいけないと思う。