ヒーロー

 人生は面白い。
 そんな風に思いだしたのはここ最近だ。なぜなら最近好きな人が出来たからだ。
 相手は同じクラスの樋口茜ちゃん。体が弱くて保健室で休んでいることが多く、読書が好きなのか放課後は図書室にいることが多かった。ちなみにこのデータはストーキングして得たものではなく、単純に樋口が授業を抜けることが多く、俺が図書委員であったからだ。
 身長が低く、くせっけで大きい目の下にある泣き黒子が特徴で、高校生とは思えないような童顔の持ち主だ。どこか抜けていることも多く、いちいちかわいらしい。
 リサーチだけは適切な程にしてきたが、俺はあまり樋口と話したことがない。樋口が無口なのもあるかもしれないが、それ以上に俺が恥ずかしくて向こうとコミュニケーションを取れないからだった。
 友人にそんな話をしてもどこがいいんだ、とか返されてしまうが、それでも俺は樋口のことが好きだった。
 本を読んでいる姿、うとうとしている姿、たまに図書室で眠りこくって閉室の時間に起こしてやる時や、その時の寝起きの顔、樋口を見ているうちに徐々に魅かれていった。
 真顔で言えば鼻で笑われるかもしれないが、それでも俺は樋口のことが大好きだった。
 そんなこんなで、まともなコミュニケーションが取れないまま一か月が過ぎた。
 ある秋の終わりの日、俺は担任に頼まれ、俺は印刷の作業をしていた。
「もう冬だなぁ」
 そう言いながら室内だというのに白い息を吐く。特に用事もなかったので引き受けることにした。
 何枚も何枚も出てくる高校に入ってまでどうしてもらわなければならないのか、くだらない学年新聞を眺めながら樋口のことを考える。
 もし仮に付き合うことになったら、どうしようか。
 やっぱり図書館にデートに行くべきだろうか。映画も見に行きたい。買い物にも行きたい。本屋でもいいかもしれない。あるいは、俺や樋口の家に遊びに行ったりなんてこともあるかもしれないし、もしかしたらその先にムフフなイベントもあるかもしれない。いや体目当てと言うわけではないが。
 そんなことを考えているうちに、三〇分ほどで印刷が終わる。
『乾燥しているので火事には気をつけましょう』
 新聞を手に取りパッと見ると、そんな字が目に入った。
「火事なんて起きるわけねーだろ……」
 そんな風に捨て台詞をのこして印刷室を後にする。
 担任の教師に終わったと報告し、学校を後にする。家に帰る途中、やはり樋口のことを考えていた。
 まだ図書室にいるのかな、寝ちゃってないかな、そろそろ寒くなるし風邪ひいちゃわないかな。
 そんなことを考えながら日に日に早くなってきた日没で真っ暗になった通学路を歩く。
「俺もそろそろ病気だなぁ」
 不意に冷えた風が頬をたたいた。
「もうすっかり冬だなぁ」
 学校は小高い山の上にある。立地条件が悪ければ土地が安いので、市が金をけちったなどと普段文句をたれながら登校していた。
 ただし帰りに関しては駅までは下り坂なので快適だ。さらに夜ならば格別な夜景を楽しみながら帰ることができる。
 俺は普段部活もしていないし、四時頃には学校を後にするから普段は見られないので何か得した気分になった。とはいっても図書委員の日に週一では見ているのだが。
「帰ったら飯食って何しようかなぁ」
 そんな平和なことを考えていると、あたりの雰囲気がおかしいことに気づく。
 住宅街からは地元民が出てきて何やら俺の後ろの方を見ながらざわめいていた。
 何が出たのかとあきれながら後ろを振り返ってみる。するとそこからは真っ赤に燃え盛る学校の姿があった。どす黒い煙を大量に吐き出し、耳を澄ませば悲鳴のようなものも聞こえてくる。
 間違いない、学校が火事だ。その事実に気づいた瞬間、祈るように回れ右をして学校へ走った。祈るのはそう、樋口の安全だ。
 今日は俺の図書委員の担当の日ではない。だが、この曜日は毎週図書室に来ているのを知っている。
 なぜなら俺の友達の修吾がそう言っていたからだ。
 図書委員は放課後二人残らなくてはいけない。そして図書委員は六人いるので二人は週一でいいのだが、残りの四人は週二で入らなければならない。
 二人の内の一人が俺で、四人のうちの一人が修吾だった。
 俺の放課後の担当が一緒の人間が修吾だった。
 そして校門をくぐってからすぐ、目的の生徒の野次馬の中で見つけた。
「修吾!」
 名前を呼ばれた男子生徒の一人が俺の方を向いた。
「おお、どうしたこんな時間に。まだ残ってたのか、図書室来ればよかったのに……なんて言っている場合じゃないな」
 どんな時でもマイペースを貫いていた修吾だったが、さすがに動揺せざるをえないみたいだ。
「どうなってんだこれ」
「いやちょっと図書室抜けてトイレに言ってたんだがな、その途中で警報が鳴ったんだ、んですぐ放送に従って外に出てきたわけだ」
「図書室は誰も残ってないんだろうな!」
「いや、確認したわけではないけど放送聞いて外に出ただろ」
 俺はここで最悪なことを思い出す。
「図書館のスピーカーって壊れてたんじゃなかったっけ……?」
 修吾の額から変な汗が流れ出た。
「そう言えば来週治すって委員長が言ってたような……。でもさすがにほかの所からの警報が聞こえるだろ。考えすぎだって」
 考えすぎだ、と言うのは俺が樋口のことが好きだというのを知っていて、安否を心配していることについて言っているのだろうが俺は嫌な予感がしてならなかった。
 普段樋口はカウンターから見えない席に座って本を読んでいた。
 そのまま寝てしまって閉室時間になって委員に起こされることが多かった。
 もし、樋口が寝ていて、他からのサイレンが聞こえなかったら。
 樋口は寝起きがあまりにも悪い。
 起こすことが数度あったが、起こすと殺意に近い視線を浴びせられる。
 最悪の事態を考えただけで全身の身の毛がよだった。
 一目散に走り出す。
「ちょっと待てって!」
 制止する修吾は無視して。
 担任がいた。携帯を片手にもっている。おそらくは消防に連絡を取っていたのだろう、状況を聞いてみた。
「消防車はいつ来るんですか?」
 先生の顔はみるみる青くなっていく。俺は嫌な予感がした。
「それがな、消防車が事故を起こしたらしくてな。走られなくなったそうなんだ。それでほかの地域からの応援に来てもらうことになったんだがあと一時間以上はかかるらしい。それだけの時間があれば学校なんて……」
 先生の言葉を最後まで聞くことなく、俺は水道へと走った。
 校舎外に設けられた蛇口を手当たり次第ひねって向きを変え、自分の方へと向けた。
 瞬く間に俺はびしょぬれになる。頭からブレザーまでを適当に濡らす。その足で蛇口も止めぬまま。
 先生の制止は無視し、火の海と化した校舎へと飛び込んでいく。
 一階はすでに火の海と化しており、俺を絶望させる。
「もう二階も完全にアウトだろうな、時間がない」
 急いで階段を駆け上がる。やはり二階も火の海で、すでに火の手は樋口のいる三階まで移っていた。すでに熱気で被った水は乾きつつある。もう少し水をかぶっておくべきだと後悔する。
「引き返すなら……、今か……」
 しかしここでひいてはすべては無駄になる。そして、地獄へ続くような業火に包まれた階段を、樋口を助けたいという一心で駆け上がった。
 すでに惨状を呈していた三階へ着く。そして一心不乱に図書室を目指した。
 図書室はまだ無事で、一切火の手は来ていなかった。
「誰か居るか?」
 そう叫ぶと声が返ってきた。それもふたつの。
「ここよ!」
「ここにいるわ!」
 その声のひとつはまぎれもない樋口の声。聞き間違えるはずがなかった。そして、もう一つは樋口の友達の女の子だった。
 もし、どちらかを抱えて降りるなら一人ならなんとかなるだろう。華奢とはいえ、二人の女の子をかばいつつ下に降りるのは困難に近い。一人づつにしても戻ってくるまでに図書室が無事だという保証は一切ない。
 つまり、俺が助けられるのは二人に一人。
 俺は註所する暇もなく、どちらかを選ぶ。
「今助けてやる、中西、お前が先だ」
 まだ水気があるブレザーを脱ぎ、髪や顔がやけどしないように中西にかぶせてあげる。
「あ、ありがとう、茜ちゃん、下で待ってるから!」
 不安そうな中西の顔、今すぐにでも樋口を抱えておりたいところだが、これでもし樋口を連れて降りて、中西が死ぬような事態があれば、一生自分を恨むことになるだろう。そんな事態は避けたかった。
「ちょっと待っててくれよ、俺を信じてくれ。すぐ戻ってくる」
「うん!」
 そんな捨て台詞をのこし、中西を背負って一気に階段を駆け下りた。この不安に満ちた状況でなんとか樋口は笑ってくれた。その期待には絶対に答えないといけない。
 校舎を出ると、野次馬全ての注目の的となったが、そんなことは気にしない。
 校舎を出たすぐあたりから、何かが倒れたりするようにな音や、何かが折れたような音が聞こえだした。
「早く茜ちゃんを……」
 青ざめた中西を安全な所に連れて行き、ブレザーを返してもらうとすぐに出しっぱなしにしていた蛇口から水を浴びる。ブレザーを重点的に。俺にはブレザーを充分に濡らすぐらいにしか余裕がなかった。
「なんでこうなんのかなぁもう……」
 自嘲的な独り言を漏らし、一人灼熱の校舎内に駆け戻る。さっきよりも煙の量が増している。それでも俺は一切迷うことなく上階を目指した。
 三階に着くと絶望した。すでに火の手は図書室内まで及んでいた。
「火事の原因作ったやつ、絶対ぶっ殺す……」
 誰かもわからない犯人を恨みつつ図書室へと駆け込んだ。
 窓は開けていたので煙は何とかしのげることが出来たようだ。火の手はもう樋口の目前まで迫っている。
「お待たせ」
 階段を駆け上がる途中で必死に考えた一言を言ってやる。
「ありがとう、美咲ちゃんは?」
「ちゃんと助けたよ」
 周りの本棚が燃え盛る中、変な雰囲気が二人を包んだ。
「おっとっと、こんなことしてる場合じゃない」
 手際よくブレザーを脱ぎ、先程と同じようにかぶせてあげる。
 その時だった。俺の真後ろで燃え盛っていた本棚が突如倒壊した。
 俺と樋口を直撃すると判断した瞬間、樋口を突き飛ばした。
 キャッ、と尻もちをつく樋口を見て、罪悪感に苛まれた瞬間、俺の背中に燃え盛る何かがぶつかった。
 吹き飛ばしたままの状態だった俺に、避けるすべはなく、簡単に下敷きになってしまう。手を伸ばしたままの体制だったので手を挟まれることは避けれたが、肩の一歩手前まで挟まれてしまう。倒れてもなお燃え続ける本棚に俺は気絶しそうな痛みを与え続ける。
「先に降りろ!」
 俺はそう叫んだ。俺はもうだめだろう。この状況で二人が助かろうとすれば、二人とも助からない。樋口さえ逃げれば、俺は死ぬだろうが樋口は助かる。
「いやっ!」
 初めて見る感情をむき出しにした樋口。俺はそんな姿にほれぼれしていた。そして、走馬灯のように今まで見てきた樋口が思い出される。
 樋口は俺にかぶさった本棚を手をブレザーで覆い、なんとか持ち上げようとしてくれた。
 しかし、それを成し遂げるには樋口は華奢過ぎる。
「もういいから、お前も助からなくなるぞ!」
 俺は諭す様に言った。しかし、樋口は首を縦には振らない。顔を涙で濡らしている樋口。そんな樋口を見ていると、俺の体を焼いている本棚のことなんて忘れそうになる。
 必死に、必死に本棚を動かそうとする樋口を見ていると、もうこの世に未練なんてないようにさえ感じられた。
 俺のためにここまでしてくれたらもうそれで満足だ。
 そう思った瞬間、奇跡的に本棚が少し浮く。
 俺はその瞬間を見逃すことなく、何とか抜け出すことが出来た。
「あっはっはっはっは」
 俺は自然に笑いが出た。助かったことからか、それとも樋口が必死に俺を助けようとしてくれたからか、それともやけどで頭がおかしくなったからなのかはわからない。
「良かった……」
 樋口は心から安堵してたようだ。その時、入口の方で轟音が響く、どうやらさらに火力が増したようだ。扉の方からは紅蓮と比喩するしかないような炎しか見えない。
 すでに乾いてしまった制服でこの状況を脱出するのは不可能のようだ。
「俺達もうダメみたいだな」
 諦めたように俺は言った。
 ここは三階だ。飛び降りることは自殺に等しいだろう。完全に詰みだ。
「そうみたいだね」
 樋口も諦めたように言う。俺は死ぬ前にいいたかったことを樋口にいうことにした。
「実は……」
「あのね、話があるの」
 突如、樋口が俺の告白を遮った。
「どうしたんだ?」
「ううん、先にいって?」
「ああ、実はさ、俺お前のこと好きだったんだ。こんな状況で言うのも変かもしれないけど付き合ってほしい」
 熱気でほてっていた樋口の顔が更にほてる。これで俺がやり残したことはなくなった。
「私も……、ね? 好きだったの。だから……うれしい」
 ――なんてことだろう。この土壇場でこんなことになるなんて、うれしい、と言うよりかは驚きの方が勝っていた。でもとっととコクっておけばよかった。
 徐々に火の手は広がって行き、俺達は隅に肩をひっ付けて座り込んだ。
「何でこんなことになってるんだろうな」
「そうだね、夢でも見てるみたい」
 ポケットから煙草を取り出し、火をつける。
「彼氏が煙草吸ってたらいや?」
「ううん、大丈夫」
 人生最後の一本か……、と心中で呟き、肺を煙で満たす。
「なあ」
「うん?」
「死ぬ前にさ、一回でいいからキスしようか」
「うん」
 そう答え、うつむく樋口、照れているのだろう。とても愛おしく思えた。
 煙草を床でこすって消し、樋口と口を合せる。
 おそらく五秒ほどだっただろう。俺達には永遠のように感じられた。
「どんな味がした?」
「煙草の味」
「ごめんな」
「ううん」
 しばしの沈黙が二人を襲う。火の手は目前まで迫っていた。
 もう終わりかと思われていたその時、けたたましいサイレンが街中を響いた。
「消防車と救急車だ」
「助かったの?」
 おそらく消防なら上階に取り残された人用のクッションがあるのだろう。
「ああ、ここにいることを下の人間に教えてあげてくれ」
 そう言うと、樋口は開いていた窓から身を乗り出し、ここにいることを大声で叫んで伝える。
 そうすると、一分ほどで消防隊員がクッションを用意してくれた。
「先に下に降りてくれ、俺は後でいい」
 俺は一切動くことなく樋口に告げる。
「わかった早く下に来てね?」
「ああ」
 そう言うと、樋口は俺を名残惜しそうな目で見つめ、下へと飛び降りた。
 俺はと言うと……、そのままの体勢で煙草を手に取った。ライターで火をつけようとした。
 カチッ、カチッと音がするだけで火がつかない。
 俺は舌打ちし、すぐそこまで迫っている火で煙草をつける。
 ふう、と煙を吐き出す。
「もうちょっと幸せを満喫したかったなー」
 俺の下半身はすでに動かなくなっていた。おそらくはさっきのやけどがひどかったのだろう。麻痺してしまった。腕ももう少ししか力が入らない。
「あー世の中うまくいかねーなー本当」
 そう言って、煙草を渦中に投げすて、箱に手を伸ばす。
「あ、煙草切れた」
 そう呟いたあたりで、徐々に意識が朦朧としてくる。
「煙草の火も消したのに煙が目にしみるなー、いや火事の煙の方かなー」
 気付くと俺はぼろ泣きしていた。何に対してはわからない。ただ、俺が泣いているという事実しかわからない。
 下の階から『いあああああああああああああああああああああああああああああああああ』という痛々しい悲鳴が聞こえた。それはまぎれもない樋口のものだった。悪いことをしたという罪悪感に襲われる。どうせ救急隊も間に合わないだろう。すでに下は俺が入って来た時よりもひどいはずだ。
 でもそんなことも……、もうどうでもいい。もう……。
 そうして俺の意識は閉じた。
 
 
 
 目を覚ます。
 ぼやけた視界であたりを見渡すと、そこは病室のようなところのベットで寝ていた。と言うよりかはそうとしか思えない空間だった。
 真っ白な空間、並べられたベット、のんきに風に揺れている白いカーテン、部屋の中の何もかもが白で統一されていて、清潔感を主張しているように見える。
「あっ! 目が覚めたの?」
 徐々に視界が安定してくる。おれの横には樋口が座っていた。
 よく考えたら全身の痛みは引いている。俺は確か、火事で大火傷をしたはずなのに。夢だったのだろうか。
「俺、助かったの?」
「うん!」
 助かったのか、という問いに対し、うん、と答えるということは、やはり夢ではなかったのだろうか。
「そうか」
「本当に良かった……」
 そう言って樋口は俺の手を握り、泣き出してしまった。
「これからいろんな楽しいことしような」
「うん」
「なんか俺眠いし、もう一回寝るわ」
 俺はもう一度意識を閉じた。
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