博多滞在の最終日、結局、MITSUKOSHIの「キハチ カフェ」で休憩。
そのことは、前記事でも綴ったとおり。
そこで、やはり、叔父のことをふと思ったの。
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このブログの前の方の記事でも、綴ったことがあったけれど、私の叔父は、「株式会社サザビーリーグ SAZABY LEAGUE, Ltd.」の代表取締役。
鈴木さんの時代も、代表取締役最高執行責任者として、ずっとサザビーに関わってきた人物。
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今回、博多で、「KIHACHI CAFE(キハチ カフェ)」に行って、叔父、そして大叔父のことを思い出した。
母方の親族になるわけだけど、この叔父の父(私の大叔父さま)は、かつてデパートを経営していた人物で、性格も豪快、でも涙もろい、私にとっても愛すべき大叔父だった。
大叔父が亡くなった時、私は遠方で仕事だったため、上記のように「豪快で、涙もろいおじさまへ」と弔電を打った。あの大叔父の血を受け継ぐ叔父。やはり、経営者としての精神が育まれていたのだなあ、と感じる。
大叔父は、戦前から中国にも目を向け、すでにそこに市場があることを予感していた。そして、戦争では、彼の地で、瀕死の状態の友人を担いで、友人の最期を看取った人でもある。
決して、人を見捨てない。
大叔父の信念と、人柄がそこにあった。あの大戦という異常な状況(精神状態においても)の中でも、戦友を担いで夜中に歩いた大叔父。
武田泰淳の「ひかりごけ」では、生死を決定する窮地に立たされた人間の、ぞっとするような、でも、実はそうなるのかもしれないという人間の姿が描かれている。
誰がこれを裁くことができようか、という問いかけがそこにはある。
しかし、大叔父は、この登場人物のようなそれではなく、あの大戦の最中、人を人として、その最期も、その後も、見届けたのである。これは奇跡なのだろうか。それとも、やはり大叔父の信念なのか。
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ここで、言っておきたい。
Vegan(ヴィーガン)は、その主義からして、個人の自由であり、存在しても当たり前である。
しかし、純粋菜食者であり、革製品などの食用以外の動物の利用も避ける姿勢を貫くのならば、是非、武田泰淳の「ひかりごけ」の登場人物たち=船上の人となってもらいたい。
私は、幼少時から、祖父や祖母から、かつての凄まじい大戦の話を聞いてきた。
それらから感じたことは、「人は生きるために、生き延びるために、喰らうものである」ということだ。
これは実際の行動だけでなく、精神面でも「人を喰らう」のである。
ここには、深く記さないが、この「喰らう」生き物であるのが、私たち人間という存在でもある、ということを徹底的に学んだ。
私は純粋菜食者にはならないし、また毛皮や皮革も、動物の大事な命をいただいたものとして、享受し、大切にしている。これは、このブログを通じて、ずっと言い続けていることだ。
最も嫌うのが、「中途半端な」ヴィーガン。この言葉自体、奇妙であるが。
やたらと毛皮反対を訴える者。その一方で肉を喰らう者。そして皮革は平気な者。これらの何が嫌悪の対象かと言えば、その中途半端な知識と意識、中途半端な姿勢だ。
たとえば、エルメスも、クロコダイルのバッグ需要に対応するために、バッグ用のクロコダイルを飼育している。生きながらにして、モノである。毛皮は反対だが、こうした皮革は平気という者が多い気がするが、どう考えているのか。
だから、私は、中途半端なそれらより、「喰らう存在」としての人間として、自然の恩恵を享受する。
武田泰淳の「ひかりごけ」は単なる一例に過ぎないが、しかし確実に、それら「中途半端な、生半可な者たち」に対して、厳しい現実をつきつける作品である。
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私がかつて、留学する前に、大戦でのその地を縦断する、と聞いた大叔父は、「あそこには友人が眠っているから、Joaillerieちゃん、お参りしておいてくれないか。」と言った。
私は、その地を過ぎる時――夜明け前――に、なぜか自然と目が覚め、はたと気がついて、彼の地へ向かってお祈りをした。大叔父の心を届けに。
このような大叔父のことが大好きな私は、もちろん叔父のことも好きである。
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前記事にあるように、叔父は「Starbucks Coffee(スターバックスコーヒー)」
を日本に導入する際、たしか立ち会ったようなことを聞いている。現在も、「スターバックス コーヒー ジャパン 株式会社」の取締役(以前は代表取締役だったことも)も兼ねている。
この叔父も、スタバでは自腹。そして非常に気さくである。
たまたまだけれど、私のブログの読者さんの中にも、元社員の方がいて、叔父のことを同じように語ってくれた。
さらには、私の
LOUIS VUITTONの担当さんのおひとりが、以前はサザビー関連の会社に勤務していたため、叔父のことも知っていた。
そこでも、飾らない叔父の話を聞いている。
また、叔父の母(つまり大叔母さま)から叔父の様子を聞く度に、企業のTOPであるには、どれだけの資質と、また人間性が必要かわかってきた。器の大きさは、財力だけでは、何ものにもならない。
人間的魅力は、何によって輝くのか。
大叔父のやんちゃだけれども、人情に厚い、そして涙もろいところ。叔父の飾らない、気さくなところ。幼少時から、実際目の当たりにしたり、聞いたりしたことが、今の私の生き方にも少なからず影響している。
財力など、どうにでもなる部分がある。
だけど、その財力で、人間性が変わってしまうこともある。皮肉なこと。
人は変容する生き物だ。
しかし、その変容がいかなるものかが問われる。
また、絶えず、問われ続けなくてはならない。
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私の実家の家系は父方も母方も、さまざまな業種がいて、政治家、官僚、医者(各々開業医)、学者、警察、または、企業のTOP、ファッション関係者と幅広いのだが、中には反面教師的な先祖もいるのも事実。各人の人生がいろいろな意味で参考になっている。
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話を戻せば、私にとって叔父は、サザビーリーグの代表取締役である前に、ひとりの自分の叔父として、とても好きなのだ。
そんなことを考えて、「KIHACHI CAFE(キハチ カフェ)」でゆっくりと博多の街を眺めていた。
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Joaillerie
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文庫本もあるので、是非読んでいただきたい。