NaokiTakahashiの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2009-12-17

なるほど、証拠だね。

http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20091216/p1で提示されている「証拠」を検証する。股引用になるけど。

ちなみにここで言われてる差別的表現ってのは、陵辱エロゲを含むからね。議論上。

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20091004

このように、法は技術的制約ゆえに目指された正義とズレてしまうのが不可避です。だからこそ、法と正義の隙間を埋めるための、真剣な思考と実践が要請されるのです。具体的には、数々の差別的発言・差別的実践に対して、できる限り多くの怒りを表明すること、できる限り多くの反差別発言をもたらすこと、できる限り多くの反差別的実践がなされることが要請されています。差別をなくすことができないとしても、差別と戦うことはできるし、差別がもたらす悲惨を減らすことができるし、差別される人々を勇気づけることができるし、差別に対して共に戦うこともできます。それを実際になせばよい。少なくとも、それをしてから、後のことを考えるべきです。*2

 そして、そのような試みがなされることだけが、「ヘイト・スピーチに対する法規制」のような強権発動の必要性を減らすことができます。あるいは、(強権発動をしない場合には)「表現の自由」のための生け贄を減らすことができます。だったら、最低限、その程度のことはやるべきです。

つまり、そのような問題表現の自由は差別反対運動への参加に紐づけられていて、そのような参加をした場合に限り、法規制の必要性を減らすことができるだけなんだよね(誰がどういう裁量で減らすんだろう?)、必要性があるということは前提になっている。これは法規制が必要だという議論です。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090611/p1

つまり、当然表現の自由は原則として保護されるべきであるが、個別的には保護されないものがある。陵辱ゲームが問題になっているのはその個別性のゆえんであって、

はい。明確に、陵辱ゲームは表現の自由で保護されない例外であるという主張です。

(追記)ブコメより。

hokusyu あたまがわるい その 直 前 に 陵辱ゲーム規制されるべきだとは思わないって書いてるじゃねーかw。個別性が問題なのであって一般論で話しても意味がないってか不誠実だっていう意味だよ。

馬鹿なの? ほんとに東大?w 個別性の議論次第では表現の自由がないことを認めるって言ってるんじゃねえかよ。だいたいお前が個人的にどう思ってるかなんて関係ないんだ。決めるのお前じゃないんだから。表現の自由の例外でありうるけど僕は規制しないほうがいいと思うニャー、そんなただの「感想」がなんの役に立つんだよ。表現の自由を認めないってことは、つまり法規制を可能にするってことなんだよ。現に規制論者がいるところでそういうことを認めたら、それは単に規制論じゃねえかよ。

このとおり、Apemanがあげたお二人の文章は、単に彼らが表現規制論者であるという証拠になっていますね。

http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090602/p1

> 法規制は特定の個人の人権が具体的に侵害される場合に限るべきだ、というのは正論ではある。表現による暴力のうち特定の個人への具体的な侵害になっているものとそうでないものとの間に線をひくことには一定の合理性がある。しかしこの合理性は「ここに線をひけば表現による暴力に効果的に対処できる」という性格のものではなく「これより向こう側に線をひけば弊害がある」という事情によるものだから、「法規制に反対するとして、それからどうする?」が問われることになる。

この文章だけならまあごもっともかなとは思うけどね。「それからどうする?」の議論も、もう半年前にはやってたと思うのだけど。それこそ対抗言論の整備だし、ヘイトスピーチ規制を論じるにしても、単に大局的な社会状況を見て「構造差別への加担」を言うだけでは十分ではないのは、それこそ地下猫さんとこで、地下猫さん自身が出した資料を参考にして、「サザエさん」やAppのクラナド批判やサド小説なども絡めて議論を進め、それなりに得るところはあったとは思うんだけど、その時には既に議論からフェードアウト気味だったApemanさんが何故今突っ込みなおすんだろう、とは思う。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110006607327/

仮にヘイトスピーチ規制を肯定するとしても、その表現が具体的にどのような状況におかれ、どのように機能したのか、という部分に分け入って個別に考えていかなければならないことであって、「差別的表現」だとか「ヘイトスピーチ」だとか「構造差別への加担」だとかの大きすぎる区分で論じることは実際的ではない、ということでしょう。

(で、僕は、そうやって具体的な状況においてどのような人権侵害と結びついたがきちんと図示できるのであれば、「ヘイトスピーチ規制」という枠はいらないんじゃないかなと思うのですが)。

そして、表現を置く状況として、書いている内容がすべて絵空事だという宣言である「フィクション」という枠は、まさに長く認められてきたものだと思いますが。

LS2008LS2008 2009/12/17 11:38 はじめました。
私のはてぶコメントに下記の御質問があったので、私の考えを説明いたします。

>例えば名誉毀損は「表現の自由」と「名誉権」という基本的人権同士の考量であり、表現の自由が否定されてるわけではないのでは。

名誉毀損などを罰する刑法(と、それを許容する憲法解釈)が、表現の自由を丸ごと否定しているわけではもちろんありません。しかし、まさにその衡量の結果、表現の自由が「部分的に制限」されることを許容しているとは言えると考えています。そして、ヘイトスピーチ規制をもし仮に許容するとすれば、まったく同じ論法で許容されることになると思います。すなわち、「表現の自由と、被差別者が有する何らかの(具体的にそれが何なのかは論者によって異なるでしょう)基本権との衡量の結果、ヘイトスピーチが内容となる表現については表現の自由が制限されることが許容されるから、これこれのヘイトスピーチ規制法は、表現の自由に関して許容される制約である」と。表現規制の必要性を考慮するというのは、つまり上記の衡量の片側である「被差別者の基本権」が侵害されているといえるかどうかの検討の段階にとどまっており、反対側にある「表現の自由」との衡量をして「規制の許容性」を判断するところまでは未だ考慮の対象としていない、いわば許容性を判断するための準備作業と考えます。

私は、高橋さんは、表現の自由に関してこのような「比較衡量」論法をとること自体を拒絶されているのだと思っておりましたが、そういうわけでもないのでしょうか。

LS2008LS2008 2009/12/17 11:40 申し訳ありません。
上記コメントの最初の一文は「はじめまして」のタイポです。

NaokiTakahashiNaokiTakahashi 2009/12/17 11:48 オレンジネタかと思った。閑話休題。
名誉権と表現の自由の対立の話は、つまり、基本的人権という原則は保った上で、対立したときに考量する、ということでしょう。リバタリアニズムは権利が衝突した際の調停機関としての政府の意義を否定するものではないと思います。
「具体的な人権侵害がない限り」という文言がこの手の反規制論には付き物ですが、それはまさにそういうことでは。そして差別表現規制は、広くとった場合、まさにこの「具体的な人権侵害がない場合」をかなり含んでしまうことになる。だから議論しているのだと思います。

NaokiTakahashiNaokiTakahashi 2009/12/17 11:58 で、ブコメのほうですが、「大概の人」を(そこに仮にhokusyu君が含まれるとしても)そこで引き合いに出すのは間違いだと、これも何ヶ月か前に指摘済みです。規制を推し進めているのは、その「大概の人」ではなく、反動的な議員だったり、宗教勢力だったりで、その辺の考量をすっ飛ばせる人達なのです。「大概の人」面してのんきに「必要性を認め」たら、彼らは即決で「じゃあ規制必要、規制!」となります。
だから、形式的自由こそが重要だと言っているんです。融通を利かせると力の論理でいくらでも流されるからです。
この手の議論において、市民の中庸な判断が有効に働くなどと期待するのは、現実を見ていないとしかいえません。アグネス氏も登場された例の国会放送をご覧になりましたか? あんな無茶な議論が、実際に、国民に選ばれた議員同士で交わされてしまったんですよ。あれは僕からすればかなりショックな光景でしたがね。

hit-and-runhit-and-run 2009/12/17 12:14 サザエさんで描かれている家父長制もフィクションなんじゃないの?
「このレイプはフィクションであり、実際の人物・団体とは一切関係ございません」と断ればOK(性差別にならない)なのに、
「この家父長制はフィクションであり〜」なら、批判の対象になりうる(性差別になる)っていう高橋さんの基準がよくわからないのだけど、説明していただけませんか?
同じことだけど、高橋さんは『サザエさん』を「法規制しないとして、それから」家父長制の問題を論じている。なのに、同じことを『レイプレイ』やほかの陵辱エロゲについてやろうとすると、「法規制するというのか!」という反応になってしまうのは何故なんでしょう?

NaokiTakahashiNaokiTakahashi 2009/12/17 12:27 うん、だから俺はサザエさんの法規制なんか一度も主張してないでしょ? そんな可能性さえ認めるつもりはないよ。これは陵辱ポルノ表現の自由を主張するのとまったく同じ理屈で主張している。
で、倫理的な批判はされていいし、やるべきなんだよ、もちろん。これも、陵辱ポルノ表現にそう考えるのとまったく同じ理屈で主張している。

hit-and-runhit-and-run 2009/12/17 12:52 いや、だから皆、陵辱エロゲを「法規制として、それから」論じてるわけでしょ?
たとえば「女性への性暴力を娯楽として消費する価値観の再生産装置だ」といふうに(再生産装置っつーか、価値観そのものだが)。
それを高橋さんは「フィクションだからおk」の一言で済ませてきたんじゃないの?
だったらサザエさんの家父長制もフィクションだからおkにならないの?
もっとストレートに聞くけど、高橋さんは『レイプレイ』みたいな陵辱エロゲには倫理的批判に値するとこはないって考えてるの?

hit-and-runhit-and-run 2009/12/17 12:57 訂正
×「法規制として、それから」論じてるわけでしょ?
○「法規制しないとして、それから」論じてるわけでしょ?

NaokiTakahashiNaokiTakahashi 2009/12/17 12:59 あー、その価値観そのものってのはちょっとまずいね。テクスト論的にも。単純な社会反映論もその逆も現代的水準からは退けられる。それはともかく。
俺が言ってるのは「法的にはフィクションだからおk」だよ? 倫理的には、批判されてしかるべきでしょ。実際そういう批判もいっぱいあるし、それでいいと思うが。

NaokiTakahashiNaokiTakahashi 2009/12/17 13:16 で、訂正の部分、「法規制しないとして」に巧妙に(あるいは単純に)留保条件をつけてるように読めるから突っ込んでるんだよ。それをひたすらすっとぼけ続け誤読と言い募り続けて数ヶ月。飽きないのかねえ?

hit-and-runhit-and-run 2009/12/17 13:26 では、高橋さん自身は『レイプレイ』は倫理的に批判すべきところはあると考えてるの?

NaokiTakahashiNaokiTakahashi 2009/12/17 13:30 いくらでもあるだろうよ。それが何か?
そんなことは俺は一番最初から言っていたし、そもそもこの議論の始まるはるかに前から、俺はオタクコンテンツのポルノ性について倫理的批判を、どれだけウザがられようがずっとこのブログでいろいろ書いていたぞ。読んでる人は知ってると思うけど。
誤読というなら、その程度のことも読み取れてない君らが誤読してるのは間違いないところなんだけどな。そんなところを根掘り葉掘り攻めようとは思わんが。

hit-and-runhit-and-run 2009/12/17 18:34 ああ、わかりました。
倫理的に問題がないと思って陵辱エロゲを作ってるわけじゃなく、倫理的な問題があると知っててあえて陵辱エロゲを作ってるわけね。
これで大分見通しが良くなりました。お答えありがとう。

NaokiTakahashiNaokiTakahashi 2009/12/17 18:44 見通しって言われてもなあ。まあ、何か分かったんならそれでいいけれども。
倫理的に問題があるフィクションをきちんとフィクションという枠の中で作る/受容することは、倫理的に問題がないと考えているよ。
それは、作品自体に倫理的に問題があることとは別問題。倫理的に問題のある作品を、カッコに入れて(個人のご勝手のレベルで)楽しむ知性が必要だということね。

hit-and-runhit-and-run 2009/12/17 19:56 え?じゃあサザエさんの家父長制を批判する話はどうなるの?

NaokiTakahashiNaokiTakahashi 2009/12/17 20:03 それは作品批評でしょ? まさか、それでサザエさん視聴者や長谷川町子批判をするつもりだったの?

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