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金融政策論議の不思議(16) 再び、論点を整理する

少し時間が開いてしまったのだが、Bewaad氏から頂いたコメントにお答えしたい。

Bewaad氏から挙げられた論点は5つ、銀行のポートフォリオ・リバランスの話、銀行の自己資本の話、政策による経済のゆがみの話、金融政策の波及経路の話、そして期待インフレ率をどう動かすかについてだ。4点目と5点目は議論全体の構造に関わる話なので、まずこの2つについて考えてから、各論をひとつひとつ追いかけていくことにしよう。

直接的な効果がなければ間接的な効果がないか?

まず言葉の定義だが、筆者は直接的な効果を「人々が経済に対してどのような期待を持つかに関係なく、実行しさえすれば発生すると見込まれる効果」、間接的な効果を「人々がそのように期待すれば達成される効果」と大まかに考えて書いた。しかし、いい加減な言葉は使うものではない。自分で使っておきながら、直接間接という言葉が氾濫してすっかり混乱してしまった。反省。

もし人々が「自分がどう行動しようと必ず政府がインフレを起こす」と確信すれば、実際に政府がインフレ政策を実行しなくても、人々は値上がりする前にモノを買っとけ!ってことで消費に走り、インフレが起こる。

だから、直接的な効果がある場合、その直接的な効果が現れる前に間接的な効果が現れて、あたかも間接的な効果が単独で起こったように見えることがある。逆に、直接的な効果が期待できない場合は間接的な効果はない。もちろん、消費者が何の脈絡も無く突然消費を増やせばインフレになるのだが、そうならんから不景気で困っているのであり、経済政策の必要性が叫ばれているわけだから、「間接的な効果が単独で勝手に現れる」可能性は無視してもいいだろう。

さて、そこで歴史の話。

正直、筆者は「過去にこうだったから今回もこうなる」みたいな話が苦手だ。過去と今とで金融政策の波及経路はどの程度違うか分からないし、統計の扱いも難しい。例えば、当時のM2(現金+普通・定期預金)と現在のM2+CD(M2に譲渡性預金を足したもの)は同等のマネーとして扱ってよいのだろうか?極端な話、強力な規制を盾に当局が「ポートフォリオ?はぁ?いいから株買えや!大蔵なめんな!!」と叫んでいたかもしれないのだ(いや、冗談ですが)。

さらに、仮に『マネーサプライの増加は財政支出の増加や銀行貸出の増加とは無関係に実現している』ことが実際にあったとしても、これは「そうなったことがある」というだけのことで、これが一般的に観察される事実であるかどうかも分からない(偶然じゃないの?という突っ込みに反論しづらい)。

結局、重要なのは「なぜそうなるのか」というメカニズムがなにかを説明できるかどうかであり、この「説明できること」が人々の期待をコントロールするための最重要ポイントなのだ(この点は次の項で改めて)。


というような考えもあって、前々回Bewaad氏が取り上げられたこの実証分析も含め、「なぜそうなるのか」を無視した議論はどうも苦手だ。何を反論すればよいのか良く分からない。それでも計量分析のときは筆者にわずかながら知識があったため、本論と切り離して計量分析としての出来の良し悪しだけを論じたのだが、今回は筆者には全く知識がない。

それで前々回Bewaad氏が歴史の話を出されたときは、どちらかというと本題から離れていたように見えたこともあり流してしまったのだが、分からないなら分からないとちゃんと申し上げておくべきだった。誤解を招いた事はお詫びしたい。

もしこの話が本題になるのであればちゃんと勉強しないといけないのだが、とりあえず上の説明で貸出が伸びなくてもマネーサプライが増えるということと直接間接の効果の話は特に矛盾がなくなると思われるので、とりあえずBewaad氏のお答えを待つことにしたい。


期待インフレ率さえ上がればデフレからは脱出できる。問題は・・・

で、むしろBewaad氏の5点目が本題だ。期待インフレ率をどうやって上昇させるかが問題だ、ということは議論の最初からBewaad氏と筆者とでコンセンサスがある。そこでBewaad氏は『ベースマネーの増加の将来に渡っての継続』を約束すれば、ベースマネーがどう経済に効果を及ぼすかに関係なく、期待インフレ率が上がるはずだと主張されている。要するに、日銀が金融緩和を景気が良くなっても継続すると約束しさえすれば、みんながそれを信じてインフレになるだろう、という議論。

まずBewaad氏も参照しているスヴェンソン教授の論文(2ページ)を引用するところから始めたい。これである程度議論がクリアになるはずだ(このブログではサポートしていない経済学用語がいくつかあるが、無視していただいて差し支えない)。

Krugman[32]は、中央銀行が将来の金融拡張にコミットすべきであるとして、日本への政策提言として15年間に渡る年率4%のインフレ目標を提案した。これによるインフレ期待の上昇により、(名目金利がたとえ非負制約に直面していたとしても)実質金利は低下し、それによって経済活動が刺激され、流動性の罠から脱出できるという考え方である。この提案の問題点は、単に将来の金融拡張やインフレ目標を宣言しても、それに何らかのコミットメントのメカニズムやその宣言をサポートするような行動を伴わなければ、民間部門はこれを信認するとは限らず、したがってインフレ期待に影響を及ぼしえない可能性があることである。
(強調部分は馬車馬による)

筆者が「どうやってインフレを起こすのか」という直接的な効果にこだわるのはまさにここが理由だ。そもそも、ここ数回の議論の焦点が直接的な効果に絞られていたのもこれが理由だったはずだ(第10回Bewaad氏の回答参照)。

この辺りは少し議論が錯綜してきたので、まずBewaad氏にはこのスヴェンソン教授の主張に賛成か反対かをまずお尋ねしたい。この場合、反対とは「コミットメントのメカニズムやその宣言をサポートするような行動」が無くとも、日銀がインフレにしますよと言えば民間はそう信じるはずだ、ということだ。

とりあえずここではBewaad氏も賛成してくださるものと仮定して話を進めよう。そうでないと、そもそもBewaad氏が国債の買いきりオペや当座預金残高の増額を主張した根拠がなくなってしまうからだ。ちなみに、スヴェンソン教授のこの意見と対立するクルーグマン教授の議論では、このような政策は一切不要、というより無効だ。景気が良くなってから金融緩和をやりますよ、マネーサプライを増やしますよと宣言すればよい(第15回参照)。

さて、この文章の先のほうでスヴェンソン教授は「だから円安水準で固定相場制を敷くべきだ」という議論を展開している。今からインフレターゲットを採用しても効果が無いから、まず円安にしてインフレを起こし、金融政策が効果を持つようになったらインフレターゲットに切り替える、というのがスヴェンソン教授の主張だ

ちなみに、筆者はこのスヴェンソン教授の主張に反対しない。というより、理論的にはかなりスヴェンソン教授の立場に近い。政府・財務省がやる気になって、クレージー呼ばわりされた今年3月の為替介入の100倍1000倍の規模でドルを買いまくれば、必ず円安→インフレが起こるはずだ。理論的には全く問題ない。ただし、政治的には難しいだろうから、代わりに財政政策を提言しているわけだ。

それに対して、Bewaad氏は『期待インフレ率を上昇させるのは将来インフレ率がプラスになってもなお継続される(プラスになったらスタートする、ではない)金融緩和が必要だ』(強調部筆者:ここから、Bewaad氏の意見がクルーグマン教授の議論とは違うことが分かる)と書いておられるので、スヴェンソン教授の円安・筆者の財政政策と似たインフレ効果がベースマネーの増加にあるということになる。筆者は最初からその点が大いに疑問であり、このシリーズの最初から繰り返しこの考え方(Bewaad氏に限らず、比較的よく見かける意見)を批判してきたわけだ。

長くなったので各論は次回。


本日のまとめ

歴史から学ぶのは結構難しい。

日銀が「インフレにします!」と言っても、その裏付けとなるメカニズムがなければ民間はその宣言を信じない。だからこそ、どうやってインフレを起こすかという議論が重要になる。

この意見に反対であれば、そもそもゼロ金利下での金融政策について議論をする必要自体がなくなる。

スヴェンソン教授はこの「裏付けになるメカニズム」として円安を主張し、筆者は財政政策を主張している。

現在の議論の焦点は、Bewaad氏の主張するベースマネーの増加(国債の買い切りオペなど)が「裏付けとなるメカニズム」、つまり日銀が自力でインフレを起こせる仕組みになっているかどうかだ。

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Comments

追記:これ以上長くしたくなかったし、特に本論と絡まない話なのでこちらに書くが、『リフレ政策を実行したらハイパーインフレになってしまうという論者が相当数いる』らしい。リフレ政策がインフレターゲット+国債買い切り増額のことを意味するなら、理解に苦しむ。まだ上で紹介したクルーグマン教授の「景気が回復したら金融緩和をすべし」という主張に対する反応であれば分かるのだが(それも誤解なのだが、まぁリーズナブルな誤解ということで)。

Posted by: 馬車馬 | October 02, 2004 at 10:36 PM

今回も力作ありがとうございます。きちんと受止め・咀嚼するには少々お時間をいただくとして、スヴェンソンがらみのご質問にお答えを。

まずスヴェンソンの引用部分については「賛成」が答えです(ご賢察のとおり)。もっと言ってしまえば、スヴェンソン案の方がテクニカルにfoolproofであることにも異存は実はなかったりします。特に、「日本銀行は、日本経済をいったん流動性の罠から脱出させることに成功すれば、インフレ目標をより通常の水準(例えば2%)にまで引き下げようとする誘惑にかられるであろう」と揶揄されるような中央銀行を持っていることを考慮いたしますと(笑)。

関連しての補足を2点。1点目ですが、クルーグマンの「復活」論文は、インフレ期待の上昇が今の日本に必要であるという点がテーマであって、それを具体的にどういう政策手段でもたらすかは触れていません。具体的な政策手段に触れているペーパー(http://cruel.org/krugman/jrespectj.html)では、「日銀が通貨ベースを増やして(まあ国債を買うのが定石だろうね)、そこそこのインフレ期待を意図的に起こさせることだ」と書いているので、クルーグマンが現時点での金融緩和を不要としているとの指摘は当たらないと思います(その手段の実効性についての批判はさておき)。

2点目ですが、あらためてスヴェンソン論文を読み返してみますと、「長期実質金利の低下をもたらす金融拡張は、それがいかなるものであるにせよ、均衡においては必ず実質ベースでの為替減価を伴うものである」(p32)とありました。いっそのこと、マネタリーベースの話には触れず、長期国債買切増→長期金利低下→円安とだけ主張していたら、ここまで議論は盛り上がらなかったような気が(笑)。

Posted by: bewaad | October 04, 2004 at 01:17 AM

Bewaadさん、コメント有難うございます。

本文を書くのに力を使い果たし、密度の濃いコメントを消化しきれない状態です・・・

週末までに改めてコメントしますが、今10年金利が1.6%、5年金利が0.6%位ですよね・・・長期のところだけがポーンとスティープしたわけですが、この先どうなるんでしょうね・・・

Posted by: 馬車馬 | October 05, 2004 at 08:04 AM

Bewaadさん、コメントが遅くなりました。

1点目なのですが、参照されているクルーグマンのコメントが偉くカジュアルで真意が掴みにくいのですが、"Japan's Trap"や"It's Baaaaaaack!"を読む限り、流動性の罠にはまっている状態でのマネーサプライの増加は間違いなく無効です。"It's Baaaaack!"でも、『必要なのは、経済が拡大して価格が上がり始めたときにも金利を上げないという約束だけだ』(p37)と書いてますし。

しかし、改めて読み直すと、もし日銀がそのようなコミットメントが不可能な場合には財政拡大をすべきだ(p45)、と書いてるんですよね・・・なんだか色々書いてきたのに、結局クルーグマンの掌からほとんど外に出ていなかったということのようです。

2点目ですが、金利を介した影響は私も全面的に肯定する立場なので、その点は依存がありません。結局、この話で難しいのは議論の立ち位置をどこに置くかですよね。今何をすべきか、近い将来にまた不景気になったときにどうすべきか、3年前に何をすべきだったか、どの論点を選択するかで長期金利を介した経路を使ってよいのかどうかが変わってきます。この辺りは一度整理しておいたほうがいいかもしれませんね。

また、テクニカルにはどこまで単純化すべきかという問題も残りますが・・・金利を長短金利に分けると、その間の期間構造も定義しなければならなくなり、モデルがえらく複雑になりますから。

Posted by: 馬車馬 | October 10, 2004 at 08:23 PM

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