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泥濘(ぬかるみ)に足とられないように―日韓併合100年に寄せて(3)

李喜鳳2009/12/02
前回記事:泥濘(ぬかるみ)に足とられないように―日韓併合100年に寄せて(2)

雨森芳洲―たがいに欺かず、争わず

 1990年、来日した韓国大統領盧泰愚(ノ・テウ)は、「宮中晩餐会」の挨拶で、雨森芳洲をとり上げて「誠信の交わり」について話しました。芳洲は、韓国では有名な日本人です。

 「朝鮮通信使」の、陰の立役者が雨森芳洲でした。芳洲は(1668年〜1755年)は、木下順庵の高弟であり、順庵の推薦によって対馬藩に仕え、この藩の主要政務である『朝鮮』との応接に活躍した儒者です。(*1)

 芳洲の国際政治学理論とは、「公益を通し、その余利をもって人数を召しおき、軍用を調べ、国境を守る部隊をたてて異国を防ぐ」です。

 対馬は、その地理的位置からあきらかなように、古代から、大陸との交通の要としての役割を果たし、江戸時代には、朝鮮との交流が許可された唯一の地域です。

 前回、「国交回復は、家康の命により、対馬藩の奮闘でようやく修復された」と書きましたが、それは誕生間もない徳川幕府を震撼させるほどの「柳川一件(やながわいっけん)」を超えてのことでした。

 「壬辰倭乱」で対馬は、すっかり疲弊してしまい、戦後、対馬単独の判断で1598年末、急ぎ、朝鮮へ使者を派遣していたのですが、朝鮮では、秀吉の襲来を「此賊乃吾邦百年之讐」といって撥ね付けるばかりでした。

 ところで、対馬の外交に徳川家康の智謀ぶりが垣間見えます。まだ関が原の戦いも始まっていないという1599年、早くも、対馬藩主に朝鮮との和親回復の意図を伝えていたのです。

 このときより、朝鮮方役に就いていた芳洲が奔走することになります。芳洲は中国語も朝鮮語も堪能でしたが、ことに朝鮮儒学者[李退渓]を尊崇していましたから、全身全霊をもって臨みました。

 しかし、朝鮮は懐疑的であり、あくまでも、侵略の謝罪と、「被虜人」の全員送還、王陵をあばいた犯人の縛送を要求し、譲りませんでした。

 このとき、対馬藩家老の柳川調興は野望から裏切りをしかけたのですが(敗北)、芳洲は徹頭徹尾、「誠信の交わり」を説き、「朝鮮との外交は欺かず、争わないものであるべき」と貫きました。

 芳洲は、「通信使」に、二度、「真文役」として同行していますが、それは、つききりの世話役です。円滑に旅程をすすめるために礼を尽くして説明し、食材から、食器にまで気配りしました。

 困ったことには、しばしばお互いの立場や面子のために…それは挨拶の仕方に異議を唱えて紛争になるなど、心労の絶えないものでした。(*2)

 一行の往復には6カ月もついやされたのですが、見送りに、対馬の厳原で別れの挨拶をかわす芳洲の頬は、涙で濡れていたといいます。(『海遊録』申維翰)    

 芳洲は、稀にみる辣腕の外交官でした。対馬藩「朝鮮役」とは、つまり交易国との外交を司るという大仕事ですが、難題課題ばかりです。

 善隣外交の姿勢を堅持しつつも「国益」を念頭に朱子学の問答の形式で議論を重ね(*3)しばしば難航することがありました。しかし芳洲は、相手の多重的な主体性を認めつつも、丁々発止の交渉をとおして、結果、相手側に「肝胆相照らす仲となった」と言わしめた傑物でした。


 ここで、朝鮮の儒学と日本の儒学を比較してみたいと思います。日本では、統一後も「藩政」という分権政治でしたから、朝鮮のようにひとつの学派が圧倒的に支配するというようにはなりませんでした。ですから多様な学派が並存して相互に批判、刺激しあって、独特な発展をみせました。
 中国・朝鮮の場合は、朱子学一尊であり、体制教学的に朱子学が発展し、それは、党派争いにまで進んでしまいましたが、日本の場合、近世儒学は、武士が世襲的に支配する封建社会のなかでの成立でしたから、「科挙制」には結びつきませんでした。
 また、中国・朝鮮のように「修己治人の学」として徹底していなかった分、社会の習俗の中に浸透することが困難でした(*4)。これは幸いであったと思われます。隙間があった分、学問が庶民にも広がりましたし、また、日本独特ともいえる「神儒仏」の三教一致の心学思想も形成されました。

 このような伏線があって、日本独自の「古学」がおこります。萩生徂徠が登場しますし、三浦梅園、安藤昌益他の独創的な成果が生まれます。また、儒教そのものを真っこうから批判する「国学」の大成者、本居宣長がつづきます。その学問は、まさに批判哲学と呼ぶべきものでした。(*5)


(*1)外交においては、まず相手国の心を知らねばならず、それを尊重していかねばならないとして、朝鮮に留学して「朝鮮言葉稽古」をし、その文化・風俗・習慣まで心得て「朝鮮風俗考」、「交隣是醒」他を著し、また、「全一道人」を翻訳しています。

(*2)将軍交代のたびに江戸城内では儀礼の形式が変更されたのですが、形式主義の朝鮮はそれをなかなか受容しません。また、吉宗の時代には幕府側の計画として、帰途、方広寺代仏殿での招宴が用意されていたのですが、通信使側は「秀吉の願堂の前で招宴をうけるなど、どうしてできようか」と主張して譲りませんから、芳洲は往生しました。

(*3)議論のためには、朱子学という学問の教養が求められ、また、問答は「事実に基づき真理を求める」という原理原則を中心にするのでなければ、相手から信頼されません。朝鮮国から、「それ一世の騒壇なり」と誉められた人物に新井白石がいます。白石と芳洲は同門であり、芳洲は、11歳若いのですが先輩にあたります。

(*4)徳川時代の封建社会の呪縛は、しばしば嘆かれますが、実は、中国・朝鮮の封建社会に比べると緩やかであったと指摘しなくてはなりません。儒教でがんじがらめに縛り上げられたために、日本の元禄時代のような「町民文化」が開花しませんでした。乗り遅れて、近代資本主義経済を見る前に、植民地支配されてしまいました。

(*5)学問の上では、大いに批判しあったのですが、林羅山以来「封建支配」を批判した儒学者は見当たりません。常に、幕藩体制の危機を意識し、徳川幕府を正当化しなければなりませんでしたし、また「国学」においては、それは「神の心」に反するものとされたからです。そのために、結局は、単なる古代尊重や外国排斥につながっていくことになりましたこれを、後に、福沢諭吉は厳しく批判しています。

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[56067] 李喜鳳氏は既に破綻した説を持ち出している
名前:明石晶
日時:2009/12/14 17:19
>『広開土王陵碑』には以下が刻まれています。
>百殘新羅舊是屬民由来朝貢而後以耒卯年不貢因破百殘倭寇新羅以為臣民
>(百済新羅はそもそも高句麗の属民であり朝貢していたが、やがて辛卯年以降には
>朝貢しなくなったので、王は百済・倭寇・新羅を破って臣民とした。)
>この例は、やや専門的ではありますね。ですから、解釈はあえて書かないことにします。


一つ見逃してたけど、ここでもサラリと嘘を書いてるな。
この文章は、「日本が海を渡って百済新羅を破って臣民とした」という意味だぞ。

過去に在日朝鮮人学者が、「これは日本軍が捏造した拓本に基づく解釈であり間違
いだ!本来は高句麗が百済新羅を再び配下に置いたと言う意味だ!」ブチあげたこと
があるが、この説は後に破綻している。あなたの日本語訳はこれと同じ。民族的自尊
心を満たすために、未だに破綻した解釈に固執している。

何でこの説が破綻したかというと、中国で発見された拓本と日本の拓本が同一であ
ることが確認されたから。捏造じゃなくて事実だったんだよ。

朝鮮人韓国人お得意の、「事実より願望」に基づく主張。
あなたは「民族主義が嫌いだ」と言っているが、主張内容は民族主義そのもの。
つまらない民族的自尊心を満たすために、事実よりも願望を優先する。
この態度を改めない限り、JANJANでは突っ込みが永久に入るぞ。




【広開土王碑文のまとめ】
日本の軍人が、広開土王の拓本を持ち帰る
 ↓
「日本が新羅百済を破って臣民とした」と解読される(つまり日本が朝鮮半島を支
配していたということ)
 ↓
在日朝鮮人学者が「嘘だ!日本軍が改竄したんだ!本当は『高句麗が新羅百済を再
び支配した』という意味だ」と騒ぎ出す(つまり日本が朝鮮半島を支配したことは
ないということ)
 ↓
長らく論争になるが、中国で発見された拓本と照合した結果、完全に一地し、改竄説
が崩壊する
 ↓
が、既に破綻した改竄説に基づく解釈を持ち出す





ここまで指摘しても、いつもの通り、謝罪も無し反応も無しだと思いますが。
[返信する]
[56056] 日本は小中華思想など持っていない
名前:明石晶
日時:2009/12/14 09:18
>ここに両国の問題があります。有史以来、両国は「中国」を偉大であるとして、
>どちらにも小中華意識があったのです。もちろん、江戸時代にもです。家康は
>政権についてすぐに「明」への朝貢を打診しましたが、まったく相手にされま
>せんでした。


繰り返しの指摘になるけど、日本は小中華を持ってないぞ。
捏造するな。
小中華と言うのは、「中華に隷属していれば安心。我々は主体的に考えず、中華のコ
ピーに努めます」という思想だ。

だから朝鮮人は自分たちの文字、ハングルを弾圧したんだ。
「自分たちの文字を持つことは野蛮人のやること。日本人は独自の文字を持つ野蛮
人だ」と考え、ハングルを焼き捨てた。

日本は先進文化として中国から様々なものを取り入れたが、隷属を意味しない。
日本にとって利益があったから学んだに過ぎない。
だからこそ、近代化の過程で「中国はもうだめだ」と見切りをつけたわけだ。

国際情勢の変化にも関わらず小中華に固執し、近代化も独立も自己で達成出来な
かった朝鮮人とは異なる。


[返信する]
[56053] うそ書くなよ。調べないで書いている?それとも意図的?
名前:金丸剛
日時:2009/12/14 08:08
李喜鳳さん

>また日本から朝鮮に行くときも「通信使」であり、これを迎えた朝鮮側は「日本通信使」と呼んだのです。

うそ書くなよ。調べないで書いている?それとも意図的?

”日本通信使”でググれば答えは一発で分かります。
日本通信使は朝鮮通信使の朝鮮側の名称ですよ。

例えばこれ↓。
http://www.melma.com/backnumber_78763_2281525/
>朝鮮側の名称は「日本通信使」(日本へ派
遣する通好使節という意味=芳洲がいった好を通ずるというのはここか
らきている。)または「通信使」であった。日本側から朝鮮からの通信使
ということで朝鮮通信使が日本で定着した。
[返信する]
[56049] 李喜鳳さん
名前:草薙紅玉
日時:2009/12/14 03:24
>ローゼンベルクの「20世紀の神話」にあるナチスのスローガンが、
>21世紀の今日の日本で叫ばれていることに深い憂慮を覚えます。

具体的に、どのようなスローガンが叫ばれているのでしょうか?
[返信する]
[56048] 村上久三郎さま。感謝いたします。
名前:李喜鳳
日時:2009/12/14 01:24
いつも穏やかで、礼を尽くされる村上さまが、このたび勇断をもって発言してくださいました。

君子危うきに近寄らずと申しますのに…並々ならぬ心情から吐露されたのだと思います。
申し訳なく、「有り難い」こと、と思います。
村上さまと同じように、私は、人間は「血と土の産物」ではないと確信しています。
ローゼンベルクの「20世紀の神話」にあるナチスのスローガンが、
21世紀の今日の日本で叫ばれていることに深い憂慮を覚えます。
特定の国家や特定の民族に属しているということが、その人がどのような人間であるかを決めてしまうわけがありません。その環境は、その人に強く影響しますから、「国家」と「民族」とは、そこに属する人に可能性をあたえるものであって、決して、その人の値打ちを決めることにはならないはずです。そのような脈絡から、私は「民族主義」には強い警戒をもって、また反論もしてきました。

勿論、朝鮮民主主義共和国に「金日成主義」との文言が踊りだしたときから批判してきました。
スターリン主義、毛沢東主義、しかりです。しかしまた、日本の55年体制および、小泉政権にも
批判的でした。とはいえ、学習のおかげで、今日では、是々非々で読むようにしています。
「絶対」はない、微妙性こそが大事であるとかんがえます。私は「在日」であるために、
より二つの国の「境界」を意識してきたように思います。縁あって、一つではなく二つです。
思えば、贅沢なことです。今回の記事投稿は、私のユートピア的な夢想から始まったともいえますが…でも、冒険したおかげで、たくさんの見知らぬ人の、良心、気概、真心に触れることができました。
心より、感謝申し上げます。
[返信する]
[56043] 読み間違いをされませんように。
名前:李喜鳳
日時:2009/12/14 00:52
第1回目に、
>「互いに『日本通信使』『朝鮮通信使』と呼んで交流が始まったのです。」と書いてあります。

文字通りに読んでいただきたいのです。

朝鮮から日本に行くときは「通信使」であり、これを迎えた日本側は「朝鮮通信使」と呼びました。

また日本から朝鮮に行くときも「通信使」であり、これを迎えた朝鮮側は「日本通信使」と呼んだのです。

また、日本から「通信使」が来たときは、「朝貢」に来たといい、
朝鮮では朝貢に上がってきたものとして接待しました。

同じように、朝鮮から「通信使」が来たときは、「朝貢」に来たといい、
日本側では朝貢に上がってきたものとして接待しました。

つまり、先に書きましたように、日本も、朝鮮も、いずれもが「朝貢」にやってきたといいました。
これを新井白石が朝鮮語の記録を読んだときに「朝鮮から朝貢にやってきたのだ」と知り、
混同したものを、うっかりにか、恣意的にか、朝鮮は日本に朝貢にやってきたのだから
日本が上であるとしたことがそもそもの間違いでした。
ただ、実を言えば、平安時代の頃より、朝鮮を尊崇する人と、ライバル視する人がいました。
その背景を知るには、はるかに古代史にまでさかのぼらなくてはなりません。

ところで、「朝貢とは何か?」を調べてください、とお願いしていましたが、「朝貢」とはもともと、
中国の「冊封」体制、中華思想において用いられる言葉です。『三国志』のなかの「魏志倭人伝」に書かれています。その昔、日本は「倭」と呼ばれていましたが、3世紀頃より、中国に朝貢していました。
日本は、6世紀後半まで朝鮮との関係が密接であり、何かと朝鮮の手ほどきを受けましたが、
6世紀後半から7世頃には、国家体制もできていき、朝鮮半島経由の間接受容から、中華文化を直接に受けたいと自ら朝貢するようになりました。この第1回目が「遣隋使」です。


ここに両国の問題があります。有史以来、両国は「中国」を偉大であるとして、どちらにも小中華意識があったのです。もちろん、江戸時代にもです。家康は政権についてすぐに「明」への朝貢を打診しましたが、まったく相手にされませんでした。*このあたりは記事に書いてあります

そうしてお互いに、われこそ上であると競い合うところがありました。
つまり、自身を中心とし周辺国を蔑む天下的世界認識や華夷思想によってお互いに、
「上か下か」「優劣」の関係でみるようになったのです。

ただ、記事にも書きましたが、秀吉を除く他の将軍は、内心はともかくとして、
外面上は、
朝鮮にたいして敬念の情をもって儀礼を尽くして応接したのです。これが、江戸時代中期より、
日本は自尊の高まりから日本的儒教の発展、「国学」の発展があり、断じて「下」ではない、
いや上であるという主張が強くなっていきました。

両方が間違っていると思います。
「朝鮮通信使」は互恵平等の関係で紡がれていくと明文化されていたからです。古代、その後の
長い歳月、日本と朝鮮は紆余曲折がありつつも友好的に結ばれていたとは疑いの余地がありません。
それが近代以降、歪められて立つ関係になり…21世紀になっても隔てられて
なお埋められない溝があります。残念なことです。

これは、『日本書紀』編纂の際に手が加えられたことが発端です。また、朝鮮が地理的事情から、
「冊封」を受けていたからといって、自分を上と見るのは間違っていると思います。先にも書きましたが、立場変われば逆になっていたと思われます。

『広開土王陵碑』には以下が刻まれています。
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而後以耒卯年不貢因破百殘倭寇新羅以為臣民
(百済新羅はそもそも高句麗の属民であり朝貢していたが、やがて辛卯年以降には朝貢しなくなったので、王は百済・倭寇・新羅を破って臣民とした。)
この例は、やや専門的ではありますね。ですから、解釈はあえて書かないことにします。
[返信する]
[56038] 今回、この件に関しては怒りも感動もありません。
名前:風間陣
日時:2009/12/14 00:14
村上久三郎様、時間を掛けようが掛けなかろうが、記事の間違いを指摘されて、
@ 指摘を受けて、訂正する。
A 指摘が誤っていることを根拠を以って否定する。
B 取敢えず保留し、調査(研究)とその結果発表を約束する。
の何れもしないのは不誠実以外の何ものでもないでしょう。
 ましてや、素人とはいえ一応「記者」なのですから、記事内容の事実関係は明確にすべきです。
[返信する]
[56034] 風間様
名前:村上久三郎
日時:2009/12/13 23:26
貴方のコメント56025に「不誠実」とか「誠実な方には思えない」という言葉がございますよね。私は、そのような言葉が気になるんですよ。いかなる理由あろうとも、他人に対して、しかも、時間をかけて「記事」を書かれた方に、そのような言葉を浴びせる人の気持が理解できないのです。


 風間さまには「怒り」の気持があるようですね。私は「もの」を書く時は、感情的になったり、怒ったりはしないんです。

[返信する]
[56025] 大人気ないのは、
名前:風間陣
日時:2009/12/13 22:06
村上久三郎様、

《李さんに対して、頭から怒りを込めたような文言で書いたコメントは、傍から見ていて見苦しく、「大人げがない」ようにも感じるわけです。》

 失礼ながら、「日本通信使」の件で知らん振りを続ける李喜鳳様の不誠実さをみると、怒るのが普通ではないでしょうか。
 少なくとも私には李喜鳳様が誠実な方には思えないし、その様な方が書く記事もご意見も全て眉唾物で信頼に値しない様にしか思えませんよ。
[返信する]
[56023] 明石さん
名前:村上久三郎
日時:2009/12/13 21:55
 以前から思っていましたが、明石さんは、随分、知識が豊富な「物知り」であると思います。
明石さんと李さんの知識の豊富さに感服しています。


 ただ、明石さんには申し訳ありませんが、もう少し丁寧にコメントを書いて下さると、分かりやすく、素晴らしいと思います。


[返信する]

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