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廃墟&近代化遺産(杵島炭鉱大鶴鉱業所) [廃墟&近代化遺産]



[穴ポコ!]


o2.jpg


田んぼの中に突然現れた穴ポコです。






これは佐賀県の東松浦郡にある大鶴炭鉱の新坑跡。


正確には杵島炭鉱大鶴鉱業所の第二坑の跡だ。


1.JPG

昭和32に閉山になった後に

坑口は塞がれているが幾つかあった坑口で残っているのは

この第二坑のみらしい。

2.JPG


入口のシンボルプレートは外れて無くなっているが

最盛期には1300人を超える鉱員が出入りを繰り返していたみたいです。






当時の写真 ↓

6.JPG

坑道の上を跨ぐ道路がかろうじて

今でも面影が少し残っているが

目の前の田んぼにこんなレールが敷かれていたなんて

ちょっと想像しにくい。

o5.jpg


こうやって田んぼ越しに見ると

ここから沢山の石炭を排出していたとは信じられないね。


ちなみにこの田んぼには

エビちゃんはいませんでした。(海が近いのでアカテガニがいっぱい)




第二坑から仮屋湾が見えるところまで行き、

山手を望むと旧本坑まで続く道が残っています。

7.JPG

[本坑と選炭場]



現在はこんな風に何も残っていなくて廃道になっている。

4.JPG

手前はコンクリートが敷かれているが

直ぐに藪の覆われてしまいます。



1936年にこの地(大鶴)にあった香春炭鉱と唐津炭鉱を

杵島炭鉱が買収して杵島炭鉱大鶴鉱業所となるが

終戦から朝鮮動乱にかけて好景気に沸いた後

石油への変革が進められる中で昭和32年に閉山となってしまう。


5.JPG

閉山前に7000人を超える合併した組合員がいたが

不良鉱として扱われて政府買い上げとなってしまった後は

各地の炭鉱に移り住んで行ったが結果は同じく

閉山と言う悲しい現実が待っているだけだった。



そんな大鶴炭鉱でどん底の生活の中で力強く生きる10歳の少女の

日記から「にあんちゃん」と言う本が出版されて、

さらに今村昌平監督の手により映画にもなりました。



街の中央にその記念碑が建てられています。



その元となった少女の日記がパンフレットに載っていましたので

ちょっと長いですが頑張って書き写して見ます。




【兄さんからの手紙】

[三月二十三日 火曜日 晴]
 春のにおいを、そよ風にのせて、きょうは、そつぎょうしきの日でした。
「安本高一」という先生の声に、前を見ると、六年生のれつの方から、
にあんちゃんが、でてこられました。
にあんちゃんは、とくべつに「どりょく賞」をもらわれるのです。
 でてきたにあんちゃんを見ると、やぶれたようふくです。
みんなきれいなふくをきているのに、ふせふせ(つぎはぎ)した上下です。
ただ、ほかの人とおなじところは、かみの毛をつんでいるということだけです。
 にあんちゃんは、校長先生の前に進んで行きました。
校長先生は、「どりょく賞」のもんくを、読みはじめられました。
 いま、にあんちゃんは、どんな気持ちがしているでしょうか。
 村長さんや大鶴の所長さんたちが見ている前に、
上も下もふせ(つぎ)あてだらけのようふくをきて立って、
どんな思いがしているでしょうか。私はかなしい気持ちでいっぱいでした。
 私は勉強もできませんし、こじきのようなかっこうもしていますから、
もしもにあんちゃんがいなかったら、いや、いたとしても、にあんちゃんが
勉強ができなかったら、この一年も、だれからでも、いじめられたり、
にくまれたりして、すごしてきたことでしょう。
 けれども、にあんちゃんが、勉強ができるおかげで、私は、だれからも、
ばかにされたり、いじめられたりしたことは、いっぺんもなく、
いま、ゆっくりと、四年生をそつぎょうできるのです。
 にあんちゃんは、びんぼうにもくじけず、勉強にはげみ、同級生には、
ぜったいまけない頭をもっておられます。
 お金があろうと、なかろうと、一日も学校は休まず、家に帰ってからも、
二、三時間はかならず、たとえ十時がすぎようと、予習ふく習してねられ、
しけんは、たいてい百てんばかりで、八十二点がさいていというような、
りっぱなせいせきを、持って帰るのです。
 私は、にあんちゃんのすがたを見ているうちに、なみだで目がかすんで、
なにを見る元気もなくなり、となりの人に、もたれてるようにしておりました。

                        [安本末子書 にあんちゃんより一部抜粋]

と、こんな内容でした。


激動の時代の中で極貧に耐えながら

力強く生きる実話の日記の一部です。



にあんちゃん 十歳の少女の日記

にあんちゃん 十歳の少女の日記

  • 作者: 安本 末子
  • 出版社/メーカー: 西日本新聞社
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 単行本








    かつては4000人以上の大集落だったこの街には

    今では50人ほどが住んでいるだけらしい。



    3.JPG

    街に残る遺構も

    探して見ましたが坑口の跡と、この橋脚以外は

    何も残っていないようです。






    反映と衰退を見て来た炭鉱が

    こんな小さな街にも存在していたことが驚きです。

    残っている遺構は少ないが

    この地を去った沢山の人の心の中に今も

    当時の風景が残っていることでしょう。


    静かな港の田んぼに突然現れる炭鉱
    ココ

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コメント 31

yukitan

子供の頃、にあんちゃんの映画見ました。

by yukitan (2008-07-06 04:42) 

タイドマン

私にバイクを教えてくれた歳ひとつ上の先輩が
会社を退職して故郷の佐賀に帰りました
もう昔の話なんですがね
結婚式はいきましたよ 佐賀に

貴兄のブログを拝見する度に先輩を思い出します
何やってるかな~
by タイドマン (2008-07-06 08:15) 

STEALTH

我々が年寄りになる頃、こんな昭和の風景も戦国時代の風景と同じような大昔になってしまうんでしょうかねー。
仕方ないのかな。寂しいしそれではダメなような気がしますけど。
by STEALTH (2008-07-06 08:33) 

カズ−

にあんちゃんの「兄さんからの手紙」はいいお話ですね。
私が通った小学校にもつぎはぎのある服を着ている人は
いました。
当時は穴のあいた靴下なんかは普通につぎはぎをしてい
ました。
はるか昔の田舎の小学校の話ですけどね。
by カズ− (2008-07-06 08:41) 

RYUSYO

歴史を感じますね・・・・。

by RYUSYO (2008-07-06 09:29) 

obasan

こんな文章に出会うたび、心ある人間でいることが出来ているのか・・・・・
感じる事の出来る人間でありことが出来ているのか・・・・・いい年重ねてるのに・・・と切なくなります。

炭鉱に限らず資源を生み出す所って悲喜こもごものドラマがいっぱいなんだろうな、きっと。


by obasan (2008-07-06 09:39) 

HAL

炭鉱が舞台になる話はほとんどが苦労苦労苦労、、、ってのですよね。
それが、つくり話じゃなく現実なんでしょうねー

トンネルさんは緑に包まれて休んでるみたいですね^^
by HAL (2008-07-06 11:26) 

タン・ロン

何故、取り壊さなかったのかな?
やはり地元の人の想いがこめられてるのかな
by タン・ロン (2008-07-06 12:38) 

hoshizou

私は、この手の話に弱いのですよ。 一杯のかけそばもダメ。
ここは、風車の場所ですよね。
モノクロの写真が、とってもいい味出してます。
by hoshizou (2008-07-06 12:41) 

hankyu8200

にあんちゃんの「兄さんからの手紙」
書き手の視点に立つと、泣けてきました。
by hankyu8200 (2008-07-06 13:10) 

gonntan

昔田川にいたらしいので・・父が炭鉱で働いていた・・炭鉱というとなぜか目耳が惹きつけられます。時代の移り変わりがよくわかる記事ですね!ありがとうございます。
by gonntan (2008-07-06 16:13) 

月光14th

九州の栄華と衰退ですね。
by 月光14th (2008-07-06 17:59) 

yoshi

炭鉱にせよ、なんにせよ、その時その時の時間の中に、こうしたドラマがあるんですね!
そうしたものは、時間や環境の変動で美化されるのかは分かりませんが、どんな形であっても後世に残るってことは、すばらしいと思いました^^

by yoshi (2008-07-06 18:06) 

Azumino_Kaku

何も知らずに通り過ぎてしまいそうな・・でも実はこんなドラマが隠れているんですね・・
by Azumino_Kaku (2008-07-06 18:55) 

リタ

昔の写真は、迫力があり、とても好きです。
田んぼにポッカリ口を開けたトンネル。
思わず微笑んでしまうような、不思議な光景ですね。
響さん!今日モトクロスの全日本大会を見てきたよ。
まんず、カッコ良かったわ~。血も心も騒いでしまったわ~。
やっぱ二輪のOFF車買おうかな~。
by リタ (2008-07-06 19:27) 

MIYA

にあんちゃんの話。。。ええ話や。

胸を張って努力賞をもらうにいちゃんの姿が目に浮かぶ!
by MIYA (2008-07-06 21:37) 

佐喜春

貴重な写真の数々と記事に感激。
何と知らない事の多いこと、と思いました。
勉強になります。
by 佐喜春 (2008-07-06 22:21) 

miyomiyo

今ある道路の下に坑道があるんですね。
土か水かで満たされているのでしょう。

たくさん詰まっているんでしょうね。
by miyomiyo (2008-07-06 23:40) 

an-kazu

存在を表す看板などは、
一切無いのでしょうか?
by an-kazu (2008-07-06 23:44) 

テトラ

これ、10歳の文章ですか…。なんてしっかりしてるんだろう。
家が貧しくとも、心が豊かなんですよね。
by テトラ (2008-07-07 00:08) 

しろのぽ

知らなければうっかり見過ごしてしまいそうな穴ポコです。
よくぞこれだけが残ったものだと不思議なくらいです。
この本は知らなかったのですが、各地の炭鉱に同じような子供たちがいたんでしょうね。そして今、世界のどこかにも。
by しろのぽ (2008-07-07 00:35) 

HEIJI

炭鉱の跡とは想像できないですねー。
現代の生活に埋もれてしまった痕跡を辿るのって好きです。
線路の跡なんかもいいですよね。ウチの近所だと緑道になって残っていたりします。
by HEIJI (2008-07-07 00:36) 

響

◆yukitanさんへ
オー! 見ましたか?
こうやって書いている本人はまだ見てないです。
なんだか泣きそうな映画ですね。


◆タイドマンさんへ
佐賀は良いところですよねー。
山あり、海あり、近代化遺産ありで最高です。
先輩ですか?
イカ食べたりして過ごしてるのでないでしょうか?(笑)


◆STEALTHさんへ
昭和がそんなイメージになる日も近そうですね(汗)
時代の流れは思ったより早いです。


◆カズーさんへ
僕も靴下はいっつも穴が開いていました。
ズボンのお尻も穴だらけです。
今だからこそ読んで欲しい本ですね(僕はまだ読んでいませんが・・・)


◆RYOSYOさんへ
僕が生まれる少し前に閉山になっていますが
これほど月日の経過を感じるとは
僕がおじさんになった証拠ですね。

by (2008-07-07 02:45) 

響

◆obasanさんへ
炭鉱を調べると
他の仕事より危険な為、給料が良くてみんな羽振りが良いって聞いたり。
こうした苦労話も良く聞きますね。
時代にかき回された人々の苦労は大きかったようです。


◆HALさんへ
大変な仕事の上、失業と言う
大変な結末を迎える炭鉱ですが
こうして力強く生きていたと人もいたと言うこととを
伝えれて良かったです。


◆タン・ロンさんへ
選炭場や炭住などはきれいさっぱりと
壊されていて無くなってしまっていますよ。
ただ、あの坑口だけがここが炭鉱であったことを
教えてくれています。
案内板もないし保存する形もとっていないですね。


◆hoshizouさんへ
この日記を前編読んだら目が真っ赤にはれそうです。
風車?
あっ! そういえばありました!
今度は風車目当てで走って見ます。


◆hankyu8200さんへ
10歳の子のリアルな日記はジーンとしてしまいますね。
道徳の学習なんかに取り上げている先生もいるようです。

by (2008-07-07 02:45) 

響

◆gonntanさんへ
田川ですか?
筑豊炭田の中心地ですね。
大きな2本の煙突以外はほとんど残っていませんが
近いので何時か取材に行ってきます。


◆月光14thさんへ
こんな小さな街に何千人も暮らすほど繁栄してたと
思うとビックリですね。


◆yoshiさんへ
かなりマイナーな存在の炭鉱跡ですが
こんな小さな街でも人間のドラマがあったと思うと感動です。
遺構は少しだけしか残っていませんが
映画や日記が本になったりして後世に伝えれることは素晴らしい。


◆Azumino_Kakuさんへ
炭鉱があるって知らないで走ってると100%見過ごしてしまいます。
あの穴ポコももう少しで見過ごす所でした。


◆リタさんへ
モトクロス見てきたの?
そりゃ、バイク熱を刺激されまくりですね。
オフ車、いっちゃう?
家族会議で熱い思いをぶつけて実現させてください。


◆MIYAさんへ
良い話でしょう?
まだ食べれない話とかあってウルウルきちゃいます。

by (2008-07-07 02:46) 

響

◆佐喜春さんへ
かなりマイナーですので
将来、貴重な写真になるかもしれないので
CDに保存しておきます。


◆miyomiyoさんへ
坑道はほとんどの場合水没してるそうです。
小さな炭鉱なので埋めてないでしょうね。
幸い坑道側には民家が無いので陥没などの被害はないようです。


◆an-kazuさんへ
案内板など、ま~~~~ったく無いです(笑)
高台のお寺でパンフレットを貰ったら
載っていますが見ないと見過ごす可能性大です。


◆テトラさんへ
とてもしっかりした文章でしょう?
段落の付け方や句読点のつけ方が僕より・・・(汗)


◆しろのぽさんへ
かーーなりマイナーな炭鉱跡です。
でも、穴ポコが残っているのは貴重なので
見つけれて良かったです。


◆HEIJIさんへ
遺構を探すのって面白いですね。
廃墟ハンターを続けるのも、この楽しさがあるからです。
でもガソリンが高くなって辛い趣味になりました。

by (2008-07-07 03:00) 

T2

坑道の入り口付近が
ちゃんと田んぼになっている風景にnice!です
筑豊や大牟田が強烈過ぎて
そのほかの炭鉱は知らないことが多いです
いろいろなところにあったんですね~

こないだの、「棚田・福島」の記事から
「にあんちゃん」を見ないと・・・・・
と思っているんですが、まだ探せてません(^^;

by T2 (2008-07-07 07:08) 

key-k

こんばんは。
坑口跡を見てずいぶんと縦長な掩体壕だなあなんて
思ってしまった私はヤバイでしょうか?w

廃道でも、道のカタチとして面影がまだ残っているのですね。

10歳でこの文章。時代が違うとはいえ、この文章力は凄い。
ウチの子供に見習わせたい~。
あ、親の文章力がないからダメだ~(笑)

by key-k (2008-07-07 23:13) 

響

◆T2さんへ
松浦周辺は炭鉱が多かったようですが
こうして坑口が残っているのは珍しいですね。
T2さんだったら簡単に見つけれると思いますよ。


◆key-kさんへ
どちらにしても廃墟なので
かなり廃墟菌に侵されていますね(笑)
10歳の日記は句読点など、しっかりしてて
見習わないといけません!

by (2008-07-08 08:47) 

Sanchai

こんにちは、最近、『にあんちゃん』を読みました。安本さんが日記を書かれていた頃と同じ年齢の子供を抱える親としては、やはり日記の内容に驚かされました。と同時に、地域としての包容力の高さにも。

今の大鶴ってこんな感じになっているのですね。ご紹介下さりありがとうございます。いつまでも地域が1つのコミュニティでいられるわけではないというのは頭ではわかっているつもりですが、貧しくてもお互い助け合って活気があった地域社会が殆ど消滅してしまっている現状を見ると、寂しさを禁じ得ません。

TBさせていただきますので、『にあんちゃん』の紹介記事もお訪ね下さい。
by Sanchai (2008-07-13 14:35) 

響

◆Sanchaiさんへ
僕も読みたいと思いつつ
ずるずると日々に追われてしまっています。
本の舞台を実際の目で見てきましたが
炭鉱だったとは思えないほど、何もかも無くなってしまっていました。
当時は大勢の人が住んでいて貧しくても熱い人情があふれていたのでしょう。
by (2008-07-14 18:06) 

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