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2008-04-19

「Coarsen Roof」日華 feat.Metis


 で、これが日華Metisのコラボレーション。沖縄と広島のヤング男子部は、是非ともこの歌を広めてもらいたい。

V.O.W.-Victory Over War-




 日華の体験談がSGIのサイトに掲載されていた。

 Fさんが翻訳してくれた。深謝。


を大にして叫べ


 私は1980年に香港で生まれました。私の父は中国人で母は日本人とのハーフでした。私達は生活の為に私が10歳の時日本に来ました。私のスケートボードに興味を持った事が、ストリートカルチャーにのめりこむきっかけとなり、気ままにダンサーやDJをやる中でラップを始めました。


 最初は日本語のラップには大して興味もなかったのですが、15歳の時RINOというラッパーに合い触発を受けて、世界に対する自分のいを日本語のラップで表現する事に挑戦し始めました。


 創価高校を卒し、1999年にNY州立大学へ進学しましたが、毎日酒とドラッグ漬けの日々で幻覚症状まで出るようになりました。3度目の自殺未遂の後、精神科に入院しました。


 うつ病しみ衰弱しきった私は、治療の為に日本へ戻りました。私が真剣に信にうちこんだのはこの時からでした。唱題すると自分の中から力が湧きあがってくるのを実しました、そしてこのエナジーは確信へと変わりました。医者からは、治るのに少なくとも3年はかかるだろうと、また、今後も重大なトラウマに悩まされるだろうと言われました。でも事実、皆が驚くことに私は半年て治ってしまったのです。


 その翌年は、工場で働き、再び小さなイベントでパフォーマンスをやりながら、O'LIONZ PROJECT ("Only Life In Our NecessitieZ";必然をもって真実は生活の中にある)を現実のものとするためにスタートしました。日本語と広東語と英語をミックスした3ヶ国語での曲を作るのに挑戦し始めました。


 ラップにもいろいろがありますが、私は、ラップは囚人達が、何の楽器もなしに大で互いに呼び合う事からはじまったものだと理解しています。だから、ラップは人々に真実を語るように呼びかける、ひとつの道具なのです。ラップは言論闘争の一つの方法であるとじています。希望をもって困に立ち向う、最も人間的な方法であると。ラップのリズムと法の読経唱題のリズムがとても似ているように聞こえるのが、私にはとても興味深くえます。


 ヒップホップでは「リアルを保ち続けろ」ということがよく言われます。歌を作る時、私自身の経験と真実と教の哲理を自分の音楽にこめます。O'LIONZの前の由来は、真実はあなたの生活の中に必然的にあるんだという事、それを本当に保ち続けることを表現しようとすることからきています。いかなる話題も生命のコア(奥底、深層?)と源に関連していますし、我々が経験するいかなる現象も、人生の真実を見出す縁となります。私にとって法は、宇宙を貫く道理であり、基本的な原則に関することです。


 2003 年2に、私は友人や知人達とO'LIONZ11と呼ばれるグループを結成しました。私たちの最初のギグ(ライブ)を1,000人の観客の前でやりました。 2005年3に、私たちはインディーズレーベルのCDをリリースし、そしてその7、Diesel-U-Musicの大会でベルギー、イタリア、日本、イギリス、およびアメリカ5ヶ国にまたがる参加者を相手に、アーバン部門で日本人として優勝しました。


 2005年8、O'LIONZ PROJECTはインドネシアの"the Hug the World with Music"(音楽で世界を抱きしめよう)というイベントに出演、2005年3のスマトラ地震の犠牲者のために基金を集めるチャリティー・コンサートで、インドネシア中で放送されました。そして私は2006年の始めに、仕事をやめて、音楽一本のアーティストになることができました。


 その年の8、私は中国への創価学会の青年交流団200の一員として参加し、その際上海と北京で公演することができました。


 2007 年、私たちO'LIONZ PROJECTはUniversal Recordsからメジャーレーベルでデビューすることができました。そして、私たちのシングル「大丈夫」はテレビ番組のテーマ曲(テレビ東京「モヤモヤさま〜ず2」エンディング)に採用され、そして6に、私たちは最初のフルアルバムをリリースしました。 私は現在、北京の2008年のオリンピックのために作詞しようとしています。


 私は、教哲学を実行に移すことによって、私の日常生活の中でポジティブな効果として帰ってくる(必ず結果が出る)とわかりました。 私は今、私の人生におけるこの原動力が将来どれくらい大きくなるかを予測するのがただ不可能であるとじます。(自分の未来はってもいなかったほど無限に開けていくことを確信しています)。

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