・ぼくは、ふだん進歩したいとか、
成長したいとかを、考えないようにしています。
だから、人にも「進歩しなさい」とかね、
押し付けないようにしてきたわけです。
自然にじょうずになってくる、というのはいい。
振り返ってみたら、ずいぶん進歩してたというのもいい。
でも、進歩とか成長を目的にするのはちがうと、
思ってきたんです。
この考え方は、いまでもね、
まちがっていないとは思うんです。
進歩だとか成長は、らせん状に上っていくものなので、
同じところをぐるぐる回っているようでいて、
少しずつ高さが増していた、ということだと思います。
それはそうだということだとしても、
ちょっとこんなことも思ってみたのです。
「進歩しないでください。
成長しないように気をつけてください」
と言われながら生きていくことになったら、
つまらないだろうなぁ、と。
「らくでいいじゃない」という人もいるでしょうけれど、
なんか、たのしい「ゲーム性」みたいなものも、
失われちゃうような気がするんですよね。
「こんなふうになれたら、いいだろうなぁ」とか、
「こんなことができるようになりたい」とか、
「おたのしみとしての進歩」という視点が、
ほんとはけっこう大事なんだよなぁ、と、
いまさら気がついたんです。
<進歩や成長を目的にするんじゃないけれど、
進歩や成長をたのしみにする。>
って考え方が、ちょうどいいんじゃないか‥‥。
そういえば、ぼく自身、そうしてきたものなぁ。
で、先日、「ほぼ日」のミーティングのときに、
「進歩とか成長とか、してもいいぞ」と、
わざわざ言ったんですよね。
きゅうきゅうしちゃダメだけど、たのしみにする。
この感覚って、もっとうまく言えたらいいなぁ。
だって、小さな成長を感じるってたのしいものねぇ。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
あわただしい師走ですが、たのしんでってください。
成長したいとかを、考えないようにしています。
だから、人にも「進歩しなさい」とかね、
押し付けないようにしてきたわけです。
自然にじょうずになってくる、というのはいい。
振り返ってみたら、ずいぶん進歩してたというのもいい。
でも、進歩とか成長を目的にするのはちがうと、
思ってきたんです。
この考え方は、いまでもね、
まちがっていないとは思うんです。
進歩だとか成長は、らせん状に上っていくものなので、
同じところをぐるぐる回っているようでいて、
少しずつ高さが増していた、ということだと思います。
それはそうだということだとしても、
ちょっとこんなことも思ってみたのです。
「進歩しないでください。
成長しないように気をつけてください」
と言われながら生きていくことになったら、
つまらないだろうなぁ、と。
「らくでいいじゃない」という人もいるでしょうけれど、
なんか、たのしい「ゲーム性」みたいなものも、
失われちゃうような気がするんですよね。
「こんなふうになれたら、いいだろうなぁ」とか、
「こんなことができるようになりたい」とか、
「おたのしみとしての進歩」という視点が、
ほんとはけっこう大事なんだよなぁ、と、
いまさら気がついたんです。
<進歩や成長を目的にするんじゃないけれど、
進歩や成長をたのしみにする。>
って考え方が、ちょうどいいんじゃないか‥‥。
そういえば、ぼく自身、そうしてきたものなぁ。
で、先日、「ほぼ日」のミーティングのときに、
「進歩とか成長とか、してもいいぞ」と、
わざわざ言ったんですよね。
きゅうきゅうしちゃダメだけど、たのしみにする。
この感覚って、もっとうまく言えたらいいなぁ。
だって、小さな成長を感じるってたのしいものねぇ。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
あわただしい師走ですが、たのしんでってください。