日本政府に難民として認定するよう求めていた1人のミャンマー人男性が今年4月、自殺しました。彼はなぜ命を絶ったのか、取材を進めると、「難民鎖国」と呼ばれた日本の現状が浮かび上がってきた。
葬儀場に広がる、深い悲しみの声。今年4月、1人のミャンマー人男性が自ら命を絶ちました。男性は2005年、妻と子どもをミャンマーに残して日本に来ました。
民主化運動に関わったため、軍事政権の迫害から逃れてきたとして難民認定を求めていました。
男性の遺体は自宅のすぐそばにある、千葉県市川市の線路で見つかりました。祖国から遠く離れた日本で、いったい何があったのでしょうか?
焼肉店でアルバイトをしながら、6畳1間の部屋で同じ民族の男性と同居していました。音楽が好きで、物静かな優しい性格だったといいます。
難民認定を求めてから2年7か月がたった去年、男性に日本で滞在できる資格が認められました。しかし、その「資格」が男性を追い詰める結果となりました。
「“妻を3か月しか(日本に)呼ぶことできない”、“どうしたらいいかな僕もうわからない”と」(男性の友人・プイアさん)
認められた資格は「特定活動」というものでした。人道的な配慮から 特別に在留を認めるものですが、「難民」として認められた人とは違い、さまざまな制約があります。
1年ごとの更新が必要で、生活保護を受けることも原則としてできません。男性の頭を最も悩ませたのは、この資格では家族を呼び寄せて一緒に暮らすことが難しいということでした。
「“このビザだと(家族一緒に暮らす)許可下りないし、妻も(日本)住むことができない”」(男性の友人・プイアさん)
ミャンマーに残してきた妻とまだ4歳の子ども。日本で一緒に暮らすことが難しいと知って男性は強くショックを受けていたといいます。さらに、肝臓の病気も悪化、働くこともできなくなり、男性は経済的にも追い詰められていきました。遺体が見つかる2日前。男性はミャンマーにいる妻に電話でこう言い残したといいます。
「家族を呼べないなら 在留資格をもらっても意味がない、死んでしまいたい」
「 自分の親や兄弟と会いたいけど会えない。(日本に)呼びたいけど呼ぶことできないし、日本政府は本当に面倒を見てほしい、他の国と同じように」(男性の友人・プイアさん)
14日午後、東京入国管理局の前に、難民認定を求めるおよそ40人のミャンマー人が集まりました。みな自殺した男性と同じ、「特定活動」の資格は認められてはいますが、せめて家族の呼び寄せが可能な資格を認めてほしいと求めました。
「今の(特定活動の)ビザでは、生活保護を受けられないなど、さまざまな障害ある。“より安定した生活を送りたい”ということで今回の申請をすることになりました。何とか支援して日本で安定した生活を送れるようにしたいと思います」(支援する近藤博徳 弁護士)
法務省入国管理局は「個別の審査なのでコメントは差し控える」としている。(14日17:37)