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『にあんちゃん』 [読書日記]

にあんちゃん 十歳の少女の日記

にあんちゃん 十歳の少女の日記

  • 作者: 安本 末子
  • 出版社/メーカー: 西日本新聞社
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
読みたい。この時代にこそ。貧しくても助けあい希望を持って生きたころがあった!佐賀県の炭住を背景に両親を亡くした少女が兄らと懸命に生きる姿をつづった不朽の名作。
6月の一時帰国中、小林多喜二著『蟹工船』というプロレタリア文学の名作がやたらと脚光を浴びているのに驚いてしまった。著者の没後75周年だというのはともかくとしても、書店の文庫コーナーに平積みにされてポップまで掲げられていたのには目を疑った。今のワーキングプアや非正規雇用者の労働環境が小林多喜二の時代に近くなってきており、それが今の日本の若者の共感を呼んだのだろうというのが一般的な解説であるようだ。僕は高校時代に『蟹工船』に挑戦しようとして挫折した苦い経験がある。1929年に本作品が発表されてから50年あまりが経過した頃のことで、当時の僕にはなかなか理解できない世界だったのだと思う。機会があれば再挑戦してみたい1冊である。

これに限らず、僕は時としてこのブログ上で古い本を読んで紹介することがある。今の自分の生活や考えていることを直接的間接的に紹介する場であるばかりでなく、今まで生きてきたトータルの自分を紹介するような場でもあると思っている。こういうブログを運営するようになってから、過去に自分がやり残していたことを掘り起こして意識的にそれを埋める取組みも試みるようになってきた。そうして過去の空白や後悔を埋めていくことによって、何となく自分がよりよい自分なれるような気もするのである。

さて、本日ご紹介する1冊は、デリー日本人学校の図書館で見つけた。僕の小学校時代、学校推薦図書でよく取り上げられていた1冊であるが、自分が通っていた小学校の図書館ではついぞ見かける機会もなく、結局読むことなく僕は小学校を卒業してしまった。小学生時代の僕がよく読んでいたのは後藤竜二古田足日といった、小学生の日常生活を舞台とした作品だった。ファンタジーなどはなく、自分を作品の登場人物になぞらえて作品中の出来事をまるで自分が経験しているかの如く感じながら読みふけっていた。『にあんちゃん』はそうした作品群に通じる秀作である。

但し、書かれた時代背景や作風は大きく異なる。『にあんちゃん』が書かれたのは1953年頃のことだし、当時小学生だった著者の日記という形式が取られている。僕が読んだのは1977年発刊のちくま少年文庫だが、その本の編集部註書きに次のような紹介がなされている。
 この日記は、1953年1月22日から54年9月3日まで、著者が小学校3年生から5年生までの間に書かれたものである。当時は、日本の社会が敗戦後の混乱からようやく脱しはじめた時期にあたる。
 著者は3歳のとき母に死に別れ、またこの日記を書きはじめる49日前には父まで失って、炭鉱の臨時労働者としてはたらく長兄(喜一)のわずかな収入で兄妹5人がくらさなければならないという、どん底生活に陥った。そのため、まもなく姉(吉子)も他家に住み込みではたらくこととなり、にあんちゃん(二番目のあんちゃん、高一)とふたりで、貧乏の苦しさ、悲しさに押しひしがれながら、けんめいに耐えて生き抜いてゆく。
 日記の舞台は、佐賀県東松浦郡入野村(現在の肥前町)にある、大鶴鉱業所という小さな炭鉱の長屋。
本書を読むと、斜陽産業となりつつあった石炭採掘業のさらに臨時雇い労働者としての微妙な長兄の立場、在日朝鮮人として置かれた立場といった生活の苦しさ、貧困というものがひしひしと伝わってくる。また、兄や姉が弟、妹をどれだけ思っているのか、そしてそれに感謝しつつ弟や妹が兄、姉をどれだけ気遣っているのか、兄妹愛、家族愛というものをものすごく感じることができる。そればかりではない、あまり書評や解説でははっきり書かれていないが、僕はこの本を読んでいて、この兄妹を取り巻く周囲の人々のやさしさが強く印象に残った。ひもじい思いをしながら学校に通おうとする著者に対して先生方が時折見せる心遣い、身寄りがない兄妹一家が兄や姉の出稼ぎでばらばらにならざるを得ない時、残されたにあんちゃんや著者を預かるご近所のおじさんおばさんがいたり、同級生から「もしよかったらうちに来ないか」と誘われたり、地域としての包容力を強く感じることができる。言い換えれば、当時はこれだけすさまじい貧困があったとしてもそれを生存可能なぎりぎりのラインで転落を食い止められるセーフティネットが地域社会には存在していたということなのだ。(余談ながら、著者の安本末子さんという方は、この後早稲田大学を卒業され、ご結婚されて一男一女をもうけられ、今も関東でご健在とか。苦しい生活を強いられていても、ちゃんと成人されたということなのである。)

『蟹工船』に共感を覚える現代の若者は多いと思うが、支配階級と労働者階級の相容れない部分は今の格差社会と通じるところはあっても、当時と今とでは明らかに異なる社会の側面があるように思う。それは、当時は生産活動の現場と生活の現場が非常に近いところにあり、家族やご近所付き合いの中で人間としての自己意識の安定化が図られていたが、今の社会にはそれが殆どないという点である。(勿論、『蟹工船』は被用者を家族や地域から切り離して隔離させた一種の密室空間だから、これだけ読んでも社会のセーフティネットはあまり感じられないかもしれないが。)『にあんちゃん』と『蟹工船』を比較して論じるのはいささか乱暴かもしれないが、『蟹工船』に共感を覚えた現代の読者には次に読んで欲しい本として『にあんちゃん』をお薦めしたいと思う。

もう1つ驚かされたのは、著者の作文能力である。著者がこの日記を書いていたのは今のうちの娘と同じ年齢の頃だということになるが、手前味噌とはいえ表現振りにある種のセンスを感じさせる我が娘の作文能力と比べても、この著者の日記で書かれている内容には驚かされる。1つだけ日記を引用させてもらう。
〈7月16日 金曜日 曇〉
「末子、おまえ養子にいかんか。兄妹の縁ば、切ってから」と、きのうの夜、兄さんのいわれたことばが、耳にしみついて、どうしても消えません。
 私に、兄妹の縁を切れないかというほど、私たちは、せまっているのです。
 兄妹の縁を切るくらいなら、私は、いっそ死んだほうがましです。兄妹わかれわかれになったことさえ、悲しくて、つらくてたまらなかったのに、縁を切るなどと、そんなことは、私にはできません。いままで、どんなことがあっても、いっしょに暮らしてきた4人です。
 私は、お父さんやお母さんが、恋しい時が、ほんとうに、何度あったかわかりません。けれど、兄さんやねえさんが、やさしいからと、それで、なぐさめられてきたのです。やさしい兄さんやねえさんの愛情で、親のない子のさびしさを味わわずに、人なみに育ってきているのです。それなのに、兄妹の縁を切ってしまえば、もう、兄さん、ねえさん、と呼ぶこともできなくなるでしょう。そんなことは、私にとっては、死んでしまわれるのもおなじことです。
 縁を切るどころか、いまの私の、いちばん願っていることは、どんなに小さい、みすぼらしい家であってもよいから、兄弟4人が、いっしょに、明るく自由に楽しく、暮らしたいということです。
 兄さんは、私が返事をせず、だまりこんだので、それからあとは、何も言われませんでした。
 けれど、私は、ほんとうに兄妹の縁を切ってから、養子にいかなければいけないのだろうかと、きょう1日じゅうは、このことばかり、考えふけっておりました。
(私たちには、幸福は、しまいまで、おとずれてこないのだろうか。一生、このまま、苦労をしていかなければいけないのだろうか)と、こんなことを考えると、さびしくて、さびしくて、どうすることもできませんでした。
こういう本は、今の子供たちにも読んでほしいし、成人した若者、僕らのような中高年の読書家にも広く読んでいただけたらなと思う。

幾つかご参考にさせていただいたHP
『にあんちゃん』の町へ(洋々閣-女将のご挨拶)
にあんちゃんの里~旧 杵島炭鉱大鶴鉱業所
復刻された「にあんちゃん」-少女の鋭い感性に感動(日本労働党労働新聞)
にあんちゃん-10歳の少女の日記(著者長兄が初版発刊時に寄せた前書き)
安本末子「にあんちゃん」-千年書房・九州の100冊(西日本新聞社)
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コメント 4

kobakoba

”蛍の墓” も貧しい兄妹が戦後の焼け野原の中懸命に生きていくのだが 遂に妹が亡くなる という小説です でも豊かになった今の青少年の精神は豊かになったのだろうか? と思ってしまいます
by kobakoba (2008-07-13 16:52) 

Sanchai

kobakobaさん、いつもコメントいただくのにお返しがあまりできなくて恐縮です。私は「火足るの墓」はアニメで少しだけ見て涙ポロポロになって全部見れませんでした。「蟹工船」のような古典が流行るのはいいことだと思いますが、読者の方々には自分の境遇に照らし合わせて世の中を批判的に見る材料とするだけではなく、自分に何ができるかも考えていただけたらいいのではないかと思います。
by Sanchai (2008-07-13 22:17) 

響

御訪問いただき、ありがとうございます。
本を読まれたのですね?
僕はまだ読んでいないのですが
先日いった大鶴炭鉱はこんな人間ドラマがあったとは思えないほど
何も無い街になってしまっていました。
炭鉱の多い九州ではこういった家庭は多かったように思います。
「にあんちゃん」は多くの人に読んで欲しいですね。
(その前に自分が読まないと・・・汗)
by (2008-07-14 18:02) 

Sanchai

響さん、こんにちは。コメントとNiceへの一票、どうもありがとうございました。今後も廃墟めぐりのレポートを楽しみにしております。
by Sanchai (2008-07-15 03:02) 

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