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昭和20年5月27日出撃2時間前に撮影:朝日新聞報道部
出撃を前にして(2時間前)
昭和20年5月27日、彼らは特攻隊員として飛び立ち帰らぬ人となった
この写真は、その前日26日に撮影されたそうだ。
すでに明日出撃の命を受け、あと一日の命と知りながらの笑顔である。
真中の子犬を抱いているのは、荒木ゆきお君:17歳2ヵ月
他、17歳4ヶ月:17歳6ヵ月:18歳2ヶ月:18歳7ヶ月
笑顔でカメラに移る5人全員は、今の高校2〜3年生だ。
誰が名づけたか・・・「ほがらか隊」と言う名が付いていたそうだ
何故?40歳代50歳代が行かなかった・・・
基地跡に立ち、遺影を見ても、それだけが、どうしても納得できなかった。
好奇心旺盛で、将来に夢も希望も溢れんばかりの若者が
一番生きたいはずの少年、青年達が戦場に露と消えて行った
だが彼らは英霊として、永遠に日本人の心の中の支えとなって生きてゆく
今の日本は、日本人は・・・
人間としての資質が弱くなった、自殺が多くなったのもそうだ・・
それに誰しも分かっているだろうが、長く息をしているのが価値あることではない
どう生きたか、どう死んでいったか・・・子孫に何を残したのか?
大切なことは何かを、彼らが自らの命に換えて教えてくれているのだ
そんな彼らに今の日本人はどう答えるのか?
英霊の方々に哀悼の意を表し、御冥福を祈る。
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訂正と追加:平成17年9月1日(木) 55歳記す
中央で犬を抱く荒木幸雄さんのお兄さんの話し
写真は出撃予定時刻の2時間前。
幸雄が子犬をそっと抱き上げた。
その姿を取材中の朝日新聞のカメラマンが写した。
隊長以下10名のうち7名が10代の少年。
明るく歌って過ごし、ほがらか隊と自称していた。
鹿児島県の万世飛行場から飛び立つ
神風特別攻撃隊:目次
靖国に咲く私のHPを見たHさんから遺書の掲載をご遺族が喜んで下さっているとの連絡をもらった。このHPは写真も遺書も誰にも許可を得ず掲載 し作成している。それは一人でも多くの日本人に特攻隊のことを知ってもらいたいからだ。日本人ならその気持は誰しも同じだろうと自分 で勝手に決め付けている。その中の一人のご遺族が喜んで下さっていることを知り勇気百倍、万倍になった。2009.H21.4/15
知覧へ「ほたる」の映画化で、一躍有名になり、その知覧という名前の響きから何とも物悲しい雰囲気を漂わせる。平成15年5月20日(火) 午前中の鹿児島市内観光を終えて、知覧行きのバスに乗った。バスは海岸線から山の中に入り、途中、武家屋敷前を通り、写真で見た慰霊 の石灯籠が並ぶ道をバスは走り、目的の特攻観音入り口に到着した。その日の宿「桜館」に荷物を置き、記念館へ向かう。
鹿屋へ平成15年5月21日(水)知覧を朝、出発しバス・フェリー・バスと乗り継ぎ午前中に着いた。数日前にはこの基地で、航空ショーが行 われ8万人位の人たちが観覧に訪れたらしいが、その日は、天気こそ上々だったが、ひっそりとして記念館も人影はまばらだった。お陰で、 気が済むまでゆっくり見れたが・・・。
串良の「特攻おばさん」との出会い元特攻隊員の方の紹介で、2003年平成1 5年5月22日(木)・・・串良に住み、特攻隊員の慰霊に体を張って生きて来られたNさん(平成15年85歳)と出会えた。突然の見 知らぬ男からの電話にも「日本のためだから・・・」と申し出を快受して下さった。元気で明るく、人を引き付ける魅力ある串良のお母さ んであった。「ありがとう、ごめんね・・」が彼女の口癖のようである。
知覧特別攻撃隊知覧特別攻撃隊:村永薫(編集)・・・定価1000円の本を知覧で買った。その本の中にある写真をスキャナーで取り込みここに紹介す る。 |
「同期の櫻」帖佐 裕 編詩 大村 能章 作曲
(一) 貴様と俺とは同期の櫻同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため
(二) 貴様と俺とは同期の櫻同じ兵学校の庭に咲く 血肉分けたる仲ではないがなぜか氣が合うて別れられぬ
(三) 貴様と俺とは同期の櫻同じ航空隊の庭に咲く 仰いだ夕焼け南の空に 未だ還らぬ一番機
(四) 貴様と俺とは同期の櫻同じ航空隊の庭に咲く あれほど誓ったその日も待たずなぜに死んだか散ったのか
(五) 貴様と俺とは同期の櫻離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう |
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