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たとえ一人になっても熊と森の命を守りたい 日本熊森協会の軌跡

熊木秀夫2009/12/05
 日本熊森協会は、森山まり子さんを会長に1997年に実践自然保護団体として創立された。それから11年後の2008年4月13日第11回総会で、北海道から鹿児島まで218名の会員が、本部のある兵庫県尼崎市の記念大会会場に集まった。この間、19県に支部が作られて活動が展開された。そこで、会員が1万名を達成したことが報告された。

たとえ一人になっても熊と森の命を守りたい 日本熊森協会の軌跡 | 日本熊森協会会長・森山まり子さん(「クマともりとひと」より)
日本熊森協会会長・森山まり子さん(「クマともりとひと」より)
 そして、2009年6月発行の会誌「くまもり通信60号」では、会員が23,000名に達したと報告されている。わずか1年の間に会員は倍加した。森山さんは、それを記念して「人類をほろぼす人間至上主義という名の巨大な狂気に立ち向かった17年」と題した一文を寄せている。

 「熊の対応は猟友会まかせという行政の多い中で、どうしたらクマの命が守れるかと、3台の電話をフル活用して、全生物との共存を願う国民的夢を実現するために、朝から晩までがんばってきた。
 12年前、国策にも遠慮なく意見を述べる完全民間の100万人規模の大実践自然保護団体を作ろうと、何度も絶体絶命になるたびに奇跡が起こり、いまや2万人の会員を要する団体になった。
 完全無欲な奉仕活動と、多くの先輩たちの苦労と努力に敬意を表し、愚痴や不満のない会を発展させていくことを念願し、日本の森や動物たちを守ることを優先して考えてきたこと。敬意、謙虚、信頼のある結びつきが、会をこのように大きくさせてきた。
 1本でも多く、スギの人工林を伐採して自然林にもどすこと、豊かな森を作って動物たちの生息地を返す、1頭でも多く動物の命をまもること、それが水源地保全につながること。農薬、除草剤、化学肥料を一切遣わない田畑を増やすことが、すべての生き物を生かす道だと実践してきた。これからも、楽しく、強く、大きく熊森を発展させよう!」

 と結んでいる。

 この明確な理念が運動を発展させ、新しい若い働き手を育ててきた、と思う。
 森山会長は「くまもり通信」で次のようにも語っている。

 「リーダー性などなかった私が、自分でやるしかない状況に追い込まれて、教職という超多忙な仕事のかたわら、熊森活動の先頭に立ってきました。今思うのは、リーダーというのは天性のものではなく、創られていくものだということです。リーダーになることによって、人生はどんどん大きくなっていきます。苦労も大きいのですが、喜びは、それ以上大きいのです。
 現在、各地の熊森リーダーの多くは、一般の国民です。止むにやまれぬ思い(筆者註:罪もない熊の命を守ること)で立ち上がる。猛勉強し、苦闘を繰り返しながら、リーダーとして成長し始める。人生の一大ドラマの始まりです。」

 この言葉こそ、会長自ら人一倍苦労して見つけた金言だ。問題を真剣に、正しく解決しようとするならば、その人は人の何倍も苦労しなければならない。それなしに英雄は生まれない。多くの人に中で踏みつけにされても、目指す1点に向かった努力する時、道は開かれる。

 そのことは、熊森運動の中で、ベストセラーになっている小冊子『クマともりとひと』(※)のなかに見出すことができる。

 1992年、人里に餌を求めて下りてきたクマが射殺された新聞記事を見た中学生たちが「そんな理不尽なことがあってもいいのか」と煩悶し、森山先生に問いかけることから行動がはじまった。

たとえ一人になっても熊と森の命を守りたい 日本熊森協会の軌跡 | 貝原兵庫県知事に熊の保護を訴える生徒たち。1993年(「クマともりとひと」より)
貝原兵庫県知事に熊の保護を訴える生徒たち。1993年(「クマともりとひと」より)
 その最初の活動に参加した生徒の一人は、純粋な気持を持って問題解決を追及していき、今は熊森運動になくてはならぬ若い働き手になった。

 「くまもり通信60号」(H21年6月30日)11頁に、「13年目のくまもり、2万人にふさわしい活動を」「一人になっても熊森をやる」と呼びかけている企画推進局長室谷悠子さんもその一人だ。その発言を聞こう。

 「昨年(H20)無事に司法試験に合格しました。現在、研修生としてがんばっています。私が弁護士を志したのは、熊森を質の高い自然保護活動を行う全国組織に発展させるためには、会の中心に弁護士が必要だと考えたからです。法律事務所への就職も決まりました。環境問題に係る先輩の弁護士に学ぶとともに、たくさんの弁護士を熊森運動に巻き込んでいきたいと思います。
 1999年当時、環境庁から野生動物の大量駆除を可能にする『鳥獣保護法改正案』が出されたとき、命をかけてこの法案を止めようと決意し、何度も森山先生と国会に通いました。
 ある弁護士の先生が『弁護士というのは、たとえ一人になっても戦えないと駄目なんだ』というお話しをされました。自然保護も同じだと思います。たとえ一人になっても熊森活動をつづけていきたい」と。

 自らなすべき仕事を見つけ、それに全力投球するすばらしいエネルギーをもった室谷さんに続く若い人たちがもっとたくさん成長して行くことを期待したい。若く、新しい人材はこのようにして運動の中から生まれてくる。森山先生のひたむきな努力は、今第2世代の人たちに受け継がれていく。


 イギリスのナショナル・トラスト運動は、100年以上の歴史を持ち、総会員数は325万人と聞いている。イギリス〔グレートブリテン・北アイルランド連合王国〕の総人口は5,926万人(global Mapple2006年発行『世界の統計2005』〔総務省統計局〕より)

 熊森運動は、奥山の自然を全野生動物に返す運動とともに、化学肥料や農薬を使わない稲作にも挑戦している。この場合、反当りの収量は5俵〔300kg〕で一般の収量8俵〔480kg〕に較べて少ないが、兵庫県でも佐渡でも、トキの繁殖のため、その餌となるドジョウを増やすために、人間は自らの欲望を押さえてがんばっている。それは、この地球がそこに棲むすべての動物の共有物であるという高い考えで貫かれているからできることだ。熊森協会から送っていただく「くまもり通信」は、京浜工業地帯に住む私にとって、自然の掟を学ぶ良い教科書である。

たとえ一人になっても熊と森の命を守りたい 日本熊森協会の軌跡 | 『クマともりとひと』日本くま森協会の誕生物語
『クマともりとひと』日本くま森協会の誕生物語
※『クマともりとひと』日本くま森協会の誕生物語〔15×21cm×64頁)は、1部100円。2007年第1刷〜第9刷〔2009年7月)まで37万1千部発行のベストセラーとなっている。
申し込み先:日本熊森協会
http://homepage2.nifty.com/kumamori/index.html
メール:jbfa@nifty.com
住所:〒662−0042 兵庫県西宮市分銅町1−4
または、担当・川嶋
メール:kumamoribook★docomo.ne.jp
(★を@に変えて送信してください)

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[55815] 良きリーダーを知りました
名前:藤重典子
日時:2009/12/11 04:33
行政との対決も入りますから「苦闘と猛勉強」が必要なんですね。
それが心情派の気軽な参加を支えるのでしょう。


各自の持ち場は違いますが、それぞれ「闘いの場」があります。
エールを送りながら私も目の前の課題に真剣に取り組もうと思いました。
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12月7日〜12月12日 

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