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entertainment 「シベリア抑留記」 初版から47年を経て文庫本に

(2009年12月11日)
文庫で出版された「シベリア俘虜記」の読者から届いた手紙を見る穂苅さん

文庫で出版された「シベリア俘虜記」の読者から届いた手紙を見る穂苅さん

 松本市の会社役員、穂苅甲子男さん(85)が第2次大戦後のシベリア抑留体験を記した「シベリア抑留記」が、1962(昭和37)年の自費出版から47年を経て文庫本になった。光人社(東京)が「記録的価値があり大変貴重」として、戦争体験記などを集めた「NF文庫」に収録した。穂苅さんは「二度とこのような悲惨なことが起きないよう事実を伝えたい」と話す。

 穂苅さんは45年8月の終戦直後から翌年暮れに帰国するまで、旧ソ連・東シベリアのタイシェトなどで過酷な労働を強いられた。「抑留記」には、氷点下60度もの寒さと野草をむさぼるように食べるほどの飢えの中、「肉体と精神の限界を耐え抜いた」体験をつづった。抑留中は取り締まりが厳しく、実態を記録することができなかった。帰還した翌日から筆を執り、1カ月で原稿を書き上げた。出版社の役員をしていた恩師に託したが、「(穂苅さんに)身の危険が及ぶ」として出版は見送りになった。それから15年後に自費出版し、これまでに計約1万冊を発行した。

 今年初め、穂苅さんの知人が光人社の編集担当者に「抑留記」を紹介したのが文庫化のきっかけとなった。文庫版(227ページ)の題は「シベリア俘虜(ふりょ)記」とし、平和祈念展示資料館(東京)収蔵の写真と絵、同館学芸員の解説を加えた。

 穂苅さんは「生きるか死ぬかの瀬戸際だから、誰がどこで死んだか分からない」と話す。大腸炎と皮膚病を患って収容された名ばかりの「病院」では、「多い日には78人が死んだ。死体を担いで外に出すのが仕事だった」と振り返る。

 政権交代で、救済のための特別措置法案が提出される期待も高まっているが、穂苅さんは「国に求めることは金銭的補償ではない。事実を検証し、教科書に載せて後世に伝えることが恒久平和につながる」と訴えている。

(提供:信濃毎日新聞)

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