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金融政策論議の不思議(15) 論点整理

Bewaad氏にならって、筆者もこのあたりで一度論点整理を試みよう。同時に、やたら長くなったこのシリーズの索引的な記事にすることにしたい。

実のところ、議論のベースをどこにおくかで2種類の論点整理が出来る。2つ目の論点整理については、鹿座さんから頂いたコメントの数々によるところが大きい。あらかじめお礼を申し上げたい(ご興味のある方は第13回のコメント欄を参照)。

論点整理その1:デフレを直接解消するための政策とは何か

1つは、今現在のデフレ・ゼロ金利の状態からインフレに持ち込むためにはどのような政策がありうるか、という話。直感的にも分かりやすい議論なので、ネット内外で一般的に語られているのはこの議論であることが多い(インフレターゲットの専門家、スヴェンソン教授のこの論文も、基本的にこの議論に乗っている)。Bewaad氏と筆者の間の議論も基本的にこの流れだ。

この議論の最大の対立点は、言うまでもなく、これ以上利下げが出来なくなっているので金融政策は無効だという主張と、いやいやそうではないという主張のせめぎあいだ。金融政策がダメなら財政政策しかないので、この対立はそのまま金融政策vs財政政策にもなる傾向が強い。ちなみに筆者の主張は両方やっちゃおうよというもの。

ゼロ金利でも金融政策が有効だという議論にはいくつかメジャーな主張があって、日銀が国債を買い続けさえすればそれだけでインフレになるというもの、インフレターゲットを使えば直接期待インフレ率に働きかけることが出来るのでオッケーというもの、円安にすればよいというものなどがある。

日銀が国債を買えばよいという議論に対しては第4回5回、後はBewaad氏との論戦シリーズに入った第10回以降で繰り返し反論している。また、インフレターゲットについては第7回で、円安については部分的に第13回で触れている。

金融政策無効論にはもう1つ争点があって、それは銀行が不良債権で身動きが取れなくなっているから金融政策は無効というもの。

それに対する反論はクルーグマン教授のこの論文にある。それに対する再反論は第6回に書いた。ただまぁ、この議論ではメインの争点は「これ以上利下げが出来ない状態でどうやってデフレから脱出するか」であって、不良債権問題はどちらかというと副次的な問題のように見える。


論点整理その2:クルーグマン教授の議論に立ち返ってみる

さて、上の議論では今現在金融政策が無効かどうかが大きな争点だったのだが、クルーグマン教授のこのペーパーの議論は少し毛並みが違う。

クルーグマン教授の主張は、いくつかの条件を仮定すると金融政策が無効になる状態があることを示した上で、それでもなおインフレを達成するための方法があることを主張している。このあたり、細かく説明すると長くなるので、正確さを犠牲にして大雑把にまとめると、たとえ今金融政策が無効であっても、いつかインフレになり、金利が上昇して金融政策が有効になる日が来る(正確には、均衡下では金融政策が有効になるという話)。そうなった時に、「インフレ率が上昇しても利上げをせず、インフレを放置する」と約束することで、将来の期待インフレ率を上昇させることが出来る。それは巡りめぐって今現在のインフレ率も上昇させる。

まぁ、ある種のインフレターゲットの議論なのだが、スヴェンソン教授のインフレターゲットとは別物である点には注意だ。筆者が第7回で書いたことだが、一般的なインフレターゲットの議論の弱点は、日銀が実際にインフレを起こす手段を持っていない以上、誰もターゲットなど信じないという点にある。ところが、クルーグマン教授の議論では、このインフレターゲットは金融政策が有効になったときに実行されるものなので、この反論は無効になる。

この場合、論点整理その1ではおまけ的な存在だった不良債権問題がむしろ重要になってくる。たとえインフレになり、金利がゼロではなくなっても、不良債権がある限り金融政策に効果がないのだとしたら、このクルーグマン教授の議論は無効になってしまうからだ。

実のところ、筆者は不良債権の問題を無視してもクルーグマン教授のこの提言にイマイチ納得できていないのだが、まだ自分の中でアイデアが整理できていない(多分、彼のモデルでは均衡への収束経路が描けない、言い換えると均衡がトートロジカルなあたりがピンと来ない理由だと思うのだが)ので、考えがまとまってからクルーグマン教授のペーパーの紹介も兼ねて記事を書くことにしたい。

それに、このペーパーはいわゆる「経済学特有の美しい世界」を多分に仮定しているので、そのあたりを整理せずになし崩しに議論すると訳が分からなくなってしまう可能性が高い。なんとか分かりやすく要約する方法を考えてはいるのだが、とりあえず宿題ということにさせていただきたい。


ゆがみの測り方

さて、論点整理はこのくらいにして、前回の記事でコメントし切れなかったことについて。財政政策と金融政策のどちらがゆがみが大きいかという話なのだが、正直反論が難しい。なぜかというと、ゆがみの測り方が良く分からないからだ。インフレによって生じるゆがみ、円安によるゆがみ、財政政策によるゆがみ、どれも「ゆがみが生じる」ことは確実だと思うのだが、比較する事は結構難しい。そもそも、ゆがみとはなんぞやという議論になってしまう。

というわけで、筆者としてはこの件は保留にさせていただきたい。非常に直感的かついい加減にコメントすれば、「何やったってゆがむんだから何やってもいいんじゃないの?」とも思うのだが、Bewaad氏が具体的にどのように「ゆがみ」をとらえているかが良く分からないので、このコメントにはあまり意味がない。


金融政策の波及経路

Bewaad氏のコメントの最終段落、「金融政策は銀行を通す経路以外にもそんざいする。例えば、日銀が金融政策をアナウンスすれば、それを聞いた銀行以外の企業や個人もそれに応じて自分の行動を変えるはずだから、別に銀行がダメでも問題ない」というコメントについて。

基本的には、おっしゃっている事は全く正しい。ただし、企業も個人も馬鹿ではない。実際には金融政策は銀行を通して効果を発揮するという事は皆分かっている。また、その銀行が現状機能不全だということもだ。つまり、前にも書いたが日銀は金融政策にコミットできない状態にあるわけだ。このような状況では、日銀のアナウンスには効果がない。直接的な効果がゼロなのに間接的な効果だけはあるというはおかしいのだ。

だからこそ、金融政策がどのようにして効果を発揮するのかという波及経路の議論は避けて通れない。円安にせよ、前回書いたポートフォリオマネージメントにせよ、あのような議論を避けては通れないのだ。


本日のまとめ

ゼロ金利の状態でどのようにデフレから脱出するかという一般的な議論と、将来ゼロ金利ではなくなったときの金融緩和を約束すればよいという議論がある。分かりやすいこともあって前者の議論が一般的。

前者の議論ではゼロ金利下での金融政策の有効性が、後者の議論ではゼロ金利でないときの金融政策の有効性が問題になる。

とりあえず、後者の議論は宿題にしたい。

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Comments

コメントをアップいたしましたので、ご報告させていただきます。馬車馬さんを見習ってまとめをつけようかと思ったのですが、書き終わった段階でエネルギーが切れてしまいました(笑)。というわけで、例によって読みづらいかもしれませんが、ご高覧ください。

Posted by: bewaad | September 22, 2004 at 05:59 AM

Bewaadさん、ありがとうございます。

いえいえ、読みづらいなどとんでもない。いつもこっちの長すぎる文章にお付き合いいただいてるのですから・・・(もう少し簡潔明瞭に書くテクニックを身につけたいものです)。

とりあえず週末をめどにコメントをまとめる予定です(ちょっと自信がありませんが)。よろしくお願いします。

Posted by: 馬車馬 | September 23, 2004 at 11:13 AM

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