12月14日
わが家のタマに時々話すことがある。「お前は一体どこから来たの? どんな親だったのか? 兄弟姉妹は何匹いたのか? どこで飼われていたの? その家はどこにあったのか? 片目が悪いけれど、どこでケガをしたのか? 家出をしたのか、それとも捨てられたのか? わが家に来てからは家の周り以外どこにも行かないお前はどこからどんな経路で一人旅をしてきたのか? わが家の周囲には野良猫が何匹もいるのに、お前は姿を見せてから三日目ぐらいに家の中に入ってきたけど、どうしてこの家を選んだのか?」 こんなことが知りたいけれどお前は何も言わない。黙って目を閉じて話を聞いているだけだね。
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野良猫にも運命がある。自分で運命を切り開いてきたタマは偶然わが家族と出合ったわけではない。彼女の自らの意思に従って行動して、人間社会に溶け込んで、彼女なりの幸福な人生(猫生)を見つけた。またそんな舞い込んできた野良猫によってわれわれ家族も癒されていると思うと、これもわれわれの運命であることを知らされる。
12月11日
糸井重里さんとの「ほぼ日」の対談、多くの方からコメントが届いています。この対談は次回(18回)が最終回です。まとめて読んでみて下さい。普通の雑誌などの時のカタイ雰囲気とは全く異なり、またトークショーの観客を意識した対話とも違った気楽な雑談ですが、編集部のまとめ方もなかなか上手です。また機会があったら糸井さんと隠居(糸井さんはまだ非隠居者ですよね)の茶飲み噺でもしたいですね。特にどうでもいい役にたたない話を…。
12月10日
◆贈呈本
保阪正康さんより「昭和史入門」保阪正康著
高橋克彦さんより「高橋克彦自選短編集/恐怖小説集」高橋克彦著
三宅一生さんより画集「SEMPÉ À NEW YORK」
森田健さんより「神のなせる技なり」森田健著
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タクシーの運転手が酔っぱらいの女性を乗せたが「横浜方面」と一言、言ったまま泥酔してしまった。「横浜のどこ?」といっても眠ったまま。いくら呼びかけても答えない。体を触ればセクハラになるので、交番に掛け込むが、お巡りさんも男だから触れないというので本署にいって帰りかけの私服の婦人警官がわざわざ制服に着替えてやっと女性客の体をゆすって眼を覚ませた。泥酔の女も警官だとわかったら、すぐ酔いが覚めて、警官から客の電話を問いただして、母親に料金を払ってもらう約束をして、やっとこさに目的地についた話を運転手から聞いて実に面白かった。
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ぼくが森鴎外の小説「寒山拾得」のことを書いた直後平松洋子さんが新聞にぼくのブログの内容とほぼ同じことを書かれていたので、彼女の文中の「知人」はてっきりぼくのこととばかり思っていたら、昨日、朝日新聞の書評委員会で彼女に会ったので、そのことを正したら、彼女は全く関知しないことだった。「知人」とは実は「自分」だったそうだ。こんなラクダが針の穴を通るような(譬喩(ひゆ)としては適切ではないが)滅多にない共時性に世界の狭さを感じて愉快になった。
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三宅一生さんからのプレゼント「SEMPÉ À NEW YORK」は「NEW YORKER」誌のカバーのイラストレーション集で、ニューヨークの喧噪を軽妙なタッチでデュビュッフェ風の色彩で、しかもリズミカル(音楽的)に描いたモダンな絵だが、日本の土俗的な谷内六郎的エスプリに共通する味を感じる。
12月9日
楢戸ひかるさん
野川は国分寺の恋ヶ窪一丁目にある日立製作所中央研究所内が源流だそうです。工場内が源流とは驚きでえす。まさか工場内の汚染物質が流入なんてことはないでしょうね。そして世田谷区の多摩川一丁目で多摩川に合流しています。一度自転車で俳優の土屋嘉男さんと源流近くまで行ったことがありますが、随分遠かったです。彼は電気自転車でスイスイ、ぼくはママチャリで、帰ってきた時はお尻が痛かった。桜が満開で野川の鯉の産卵期で川が泡立っていました。来春の桜の季節にはまた土屋さんを誘って今度は源流を見届けようと思います。
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そーいえば土屋さんと長い間あっていないことに気づきました。今までよく野川の公園で会うことが多かったけれど、多分時間帯がづれてるのだろう。あるいはぼくが別の場所にあるベンチにいるからかも知れない。今年上半期の芥川賞を受けた磯崎憲一郎さんも公園でよくぼくを見掛けたと言っていたけど、彼をしってからは一度も会ってないな。誰にも会わないというのもまたいいものである。
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ぼくは昔から色音痴だと思っている。他人の使う色がみなよく見える。「うまいな」という色をマネして使ってもぼくの絵には合わない。色音痴には色音痴にあう色音痴色というのがあるようだ。こういう問題は他にも当てはまるように思う。
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わが家のタマは鳴くが、無意味で鳴くことは先ずない。何かを求めている時にしか鳴かない。そんな時、彼女が何を求めているのかを察知する必要がある。昨夜も鳴いた。キャットフードも水も用意しているし、トイレのための外出用猫ドアも開けている。それでもよく鳴く。よく調べたら、台所を経て外出するのだが、昨夜に限って台所に入るドアが閉まっていた。そのことに気づかなかったのである。ぼくに訴えても不可能と判断したら、二階の妻の部屋に訴えに上って行った。それも判ってもらえず、またぼくの部屋に戻ってきて最後の訴えをした。そんなことがあってタマは用のない時以外は絶対鳴かないというのが猫生活7年(もっとか)にして初めてコミュニケーション以外では鳴かないことが判った。こんな当たり前の日常の出来事にさえ気づかない生活技術のなさにあきれはてている。
12月8日
◆贈呈本
求龍堂より「無欲越之/熊谷守一評伝」大川公一著
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「無欲越之/熊谷守一評伝」が色んなところから届いて三冊になった。その風貌から熊谷さんは仙人とも天狗とも呼ばれたが、友人の証言によると奇人・変人ではない。ただ「俺は俺だ」という生き方をつらぬいたから、怖いものなしの生き方が、世間には思われていたのだろう。10年間家の庭だけがテレトリィだったと伝えられている。絵は自然がモチーフの一見枯れたように見えるが、とんでもない。実にエロティックだ。彼の内面が「仙人」と裏腹に実は悶々としていたのが正直に絵が全て解明している。
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「俺は俺だ」。どこかで聞いたことがあるセリフだと思ったら、その昔、作家をカリカチュアライズした絵を描いた時、三島由紀夫さんは「実に面白い」と評価してくれた。これ幸いとばかり三島さんまでカリカチュアライズしたら、ある時、呼び出しの電話があって、喜々として三島邸に赴いたら、「この俺をゴリラにした絵の理由は何だ!?」と叱られた。「だって、他の作家の時はえらい評価されたもんで、、、、、」と答えると、三島さんは大きい声で「人は人、俺は俺」と言ってえらい叱られて、すごすご帰ったことがあった。今は昔の話しだ。
12月7日
「文学界」新年号の〈新年創作特集〉に「夢小説・何月何日の夜」と題して夢日記を発表しています。夢は見たまま言葉にも絵にもするのは不可能です。だいたいが墨が滲んだようで岡倉天心が提唱した朦朧派の絵画みたいで掴みどころのないのが夢です。夢日記を書いたことがありますが、絵は「夢枕」(NHK出版/改定新刊)で描きましたが、どちらも正確には表せません。肉眼で見たものだって記憶で描くとなると、困難を極めます。夢眠(肉眼に対して)は強度の近眼の人がサングラスをかけて見た風景のように薄暗くピントが定まっていません。自分の行動も不明瞭です。また他の登場人物は誰だかわからない場合もあります。でも肉眼以上にパチッとピントが合っているのは意識です。この場合の意識は意識と呼んでいいのか無意識と呼んでいいものやら、よくわかりません。
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◆贈呈本
平凡社より「作家の酒」コロナ・ブックス
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◆贈呈本
水声社より「ヴィクトル・ブローネル」斎藤哲也/「ゲラシム・ルカ」鈴木雅雄著
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菊千代♂さん
面白いこと聞かれますね。ぼくの「アトリエに天から糸が垂れてきたら昇っちゃいますか?」だって?
そんなメンドークサイ。昇ったりしませんよ。糸を垂らしている釈迦だか、菩薩を糸を引張って引きずり下ろしますよ。それと地獄より極楽の方がつまらないと?そんなことないですよ極楽の住民は全て地獄をイヤというほど体験した人たちばかりですよ。地獄がまだまだ体験し切っていない人は何度でも地獄へ行く。地獄を知り尽くした者にとっては地獄は幼稚すぎますよ。きっと。
12月6日
さゆりさん
Y字路が女性の下半身に見えるなんて男性の視線ですね。いいとこに気がついてくれました。ルックスのいいY字路は股開きで、大股開きは失格です。
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牧賢司さん
自分ですっかり忘れてましたが、そうそう。「異路倫」(ケロリン)〈作品社〉というタイトルの本がありました、ありました。中味は憶えていませんが、、、。
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藤巻一世さん
糸井さんとの「ほぼ日」対談はまだ続いているですか。読んでいないんですが、メールで沢山感想が寄せられています。糸井重里さんとの関係?ですか?「糸」で繋がっています。
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ふとぼくが20代の初めに流行した歌謡曲のことを考えていて、そーいえば井上ひろしと神戸一郎という青春歌謡の人気スターがいたことを思い出した。その後の消息をネットで調べたら両者とも亡くなっていることに気付いて驚いた。井上ひろしさんは44歳、神戸一郎さんは70歳で逝去。CDカタログで探したところ、「ふたりの青春物語」と題して、井上ひろしと神戸一郎がセットになった傑作集が出ていた。早速通販に注文する。
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◆贈呈本
角川書店より「怪」0028
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日経新聞でぼくがポートレイトを描いている瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」に登場する人物に対するあの記憶は恐るべきものがある。30年、40年、50年前に会った人の、あの時のあの話しのあの内容が、まるで昨日会った人のようにアクチュアルに語られているのが、あの記憶術は何に由来しているのだろう。加齢と共に記憶は失われていくというのに、86歳ですよ。ぼくなんか日に日に記憶が老化しているというのに、、、、、。今度記憶の秘密を聞いておこう。
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書評のために本を読むのは実に苦痛だったが、朝日新聞の書評を8ヶ月も過ぎると慣れてきたのか、今まで滅多に読まない新刊ばかりが読書の対象になったことがかえって、次は何を読まされるのかという期待感に変わってきた。書評などかつて一度も経験がなかったので四苦八苦の連続にオドオドしたものだが、今は妙なクセがついて、書評対象外の本でもマーカーでチェックしたり、ノートにメモしたりしないと読めなくなり、読み終わると、頼まれもしないのに、書評を原稿用紙(パソコンが使えないので)に書くクセができてしまった。そんな原稿がたまっているがどうしましょう。
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文芸本をマンガ化したものもよく読む。膨大な活字からできている小説を心理描写を廃してセリフだけビジュアルに表現したマンガ家の才能にはただただ敬服するのみだ。文芸のマンガ化は文章の大半を捨て去ってエッセンスにして、しかも物語をビジョン化する作業って、書評など足下にも及ばない相当知的な作業だと思う。ぼくなんか夢を絵にするだけで頭を抱えてしまうのに、一体どうすればできるのだろう。一度教わりたいものだ。それにどんな角度からも描けるこの恐るべき描写力。本気に弟子入りしたい気になる。もうひとつ弟子入りしたいのは映画の看板描きだ。
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晴天。こーいう日は屋外だ。マンガ本を10冊買った。昼は外食のおそば。「村上春樹さんが夫人を伴っていらっしゃいましたよ」。腕時計が止まっていたので電池交換をする。ホットケーキとお好み焼きのインスタントを買う。公園のベンチでロイヤルミルクティとバナナジュースの缶を飲みながら芥川龍之介の「或阿呆の一生」と「歯車」を読む。公園の平和な空気の中で地獄に魅せられた男の話。焼芋とトーモロコシのとぼけた平和な物売りのかん高い声に長く引っぱる語尾が睡魔を誘う。こういうとりとめのない日は絵の制作にむかない。
12月5日
意外と喘息の人が多い。多いと妙に安心する。同病相哀みの精神なのか。だからと言って、毎日の新聞の死亡記事で死ぬのが多いと安心するわけではない。人間は誰もが死ぬ運命にあるから、死刑因だ。
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河鍋暁斎の絵を見ていると自分が絵描きの末席を汚していることに恥入る。同じ絵を描くならここまでゆかなきゃ人間ではないぞと魂の怒声が聴こえる。前近代も、近代もどうも我々は近代の重箱の隅を突っつきながら、理屈をこね回して居る我鬼畜生にも劣る。何がアーティストなんだ。
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外の雨水と書斎のメダカの水槽の水、冷蔵庫のペットボトルの水、水道水、水洗便所の水、水は形を持たないためにどんな形にもなれる。水こそ仏教だ。
12月4日
8匹、時には9匹と、いつもぼくの目くらましていたメダカが、今日とうとうその全貌を明かした。10匹いることが判明しました。それがどうしたと言われるかも知れないが、毎日テーブルの上の水槽の中のメダカを数えているぼくにとっては非日常な出来事なのである。昨日まで非存在のメダカが突然存在した—まあ、これだけのことですがネ。そりゃ、もっと重要なことがありますよ。キャンバスの中の絵以上に重要な問題は他にないですよ。だが、これとて、どーってことない問題を解決してくれるのか?でも一歩下がって考えれば、それがどーしたんですか。「人は人、俺は俺」。結局これしかないんじゃないでしょうか。
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早稲田大学4年山本啓介さん
銭湯のポスター制作の社会的波及効果を聞いておられるのですか?銭湯ポスターの社会に訴えたいこと?ポスターを通して銭湯の湯船に身体を沈めて、「あっ、気持イイ、あっ、極楽、極楽」これで十分です。
次の質問の湯船の中で水着の女が泳いでいるのはなぜ?ですか?こんなものに意味を求めないことです。第三の質問の「芸術と銭湯」の関係性?どちらもいい気持ちです。芸術も銭湯も理屈ではありません。頭を空っぽにして芸術と銭湯に遊んで下さい。以上、終。
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◆贈呈本
内田繁さんより「デザインスケープ」内田繁著
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ニューヨークで発行されている日本人対象のタブロイド32ページの新聞「週刊NY生活」にズーッとエッセイを連載しているので、毎週新聞が送られてくる。これが結構面白い。NY在住の日本人のためのアメリカと日本の情報が報道されているのだが、さずがNY.アートが生活の必需品になっているのが、その取り上げ方でよくわかる。一番最近号のトップ記事は「ジャパン・アート祭り」である。政治、経済よりもむしろ文化、芸術、生活に力点を置いた編集方針が海のこちら側にも熱く伝わり、毎週読むのが楽しみである。居ながらにしてNY通になれる。逆にNY在中の日本人の目で日本も解かる。
12月3日
NHKテレビで4回にわたって放送された「知るを楽しむ」を90分にまとめた「プレミアム8/横尾忠則人生は大冒険」をNHK.BSハイビジョンで放映したが、再び12月8日(A.M.9:30~)同じくNHK.BSハイビジョンで再放送されることになった。ぼくはこの90分バージョンは見ていない。「知るを楽しむ」の制作時は喘息中(?)で声が出にくく自分で見てるだけで苦しかったので、BSハイビジョン版は見たくなかったんです。テレビに映る自分は夢の中の自分のようで、自分から切り離された他者に見える。その他者があたかもぼくであるかのように話しているわけだから、見ていて感情がコントロールできなくなるんです。
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◆贈呈本
文遊社より「ソロー語録」ヘンリー・デイヴィッド・ソロー著
平凡社より「河鍋暁斎」安村敏信監修/「愛国と米国」鈴木邦男著
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宮城まりこさんより、ねむの木学園の生徒役の描いたカレンダーが送られてきた。こんな純朴で無垢な絵を描ける大人がいるとしたら熊谷守一さん以外に知らない。子供の絵は人に見せるために描いているのではない。人に見せるのが目的になると邪心が出る。熊谷さんの絵はどこを探しても邪心がない。
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河鍋暁斎の絵には魔性も邪心もたっぷり含まれている。同じ描くならここまで描いて猛毒を吐けばいい。ちょっと奇麗、ちょっと賢い、ちょっと危ないのが一番中途半端だ。
12月2日
美輪明宏さんの映画「MIWA:A Japanese Icon」(フランス)の取材に、監督、プロデューサーなど来訪。美輪さんとの出合いから、友情などについて語るが、どの個所が使われるかわからない。そのあと美輪さんと電話で、相変わらず喘息で声が出にくくってね、と話すと、「腹式呼吸をして恥骨に力を入れてしゃべるといいわよ。私なんか歌う時、恥骨に力をいれてるのよ」、「じゃ歌う恥骨だね」、「ハッハッハッハッ、チコツ・ソング」だって。
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◆贈呈本
芸術新聞社より「アルベルト・ジャコメッティの椅子」山口泉著
松岡正剛さんより「グラフィックデザイナーの肖像」竹尾プロデュース/平野敬子編
根本隆一郎さんより「H.NOGUCHI」野口久光展カタログ
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元匿さん
そうなんです。ぼくの周辺の若い人にも健忘症が蔓延しているようです。多くの人がそーいっております。きっと地球が宇宙的なレベルの健忘波動でも受けているんですかねぇ。でもぼくの年令になるとかえって忘れることで頭が整理できるんです。ぼくの場合は吸収する時代は終わって、吐き出す時代に入っています。溜まったものを軽くするのが老境の生き方なんです。
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朝日新聞の書評委員会の席で作家の高村薫さんと一緒になることが多いが、おおむね自分の専門ジャンルに層するか、または個人の嗜好にあった本を希望するが、高村さんは本職の文芸とは全く無関係な本を書評の対象に選ばれる。時には「私の知らない世界だから」とか「何でもいいんです。残った本でもいいんです」とあえて自身から遠い存在というか「私」に拘らない世界に視点を向けられる。そのことにぼくはいつも驚きを禁じ得ないのだ。つまり文芸に対する高村さんの立脚地を堅めて、広大な新しい視界を開拓されるためなんだろうが、勇気のいる決断に思え、ぼくなんか知らない(?)世界なんて怖くって。でも、だからこそ挑戦してみたい気もある(?)。恥を捨てれば出来ないこともないか!
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そーいえば今までの人生を振り返ってみると恥のかき捨ての連続だった。恥の積み重ねが今の自分といえよう。高卒でいきなり印刷所に飛び込んだものだから、世の中知らないことだらけで、絵も独学だけに自分の体で試して習得しなければならなかった。その点随分遠回りをしてきた。それだけに社会的ルールに従うのがニガ手。あえて自己ルールを組み立てることで自己を守る術を自然に身につけたのかも知れない。何かに化ける擬態の術っていうとこかな。
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人間は死んだら自己に正直にならざるを得ないような気がする。だったら生きている間に正直になればよかったのに。わが家のタマを見ていると生きながらに自己に正直だ。つまり死んでいるということだ。ぼくの小説「ぶるうらんど」はそんな人間の話を書いたんだけどなぁ。この小説には姿を変えてぼくの考え方が一番よく出ていると思う。
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書評のための新刊書ばかり読んでいると、古い時代の文芸書が読みたくなり、かえって今まで以上に本を読むようになった。それとマンガは毎日読んでいる。すぐ忘れるけどね。まぁ隠居さんは趣味三昧の時間がたっぷりあるからね。だから忙しいのよ。
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360°見渡してどこにも雲がないぺタッとして皮膜のような青い空の下の公園のベンチで、アトリエに向う足が止まって、昼間での2時間、本を読む。凪のように、樹木の枯葉も枯草も止まったまま。そのくせ風もないのに、樹木の匂いだけがゆるやかに鼻先を掠める。
―なんて書くと如何にも隠居の日光浴を連想するが、本当に衣服を通して陽光が身体を熱してくれるのです。とそこへ、空よりどぎつい青の制服のオッサンが。「ここは公園?」と聞く。見ればわかるでしょと言いたい。そんなオッサンは「公園管理ナントカ」という腕章をつけている。「公園管理ナントカ」だったら、変なこと聞くな、といいたくなるところをグッと言葉を飲み込んで、「公園ですよ」と答えたら、「あッ、そッ」と言って立ち去った。
12月1日
一般の方のブログでY字路の写真を掲載し、自身の作品のように発表している人、または「東京Y字路」の表紙写真と共に大量に自身の撮った写真をコメントも添えずに掲載し、あたかもぼくの写真のように思わせるブログが出廻っていますが、ぼくの写真集の内容とは全く無関係なものですから誤解をしないで下さい。
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近所で親しくしている三輪歯科で、今日は「顔の表情を変えてみませんか?」と言われた。「エッ!?」、「歯をいじることで顔が変わるんです」、「本当、ぜひ試してみたいです」といって15分位、歯をいじられる。「さぁ、鏡を見て下さい」「エッ、口元が何だか自分じゃないみたい」といって笑った写真を撮られる。みると歯がトーモロコシみたいにズラリときれいに並んでいる。「まるで彫刻ですね」、「ええ、彫塑家になりたかったんです」。某タカラジェンヌの方も手掛けられています。そういうとタカラジェンヌで歯並びの悪い人は一人もいません。しまも真白です。白くするのは全く簡単に出きるそうです。ぼくが今日やってもらったのはシミュレーションだから、写真が撮り終わると同時に、「現実」に戻った。
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小沢昭一さんが東京新聞(夕)で「この道」を連載しておられるが、この中で森繁さんの演技の上手さは素人上がりの芸だと。この芸が芸能を新しく切り替える。逆に玄人は先輩に道を教わり、踏襲し、伝統から抜けられない。その点、素人は生きるうえでの反逆精神があり先輩が積み重ねてきたものの裏街道を行くやり方だ。新しいジャンルを切り拓いていく力は素人にある。森繁さんは偉大な素人出身だと。
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since July 13th, 2008 |