きょうのコラム「時鐘」 2009年12月18日

 42年前に起きた「布川事件」の再審が決定し、強盗殺人罪で服役した男性2人が無罪になる公算が大きいという

無罪が確実な「足利事件」の再審公判も進行中だ。つい先日には、殺人で死刑が求刑されていた被告が一審二審とも無罪となった。これら裁判で浮上したのは「疑わしきは罰せず」の原則だった。「疑わしきは被告人の利益に」とも言う

広く知られていながら、この言葉は意外と難しい。語感から言っても変な日本語だ。「いくら疑わしくても、犯罪が立証できないのなら罰することはできない」と補足しないと分からない。そのココロは、検察側の立証責任の重さを説いている

だが、先の再審や無罪判決が続いた殺人事件の公判からは、疑わしいだけで自白を強要して「証拠」がつくられ、あるいは自白を裏付ける証拠がないまま公判が進んだ実態が浮かぶ。立派な法理論の中身が生かされていない現実が見えるのだ

難解な法律用語をかみ砕いて分かり易くするのは裁判員裁判のためだけではない。司法界全体が法をより深く理解し、誤審やえん罪を防ぐためにも必要ではなかろうか。