アメリカ犯罪史上悪名高いカルト教の殺人集団「チャールズ・マンソン」のスーザン・アトキンズが、9月27日に死亡しました。61歳とのことです。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2405675/3038406
スーザン・アトキンズは、7件の第一級殺人罪に問われ、終身刑で服役していました。
今日は、この事件と土浦連続殺傷事件を対比して、「犯罪とは何か」に迫りたいと思います。
なぜ、このような記事を書く気になったのかといいますと、本日の東京新聞の社会面に、土浦連続殺傷事件の判決が今日あることに合わせて、金川真大被告の動機に迫ろうとする記事を見つけたからです。しかし、残念ながら記者は、このように結んでいます。
<引用開始>
被告のように寂しさや孤独を抱えながら、心の奥にしまい込んでいる人が身近にいた時、どうすればその深い部分に気付くことができるのか。犯罪という手段に訴える前に思いとどまらせることはできないのか。このままでは事件から学ばなければならないことが、明らかにされていない。遺族が望むように、被告が罪と向かい合うこともない。
<引用終了>
つまり、「何も分からない」と言っているのです。
記者は、金川被告と面会や手紙のやりとりを重ねたそうですが、最後の面会後に被告は、記者にこう言ったそうです。
「天国で会いましょう」
話をスーザン・アトキンズに転じます。
彼女は、服役中にイエス・キリストを主として、救い主として受入れました。そればかりでなく、彼女は同じ刑務所で服役しているほかの数多くの服役囚たちにもイエス・キリストを受け入れ、救いに至るよう導いたのです。そして、クリスチャンとして天国へ旅立って行ったのです。
彼女がキリストを受け入れたきっかけは、あることを知ったからです。
複数の会ったこともない人たちから手紙が届き、そこには、天の神が彼女を赦して下さるほど彼女を愛しておられると書かれていました。そして、大勢の人が彼女のために祈ってくれていたことを知ったのです。
彼女が子供のころから彼女が知っていた唯一のことは憎しみだけでした。マンソンの一味になり、身の毛のよだつような殺人に加担したのはそのためです。
彼女は、以前に送られていた聖書を読みました。詩篇を読んでいると優しく、愛に満ちた天の父が登場します。このような愛が存在すること自体、今まで知らなかったことでした。
福音書にはイエス・キリストの生涯が描かれていました。愛に満ちた、寛大で優しく、なおかつ公正であり、正義の方であることを知りました。
そして、聖書の言葉から、彼女は一つの結論を得たのです。
「私が刑務所にいるのは、私が殺人犯だからではなく、神様が私を愛しておられ、私が悔い改めることにより、神様は私に、生きるための力を授けたいと思っておられるから・・・」
彼女は、神を受入れました。そして残りの人生を、神を信じ神のやり方で生きていく決心をしたのです。
スーザン・アトキンズは服役中でも、自由の身でした。神の御子イエス・キリストが罪から解放してくださったからです。スーザン・アトキンズは刑務所にいても新しい人生を見出し、その人生を生きるための力をイエス・キリストを通して受け取っていたのです。
これが、スーザン・アトキンズのストーリーです。
出所:パワー・フォー・リビング
http://www.nlljapan.com/pfl.htm
私たち日本人は、犯罪に関する考え方を間違えていると思います。遺族感情に配慮しすぎるため判決も「感情的判断」に陥りがちです。
こんな事件が起こったら皆さんはどのように考えるでしょうか。
私はクリスチャンですが、その私の娘が殺されたら。
私は裁判所へは決していきません。マスコミの前で話すこともありません。マスコミは遺族感情を取材することが飯のタネであり、遺族は必ず憎んでいないと報道の価値がないことを私は知っています。
私がすることは泣くことです。そして祈ることです。なぜならば過去は変えられないからです。いくら犯人を恨んでも娘は戻ってきません。犯罪という過去の記録も変えることができません。変えることができるのは、犯人の心だけです。
犯人には、神に心の扉を開くよう伝えます。そして悔い改めて罪から救われるよう毎日祈ります。犯人に通じるまで祈り続けます。
「私は貝になりたい」という映画があります。スマップの草なぎ氏演じる死刑囚大西三郎は、聖書を手に落ち着いて絞首刑場へ向かっていきました。まさに、罪から解放されたという表情でした。
土浦連続殺傷事件の犯人に話を戻します。死刑の判決が出たそうです。やはり、マスコミは遺族の感情を商品にしています。
<引用開始>
「死刑に処す」無言でニヤリ、顔紅潮の金川被告
傍聴席では、殺害された三浦芳一さん(当時72歳)の妻ふさ子さん(62)が夫の遺影を抱き、目を閉じ、ややうつむき加減で聞き入っていた。「極刑が被告の思い通りになると分かっていても、被告が社会に再び出てくる可能性が少しでもある刑になるのは怖いし、嫌」と極刑を求めていたふさ子さんは、夫が殺害された部分が読み上げられると、ハンカチで目を押さえた。
同じく殺害された山上高広さん(当時27歳)の父、明雄さん(64)は妻の光子さんとともに、茨城県牛久市内の高広さんの墓を月命日の23日に訪れており、先月は、墓前で「次来るときは報告の時だから」とつぶやいた。
「望み通りの死刑にしてやるのは憎らしい。一生、刑務所で自分の罪を見つめる時間がある終身刑があればいいが、制度がない以上はどうしようもない」。そう語っていた明雄さんは神妙な面持ちで判決に耳を傾け、じっと金川被告のしぐさを見逃さないようにじっと見つめた
<引用終了>
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091218-OYT1T00512.htm
厚生次官殺害事件の犯人も蓄積された過去の恨みが爆発して犯行に走りました。
私は、キリスト教を強要するつもりはありませんが、キリスト教を知れば、たとえ遺族でも「恨みと憎しみの人生」を送らなくて済むと申し上げたい気持ちでいっぱいです。
キリスト教の教義も「罪を憎んで人を憎むな」です。つらいとは思いますが、「恨みと憎しみの人生」を送ることは、マスコミと他人の不幸を三度の飯より好む人たちが喜ぶだけです。
現在 − 過去 =ゼロ
「犯罪とは何か」、その答えは、映画「ゼロの焦点」が教えてくれます。自分をゼロにできない人が選択してしまう間違い、それが犯罪なのです。
金川被告の「天国で会いましょう」という言葉には「ゼロになりたい」という気持ちが隠されています。私は、彼をかばう気にはなれませんが、スーザン・アトキンズのように獄中でもゼロになれると彼に伝えたいと考えます。
前へ前へと進む人生は自分自身で選択できる、最後にそう申しあげたいと思います。
■コマーシャル・メッセージ チーム・ハートウォーミングは、自分をゼロにできる、自分をリセットできる「友愛ぎふと読本」をおすすめしています。