静かな劇場 

人が生きる意味を問う。コアな客層に向けた人生劇場。

唯物論への疑問(1)自由意志

2009-11-25 16:19:15 | Weblog
今年は日本各地で皆既日食が見られましたが、今度、皆既日食が起こるのは○年○月○日○時○分ということが、ほぼ正確に予測可能です。なぜならば天体の運行は、厳粛なる物理化学の法則に従っており、天体間の関係がこじれて、突然軌道を変えたりとか、気まぐれで逆回転を始めるとか、そういう〃人間のような〃ことは絶対、起きないからです。

また、ビリヤード板のたくさんの球の中の一つを、思い切りキューではじくと、ぶつかり合いながら一斉に複雑な動きを示します。しかしどの球の動きも、どんな複雑に見えようとデタラメに動いているわけでなく、ちゃんと物理化学の法則に従った規則正しい動きをしています。ですから、5秒後、10秒後のどの球の動きも計算で正確にはじきだすことは、理論上可能です。

これは天体や、ビリヤード球のみならず、あらゆる物体の運行にいえることです。

ここから

脳が「心」を生み出すという唯物論の見解について考えてみます。
脳は物質だから、脳内に起こる現象はすべて物理化学の法則に従った予測可能な現象となります。こうなると自由意志が入り込む余地がなくなってしまいます。

さて、この自由意志が否定される一番の問題点とは何か。それは運命論に一気に傾斜してしまうことです。
運命論とは、天体の運行が何年後の何日何時にどのようになっているのか、計算で正確にはじき出されるように、人間の運命も、本人の自覚の有無にかかわらず、すべて決定しているというものです。
物質を支配する物理化学の法則に一つの例外もありませんから、人間を「物質のみ」と見る限り、運命決定論は必然のものとなってきます。

それで何の不都合も生じないのなら、万人が受け入れるべき見解かもしれません。
でも、心の、もっとも心たる所以であるはずの「自由意志」が否定され、運命はすべて決定していることになってしまって、それで私たちの生活に何ら不都合が生じない、と考えるほうが不自然でしょう。

実際、有名な脳科学者でも、運命決定論への疑問から、唯物論に反対する人もいます。
ノーベル賞科学者でもあるエックルス教授は、『心は脳を超える』という本の中で、脳が心を生み出すという説に果敢に異を唱えていました。

いくつかの論点がありましたが、その中の一つだけ挙げておきます。
どんな精巧なコンピューターであろうと、最初の起動をコンピューター自身が起こせるものではない。第三者による外からの操作がなければ起動しない。

同様に、脳を観察すると、人が何か行動を起こす際、脳のある部位に電気反応のような現象が、突如、周辺部分と何の脈絡もなく起きることが観察されるそうです。

このことから、脳というコンピューターに、脳以外の何ものかが「スイッチON!」したとみなすべきではないか?これこそ、脳とは独立し、自由意志をもった「心」が存在する証だ、というご意見でした。

これはこれで説得力のある話で、
「確かに勝手に動き出すコンピューターはないものなぁ……。脳以外の何かが作用するのかなあ」
という気になります。

しかし、じゃあそれは何なのか?昨日ここに書きましたように、「物質」とはまったく違うところから派生した「心」があるとして、それがどうして脳という「物質」に作用できるのか?エックルスは科学者ですから、その辺にきちんと答えなければ、やはり科学の世界では十分通用しなかったのでしょう。

しかし、脳だけで「心」という現象をすべてを説明できると考える人たちに、痛烈な一撃を与えたことは間違いないようです。

(つづく)
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