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第4回 奇々怪々、新発見の『第9』

[2009年1月18日]

 

平林直哉

 2月4日、ドリームライフから“フルトヴェングラー、ウィーン・フィル、1日違いの『第9』世界初発売”と題されたCDが発売される予定である(RIPD-0003)。これは1953年5月30日、ウィーン、ムジークフェラインザールでのライヴとのこと。ところが、この演奏だが、実に奇々怪々なのだ。
  このときのウィーンの第9公演は以下のような日程でおこなわれたとされている。
29日
30日
31日(昼と夜の公演)
  つまり、3日間で4回おこなわれたとされている。歌手は高域から順にイルムガルト・ゼーフリート、ロゼッテ・アンダイ、アントン・デルモータ、パウル・シェフラーとなっている。けれども、30日もしくは31日の昼公演のソプラノはゼーフリートではなくヒルデ・ザデックが歌ったのではないかとも言われており、これはいまだにはっきりしていない。
  このときのライヴ録音はさまざまなレーベルから発売されたが、最初期に発売されたLPには29/31日と日付が特定されていなかった。その後、初めての正規盤であるドイツ、日本のフルトヴェングラー協会盤では「31日」と特定していた。しかし、その後発売されたドイツ・グラモフォン(DG POCG-2624)、アルトゥス(Altus ALT076)の同じく2種の正規盤には「30日」と記されている。もちろん、協会盤とDGなどは中身は全く同一である。つまり、ソプラノの問題、日付の問題ともに未解決なのである。
  ところが、この新発見に関してのドリームライフの説明がまことに不十分なのだ。まず、ドリームライフは音源を一切明かしていなかった。これに対して、私は再三にわたって「出自不明の音源など社会的信用を得られない」と申し入れていた。だが、まもなくドリームライフの担当者は業界関係者に向かって「この音源はオーストリア放送(ORF)の提供」と言い始めた。しかも、「ORFの資料には31日とあったが、これは間違いと判断して30日として出す」とのことだった。ORFに再調査を依頼し、その結果が「30日」ということならば理解できるが、そういう説明もない。それに、ドリームライフのパンフレットには31日表示の協会盤、30日表示のDGも「31日」と一緒にし、自社の「30日」音源との違いを説明している。そこには他レーベルを一律「31日」と断定した根拠も示されていない。
  日付があやふやであっても、内容が明らかに別物であれば大きな混乱はないだろう。しかし、これは間違いなく過去に出たものと同一の演奏である。よく知られているように、フルトヴェングラーには1日違い、3日違いなど、日付が近接したライヴ録音がいくつか存在する。しかも、最近では有名なバイロイトの『第9』の同じ日の別演奏までも登場した。こうした近接した録音は、聴き始めてほんの数秒もしないうちに、ただちに別演奏だと判断できるものばかりである。ところが、この新発見の『第9』、何回聴いても同じにしか思えない。
  しかしながらである、比較すると実に奇妙な現象が起きている。ちょっと聴くと別演奏にも思える痕跡があると言えば、ある(以下、ドリームライフ盤=L盤、そして協会盤、DG、アルトゥス=D盤と略す)。最も大きな違いはティンパニにあった。
  まず第1楽章の295―296小節、スコアにはないティンパニが4回追加されている。ここをL盤は「別演奏の大きな証拠」としている。確かにD盤にはないし、フルトヴェングラーの他のすべての『第9』にはこのような改変をした例もない。しかし、よく聴いてみるとこのL盤では287小節からティンパニは全く叩いていない。つまり、この個所はこうした説明が成り立つ。「287小節からティンパニ奏者が落っこちてしまい、295小節からさぐりを入れ、297小節でやっと復帰する」。これはありえないことではない。だが、私にはこの追加された4つの音がさぐりを入れるような不安な音には思えないのだ。明らかに最初から叩く、といった明確な意志が感じられる。しかも、この4つの音は電気的に加えられた全く同一の音にも思える。
  第4楽章にもティンパニに大きな違いがある。「おお友よ!」と歌い始める直前の206―207小節、D盤ではティンパニが完全に叩き損ねており、全く音がない。一方のL盤はスコアどおりにきちんと叩いている。ここもL盤が「別演奏の証拠」としているところだ。確かにそうだ。けれども、私はフルトヴェングラーの同じくウィーン・フィルを指揮した1951年か52年ライヴのテイクと差し替えていると推測している。
  次のティンパニは最も不可解である。同じく第4楽章の164小節以降、ちょうど歓喜の主題が管楽器に移行したところである。L盤は全くスコアどおりだが、D盤は音の数をかなり増やして叩いているのがはっきりとわかる(楽器がいっせいに鳴っているので、楽譜にすることはちょっと難しいが、違いは明らかだ)。
  以上の2種のL盤、D盤のティンパニの違いをL盤のデータに沿って説明すると、30日では第1楽章に大きなミスをしたが、同じ個所を31日では完璧に叩いた。第4楽章、164小節以降、30日はスコアどおりに叩き、翌31日では大幅に改変したものを叩いた。さらに独唱の直前、30日ではちゃんと叩いたけれども、31日は全くの行方不明になるという大きなミスを犯した、ということになる。こんなつじつまが合わないティンパニがあるだろうか? 2日間にわたって大きなミスをし、しかもある個所において1日違いで全く違った音を叩く。絶対にありえない。むろん、こんな説明も成り立たないわけではない。30日、第1楽章で大きなミスをしたので、指揮者が31日は別の奏者に交替するように指示した。そうしたら、その奏者が改変した音を叩き、独唱の直前では大きなミスをした……。これもかなり苦しい説明だ。
  もう一カ所、第4楽章の最後のプレスティッシモに入る直前、4人の独唱のテノールにある。840小節、本来ならば「sanfter Flugel」(uはウムラウトが入る)と歌わなければならないのを、D盤では「Flugel sanfter」と間違って歌っている。ところが、L盤は楽譜どおり「sanfter Flugel」と歌っている。ここも別演奏の証拠とみなすことができる。しかし、その次の841小節が不可解だ。この小節ではテノールのみ「weilt」の音を半音変えて伸ばすだけで、他の3つのパートは「Flugel weilt」と歌うのである。ところが、L盤もD盤もテノールはソプラノと同じ音、同じ歌詞で「Flugel weilt」と歌っているのである。この841小節だけをとれば、指揮者の改変とも言えるだろう。でも、L盤が指揮者の指示だとすれば、テノールは840小節に「Flugel」と歌い、さらにその次の841小節にも再び「Flugel」と、つまり「Flugel」を2回繰り返すことになる。仮に841小節、テノールにソプラノと同じ「Flugel weilt」を歌わせたいと指揮者が指示をしたいのならば、その前の840小節で「sanfter」を他のパートのようにその小節内で伸ばし、841小節で「Flugel weilt」と改変するならば合点がいくというものだ。その点、840小節に間違いを犯して、それを引きずって841小節を思わず「Flugel weilt」と歌ってしまったD盤の方が収まりがいい。もちろん、単なるミスという可能性がなくはない。けれどもデルモータのような歌手が2日とも間違えるだろうか?
  その他、L盤は聴衆のノイズの違いなどを別演奏の証拠としているが、このような違いはもはやほとんど証拠にはなりえないのである。というのは、最近の技術では、加工した痕跡が確認できないほどきれいに直せる技術があるからだ。これは複数の技術者も証言している。
  一部の方は覚えているだろうが、確か2003年のはじめ頃だったか、アンダンテの『大地の歌』事件があった。ワルター指揮、ウィーン・フィル、マーラーの『大地の歌』、デッカのセッション直後のライヴということで発売されたCDがあったが、これはデッカの正規録音に前後の拍手や楽章間の咳払いを付け加えてライヴ風に仕立てた、完全な偽物だった。これは国内ではむろんのこと、イギリスの「グラモフォン」誌でも指摘され、世界的なスキャンダルとなった。しかし、音源提供者は「間違いなくORFのアーカイヴに所蔵された音源を使用したもので、本物に間違いない」と主張していた。
  私は今回の『第9』もこの『大地の歌』と同様、偽装音源であると思っている。この『第9』と『大地』の違いは、前者が演奏の前後にだけ拍手やざわめきを加えただけなのに対し、今回の『第9』はほぼ全曲に改変がなされている、相当に手の込んだものということだ。先ほども触れたように、こうした加工はいくらでも可能な時代である。これからも、こうした音源は出てくるだろう。
  いずれにせよ、最も大きな問題は、出自不明の音源を堂々と出してしまうことではないか。

 

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