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南京虐殺から72年、真の日中友好を考える

海形マサシ2009/12/17
 今年は、1937年12月、中国の当時の国民党政府の首都南京が、旧日本軍により陥落してから72年後にあたる。12月13日、「ノーモア南京の会」の主催で、国会議事堂の近くの社会文化会館において映画の上映及び、生存者の証言、講演会が開かれた。

 映画は、武田倫和監督によるドキュメンタリー映画「南京・引き裂かれた記憶」である。武田氏は、南京虐殺に関わったのは中国に出征した祖父が、よく酔っぱらって「中国人の亡霊が出た」と日本刀を振り回すことがあった身近な出来事が制作のきっかけだったという。

 内容は、中国の南京と日本の関西地方を交互に被害者と加害者の証言場面が映し出されるもの。被害者の実体験と加害者の実際に行った残虐行為の証言が見事に重なり合い、虐殺は存在したことを思い知らされる。加害兵士の男性が「自分は天皇陛下の命を受けて、赤紙一つで兵隊にやられた。明日には死ぬかもしれないと思うと、強姦でも殺人をしても平気な心理だった」と語る場面が印象的だ。ちなみに、この映画は渋谷アップリンクにて上映中。

 次に、その南京から楊翠英(ヤン・シュウイン)さん(85)が生存者として証言をした。当時は12歳。以下は通訳を介しての内容の要約。

南京虐殺から72年、真の日中友好を考える | 弟を叩き落とした日本兵のことを話すときの楊さん(撮影筆者)
弟を叩き落とした日本兵のことを話すときの楊さん(撮影筆者)
 「1937年12月13日、南京が日本軍により陥落しました。まさに、その日に、私の家族4人が日本兵に殺されました。日本兵が長い銃剣を持って家に押し入り、父を銃剣で突き刺しました。私は1歳の弟を抱いていましたが、日本兵は、残酷にも弟の首元をつかみ地面に叩きつけ踏みつぶしました。私は、鼓膜が破れるほど日本兵にビンタを受けました。結局、父と叔父、祖父、1歳の弟が殺されました。たくさんの死体をみました。日本軍が魚を養殖する池に死体を捨てるのを見ました。

 当時、母親は妊娠していました。ですが、食べ物がなく、産まれた子供を餓死させてしまいました。母は悲しみのあまり、涙を流し、ついには失明してしまいました。12歳の私は、道端の草やタニシを食べて飢えをしのぎました。自分たち以外にたくさんの人々が同じ体験をしていました。

 当時、南京に残っていたのは、私たちのような貧乏人ばかりでしたが、アメリカ人の女性(ミニー・ヴォートリンと思われる)が難民の避難施設をきりもりしていました。食料の配給を受けました。お粥の支給を1ヶ月受けました。

 16歳になって、南京にある日本人の工場で働きました。給料ではなく、食料のみが支給されました。そこでは100人以上の女性たちが働いていました。1日11時間働きました。厳しい環境で、私語をすると日本人の監督から罵声を浴び殴られました。仕事が終わるとボディチェックを受けました。日本が敗戦するまで、そこで働いていました。

 私が話したことは全て事実です。過去のことですが、けっして忘れてはいけないことだと思います。

 日本人を恨んでいるか、と問われたことがありますが、当然、恨んでいます。ですが、私が恨んでいるのは、私の家族を殺した日本人だけです。また、この過去が両国の友好関係を壊すものではないと思っています。出来るだけ、多くの人に私の話を伝えてください。」

 最後に、南京虐殺に関連して、専修大学法学部の大谷正氏が、日清戦争で起きた旅順大虐殺と南京虐殺の関連性を独自の研究による分析で述べた。以下は、講演内容の要約。

南京虐殺から72年、真の日中友好を考える | 専修大学・大谷正氏(撮影筆者)
専修大学・大谷正氏(撮影筆者)
 旅順大虐殺とは、日清戦争中、日本軍が遼東半島の旅順を攻略したときに清国兵に留まらず、婦女子を含めた一般市民を殺戮した事件である。被害者数は2万人といわれる。

 この事件は、欧米のメディアで報じられ、日本はそのことで大変な批判を受けたのだが、当の日本軍には、一般市民を巻き込んではいけないという国際法の遵守の感覚がなかったため大変驚いたのだという。戦国時代からの日本の戦法は、互いに略奪し合うことだったので、その批判が理解できなかったが、欧米列強との不平等条約を改正するためにも、文明国であることを証明しなければならず、その後、国際法遵守を取り上げた。しかし、実際のところ、それは軍隊内部には徹底されなかったと思われる。その流れが南京虐殺につながったと考えられる。戦場という極限状態の人間心理以外に、旧日本軍の体質そのものに問題があったと考えている。

 講演の後、会の人々と参加者で証言者の楊さんを囲み、中華料理店で夕食会を催した。その席には、南京が陥落した日、中学生で祝いの提灯行列に参加した老人もいた。当時は、提灯行列に参加した者は、学校で無条件に合格点が貰えたという。その老人は、楊さんに対し、「提灯行列に参加したことをお詫びしたい」と述べ二人は握手をした。

南京虐殺から72年、真の日中友好を考える | 南京虐殺記念館 遺骨が展示されている「万人抗」前にて(2004年9月撮影)
南京虐殺記念館 遺骨が展示されている「万人抗」前にて(2004年9月撮影)
 昨今、日中関係は急接近をしている。それは、日本にとって中国の重要さが増してきたことと、普天間問題などで日米関係が冷え切ったことが原因だと考える。国家同士というのは、実利主義に沿って関係を築くものだが、両国民同士が真の友情を築くためには、過去の不幸な事実を認め克服することが重要だ。

 筆者は日本人として、日本という国をこよなく愛している。その愛国心がゆえに、この活動に関わり続けてきたつもりだ。日本は、日本だけで生きていける国ではない。世界中の国々と協調しながら存続できる。より多くの国の人々と友情を深め、真の国益と愛国心、そして、世界平和を考えたいと思う。

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[56349] 中国の旅で
名前:青木岳陽
日時:2009/12/18 22:50
私はある左翼詩人の方とお付き合いがありますが、鉄と血と涙がほとばしるような激しい労働詩、古典的なプロパガンダ詩を書き続けておられる方です。
以前、その左翼詩人の方と訪中団で中国の地方都市を訪ねました。中ソ対立時代の核戦争防空壕が街中に口を開けているような、非現実的な街でしたが、そこの革命博物館を訪れたときのこと。
歩く共産主義のような女性解説員が案内してくれましたが、
「なぜ数々の人民蜂起が失敗しましたか?」?「共産党の指導がなかったからです」・・・
「なぜ共産党は成功しましたか?」?「偉大な毛沢東主席の指導があったからです」・・・
といった具合で、最後には革命歌を歌って泣き出すのです。一同が驚くと「偉大な毛主席のお話をできて光栄です」と言って泣いているのでした。私は非常に心が寒くなりました。
さて、左翼詩人の方は中国の子どもの表情をよく捉えて写真を撮られます。農村地帯でもいい写真をたくさん撮ったのですが、村道の脇に「嬰児殺しはやめよう」という標語があっても気づきません。
もう数十回と中国へ旅をされていますが、いつも高額な大名旅行で、現地の辛い油濃い料理には「口が合わない」と手をつけられません。中国語が分からないから、一般の人と会話を交わさず、案内がないと高級ホテルから街へ出たりしません。
私は中国語を話し、大学で教壇に立ち(中国の大学は太っ腹で、頼むと喜んで日本語教室を開いてくれた)中国人の友人宅に泊めてもらい、現地の飯を食べて地を這うように、ほとんど中国人として旅をします。そこで見聞きした中国の地の生活、地の人間模様をお話しすると、「中国の悪い面を見るなんて」とんでもない冒険をしてきたような目で見られます。
私は少々呆れてしまいます。
案外、こんな方が「中国・アジアの理解者」として振舞うことはありませんか。
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[56345] 意見板の運用を制限すべき
名前:伊藤学
日時:2009/12/18 21:26


自分で書いた記事に対し、あたかも別人になりすまして自ら称賛コメントを連投したO氏。

28歳なのか東中野氏とほぼ同年代なのか、まったく意味不明なS氏。

掲示板での嘘があまりにも横行しています。掲示板の運用をもう少し厳格にし、少なくとも嘘がまかりとおったりすることのないよう、改善を行うべきだと思います。
[返信する]
[56340] 菅田一郎様
名前:青木岳陽
日時:2009/12/18 20:46
別の欄ですが、日露戦争が侵略戦争であるか議論しました。
そこでの私の意見は、日本にとっては対ロシア防衛戦争であったが、朝鮮併合につながり、後の日本の進路にとって分岐点となった点で侵略戦争でもあった、というものです。
しかし、今回のテーマ日中戦争では、日本の中国侵略は自明のことです。数千万人の犠牲を強いたこと、さまざまな蛮行や悲劇があったことも重々承知しております。南京事件では2万人〜30万人の犠牲者数を巡って延々議論されておるようですが、戦場ですから、犠牲者が何人であろうと、悲惨な現場だったことに代わりはなく、中国の方から当時のお話を伺えば、本当に心が痛みます。
日本軍、国民政府双方とも、現代的な人権感覚や人命感覚があった政府、軍隊だとは思えません。だからと言って日本軍の行為が正当化される訳ではありません。
しかし、南京事件しかり数字を巡って政治的な駆け引きを続けることに意義はあるのでしょうか。歴史を鑑にして再度悲惨な戦争が起こらないように議論するのであれば、まず当時の双方の状況(政治、社会、軍事)を検証して、全体的な流れを明らかにする必要があるかと思います。
以上を踏まえた上で、このテーマに投稿しているとご理解ください。
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[56332] たくさんの名前をJANJANで使っているから、キャラの設定が矛盾してくるんですな。
名前:佐武信
日時:2009/12/18 19:28
菅田一郎さん

貴方28歳の女性なんですか?団塊のおっさんなんですか?

>実は、私は当年とって28才の女です。
>だから28才の見目麗しき乙女ですよ。
(明石さん)>「東中野修道は私と同世代なのに、何でこんな発言をするんだと憤慨した」と告白しておりました。

どちらにしても、大うそつきですね。たぶんどっちでもないんでしょ。
JANJANにはこういった偽装工作する人が多いようで困りますね。
たくさんの名前をJANJANで使っているから、キャラの設定が矛盾してくるんですな。
こんなうそを平気でつくと分かった以上、貴方のコメントの信憑性は限りなく0ですね。

明石さんの指摘したコメントはこれ↓だよね。
「私と同年齢くらいなのになんてバカな奴がいる」と明言していますね。

http://www.news.janjan.jp/government/0908/0908028121/1.php?page=45&action=table#bbs
[50096] 是非とも拝見したいものです。
名前:菅田一郎
日時:2009/09/11 14:51
小倉さん
 自ら引き上げたと言われるその玉稿については非常に興味がわきます。
 私はインターネット開始の初期の頃は少しの頃、南京事件や従軍慰安婦問題で討論した事があります。南京事件の東中野が登場した頃ですが私と同年齢くらいなのになんてバカな奴がいるのだろうと思い、彼の本を買ってうんざりした事もあります。世の中にはこんな大学教授がいるんだなあと再認識をした経験を思い出します。学生時代からそういう事はわかっていましたが。
[返信する]
[56330] 菅田一郎、玉砕
名前:明石晶
日時:2009/12/18 19:23
>明石晶さん
> 何か関係あるんですか、私の年代が?だから28才の見目麗しき乙女ですよ。
>っていってるじゃん。


関係あるかって、そもそもお前が絡んできたんじゃねーか。
私は竹内春一氏に関して、「団塊左翼の典型だ」と発言した。
そこに、横からあんたが「決めつけるな」と介入してきた。
これが今回の一連の流れ。


28才の見目麗しき乙女ですか。
ふーん。
じゃあ、この発言はなんなんですかね↓



>[50096] 是非とも拝見したいものです。
>名前:菅田一郎
>日時:2009/09/11 14:51 小倉さん
> 自ら引き上げたと言われるその玉稿については非常に興味がわきます。
> 私はインターネット開始の初期の頃は少しの頃、南京事件や従軍慰安婦問題で討論し
>た事があります。南京事件の東中野が登場した頃ですが私と同年齢くらいなのになんて
>バカな奴がいるのだろうと思い
、彼の本を買ってうんざりした事もあります。世の中に
>はこんな大学教授がいるんだなあと再認識をした経験を思い出します。学生時代からそ
>ういう事はわかっていましたが。
http://www.news.janjan.jp/government/0908/0908028121/1.php?page=45&action=table#bbs



「南京大虐殺とか従軍慰安婦とかに固執するのは団塊の世代の特徴」という私の見解が
見事に裏付けられたわけですね。
勝ち目もないのにつまらない言い掛かりをつけて、返り討ちに合う。
このみっともなさも団塊の世代の特徴です。




>いい加減ストーカー行為はやめて欲しいですね。そんな事より記事に関するコメント
>の方が先ですよ。

長々とコメント書いてるようですが、あなたがやるべきことをやらないと読みません
ので悪しからず。あなたが実際に団塊の世代だったことについて、謝罪するなり弁明
するなり、やることを先にやってくださいね。

[返信する]
[56329] 蒋介石も毛沢東も侵略です。
名前:佐武信
日時:2009/12/18 19:21
菅田一郎さん

>日中戦争は日本の侵略戦争でしょう

それを言うのなら蒋介石も毛沢東も侵略です。
結果的に台湾が蒋介石に侵略され、残りが毛沢東に侵略された。


>その前に日本軍が中国軍民を無差別に虐殺したという歴史的事実に触れもせずに「当時の戦況」などとお気楽にのたまうのは片手落ち以上に全く、不正確な愚論だと思いますよ。
>個別的には蒋介石も自国民を犠牲にしてまで(これについて紹介性を非難できるのは被害にあった中国国民でしょう)頑強に日本軍の侵略に抵抗しましたが、そこまで追い込んだ日本軍と日本政府に蒋介石を非難する権利など全くありません。

蒋介石や毛沢東が中国人民を無差別に蹂躙したことは歴史的事実。これは認めるわけだね。
ところで日本と蒋介石が戦局拡大したのは毛沢東側の工作によるものであることが明らかになっている。毛沢東が日本と蒋介石を戦わせたのです。
その戦闘で起きた犠牲の責任は現中国共産党にあります。

>そもそも満州国なる日本の傀儡国家自体が帝国主義的思想の下に中国の一部を植民地化した「蛮行」の産物なのであっていずれは中国に奪い返されるものであったのです。

歴史を知らな過ぎます。
もともと清は北方民族が南の漢民族をも支配下に置いた国。
その北方民族が内乱で南の支配力を失い、本来の地に戻った。至極当然のことです。
他国(日本)の後押しとか傀儡政権とか、何も満州国に限った話でもなし。
蒋介石は米国の傀儡、毛沢東はソ連の傀儡とも言える。
北朝鮮、韓国も傀儡政権だった。

北朝鮮、韓国の二カ国は日本に奪い返されるものなのか?あほらし。


>南京事件の中国側の将軍にしても指揮能力に欠けていたため、多くの捕虜となった投降兵、敗残兵を出してしまったがそれらを悉く虐殺してしまった日本軍の重大な国際法違反こそ責められるべきです。

なんだ。そこまで知っているじゃん。日本は国際法に則って便衣兵を殺したのは事実だ。
その残された中国兵は軍服を脱ぎ捨て便衣兵となった時点で、国際法上の捕虜となる権利を自ら放棄したのだ。
これも部下を便衣兵にした蒋介石の責任。あるいは便衣兵となることを選んだ中国兵の自己責任


>敗走の途中で民間人の服に着替えても何が国際法違反ですか?そんな事は別に日本軍からすれば構わん事でしょう。

いや大いに構う。そういう卑怯な奴等は捕虜にせず、即刻殺して良いと国際法は謳っているのだ。中国はベトナム戦争でもこのゲリラ戦法を使っている。欧米人から見たら汚い手だが、中国人の常套手段なのだ。

>それから、上海戦以後の中国人が敗走途中の村落を焼き払い焦土化しただなんて馬鹿な事をいっちゃいけません。焼払ったのは日本軍です。ろくに兵糧も持たず、現地調達で食料を得る徴発方式で追撃する過程で農民から円満に食料を得ることなど出来るわけがないので最初から武力で強奪し、その後は女性はレイプして惨殺、子供は殺したり放っておくなどの残虐行為をしつつ各軍隊は南京を目指したのです。

もしかして、中国人がやったと認識しながら書いている?
「暗黒大陸 中国の真実」(ラルフ・タウンゼント著)を読んでみな。
それらの行為は中国人がしたことだって分かるから。

>後続部隊が、焼き払われた家屋に下半身裸の女性が死んでいて、側で小さな子供が泣いている情景を何度となく目撃したという兵士の証言もあるのです。

そういうことが平気でできるのは中国人なんだよ。嘘も付き放題。
ラルフ・タウンゼントがそう言っている。
[返信する]
[56328] 中国人の虐殺は規模も残忍さも桁違い
名前:佐武信
日時:2009/12/18 19:19
藤重典子さん

>旅順虐殺があまり知られていないのは記者が虐殺側にいたせいのようです。

今度は19世紀の話しですか。いくらなんでも遡り杉。
その事件の発端も中国人による日本人虐殺が先だ。それに中国側がここでも便衣兵になっているのが被害を大きくした。
報復攻撃を非難するなら、その前の中国側のしたことも一緒に非難しないとね。

そして歴史全体を眺めれば眺めるほど、日本人による虐殺はほとんどないが、中国人の虐殺は規模も残忍さも桁違いだと言うことが分かる。
[返信する]
[56327] しつこいですね
名前:菅田一郎
日時:2009/12/18 19:03
明石晶さん
 何か関係あるんですか、私の年代が?だから28才の見目麗しき乙女ですよ。
 っていってるじゃん。


 いい加減ストーカー行為はやめて欲しいですね。そんな事より記事に関するコメントの方が先ですよ。
 まあ、あなたは従軍慰安婦について恐らく鮎川真琴氏と同じスタンスだろうから、南京事件について果たしてどう答えるのか想像はつく気がしますがそれでも何か言いましたっけ?


 私は、映画は見ていませんが原作の松岡環氏の引き裂かれた記憶については読みましたよ。まあ、証言集ですからこれからも事実によって裏付けが求められるとは思いますが膨大な労作であると思います。


 この証言集で兵士が中国側兵士の携行しているチェコ銃についての証言ですが、そんなの持っているわけ無い、兵士の証言はデタラメだという批判がありました。しかしNHKの一連のドキュメンタリーの中で元日本兵がはっきりとチェッコ銃、あるいはチェコ銃かなと言いながら、その銃の性能を説明していましたので、証言集の中での兵士の証言も銃の認識については記憶間違いではない事がわかりました。つまりその部分についてはデタラメとは言えないのです。


 その番組では自分たちは無差別に捕虜とされた中国人男性を殺害したと別な男性が述べています。その捕虜達が民間人か元兵士かは区別できなかったと言っていますし、戦闘詳報で3700人の捕虜を処分したとちゃんと実物が放映されています。明確に捕虜の殺害を禁止したハーグ条約に日本は批准したと番組中にナレーションがありましたが、そんなのなくても国際法違反でしょう。


 従軍慰安婦と同じです。批准しようがしまいが自然法に照らして違法だと秦郁彦はいったそうですがね。秦さんは団塊の世代ではなかったはずですが。


 しかし、東中野が団塊の世代だからダメで秦郁彦、笠原十九司は団塊の世代でないからまともだ、と貴方は言いたいのですか。私は彼等の世代の相違がどうこう言う前に東中野個人がトンデモ学者なんだと言っています。


 筑紫哲也が新人類がどうこうと言ったからといって、彼が「新人類だから、強情で浮気っぽい」という主旨の発言をしていたなら、それは言葉足らずだし、それで個人の行動を決めつける、つまり貴方と同じ意味で個人の考え方全てを断定するような人物だったら、それは責められるべきです。


 多分、そういう主旨で新人類という用語を使ったわけではないと思いますね。
[返信する]
[56324] 東中野修道と同世代なのか否か、キチンと答えるべし
名前:明石晶
日時:2009/12/18 15:18
あなたは肝心なところに答えていませんね。
発言した記憶があるかないかは問題じゃありません。
菅田一郎氏が東中野修道氏と同世代なのか否か、そこが問題です。
で、あなたは過去に「同世代だ」と告白しています。
それを否定するなら否定する。肯定するなら肯定する。
どっちかキチンと態度を明確にして下さいね。
もしもあなたが否定するなら、私は過去の膨大なログを検索してあなたの嘘を暴く可能性
もあります。面倒くさいのでやらないかもしれませんが。




>私が貴方に何回もご忠告しているのは、どういう世代だから、考え方がああだこうだと
>断定する態度は非常に論理性を欠いたものであると言うことです。

いえ、明確に世代的な傾向というのはありますよ。
現に団塊左翼のアイドル、故筑紫哲也だって「新人類」と新世代を論じていたじゃないですか。

[返信する]
[56323] 虐殺発見現場
名前:菅田一郎
日時:2009/12/18 15:14
藤重典子さん
 私も南京大屠殺記念館を見に行きましたが新改装直後です。それにしても随分と展示物にあふれた感じがしました。古い記念館は随分小さかった様ですね。日本人としては南京事件を離れても興味のわく、いわゆる戦争博物館としても貴重なものだと思います。日本軍の装備から日誌、飯盒、服まで実に多様で多大なもので兵士の日常をうかがう事も出来るものと思います。


 海形記者が写真のバックにしている虐殺の発掘現場からも日本軍の遺品?(多分多くは鬼籍に入っているから)が数多く出土したそうです。この現場は今の科学的年代測定法で、まさに1937年12月と南京事件発生時の年という事まで明らかにされたと言います。


 遺体の年齢すらほぼわかるそうで、子供は大きさや頭蓋骨の形で推定できますが大人についても性別は勿論、19才くらいという推定も出来る様です。正にその19才くらいの女性の額の真ん中に銃創のある遺体もあったそうです。


 これは、全部で確か1000人以上で年齢は赤ん坊から、年寄りまで幅広く、明らかに民間人の集団である事は間違いないようです。全体では七層に積み重ねられて埋められていたと言いますから、元からあった窪地の上に積み重ねられたものかも知れません。


 南京事件の犠牲者の発見は私が行った年の前年にも万を超す埋葬遺体が発見されたと言います。今では高層建築が立ち並ぶ南京ですが記念館の建設中に写真の埋葬遺体が発掘されて、そこをそのまま記念館内部に取り込んで展示する様にしたと言います。


 この人たちがどこから来たのか、どこに住んでいたのかは一切解らず、そこに村落などあったのかすらも解らないそうです。村落の形跡が、もしないのなら、その人たちは上海方面から南京にかけて日本軍からの虐殺を逃れようと難民化して村落単位で南京市西部に避難していた人たちかも知れません。


 しかし欧米系と見られる人たちも随分と見学に来ていました。そして家族連れが非常に多い。これは中国人や日本人の見学者がほぼ同年代の集団で来るのとはかなり違いますね。一番多い外国人は断トツで日本人だと意外な事も聞きました。展示の説明には全部日本語が表記されているので一瞬日本の戦争博物館かと思ったくらいです。


 南京出身の中国人は南京は古くからある歴史的遺産が非常に多い街で世界中から見学に来て欲しいと思っているのに、南京事件に近年は注目が集まってちょっと複雑な思いがするともいってましたね。


 もう一つ、南京事件のとき在留した欧米の外国人と日本人の南京事件研究者(勿論ちゃんとした学者)の著書などもかなりのスペースで展示されているのを見ると、日中の南京事件研究交流も途切れなく続いているのだとわかります。


 日本人としても父祖の関わった歴史的大事件ですから、ホロコースト記念館を見るのと同様一見の価値ある重要な戦争博物館だと思います。
[返信する]

12月7日〜12月12日 

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