静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

現代物理学から人生の謎 二重スリット問題

2009-12-14 22:32:38 | Weblog
19世紀までは、宗教というものが真理としての信憑性を持っていました。だから霊魂やら、天地創造の話、天国・地獄など死後の世界が普通に「常識」として信じられていたと思われます。

ところが急速な科学の進歩により、現実に起きるさまざまな現象は、ニュートン力学の法則であまりにも鮮やかに説明されてしまったので、昔ながらの迷信、俗信の付け入る隙がなくなり、ほとんどの宗教で説かれる、霊魂だとか、死後の世界などは、空想物語として片付けられるか、あるいは人間の心の有り様、生き甲斐を教えたものという理解に変わり、「真理」としての座から転落しました。

この時代から、人々の「常識」が、宗教的世界観から科学的世界観へと大きくシフトしたということです。
ここから、神などいない、天国も地獄もない、人体を徹底的に観察し、そこにある法則性さえ解明すれば、そのうち人間のすべてが分かる、そういう確信が生まれてきました。今もそういう信念を持っている人は多いと思います。

確かにニュートン力学は、この目で観察できる対象を扱うには完璧に見える理論でした。だからそれは、物理学を極めれば、人間をはじめ、天地万物の一切を解明できるという、宗教的な信仰とはまた違った、新たな信仰を生み出したともいえるのです。

ところが20世紀になると、物理学の扱う対象がミクロの領域まで広がりました。すると、対象を正確に観察してデータを集め、法則性を導き出す、そこまではよかったのですが、出てきた法則が、私たちの「常識」では到底理解できない摩訶不思議なものになってしまったのです。

どういうことかといえば、私たちが対象を「観察」することによって、「対象」そのものが変わってしまうということなのです。それは「二重スリット問題」に顕著です。

興味のある方は、このサイトが分かりやすいので参照されてもいいでしょう。(ただし長いです)

■哲学的な何か、あと科学とか(飲茶)
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFrame.html


例えばこういうことです。私たちの目に見える世界で、こんなことがありうるでしょうか?

私の部屋に入るには、二つのドアがある。ところがAさんは、私が見ている時はどちらかのドアから入ってくるのですが、私が見ていない時は、両方のドアから同時に入って来る。「そんなバカなあ……」という話です。そんなことはありえないから、Aさんがドアを開けた瞬間を見たらいい、と言われるかもしれません。でも見た瞬間、Aさんはどちらかのドアにしかいないのです。でも私が見ていない時には、必ず両方のドアのノブにAさんの指紋がついている。

Aさんは一人であり、かつ一人ではない。Aさんの状態は、私が「観察」するか、しないかで決まる。

こんな話をしたら、「あなたは気がおかしくなったのでしょう」と言われてしまいますが、ミクロの世界ではこうなのです。Aさんに例えたのは素粒子です。

これが何を物語るかといえば、物質とは何か?私たちが素朴に思っている「物質」というものが、実は得体のしれないものであるということ。見ている「私」と、見られた「物質」との間に相関関係があるといわざるを得ないということです。私と物質は、独立した別個のものではなく、密接に関わっている、あるいは根源を等しくしている、ということ。これが多くの人が常識としている「ニュートン力学的世界観」に訂正をせまる科学史上の大事件でした。(つづく)

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