2009年12月12日

今年の漢字「新」とオウム真理教

昨日に引き続き、オウム事件の真相に関して書きたいと思います。

 

その前に、昨日今年の世相を反映する漢字が「新」と発表されました。私は「新」であることを知った時、「なるほど」とうなずきましたが、今朝の東京新聞の記事を見て、少々落胆しました。「新」の意味の認識に違いがあったからです。

 

新聞では、新政権や新型、新記録の「新」と応募者の漢字の選択理由を分析していましたが、私は違うと考えます。応募者はもっと前向きにとらえていると私は思っています。

 

つまり、「新」は「新しい」ということであり、これからの社会が新しい社会になることに期待を寄せた結果が「新」という漢字の選択であると私は考えるのです。

 

言いかえれば、「新」にしなくてはならないほど、個人も社会も悪い状態であると感じている人が多数であるということです。であるからこそ、私たちは圧倒的多数で新政権を選択したのです。

 

さて、昨日もこの公式を紹介しました。

 

現在 − 過去 = ゼロ

 

この公式は、このようにも変化させることができます。

 

現在 − 過去の悪いもの = ゼロ =「新」



 

オウム信者は「ゼロになれる自分」を求めて入信したと記しましたが、それはすなわち「新」を求めたということです。これまでの自分を引き算し、新しい自分に新生したいがためにオウムの門をくぐってしまったのです。

 


ジャーナリストや弁護士の方々の理解が足りないと書きましたが、この点についてもう少し説明します。

 

日本人は、何かを良くしようと考えると、必ず足し算から入ります。ポスターや標語を足したり、手順を足したりします。私は講演で、この「もっともっと」の考え方が、仕事を複雑化し、やる気にもつながらない原因であると述べています。そして、正しい仕事を生み出すには引き算の方が大切だと教えます。

 

人を育てることも同じです。ディズニーランドの教育がうまくいっているのは、初期の導入教育で、悪い癖など個人的なことを引き算しているからなのです。引き算され、「ゼロのからだ」になったキャストは、ゼロの心、無垢の心で「ディズニー」を受け入れられるのです。

 

このように、人を理解し成長させるためには、「引き算すべきものは何か」を正確にとらえることが重要です。

 

私は、オウムの問題も同じだと考えています。「普通の人」が入信したのですから、「普通の人」が「新」になるために共通する「引き算すべきものは何か」を掘り下げなくてはならないのです。そこが関係者に足りないものであると考えるのです。

 

私は、「普通の人」が共有する「引き算すべきもの」とは「心の債務超過」であると考えます。返したいけれど返すことができないという感情が「普通の人」をカルト教に走らせるのです。

 

自殺や、自暴自棄の殺人も同じです。「心の債務超過」に耐えきれなくなり、その人らしくない行動に突き進んでしまうのです。自殺者は必ずといっていいほど「楽になりたい」という言葉を残しますが、この言葉は「心の債務」をゼロにして「楽になりたい」という意味であると私は考えます。

 

人は誰も「自尊心」があります。人の心の中には「良い自分」と「悪い自分」が同居していますが、「悪い自分」が増大すると、「良い自分」が負けてしまい、その結果「自尊心」が大きく傷つけられることになるのです。これが、「心の債務超過」状態であると私は考えます。

 

それでは、「心の債務超過」状態にならないようにするにはどうすればいいのでしょうか。答えは実に簡単なことです。「悪い自分」をゆるすことです。そして「良い自分」をほめることです。

 

残念ながら人類は未だにタイムマシンを有していません。ですから過去は絶対に変えられないのです。過去の「悪い自分」は絶対に変えられないのです。自分をゆるし、忘れるしかないのです。「悪い自分」との飽くなき戦いを自分で止めるしかないのです。それが「ゼロの自分」であり、「新」の自分を目指すことなのです。

 

オウム事件などのカルト問題を語る時、「引き算」から入らなければ何も見えてこないと思います。反対に、「引き算」から入れば、カルトの問題も、自殺の問題も、自暴自棄殺人問題も、根っこは一緒であることが見えてきます。

 

そして、これらの問題と日本社会が別れを告げるためには、根っこにある「引き算すべきこれまでの悪」を社会から「引き算」することしかありません。この「引き算が」うまくいけば、国民は、稲盛和夫氏や加藤鉱一氏が言うように「足るを知る」ようになります。映画「千と千尋の神隠し」に登場するおとうさん豚、お母さん豚のような生き方を好む人はいなくなるに違いありません。

 

加藤鉱一氏の以下に紹介する文は、私が言いたいことと同じです。2002年頃に書かれたものですが、その前に起きた「加藤の乱」で、理念派の代表と言われた加藤氏が小泉純一郎氏に負けなければ、今の世はもっと良くなっていたと思うと残念でしかたありません。

 

<引用開始>

我々日本人は、「足るを知る」(知足)の精神からあまりに離れすぎたのだと思う。自らを隣の人、同僚、親戚、同級生と比較し、自分の持っている車や住まいや子供の進学など、すべて比べ競争し、飽くことがない。「追いつき追い越せ」の精神で走り続け、追いついた後も何かに追いつこうとしている。SMAPの『世界で一つだけの花』がヒットしたのも、まだまだ自分だけの美しさを持った花と自信がもてないからだろう。

<引用終了>

http://www.katokoichi.org/thoughts/nippon.html

 

最後に一言。今年の漢字は「新」ですが、来年は前進の「前」か「進」になることを希望します。そのためには、以下の公式を活用するしかないと考えます。

 

現在 − これまで族の悪 = 前進