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■ 選手評 |
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キャプテンは松田。キャンプが終わったら決めると言ったが、途中から明らかだった。 |
2003年開幕前に
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ゼロに抑えたのは後半にコンパクトフィードが保てなくなった時、松田が声を出してラインを押し上げてくれたから。忠実なコーチングでラインを統率してくれた。
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1stステージ清水戦に 1-0 で勝利して、2003年
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マツはウチのチームのリーダー。この半年、もう1ランクアップするための試練の時だと思っていたし、それを助ける事はできないが、必ず乗り越えてくれると思っていた。
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1stステージに優勝した神戸戦の会見で、2003年
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欧州で通用する、唯一人の日本人DFだと思っている。
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1stステージに優勝した神戸戦の会見で松田について、2003年
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…攻撃をしたかったのかな?
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最終節の後半、サイドバックを志願した松田について、2003年
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松田は 「フリ」 とか発言で誤解されることも多い。しかし根は純粋で情熱的な人間だ。チームのためにという気持ちも持っている。
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シーズンを振り返って松田について、2003年
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ただ、少し勘違いをするタイプだった。
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シーズンを振り返って松田について、2003年
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彼はプライドが高い。だからディフェンス・ラインで自分が余り、他の選手を動かしたがる。何故か。自分で競りに行って抜かれることが怖いからだ。だからそうした勝負を避けてしまう。逃げてしまう。競り合えば強いのだが、逃げている間は一流にはなれない。だが、彼には直接指摘することはしなかった。
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シーズンを振り返って松田について、2003年
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松田は不思議な選手。彼が入るとガラっとチームの雰囲気が変わる。
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膝の手術から復帰した松田について、2004年
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奥は、最初はFW的にボールに絡むことに向いているのかと思ったけど、キャンプで見ていたら、ちょっと後ろでボールを持って何かをするほうがいい選手だと思うようになった。そういうポジションで使ってあげたほうが、彼は生きる。
前でプレイしてもフォワードを追い越して出て行って受けることは少ない。そこで 「もっと前線へ出て行け」 と言っても飛び出せない。要するに、そういうタイプじゃないから気持ちよくないんでしょう。ボールに数多く触りたいタイプ。
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2003年開幕前に
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奥がいつもよりもサイドに張ったのは、ドゥトラがいなくて外に顔を出す選手がいないために意識して行なったプレーだ。しかし彼の頑張り、特に8人になってからの運動量には敬意を表したいほどだった。
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2人の退場者を出して敗れた浦和戦の試合後の会見で、2003年
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彼はウチの攻撃の最高のアクセント。
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2ndステージ 東京V戦後の会見で奥を評して、2003年
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驚きだったね。みんな、戦術なんかあまり考えずに、身体能力の高さを生かして野生的にプレーする選手というイメージを持っているかもしれない。でも確かに口数は少ないけど、サッカーを考える 「頭」 をもっているし、要求する戦術もやろうとする。
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李国秀との対談で久保竜彦について、2003年開幕前
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久保は多分、組む選手によってかなり変わると思う。いろいろなバリエーションは試せていないけど、2トップのもう1人とか、2列目に攻撃的MFを置くとしたらその選手とか、それらのバランスで生きてくる選手だと思う。
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李国秀との対談で久保竜彦について、2003年開幕前
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久保はまだゴールはないが、いい仕事はしてくれている。またクロスに対するタイミングも徐々に合ってきているので心配していない。次の試合が楽しみだ。
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公式戦5試合目、未だノーゴールの久保について、2003年
久保は次の東京V戦でゴールを決めた。
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久保はもっと点を取れていいとは思っていたがまさか3点も決めるとは考えていなかった。ただゴールをしていないもののチームにきちんと機能していたから、心配してはいなかった。
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久保のハットトリックで鹿島に勝利して、2003年
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久保は代表で変わったわけではなく、マリノスに来てから少しずつ進歩しているのだ。ただ彼のポテンシャルを考えれば、まだまだ満足してはいない。
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天皇杯、古巣広島相手にゴールとアシストを決めた久保について、2003年
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久保にポストプレイやディフェンスばかりやらせても生きない。そんなことするよりも、前を向いてゴールに向かわせたほうがいい。
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シーズンを振り返って、2003年
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驚きを感じた選手の1人。ここまでできるのか、と思った。まず頭がいい。要求されていることを理解するのが早い。彼の良いところを生かそうと思っているんだけど、その中で、ここまでできるのか、というのは嬉しい驚きだね。
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開幕前の李国秀との対談で上野について、2003年
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上野のトータルな能力は飛び抜けて高い。しかし総合点では上でも、ポジションの組合せで考えるとどのポジションに置いてもマッチしない。チーム編成上の理由である。もし納得せずに不貞腐れても仕方がない。しかし彼は腐ることはなかった。
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上野の起用法を振り返り、2003年
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彼は表面上はクールだが、芯の強さを持っている。
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上野を評して、2003年
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初めて見たときは泥棒みたいな顔だと思ったが、話したらものすごくいい男。本人に言ったら怒ってたが、テロリストって言わなくてよかった。
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ドゥトラについて 2004年 公演で
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下川はシーズン前から体重が90キロを切らないと試合には絶対に使わないといっていた。いまは86キロです。練習はもちろん、家での節制を怠らなかった努力の賜物です。だから突然の出場だが、全く心配はしていなかった。榎本哲とどちらを使うか、迷っていたぐらいでした。
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完全優勝を達成した磐田戦後の記者会見で、2003年
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何と言っても今日1番の収穫は清水ジローがゴールを奪った事。彼は昔からゴールさえ入れれば日本代表に選ばれる素材だという風に言ってました。
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途中出場で2ゴールを挙げた清水範久について、2003年
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明るいね。それにヘディングも強い。チームにとって重要な選手だと思っている。
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開幕前の李国秀との対談で中澤佑二について、2003年
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那須は、U-22代表で面白いと思っている。
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開幕前の李国秀との対談で那須について、2003年開幕前
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若い選手はこうして化けるのかと思った。
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シーズンを振り返り那須について、2003年
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中盤のディフェンスで簡単にストッパーが出ていくというのが好きじゃない。振られても粘ってついていく奴が欲しかった。はじめは、ぶっつけ本番で反対もされた。でも彼はポジティブで明るくてまじめ、ミスしたらどうしようとは考えない。
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シーズンを振り返り那須について、2003年
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柳はチームに合流して4日目なのに、あの出来には驚いた。あれほどやってくれるとは思わなかったね。なんせ彼にロングスローがある事を、今日のゲーム中に知ったぐらいだったから。
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1stステージ再開の清水戦に勝利して、2003年
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柳想鉄の加入は非常に大きかった。彼を右サイドに使ったことに周囲は驚いたようだが、私には驚くほうが不思議だった。
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途中加入して1stステージの優勝に貢献した柳想鉄について、2003年
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柳は練習から疲れてもパフォーマンスが落ちないプレーヤー。そのタフさは素晴らしいといつも感心しいている。
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柏戦で決勝ゴールを上げた柳想鉄について、2003年
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CBに入った河合も、本来はボランチの選手だが非常にいい仕事をしてくれたと思う。
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2ndステージ大分戦後の会見で、2003年
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次の試合には柳が警告累積で出られない。こういうことは続いてくるだろうが、今日の河合のようにサブの選手があれぐらい頑張ってくれると心強い限りだ。
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2ndステージ市原戦後の会見で、2003年
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大橋は練習でもモチベーションが高く、身体もキレていた。
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仙台に完勝して、2003年。大橋はFWとして先発して1ゴールした
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今のお前は練習をやっても仕方がない。スペインでも行ってこい。
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スランプに落ち込んだ阿部祐大朗に、2003年
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榎本哲也なんかも面白いね。まだ19歳だけど、キーパーが2人ケガをしてチャンスが巡ってきてる。
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李国秀との対談で榎本哲也について、2003年開幕前
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本人については許してますけど、でも許せない。最終戦、横浜国際で優勝がかかって、お互いのベストを発揮して素晴らしい試合をするつもりだった。なのにあれで…
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最終節磐田戦の榎本哲也の退場について、2003年
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北野は途中から出場した方が彼の良さが生きるタイプ。
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仙台に完勝して、2003年。北野は75分から出場
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5ヶ月近くプレイしてないから、使えるかどうか…。 急遽3ヵ月契約で獲ったんだけど、どうなるかな。
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開幕前にマルキーニョスについて、2003年
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マルキーニョスはここ数試合のなかでベストプレー。タテへの意識も高く、突破は鋭かった。 |
10人でC大阪戦に引分けた試合の会見で、2003年
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去年はマルキーニョスがいなかったら優勝ははできなかった。本当にすばらしい選手だが、今年の事を考えた時にどうしても彼のポジションをかえる必要があった。ものすごく辛く、鬼の所業だった。マルキーニョス本人に説明した時も、「分ってもらえないだろう、恨んでくれてもいい」 と思っていたが、 「よく分ります。少し寂しいけど僕は新しいところで頑張ります。ありがとうございました」 と言ってくれた。思わず、「ああ、やっぱりもう一度契約し直そう!」 と言いたくなった。
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2003年一杯で契約解除したマルキーニョスについて、2004年
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リスクを冒してもラインを保て。1対1になっても、川口が半分は防いでくれる。
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W杯本大会前に、1998年
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「ゲームで、ベンチの采配が通らないでいろんな判断しなきゃいけない事が出る。それは井原が全部しろ。間違っててもいい。井原が決めた事に他の奴は絶対文句言うな。井原が言った事に関しては僕は100%責任持つ」 と、井原に力を与えたんです。彼はもともとそういうリーダーシップを持った選手なんでね。グラウンドの中で僕の考えを伝えてくれて、非常に助かりました。
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野村克也との対談で、1998年
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