Takuma SATO |
1987年、日本人初のフルタイムF1ドライバー、中嶋悟が走った年、琢磨は初めて生のF1GPの迫力を鈴鹿で目の当たりにし、セナの走りに触発され、瞬間的にF1ドライバーになることを決めた。
自転車競技を経て19歳でカートレースに転向。翌97年、中嶋悟が校長を務める鈴鹿レーシングスクールに年齢制限ギリギリで入学し、ダントツの成績で卒業。童夢チームから全日本F3に挑戦を開始する。しかし、免停中にF3監督を助手席に乗せて一時停止違反。免許取り消しの憂き目に遇い、活躍の場をイギリスに求め、フォーミュラ・ボクソールを皮切りに大ブレイク。2001年には、イギリスF3チャンピオンを奪い、F3の世界一決定戦であるマルボロ・マスターズとマカオGPで優勝。2002年にジョーダン・ホンダのドライバーとしてF1デビューを果たす。
幼年時代からカートを経験しているF1ドライバーの中にあって絶対的なレース経験の不足は否めないが、持ち前のガッツと物おじしない度胸の走りを信条とする。2004年は表彰台にも乗ったが、2005年はBARチームの不調や政治的ないざこざに巻き込まれ、僅か1ポイントと苦戦。2006年は、一児の父にもなり、新生SUPER AGURI FORMULA1で、ゼロからの再出発。戦闘力のないマシンでよくレースを戦い、最終戦のブラジルGPでは、10位という望外の活躍をみせ、2007年に希望をつなげた。
シーズン序盤は、ホンダエンジンを搭載したアロウズの4年落ちのシャシーをベースとしたSA05を駆るが、非力なマシンゆえにレースのほとんどでバックマーカーを演じることになる。第12戦ドイツGPから投入された新車、SA06に乗り換えるも、マシンが熟成するまではあまり状況が変わらなかったといえる。しかし、アジアラウンドに移るころから、徐々に戦闘力をつけ、第16戦中国GPではチーム最高位の10位を獲得し、続く第17戦日本GPではライバルのスパイカーよりも先にチェッカーを受けるなど、チームの努力が結果に反映されるようになってきている。
■ドライバーデータ | |
姓名 | 佐藤琢磨 |
チーム | スーパーアグリ |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1977.1.28 |
年齢(オーストラリアGP開催時) | 30 |
オフィシャルサイト | http://www.takumasato.com/ |
■通算成績 | |
デビュー | 2002年第1戦オーストラリアGP(ジョーダン) |
2007年 | 6シーズン目 |
レース数 | 87(歴代73位) |
優勝回数 | 0(-) |
初優勝 | - |
前回優勝 | - |
表彰台(除優勝)回数 | 1(歴代127位) |
入賞(除表彰台)回数 | 13(歴代66位) |
ポールポジション獲得回数 | 0(-) |
ファステストラップ獲得回数 | 0(-) |
通算ポイント | 44(歴代90位) |
決勝最高位 | 3位 |
予選最高位 | 2位 |
チャンピオン回数 | 0 |
チャンピオン年度 | - |
■各年の成績 | チーム | ポイント | 順位 | 決勝最高位 | 予選最高位 |
2007年 | スーパーアグリ | 4 | 17位 | 6位 | 10位 |
2006年 | スーパーアグリ | 0 | -位 | 10位 | 18位 |
2005年 | BAR | 1 | 23位 | 8位 | 5位 |
2004年 | BAR | 34 | 8位 | 3位 | 2位 |
2003年 | BAR | 3 | 18位 | 6位 | 13位 |
2002年 | ジョーダン | 2 | 15位 | 5位 | 7位 |