2005年10月27日
田川市が住宅政策転換
いわゆる炭住,正確には自治体が引き継いだ時点で炭住ではないのだろうが,の驚くべき低家賃が流石に時代の流れの中で維持できなくなった模様。
複雑な心境だけど,やはり賛成せざるを得ない。ますます人口流出が進むという批判もあるかもしれないが,こういう甘さはいい加減切らねば,逆に,地域で育った人間が外の世界で通用できなくなるのではないか。地域住宅需給が歪められ,健全な住宅建設の動機づけも失われる。何より入居していない田川市民の税金で入居者に破格の優遇をすることが到底妥当とは思えない。
2005年10月26日
夢日記(グラスウール)
政争の島の町長選厳戒 鹿児島・伊仙町
「過熱選挙」の町伊仙町長選は今回も島外から機動隊を導入して厳戒態勢のもと16日投開票。
政争といえば徳之島。徳之島は熱い。ワイド!のかけ声で有名な闘牛が盛んなのも,熱しやすさ,賭け好みに通じるものがあるだろうか。近世を通じて薩藩の圧政に苦しんだ奄美の島々は,シマごとに孤立した地理的特性,全島的貧窮と極端な階層分化(ンダ・膝素立),指導層の欠如,鉄器の普及度など様々な要因から,百姓一揆がなかなか起こりにくかったものと思われるが,特筆すべきは徳之島で起こった犬田布騒動である。
立ち上がる農民といえば大島の丸田南里,「沸騰組」も勿論あるにせよ,沖縄島を見越した先の宮古島,明治の御代に改まらぬ人頭税を撤廃せしめんと平良真牛ら火を吐くごとき運動を行ったが,この宮古と徳之島に「ワイド!」のかけ声が共通しているのは偶然ではあるまい。
宮古のワイド!といえばトライアスロン。沿道の横断幕にもワイド!の文字が踊る。
奄美の唄者坪山豊の手になるワイド節もあまりにも有名。
ワイド ワイド ワイド ワイド
吾きゃ牛ワイド 全島一ワイド
そういえば筑前は糸島郡今宿の暴力団組長がしばらく前に恐喝で逮捕されていたがそれも伊仙町の選挙がらみのことであった。地縁あってのことか,単に雇われで行ったものか。
2005年10月25日
2005年10月24日
夢日記(廃城ホテル)
日曜というのに仕事,次の日も朝早いし家に帰るのもアレなので「寝れればいい」と宿を取る。一寝入りして朝7時位にどやどやと人の気配。一旦部屋を出て,また戻るとベッドの半分は別の客の領分になっている。しかも女だ。こちらはチェックアウトもしていないのに。ダブルの部屋は半分ずつ客を入れる方針らしい。そろそろ出る準備をしないといけないので他の客に見られながら荷物をまとめたりするのが恥ずかしい。口の中に食べもののかすが残っているので葉を磨いたら,部屋の中に吐き出せる所がない。小さな手水はあるがとても無理だろう。そうか便器にと思いバスルームを開けると女性客が入浴中。なぜ鍵をかけていないんだ。そのまま外なで走り出てコンクリの上にはき出すが,改めてみるとここはホテルというより巨大な廃城のような建物であることが分かった。建物の周りを回ると使われていない部屋,一度改装して安手のモールのようにしてからまた放棄されて瓦礫が散らかったままの部屋などある。玄関に戻って見ると,私がいた部屋は別棟で遙かに渡り廊下を渡っていく所にある。
(起きて考えてみれば中城ホテル廃墟の印象と重なる。)
(起きて考えてみれば中城ホテル廃墟の印象と重なる。)
2005年10月23日
若林忠宏ライブ
のはずなんだけど朝飯を食ってからの二度寝で昼まで寝てしまった。救い難し。
谷川健一「魔の系譜」を読み終わる。長崎の切支丹の土俗的聖地・樫山の御岳には行ってみないといけない。まあこの本は切支丹自体がテーマではなく,切支丹の土俗化という断面の中に現れ出た日本性を見事に暴き出したもの(想像力の跳躍を飛躍の恣意と批判することはできるかもしれないが)
カヤカベ宗,切支丹,崇徳上皇,後生(ぐそー)抗しがたい魅惑に満ちている。
庭に出てこざこざと片づけたり。霊舎の周りの孟宗やぶに,竹以外の草がはびこってしかたがないので苅込鋏を手に挑む。棘だらけの草があり,短パンに草履,軍手もなしの無防備な恰好であちこち掻き傷だらけになる。長ズボンを穿いて軍手をすれば苦労は半減するのに全くの馬鹿だ。こちらも意地になり,藪を刻み,踏みつけ,丸めて平地に放り投げ,山と積み上げて燃やす準備をする。外来植物が数種入っているのが悔しい。欧米ヤソ教の悪根はびこるままに任せて数十年のわが祖国を見るよう。
2週前に落葉を積んだ堆肥をひっくり返してみるがまだ殆ど発酵は進んでおらず虫も少ない。蓋のちょうつがいが壊れているのが気になる。
潤のBOOK OFFで黒岩重吾の「どぼらや人生」を買う。こういう本に出会えるのが自分の出会いの才能かもしれない。なんちゃって。
谷川健一「魔の系譜」を読み終わる。長崎の切支丹の土俗的聖地・樫山の御岳には行ってみないといけない。まあこの本は切支丹自体がテーマではなく,切支丹の土俗化という断面の中に現れ出た日本性を見事に暴き出したもの(想像力の跳躍を飛躍の恣意と批判することはできるかもしれないが)
カヤカベ宗,切支丹,崇徳上皇,後生(ぐそー)抗しがたい魅惑に満ちている。
庭に出てこざこざと片づけたり。霊舎の周りの孟宗やぶに,竹以外の草がはびこってしかたがないので苅込鋏を手に挑む。棘だらけの草があり,短パンに草履,軍手もなしの無防備な恰好であちこち掻き傷だらけになる。長ズボンを穿いて軍手をすれば苦労は半減するのに全くの馬鹿だ。こちらも意地になり,藪を刻み,踏みつけ,丸めて平地に放り投げ,山と積み上げて燃やす準備をする。外来植物が数種入っているのが悔しい。欧米ヤソ教の悪根はびこるままに任せて数十年のわが祖国を見るよう。
2週前に落葉を積んだ堆肥をひっくり返してみるがまだ殆ど発酵は進んでおらず虫も少ない。蓋のちょうつがいが壊れているのが気になる。
潤のBOOK OFFで黒岩重吾の「どぼらや人生」を買う。こういう本に出会えるのが自分の出会いの才能かもしれない。なんちゃって。
2005年10月21日
軍歌と戦時歌謡
P2に向けていくつか急展開。やっぱり図面がいるとのこと。S造は一層難しいらしい。
夜はトゥクビョルキョンビーの人たちと祭祭で飲む。この道ひとすじ30年という方。
やはりというべきか,中韓との歴史認識,「拉致問題」などでの考え方は極めて単純。天皇がいるから俺たちがいる,とも公言してはばからないぐらいの人。自分は近代天皇制は役割を終えたものと考えているが,ここで議論してもしかたがないので適当にお茶を濁す。お互い情報が欲しくてつき合っているのだから,別に歴史について共通見解を持つ必要もないし。
戦後の闇市,自治体警察時代,渋谷署襲撃事件のことなど話す。
2次会はドンキー。トゥッキョンお二人は軍歌ばかりなのでこちらも合わせて「麦と兵隊」「青年日本の歌」「戦友」「露営の歌」など歌う。軍歌の中でももろ戦争礼賛の歌は歌いたくなかったのだが,たちまちネタが尽きて「空の神兵」「敵は幾萬」などを歌わざるを得なかった。敵は幾萬なんて文字で見るのは初めて。本当に「勝栗の」という歌詞だったんだ。
勘定高い。4000円。
今日の自分としてのヒットは,出身は小倉は富野といった瞬間「草野一家の本家の近所ですね」と反応できたことぐらいかな。でも後で調べたら神岳だった…
六本松の翔で丸兄送別会があっているので,11時半頃急行。まずは川満さんの店を冷やかして島らっきょうを貪り喰ってから乱入。のーさんも酔っぱらっている。最後はまた川満さんとこ行ってそば。
夜はトゥクビョルキョンビーの人たちと祭祭で飲む。この道ひとすじ30年という方。
やはりというべきか,中韓との歴史認識,「拉致問題」などでの考え方は極めて単純。天皇がいるから俺たちがいる,とも公言してはばからないぐらいの人。自分は近代天皇制は役割を終えたものと考えているが,ここで議論してもしかたがないので適当にお茶を濁す。お互い情報が欲しくてつき合っているのだから,別に歴史について共通見解を持つ必要もないし。
戦後の闇市,自治体警察時代,渋谷署襲撃事件のことなど話す。
2次会はドンキー。トゥッキョンお二人は軍歌ばかりなのでこちらも合わせて「麦と兵隊」「青年日本の歌」「戦友」「露営の歌」など歌う。軍歌の中でももろ戦争礼賛の歌は歌いたくなかったのだが,たちまちネタが尽きて「空の神兵」「敵は幾萬」などを歌わざるを得なかった。敵は幾萬なんて文字で見るのは初めて。本当に「勝栗の」という歌詞だったんだ。
勘定高い。4000円。
今日の自分としてのヒットは,出身は小倉は富野といった瞬間「草野一家の本家の近所ですね」と反応できたことぐらいかな。でも後で調べたら神岳だった…
六本松の翔で丸兄送別会があっているので,11時半頃急行。まずは川満さんの店を冷やかして島らっきょうを貪り喰ってから乱入。のーさんも酔っぱらっている。最後はまた川満さんとこ行ってそば。
2005年10月18日
うおおお眠い
P1が終わったのでちょっと脱力気味。8月からの宿便,ほったらかしなので何を言われるかと思い悩みながら夕方某所へ持っていく。道すじついた。
来週木曜がP2,前3日間はまたわじわじするかな。
9時20分,清浄国関係で幹部はみな残ってやっているが自分は餃子が食べたいので帰る。
門際飯荘で新聞読みながら鶏塩ねぎ炒めでビール。あー幸せ。マラウィも食糧がかなりやばいらしい。なんか食べ物なくて球根取りに行くとワニに喰われる人が一日二人くらいいるらしい。エリトリアは国境地帯から国連ミッションをしめ出した。マオの(精神的に)生まれた土地。
ムザラファバードでは刑務所が崩壊して100人くらいは逃げたけど3人は残って衛兵2人と奇妙な共同生活を送りよるげな。私の驚きは,あんな緊張地帯の州都の刑務所がたったの百何人しか受刑者いないの?という点。
カストロ−チャベス枢軸と米帝の対立はスペイン・サラマンカでも噴出。
ムスリム・タイでは寺が襲われて小僧さんまで殺された。あーあ。
ナイジェリアの御嶽は信者の豪人女性が守った。やっぱりキリスト教は侵略宗教だよな。なぜ国際的救恤団体が十字軍の錦の御旗を掲げているのだ?対抗する新月にしても宗教から離れらんもんだろうか。
なんだかんだいって今月は10時より遅くなることはあまりないのでぺれそっそさんの生活より100倍くらい人間らしく生きてます。
来週木曜がP2,前3日間はまたわじわじするかな。
9時20分,清浄国関係で幹部はみな残ってやっているが自分は餃子が食べたいので帰る。
門際飯荘で新聞読みながら鶏塩ねぎ炒めでビール。あー幸せ。マラウィも食糧がかなりやばいらしい。なんか食べ物なくて球根取りに行くとワニに喰われる人が一日二人くらいいるらしい。エリトリアは国境地帯から国連ミッションをしめ出した。マオの(精神的に)生まれた土地。
ムザラファバードでは刑務所が崩壊して100人くらいは逃げたけど3人は残って衛兵2人と奇妙な共同生活を送りよるげな。私の驚きは,あんな緊張地帯の州都の刑務所がたったの百何人しか受刑者いないの?という点。
カストロ−チャベス枢軸と米帝の対立はスペイン・サラマンカでも噴出。
ムスリム・タイでは寺が襲われて小僧さんまで殺された。あーあ。
ナイジェリアの御嶽は信者の豪人女性が守った。やっぱりキリスト教は侵略宗教だよな。なぜ国際的救恤団体が十字軍の錦の御旗を掲げているのだ?対抗する新月にしても宗教から離れらんもんだろうか。
なんだかんだいって今月は10時より遅くなることはあまりないのでぺれそっそさんの生活より100倍くらい人間らしく生きてます。
2005年10月16日
ダイオキシンの恐怖
崔原公園の定期清掃がうちの町内会に回ってきたので8時〜作業。
相変わらず部落に若者はいないので,自分がダントツで一番若い参加者。後は一番若くても50代である。
実はまだ半分位名前を覚えていなかったりする。家になるとなお怪しい。向かい,隣,隣組長,民生委員,あと物をやったりもらったりする仲の何軒かは分かるが…
来月の日待講は出て置こうかな。
集めたゴミはビニール袋に入れて,役所が回収に来るらしい。なんとも納得がいかない。多少の紙,ビニールも混ざっているが殆ど枯葉や枝なので,集める時に注意してプラスチック類は除けておいて,野焼きなり堆肥に積むなりすれば処理費もかからないのに…
今はたとい枯葉だけでも野焼きは駄目なんだよね。
ダイオキシンが出るといっても… 自動車一台に比べてどの程度のものか。
ビニール,塩ビが紛れ込みやすい農業系を念頭においた規制なのかな。
アスベストや狂牛病にしても,マスコミ的な○×式の考え方だと,そりゃあもお「悪」なんだから「危険なものはすべてなくすのが国の責任」「加害企業の責任」ということになるんだろうけど,もうこれから中国も工業化することだし,地球上どこにいても完全な健康,無汚染生活ってのは望めないんじゃないだろうか。近代日本も諸処公害が起こって大気は汚れ悲惨な公害病患者も出てそりゃあミナマタを繰り返す愚は避けないと人類の知能が疑われるんだけど,環境は確実に汚染が進んでいく一方で乳幼児死亡率は下がり平均寿命は伸びている訳で,汚染のマイナスを医療や衛生のプラスが補っているのだろう。
中皮種はアスベスト吸入によってしか発症しないから,中皮種患者の死亡はアスベストが原因−それは真実かも知れない。発症まで40年。また吸入した全ての人が発症するわけではないらしい。
うむむ。単一の原因だといつまでも責任が追及されるが,複数原因があるとうやむやになるだけのこと。究極的な死因は時代に拘束された出生。
「悪」は満ち満ちている。グルタミン酸ソーダから副流煙まで。時代に拘束される。汽車の煤煙に薬用が信じられたり。あることは避けられないのだから,毎日微量ずつ悪を摂取していることから目を背けないで,どこまで許容できるかの折り合いを付けとく必要があるんだろうな。
相変わらず部落に若者はいないので,自分がダントツで一番若い参加者。後は一番若くても50代である。
実はまだ半分位名前を覚えていなかったりする。家になるとなお怪しい。向かい,隣,隣組長,民生委員,あと物をやったりもらったりする仲の何軒かは分かるが…
来月の日待講は出て置こうかな。
集めたゴミはビニール袋に入れて,役所が回収に来るらしい。なんとも納得がいかない。多少の紙,ビニールも混ざっているが殆ど枯葉や枝なので,集める時に注意してプラスチック類は除けておいて,野焼きなり堆肥に積むなりすれば処理費もかからないのに…
今はたとい枯葉だけでも野焼きは駄目なんだよね。
ダイオキシンが出るといっても… 自動車一台に比べてどの程度のものか。
ビニール,塩ビが紛れ込みやすい農業系を念頭においた規制なのかな。
アスベストや狂牛病にしても,マスコミ的な○×式の考え方だと,そりゃあもお「悪」なんだから「危険なものはすべてなくすのが国の責任」「加害企業の責任」ということになるんだろうけど,もうこれから中国も工業化することだし,地球上どこにいても完全な健康,無汚染生活ってのは望めないんじゃないだろうか。近代日本も諸処公害が起こって大気は汚れ悲惨な公害病患者も出てそりゃあミナマタを繰り返す愚は避けないと人類の知能が疑われるんだけど,環境は確実に汚染が進んでいく一方で乳幼児死亡率は下がり平均寿命は伸びている訳で,汚染のマイナスを医療や衛生のプラスが補っているのだろう。
中皮種はアスベスト吸入によってしか発症しないから,中皮種患者の死亡はアスベストが原因−それは真実かも知れない。発症まで40年。また吸入した全ての人が発症するわけではないらしい。
うむむ。単一の原因だといつまでも責任が追及されるが,複数原因があるとうやむやになるだけのこと。究極的な死因は時代に拘束された出生。
「悪」は満ち満ちている。グルタミン酸ソーダから副流煙まで。時代に拘束される。汽車の煤煙に薬用が信じられたり。あることは避けられないのだから,毎日微量ずつ悪を摂取していることから目を背けないで,どこまで許容できるかの折り合いを付けとく必要があるんだろうな。
夢日記(工場その2)
査察先の工場,外国人研修生を面白い形で働かせている。
全寮制,マンツーマンで研修指導員を付け,日本語の学習と技術の習得を短期間で行う画期的なシステム(夢の中ではなるほど画期的と納得)。指導員の賃金しか支払わずとも2人分の労働力を使えるというのが画期的だったのかもしれない。
19,20位の若者の肩書きも「作業員」ではなく「研修指導員」。誇りに思っているのかどうかわからないが,そこに少し違和感を覚えた。
寮からは毎日送迎バスで大量輸送。一瞬?南相模の倉庫地帯のイメージが重なる。
自転車で次の査察先に行くのか移動しようとする私。携帯電話を落とし,Uターンして拾おうとする。研修指導員と外国人たち何組かも自転車で通りかかったようだった。私は彼らにどう思われているのだろう?と気になる。
全寮制,マンツーマンで研修指導員を付け,日本語の学習と技術の習得を短期間で行う画期的なシステム(夢の中ではなるほど画期的と納得)。指導員の賃金しか支払わずとも2人分の労働力を使えるというのが画期的だったのかもしれない。
19,20位の若者の肩書きも「作業員」ではなく「研修指導員」。誇りに思っているのかどうかわからないが,そこに少し違和感を覚えた。
寮からは毎日送迎バスで大量輸送。一瞬?南相模の倉庫地帯のイメージが重なる。
自転車で次の査察先に行くのか移動しようとする私。携帯電話を落とし,Uターンして拾おうとする。研修指導員と外国人たち何組かも自転車で通りかかったようだった。私は彼らにどう思われているのだろう?と気になる。
2005年10月14日
2005年10月12日
夢日記(よなは徹の奄美三味線教室)
1 「よなは徹の奄美三味線教室」
紀伊国屋の5階くらいまで行くと三線サークルが練習しており30人近くいる。与那覇徹さんが来ていてうちわのプラスチックの骨を何十本かまとめて持っている。今日は奄美民謡を教えてくれるらしい。サークルの会長から「こないだ大工先生は何歌ったっけ」と聞かれて行きゅんな加那です,と答える。
いくつかグループに分かれている一つに入って練習しようとする。まずは唄から。朝花等日頃うまく音が取れない唄がすらすら唄えるのに自分でも驚く。
途中練習は休憩タイムに入って記憶列車に移行していく。
2 「記憶列車」
一年単位での自分の記憶や,その年に起こった出来事をCGのようにシミュレーションできるのがある。いつのまにか列車に乗って車窓の記憶風景を眺める形になっている。記憶そのものではなくて,1年分の記憶に対応した抽象的というか動く火山模型のようなものがが点点と並んでいる。他人の記憶も並行して並んでいる。さかのぼっていくので若い人の記憶は生年で当然終わっているが,生年前にも島のような盛り上がりが突然あったりする。あれは何なのだろう。
同乗者が「トンネルが来た,これがいやなんだ」と言う。急に真っ暗になる。
3 「学内焼き鳥」
高知県警に行ったヒロミと話さなくてはいけない。就職のことなどあまり腹を割って話していないのだ。送別会を兼ねて早稲田近辺で店を探す。文学部?のキャンパス内にプレハブのような飲食店がいくつか並んでいる。まだ昼なので二店舗しか営業していない。そのうち焼き鳥屋はいきつけのような気がする。表に黒板があり,ネタごとに仕入れ数と消費数と残数が黄色いチョークで書いてある。焼くごとにいちいち外に出て書くのだろうか,手にチョークの粉はつかないだろうかと細かいことばかり気になる。その店に2串,隣の店に1串あったので,自分としては後でヒロミと来る時に精算すればいいと思いながら3串持って校舎に入り階段を上っていく。しかし食い逃げと思われはしないか,このまま食い逃げしても証拠は残らないのだからと気づく。
紀伊国屋の5階くらいまで行くと三線サークルが練習しており30人近くいる。与那覇徹さんが来ていてうちわのプラスチックの骨を何十本かまとめて持っている。今日は奄美民謡を教えてくれるらしい。サークルの会長から「こないだ大工先生は何歌ったっけ」と聞かれて行きゅんな加那です,と答える。
いくつかグループに分かれている一つに入って練習しようとする。まずは唄から。朝花等日頃うまく音が取れない唄がすらすら唄えるのに自分でも驚く。
途中練習は休憩タイムに入って記憶列車に移行していく。
2 「記憶列車」
一年単位での自分の記憶や,その年に起こった出来事をCGのようにシミュレーションできるのがある。いつのまにか列車に乗って車窓の記憶風景を眺める形になっている。記憶そのものではなくて,1年分の記憶に対応した抽象的というか動く火山模型のようなものがが点点と並んでいる。他人の記憶も並行して並んでいる。さかのぼっていくので若い人の記憶は生年で当然終わっているが,生年前にも島のような盛り上がりが突然あったりする。あれは何なのだろう。
同乗者が「トンネルが来た,これがいやなんだ」と言う。急に真っ暗になる。
3 「学内焼き鳥」
高知県警に行ったヒロミと話さなくてはいけない。就職のことなどあまり腹を割って話していないのだ。送別会を兼ねて早稲田近辺で店を探す。文学部?のキャンパス内にプレハブのような飲食店がいくつか並んでいる。まだ昼なので二店舗しか営業していない。そのうち焼き鳥屋はいきつけのような気がする。表に黒板があり,ネタごとに仕入れ数と消費数と残数が黄色いチョークで書いてある。焼くごとにいちいち外に出て書くのだろうか,手にチョークの粉はつかないだろうかと細かいことばかり気になる。その店に2串,隣の店に1串あったので,自分としては後でヒロミと来る時に精算すればいいと思いながら3串持って校舎に入り階段を上っていく。しかし食い逃げと思われはしないか,このまま食い逃げしても証拠は残らないのだからと気づく。
2005年10月11日
2005年10月10日
むんぐるくばーさ
【詞】
麦(むん)ぐるくばーさ うらみしむぬ ユイサ
乙女(みやるび)真頂(まんつづ)隠しょうりヨーホイ
ハーリヌツゥンダラヨーカヌシャマヨ
色ぶり二才やいかしゃる者(むぬ)やりゃどぅ ユイサ
麦ぐるくばーさとぅ悋気ゆしーおーる
フズルウツゥパイやなゆしゃる物(むぬ)やりゃどぅ ユイサ
乙女ゆむ顔(づぃら)隠しょりヨーホイ
真(まー)ぶり二才やいかしゃる者やりゃどぅ ユイサ
フズルウツゥパイとぅ悋気ゆしーおーる
紺染(くんずみ)スディナやなゆしゃる物やりゃどぅ ユイサ
乙女玉乳(たまつぃ)ゆ隠しょりヨーホイ
やなぶり二才やいかしゃる者やりゃどぅ ユイサ
紺染スディナとぅ悋気ゆしーおーる
白襞(しるひだ)かかんやなゆしゃる物やりゃどぅ ユイサ
乙女白股(しるむむ)隠しょりヨーホイ
うふぶり二才やいかしゃる者やりゃどぅ ユイサ
白襞かかんとぅ悋気ゆしーおーる
綿(ばだ)入りまいちゃやなゆしゃる物やりゃどぅ ユイサ
乙女ぴぃさがま隠しょりヨーホイ
まんぶり二才やいかしゃる者やりゃどぅ ユイサ
綿入まいちゃとぅ悋気ゆしーおーる
【雑記】
八重山民謡。ぼすぽう節のような明るい猥雑さを湛えた遊び唄。大工先生によれば,昔は夜なべで共同作業を行う時にこのような春歌を歌って元気を出したものだという。
「ゆむづぃら」といえば,字義通りに言えばいやな顔,オカチメンコという所だが,もとよりこんな歌まで作る二才が乙女の顔を憎く思うはずがない。からかいの表現であろう。
宮良泰平「八重山方言の素性」には,次のようにある。
南九州で猿をヨモというと附記されているが,首肯し難い。前項であるいはユム(忌む)かと書いている。
つぃんだら節に「ゆむゆむと 分ぎられ 泣く泣くと 分ぎられ」,なかなん節に「ゆむ佐事」(いやな小役人)とある。
玉乳と読んで字の如く,たわわな乳房を讃えたもの。奄美大島の有名な歌,「玉乳かちみれば染だるより勝り,後ろ軽々といもれよしら」が思い出される。
玉乳「ゆ」は現代語の「を」に相当する助詞だが,古語要素が残存しているものか。
山部赤人の歌「田子の浦ゆうち出て見ればま白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」
悋気は現代語でも地方や世代によっては生きた言葉で,嫉妬のこと。この歌は少女の体を覆う服に青年が嫉妬しているという内容なので「悋気ジラバ」とも言われる所以である。くいぬぱな節に「側に立ちゅるひゃーや悋気なむぬやりば」とある。
二才はこの歌ではニサイと読んでいるが,沖縄本島ではニセとなり,鹿児島同様となる。
「麦ぐるくばーさ」 麦わらで編んだ帽子。粟国はじめ,むんじゅるの名で知られた物につながるか。
【関連歌】
「パラダイスうるま島」
麦(むん)ぐるくばーさ うらみしむぬ ユイサ
乙女(みやるび)真頂(まんつづ)隠しょうりヨーホイ
ハーリヌツゥンダラヨーカヌシャマヨ
色ぶり二才やいかしゃる者(むぬ)やりゃどぅ ユイサ
麦ぐるくばーさとぅ悋気ゆしーおーる
フズルウツゥパイやなゆしゃる物(むぬ)やりゃどぅ ユイサ
乙女ゆむ顔(づぃら)隠しょりヨーホイ
真(まー)ぶり二才やいかしゃる者やりゃどぅ ユイサ
フズルウツゥパイとぅ悋気ゆしーおーる
紺染(くんずみ)スディナやなゆしゃる物やりゃどぅ ユイサ
乙女玉乳(たまつぃ)ゆ隠しょりヨーホイ
やなぶり二才やいかしゃる者やりゃどぅ ユイサ
紺染スディナとぅ悋気ゆしーおーる
白襞(しるひだ)かかんやなゆしゃる物やりゃどぅ ユイサ
乙女白股(しるむむ)隠しょりヨーホイ
うふぶり二才やいかしゃる者やりゃどぅ ユイサ
白襞かかんとぅ悋気ゆしーおーる
綿(ばだ)入りまいちゃやなゆしゃる物やりゃどぅ ユイサ
乙女ぴぃさがま隠しょりヨーホイ
まんぶり二才やいかしゃる者やりゃどぅ ユイサ
綿入まいちゃとぅ悋気ゆしーおーる
【雑記】
八重山民謡。ぼすぽう節のような明るい猥雑さを湛えた遊び唄。大工先生によれば,昔は夜なべで共同作業を行う時にこのような春歌を歌って元気を出したものだという。
「ゆむづぃら」といえば,字義通りに言えばいやな顔,オカチメンコという所だが,もとよりこんな歌まで作る二才が乙女の顔を憎く思うはずがない。からかいの表現であろう。
宮良泰平「八重山方言の素性」には,次のようにある。
ユム・ジィラ(名)
にくらしい面。いやな顔。人の顔を憎悪していう語。{よもづら=猿面}の意か。
南九州で猿をヨモというと附記されているが,首肯し難い。前項であるいはユム(忌む)かと書いている。
つぃんだら節に「ゆむゆむと 分ぎられ 泣く泣くと 分ぎられ」,なかなん節に「ゆむ佐事」(いやな小役人)とある。
玉乳と読んで字の如く,たわわな乳房を讃えたもの。奄美大島の有名な歌,「玉乳かちみれば染だるより勝り,後ろ軽々といもれよしら」が思い出される。
玉乳「ゆ」は現代語の「を」に相当する助詞だが,古語要素が残存しているものか。
山部赤人の歌「田子の浦ゆうち出て見ればま白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」
悋気は現代語でも地方や世代によっては生きた言葉で,嫉妬のこと。この歌は少女の体を覆う服に青年が嫉妬しているという内容なので「悋気ジラバ」とも言われる所以である。くいぬぱな節に「側に立ちゅるひゃーや悋気なむぬやりば」とある。
二才はこの歌ではニサイと読んでいるが,沖縄本島ではニセとなり,鹿児島同様となる。
「麦ぐるくばーさ」 麦わらで編んだ帽子。粟国はじめ,むんじゅるの名で知られた物につながるか。
【関連歌】
「パラダイスうるま島」
2005年10月09日
掃除当番は月曜に限る
世間は連休だがそんなんおかまいなしの朝から出勤。朝飯食べる暇なくコンビニエンスストアでジャンク・フードを買い食い。午前は初めてある会議にオブザーバー参加。こちらはドーカツのドの字もなく平和なものである。リーダー好人物。笑いありでさくさく議事が進む。重要そうな人が何人か来ているが,こちとら二日酔いでうまくしゃべれそうにないので会釈のみで早々に退散。貴重な機会なんだけどね。上司から携帯に電話。直撃弾ではないがちょっとした事件が起こっていた。
事務所に戻ると報せを受けてかやはり3,4名出勤してきている。清浄国大なゐ,鳩首協議。直接は他の人が作業するので,自分はPに専念。持ち分は大して大変ではないことに気づく。あとの調整の方が来週待っているのは大変だろうけど。余所の分もこっそり覗いて足し合わせると,意外に何とか調整つきそうな気もしてきた。楽観したら気が抜けて,まあこざこざしたのを片づけたり,祝休日算出を応用して来年度の曜日数数えたり。月曜日が木曜より5日間も少ないのは,振り替え休日や移動祝日の関係で月曜祝休が多いからだな。掃除当番は月曜に限る。
MacのMOの問題とかで時間とられながらも,一日で相当片づいた。来週は尻叩き,調整調整でなんとか乗り切れる,かな?もう暗くなった頃最後の一人になっていたので閉鎖して出る。ネクタイはロッカーに置いておこう。
試しに労基法に従って,本来労働者の権利として要求できる本日の労働の対価を計算してみた。月給を所定労働時間で割って1.35倍して… なんと,2万4千円!死んだ子の歳を数えるようなものだけれども(泣)
仙さんから借りた海野弘「陰謀と幻想の大アジア」を週末の間に読んでしまわないといけないので,本読みながらビールを飲みたい気分になって,ふらふら鎮西の方に行くが,目当ての南来食堂,楽屋いのまた亭,鎮西2の14と全部しまっている。
六本松で「翔」を覗くと今日はやっていない様子。向かいの「琉球ヌードル」に入る。ここは川満さんがやっているという話だったが,店員は女の子ばかり。すばを頼んで川満さんは?と聞くと今日は休み。それからしばらくもしないうちに川満さんは?ここ川満さんの店って聞いたんですけど?という客が2組立て続けに来て,店の女の子と顔を見合わせて笑う。二人は姉妹で,下地町出身。片足ピンザは知っていたけどガングリユマタは知らなかった。川満さんが初代八重モンだったという話を初めて聞いた。
福三会のNさんから,八重山古典民謡コンクール合格したとの知らせ。
琉球ヌードルはそばだけでつまみはなく,缶ビールも安くはないので長居には向かない。とりあえず門際飯荘まで行って棒棒鶏サラダをアテに青島ビールちびちび,借りた本を読む。最高です。
事務所に戻ると報せを受けてかやはり3,4名出勤してきている。清浄国大なゐ,鳩首協議。直接は他の人が作業するので,自分はPに専念。持ち分は大して大変ではないことに気づく。あとの調整の方が来週待っているのは大変だろうけど。余所の分もこっそり覗いて足し合わせると,意外に何とか調整つきそうな気もしてきた。楽観したら気が抜けて,まあこざこざしたのを片づけたり,祝休日算出を応用して来年度の曜日数数えたり。月曜日が木曜より5日間も少ないのは,振り替え休日や移動祝日の関係で月曜祝休が多いからだな。掃除当番は月曜に限る。
MacのMOの問題とかで時間とられながらも,一日で相当片づいた。来週は尻叩き,調整調整でなんとか乗り切れる,かな?もう暗くなった頃最後の一人になっていたので閉鎖して出る。ネクタイはロッカーに置いておこう。
試しに労基法に従って,本来労働者の権利として要求できる本日の労働の対価を計算してみた。月給を所定労働時間で割って1.35倍して… なんと,2万4千円!死んだ子の歳を数えるようなものだけれども(泣)
仙さんから借りた海野弘「陰謀と幻想の大アジア」を週末の間に読んでしまわないといけないので,本読みながらビールを飲みたい気分になって,ふらふら鎮西の方に行くが,目当ての南来食堂,楽屋いのまた亭,鎮西2の14と全部しまっている。
六本松で「翔」を覗くと今日はやっていない様子。向かいの「琉球ヌードル」に入る。ここは川満さんがやっているという話だったが,店員は女の子ばかり。すばを頼んで川満さんは?と聞くと今日は休み。それからしばらくもしないうちに川満さんは?ここ川満さんの店って聞いたんですけど?という客が2組立て続けに来て,店の女の子と顔を見合わせて笑う。二人は姉妹で,下地町出身。片足ピンザは知っていたけどガングリユマタは知らなかった。川満さんが初代八重モンだったという話を初めて聞いた。
福三会のNさんから,八重山古典民謡コンクール合格したとの知らせ。
琉球ヌードルはそばだけでつまみはなく,缶ビールも安くはないので長居には向かない。とりあえず門際飯荘まで行って棒棒鶏サラダをアテに青島ビールちびちび,借りた本を読む。最高です。
2005年10月06日
止まれ!美人が渡ります(普天間)
宜野湾市普天間を歩いていた時見つけた看板。
地名は普天間宮から来たものか,逆に普天間にあるから普天間宮なのか。
宮城真治「沖縄地名考」によれば,譜天間はもとフティマと読み,「久手」同様湿地を指す語ではないかと。普天間宮は白銀堂のように洞窟に由来する祠。
普天間の待ちをぷらぷら歩いた。330と58から別れてきた県道が交わる,島内交通集中地点の一つである。要するにこの辺で沖縄島をちょん切ってみても,血管は4本くらいしかない。すなわち58号線,普天間を通る330,高速,東海岸。この4本のほか,全く抜け道といえるような道もないのである。これも畢竟貴重な平地を,賊が我が物顔に老朽化したオンボロ基地をジャイアン的に置いているからで,目眩がするような理不尽である。賊の基地のせいで構造的欠陥を持つ道路交通体系。
えーとまあ普天間は半分寝たような町でした。民謡酒場が一軒ありました。
野坂昭如「骨餓身峠死人葛」
廃鉱,ジゾコ,閉鎖世界!小説のおもしろさを思い出した。那覇までの空路寝ていくはずの睡眠時間を奪った作品。
同行二人,マイミクスチュア,人情ふぃなーれ,この辺まで呼んだところで,楚辺行きのバスの中に忘れてきてしまった。絶版になっているだけに,返す返す悔やまれる。
同行二人,マイミクスチュア,人情ふぃなーれ,この辺まで呼んだところで,楚辺行きのバスの中に忘れてきてしまった。絶版になっているだけに,返す返す悔やまれる。
2005年10月05日
碌碌と
そんなに飲んだか?ビールしか飲んでいないのに。少しぼーっとした頭で出勤。
通勤本は鎌田慧「地底の輝き」に。「奄美の四季」が読みかけてどこかにいってしまったのだ。
もう時間がないので皆眼が血走っている。3時に保守担全員集合。やばいね。来週火曜日に設定。なまじっか公祝日があるばっかりに残業が増えている気がする。上野英信「追われゆく坑夫たち」にあるような土曜の「大出し」で4倍というとてつもないノルマほどではないが。焦らないといけないのだが感覚が少し麻痺しかけている。
11時まで残業。といっても軟弱になったので買った握り飯を腹に入れながらだが。やはり腹が減るとダメだ。助任の間は何か神がかっていたようだ。
通勤本は鎌田慧「地底の輝き」に。「奄美の四季」が読みかけてどこかにいってしまったのだ。
もう時間がないので皆眼が血走っている。3時に保守担全員集合。やばいね。来週火曜日に設定。なまじっか公祝日があるばっかりに残業が増えている気がする。上野英信「追われゆく坑夫たち」にあるような土曜の「大出し」で4倍というとてつもないノルマほどではないが。焦らないといけないのだが感覚が少し麻痺しかけている。
11時まで残業。といっても軟弱になったので買った握り飯を腹に入れながらだが。やはり腹が減るとダメだ。助任の間は何か神がかっていたようだ。
2005年10月04日
ドスマキとは何か
もとより露骨な差別語である。ドスマキとは,東北地方を中心とする東国で言うのだと思う。「まき」とは「まけ」とも言う。血筋のような意味。茨城弁にも残存。北九州あたりでも言うらしい。
野坂昭如「マイ・ミクスチュア」には父親の好色の「まけ」を気にする女主人公が出てくる。淫蕩の血を恐れるといえば「蕃婦ロポウの話」等「蕃地もの」小説の坂口レイ子。彼女の母方は一方で,八代近辺,さる沖縄からのエキソダスの伝承を持つ部落の出と言う。吉田司「夜の食国」にエビス様と仮名されているのがそれか。
ゴロマキ,もしくはゴロをまくというと喧嘩のこと,ドスという語感からもつい連想してしまうが関係はない。
話がそれた。
ドスは癩のことである。仙台の広瀬川沿に愛子という隠れ切支丹の伝承を持つ集落があるが,そこを揶揄した里謡に
愛子百軒、ドス九十九軒、残る1軒駐在所
というものがあるそうである(萬なスクラップ)。
癩病,ハンセン病が癩菌によるものと知られない時代,癩菌の感染力は弱くとも,不十分な栄養,不衛生な家庭生活で起居を伴にする近親者同士が感染する確率は他家の者よりも高く,一家より連続して患者の出れば世人はこれを血によって受け継がれるものとみなし,また家にかつて例なきにもかかわらず突発的に発症する者は家人はこれを劣血の譏りを免れるため,前世の業の報いた天刑によるものとみなした。いずれにせよ家の不名誉であることには間違いはなく,科学的知識の欠如と身体欠損の顕著な特徴から,患者は早晩大小の差こそあれ人外の扱いを受け,閉居に甘んじるか,後生を頼んで巡礼の路にさすらうことを余儀なくされたのである。四国八十八カ所には殊に癩者の行人多く,また宮本常一によれば癩者は癩者の道が人通わぬ山中にあったという。
かたい。この言葉は「ふるさとは遠きにありて」の詩で知られるよう,乞食,ほいとにも転用される。道の片側に居て物乞いをするからという説。かたゐであるから片輪に通じるのかもしれない。強めてかったいという。
なお,現代中国語でいうと,阿Q正伝で「癩」の字は阿Qの特質として何度も出てくるがこれは「はげ」と訓ぜられている。
韓国ではハンセン患者はムンドゥンイと呼ばれやはり人外の扱いを受け,時に流浪や隔離生活を強いられた。ムンドゥンイのさまを活写した仮面劇も有名である。
沖縄でも伝統的に差別視され,諸処で迫害を受けた末,屋我地島に安住の地を得た青木恵哉の受難の旅は,ものの200年もあればバイブルにあらたな預言書伝説書の一章を加えるのに十分である。屋部では定住を嫌う住民による焼き討ちに遭い,羽地内海に浮かぶ何十畳かの小島(というより岩)ジャルマで半年間,水もなく朝夕人目を忍んで欠けた四肢で小舟を駆って本土に渡り水を汲むという極限の生活を強いられた。
<2005.12追記>
西表信「南島昭和誌」によれば,八重山においては登野城と真栄里の中間あたりの海浜近くに施設のようなものがあり,アガリグヤのクンキャー村と称していた。クンキャーとは方言でハンセン病患者を差す。人々はアオサとりに近くの海浜に磯へいく際,必ず食べ物や古着を持参し,近くの路傍にそっとおいていく習わしがあった。患者達が埋葬された死馬牛を掘り起こして食べたという話も伝わっている。(この噂は事実無根ということもありうるとは思う) 患者達は死んでも先祖の墓には入れてもらえず,その辺りの洞窟に捨て置かれたり,墓地の外部に埋められたりするのが常であったという。
<2006.1追記>
野坂昭如「心中志願」に「家は行かずごけのまけらしいわ」と血筋を指している。
野坂昭如「死屍河原水子草」では,閉鎖的な貧農部落が近親結婚で先天性奇形児が生まれることから,隣村からハンセン病と疑われドスマキと称される。
野坂昭如「マイ・ミクスチュア」には父親の好色の「まけ」を気にする女主人公が出てくる。淫蕩の血を恐れるといえば「蕃婦ロポウの話」等「蕃地もの」小説の坂口レイ子。彼女の母方は一方で,八代近辺,さる沖縄からのエキソダスの伝承を持つ部落の出と言う。吉田司「夜の食国」にエビス様と仮名されているのがそれか。
ゴロマキ,もしくはゴロをまくというと喧嘩のこと,ドスという語感からもつい連想してしまうが関係はない。
話がそれた。
ドスは癩のことである。仙台の広瀬川沿に愛子という隠れ切支丹の伝承を持つ集落があるが,そこを揶揄した里謡に
愛子百軒、ドス九十九軒、残る1軒駐在所
というものがあるそうである(萬なスクラップ)。
癩病,ハンセン病が癩菌によるものと知られない時代,癩菌の感染力は弱くとも,不十分な栄養,不衛生な家庭生活で起居を伴にする近親者同士が感染する確率は他家の者よりも高く,一家より連続して患者の出れば世人はこれを血によって受け継がれるものとみなし,また家にかつて例なきにもかかわらず突発的に発症する者は家人はこれを劣血の譏りを免れるため,前世の業の報いた天刑によるものとみなした。いずれにせよ家の不名誉であることには間違いはなく,科学的知識の欠如と身体欠損の顕著な特徴から,患者は早晩大小の差こそあれ人外の扱いを受け,閉居に甘んじるか,後生を頼んで巡礼の路にさすらうことを余儀なくされたのである。四国八十八カ所には殊に癩者の行人多く,また宮本常一によれば癩者は癩者の道が人通わぬ山中にあったという。
かたい。この言葉は「ふるさとは遠きにありて」の詩で知られるよう,乞食,ほいとにも転用される。道の片側に居て物乞いをするからという説。かたゐであるから片輪に通じるのかもしれない。強めてかったいという。
なお,現代中国語でいうと,阿Q正伝で「癩」の字は阿Qの特質として何度も出てくるがこれは「はげ」と訓ぜられている。
韓国ではハンセン患者はムンドゥンイと呼ばれやはり人外の扱いを受け,時に流浪や隔離生活を強いられた。ムンドゥンイのさまを活写した仮面劇も有名である。
沖縄でも伝統的に差別視され,諸処で迫害を受けた末,屋我地島に安住の地を得た青木恵哉の受難の旅は,ものの200年もあればバイブルにあらたな預言書伝説書の一章を加えるのに十分である。屋部では定住を嫌う住民による焼き討ちに遭い,羽地内海に浮かぶ何十畳かの小島(というより岩)ジャルマで半年間,水もなく朝夕人目を忍んで欠けた四肢で小舟を駆って本土に渡り水を汲むという極限の生活を強いられた。
<2005.12追記>
西表信「南島昭和誌」によれば,八重山においては登野城と真栄里の中間あたりの海浜近くに施設のようなものがあり,アガリグヤのクンキャー村と称していた。クンキャーとは方言でハンセン病患者を差す。人々はアオサとりに近くの海浜に磯へいく際,必ず食べ物や古着を持参し,近くの路傍にそっとおいていく習わしがあった。患者達が埋葬された死馬牛を掘り起こして食べたという話も伝わっている。(この噂は事実無根ということもありうるとは思う) 患者達は死んでも先祖の墓には入れてもらえず,その辺りの洞窟に捨て置かれたり,墓地の外部に埋められたりするのが常であったという。
<2006.1追記>
野坂昭如「心中志願」に「家は行かずごけのまけらしいわ」と血筋を指している。
野坂昭如「死屍河原水子草」では,閉鎖的な貧農部落が近親結婚で先天性奇形児が生まれることから,隣村からハンセン病と疑われドスマキと称される。
帰去来
白帝城ならぬ白羊の関を離れ本朝に帰復あいなった是政君を囲んで,半襟町の「なが富」で持ち込み宴会。半ばはもらい物の「伊佐美」「海童」を飲むという趣旨。以前来たときは刺身が旨かったような気がしたのだが,水炊きを頼んだからか魚は海老の焼いたのとゴマ和えだけだった。3時間,雑炊までいって,4300円くらい。不満はないけど感動まではいかない。まあ貸し切りだし俺は腹一杯野菜と鶏食べたしいいか。
辻参謀の話をした途端に某研究員が反応したのが面白かった。ウラルアルタイ語族がどうだこうだ,頭山満がどうだこうだ。大陸浪人系の話をする。東洋科の皆さんさえあきれ顔。
阿米で乗り換え待ちの間,例によって松浦のポーさんが一杯どうすかいうので「いこい」でビール二杯ほど飲む。平戸大橋がかかって風情がなくなりましたよと,離島者の言。じゃんがら節も一時衰微していたのを,復活した頃に少し関わっていたと。HTBは決して長崎県観光には寄与しない,なぜなら宿泊も遊びも食事も一カ所で充足させることができてしまうから。
辻参謀の話をした途端に某研究員が反応したのが面白かった。ウラルアルタイ語族がどうだこうだ,頭山満がどうだこうだ。大陸浪人系の話をする。東洋科の皆さんさえあきれ顔。
阿米で乗り換え待ちの間,例によって松浦のポーさんが一杯どうすかいうので「いこい」でビール二杯ほど飲む。平戸大橋がかかって風情がなくなりましたよと,離島者の言。じゃんがら節も一時衰微していたのを,復活した頃に少し関わっていたと。HTBは決して長崎県観光には寄与しない,なぜなら宿泊も遊びも食事も一カ所で充足させることができてしまうから。
2005年10月03日
夢日記(都水道)
大きめの白いワゴンに乗り込んでどこぞかへいく。イェッサンの話か。ドゥオブランカに詰め寄られる。
知らぬ間にカーサ・フラッテーロの例会をうちでやっているらしい。
かがんぢさんと誰かが再会したらしく話し込んでいる。かがんぢさんが「上海で2番だ」と言っている。上海の芸にいたく感動したらしい。
また小田急線。今度は経堂駅で下り。途中下車したところすぐに電車は見えなくなった。次に来る電車は各停でも準急でもなく,「切り替え中」という構内放送が流れる。切り替え中ってなんだ。
これから先長いんだよねと愚痴る人がいる。特に水がまずいのが辛いと。都水道ですか?と聞くとそうなんだよと返事。一瞬,水道企業団とか?と思った瞬間に目が覚めた。
知らぬ間にカーサ・フラッテーロの例会をうちでやっているらしい。
かがんぢさんと誰かが再会したらしく話し込んでいる。かがんぢさんが「上海で2番だ」と言っている。上海の芸にいたく感動したらしい。
また小田急線。今度は経堂駅で下り。途中下車したところすぐに電車は見えなくなった。次に来る電車は各停でも準急でもなく,「切り替え中」という構内放送が流れる。切り替え中ってなんだ。
これから先長いんだよねと愚痴る人がいる。特に水がまずいのが辛いと。都水道ですか?と聞くとそうなんだよと返事。一瞬,水道企業団とか?と思った瞬間に目が覚めた。
2005年10月01日
109系統
日航の朝いち便で那覇着。昨日はギシク,ジョンホと飲んでいたので少し二日酔い気味。しかし面白くて,少し思い出し笑いをする。
1泊2日で沖縄に来たのはいいが,どこに行くかは全く決めてないのである。いつものようにとりあえず泉崎のバスセンターに向かう。先日の某件で島尻方面のバス路線がだいたい把握出来たので,時刻表を見て回ると,なんと!109系統大里線(真境名経由)が来ているではないか。これは大里村大城・親慶原行き40系統の変種みたいなモノで,西原までかなり遠回りをして通る,一日4便しかない貴重な路線である。是非もなく飛び乗り,揺られること40分あまり,西原入口下車。島添大里グスクの跡にたたずむ。
1泊2日で沖縄に来たのはいいが,どこに行くかは全く決めてないのである。いつものようにとりあえず泉崎のバスセンターに向かう。先日の某件で島尻方面のバス路線がだいたい把握出来たので,時刻表を見て回ると,なんと!109系統大里線(真境名経由)が来ているではないか。これは大里村大城・親慶原行き40系統の変種みたいなモノで,西原までかなり遠回りをして通る,一日4便しかない貴重な路線である。是非もなく飛び乗り,揺られること40分あまり,西原入口下車。島添大里グスクの跡にたたずむ。