2009.12.12

【NEW・12/12】不幸なる失敗作「小説ー拳王」(PHP/97年発売)に再起のチャンスを!

某月某日

最近、疲れがたまっているのか…規則正しい生活が完全に破壊しているからか、いい年して倅の稽古に付き合っているからか、睡眠障害も行くとこまで行ってしまったような感じです。
陽が昇るまでPCに向かい、寝ようとしても仕事の興奮が収まらず、もう睡眠導入剤など効きもせず、気が付くと会社の始業時間です。こうなるとMorningーmeetingの結果報告が待ち遠しく、寝るどころじゃなくなります。
11時半頃に会社から報告のmailが届きます。すると決まって会社に電話し、幾つかの確認や指示をだしたり…。気になる事があればpartnerと電話で打ち合わせ。アッという間に1時間。1時間で終わればいい方で、長引けば3時間など珍しい事ではありません。
これで一段落。
あくまでtroubleがない場合に限りますが…。
時間はとっくに午後になり、14時前後。食欲もなく、しかし何か軽くでも胃に収めないと! 家政婦さんがいる時は何かしら用意してくれるものの、独りの時には昨夜の余ったご飯をレンジで温め、フリカケでブランチ!?
寝なきゃ!!
しかし眠れない。
ところが陽が暮れる頃になって突然の睡魔に襲われます。だいたい倅に起こされると既に深夜0時。「親子稽古」の日は21時前後なので約1時間は意識朦朧状態。
だから夜は眠くて…。でも仕事しなきゃならない!!
まるで30年前の大学受験生に戻った気持ちです。実際、私は仕事を「しょうがないから勉強するか…」などと言い間違える事など日常茶飯事です。
こうして、やっと孤独な闘いに私は毎日挑むのです。


ところが昨夜は、「親子稽古」のない日でもあり、夕方というか19時頃に寝てしまいました。猫のミルを抱きながら…。
深夜0時。倅に起こされて、半分寝ながら何か食べ、半分寝ながら風呂に入り、再びベッドに崩れ落ちるように爆睡!! しかし悲しいかな習慣で、明け方5時に目覚めてしまいました。
再び、仕事しなきゃ!!
猛烈な強迫観念に襲われました。
とにかく睡魔から逃れなくては!! その為にマズい煙草を数本吸い、フッと思い出して本棚から拙書「小説ー拳王」を引っ張り出してページを繰り始めました。
私は自分の書いた本を改めて読む習慣はありません。理由は沢山あります。要は自分の下手な作品を読むに耐えられないのです。しかし、この時「小説ー拳王」を手にしたのには理由がありました。倅のBlogにこの本が触れられていたからです。
「小説ー拳王」がPHP研究所から発売になったのが1997年の夏でした。予定では1年早い96年の発売でした。初めて書く小説に、私は想定外の苦労を強いられ、結局脱稿が遅れに遅れてしまいました。
本来、PHP研究所が新書判のノベルスへの参入第1弾となる5冊の中に組み込まれていました。ところがノベルス参入が失敗に終わり、最終発売に回されてしまったのが、この作品の不幸でした。大した宣伝もされず、シリーズ最終判という不名誉な形になってしまいました。
それでも担当編集者の方は極めて協力的で、名もない無名作家であるにも拘わらず一生懸命に販売部と折衝をしてくれ、初版12000部という破格の数字を提示して下さいました。普通、ノベルスでも新人クラスでは初版6000部から7000部がいいところです(出版不況の現在は更に減っているようですが)。今でも担当の加納氏には感謝しています。


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samurai_mugen at 17:30|Permalinkclip!駄文 

2009.12.11

【NEW12/11】 親子ブログ「正義なき力は暴力なり」〜更新情報

09年12月11日掲載
「青水流とオヤジの小説『拳王』の不思議な関係…」
※現役2代目芦原会館への挑戦!! 芦原英幸本人のサバキを知らないヤツらに誹謗される理由はない。青水流こそが実戦で生きる必殺の技術の集大成である!
TAISHI


09年11月21日掲載
「メタボ対策に最高の本が出版されました!!」
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※オヤジの義兄弟、村谷先輩が技術監修を務めた話題の本。ちなみに著者となっている「ビジネスマンの健康を考える会」の実体は某会!?
TAISHI


09年10月14日掲載
「司馬遼太郎先生の傑作[坂の上の雲]に挑戦!!」
※読書嫌いの自分はオヤジに何度も怒られて、やっと本の面白さがわかりました。
TAISHI


09年9月27日掲載
「囲碁との出会い〜こうして自分は囲碁に夢中になりました」
※空手漬けの毎日だとお思いでしょうが…。
TAISHI



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2009.12.08

【完全修正版】親愛なる友へ!! 「大山倍達の遺言」について… Part2

物書きは因果な商売である。原稿書きが死ぬ程苦しい癖に、もう体力の限界値を越えている! 精神的飽和状態を迎えていると解りながら、何故か何でもいいから文章を書いて「クールダウン」を図ろうとする。それは、中毒と言ってもいいのかもしれない。
原稿執筆に疲れ果て、気が狂いそうな状態から「脱出」する為にものを書く…。実に不可解なのだが、現実だから仕方がない。
以下の文章も前日掲載した内容と大きくダブる。当然だ。今の私は寝ても覚めても「大山倍達の遺言」の事しか頭にないのだから。というより面倒な他の事は、この際一切考えない事に決めている。
某会の総会稽古も目の前に迫っている。勿論、某会は私にとってかけがえのない「兄弟」たちとの交流の場だ。極真会館の空手を基本に、芦原英幸「直伝」のサバキ、特に裏サバキと、その原点となった大日本武徳会系柔術の技術によって体型立てられている青水流は何があっても残していきたい。
だから極真会館を中心に極真系格技の黒帯、猛者連中が危険極まりない稽古に自ら身を投じてくれているのだ。
青水流に関して私の「夢」は、極真会館館長である我が悪友にして兄弟の松井章圭氏に筋を通し、極真会館と良好な関係のもとでの道場設立だ。
しかし、今の私にはそれどころでない。某会の今後の活動や展開については、取り敢えず最高師範、次席師範、更には幹部たちの合議に委ねておこうとお願いしている。
…まだ仕事の途中ではあるが、明日は極真会館の某重鎮の師範との会合、食事会を控えている。仕事は早めに切り上げ、既にクールダウンの態勢に入りつつ。このコラムを書いている。
繰り返すが、内容は昨日のコラムと重複する。我が友に送る書簡の形で書いた文章を再構成させたものである。
その点をご理解頂きたい。



俺、マジでヤバいかも…。
眠れないのだ。
睡眠導入剤を何個飲んでも1時間で目が覚めてしまう。
頭の中にはいつも原稿がモヤモヤ渦巻いている。
考える事が山ほどあって、腹立つ事も腐るほどあって、オマケに減量中だから食べたいものが好きに食べられず、かなりの欲求不満が蓄積している。
だいたい今日は何月だ!?
何曜日だ?
今は何時なんだ!?
「大山倍達正伝」を書いていた頃から俺は一切季節感、時間の感覚さえ喪失してしまった。倅は「まだあの仕事のリハビリが終わってないのに色んな事があり過ぎたからだ」と言う。
かといって、この半年。俺は殆ど生産的な仕事をしていない。ろくに文章も書いてないのだ。
今になって何かの呪縛から解き放たれたようにPCに向かい出したのだ。まるで強迫観念に襲われるように仕事仕事仕事、原稿原稿原稿…。
原稿書かないと!!

怠惰の罪。
partnerの苦労を理解せずに過ごしてきた罪。
大切な事柄をpartner任せにし、後回しにしてきた罪。
驕り!?
これらのツケが一度に押し寄せてきたのだろう。
終わらない!!
どうあがいても約400枚。第6章は終わらない。オリジナルは200枚弱だったか!? 構成骨格は申し分ない。さすがに俺のpartnerだ。



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samurai_mugen at 07:08|Permalinkclip!駄文 

2009.12.07

【完全修正版】親愛なる友へ!! 「大山倍達の遺言」について…

某月某日

夜空に浮かぶ星に打ち明けよう
この世を去っていく人々の愛情を
ある時は憎しみで意識して遠避ける
狂い始めている歯車にかじりつき

家族を乗り越えたけれど
家族を乗り越えたけれど
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い

希望を打ち荒ぶ風に打ち明けよう
これから消えていく情熱の行く先を
裏切りが見えた時、恋人は泣き叫ぶ
初めての嘘の後、絶望と結ばれる

人生に躓いた夜
人生に躓いた夜
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い

世界中濡らす雨に打ち明けよう
真実が時に不真面目と寝る事を
人間が走り争いが起こる
美しい夢は唇で渇れ果てる
現実と立ち向かっても
現実と立ち向かっても
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い

時に追われている自分に打ち明けよう
正直の真似をして、これ以上生きられぬ
この命ただ1度、この心ただ1つ
俺を許してくれ
俺を許してくれ

人間と呼ばれてるけど
人間と呼ばれてるけど
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い

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吉田拓郎、作詞作曲の「俺を許してくれ」という歌です。
先日、また大切な人間を失いました。理由はともかくアイツは私を憎んで去っていったのでしょう。
神様に授けられた縁で私のfamilyに入った人間が、例え相手に罪がありtroubleがあったにせよ、何故こうも簡単に離れていくのか!?
監督不行き届きなんてものではなく、きっと全て私の責任に違いありません。
私は人間嫌いです。
私の快活さや微笑みは、自分が気付かないところでマヤカシだと見破られていたのかもしれません。
私は偽善者を憎み、偽悪者を好み、また自身も偽悪者と信じてきました。しかし本当の私は偽悪者ではなく単なる「悪人」に過ぎないのかもしれません。

私は人間嫌いです。
他人に心を開かないのが私の本性です。だからこそ、私は「family」や「兄弟」を信じたいと願ってきました。
幼少時代から孤独の辛さを身に滲みて体験してきたから、私は人嫌いになり自分の殻に閉じ籠るようになりました。外見だけは陽気に振る舞いながら…。
確かに矛盾しています。
しかし、そんな私だからこそ、心の奥底では孤独を畏れ信じるものを渇望してきたのかもしれません。
堪らないほど寂しいです。
眠れないほど悔しいです。

仕事も空手も、人生には壁が付き物です。例え遠回りをしても苦労して前に進むしかないのです。精一杯努力する。努力する事も才能ですが、これも踏ん張り這い上がる事で身に付く能力なのです。
何故、簡単に人生との闘いを放棄してしまうのか!?
辛い時、苦しい時には必ず手を差し伸べると言ってきたにも拘わらず、理由にならない理由を作り、逃げる大義名分を無理に主張して離れていく。
人生は苦しく辛いものです。しかしその苦難に真っ向勝負するしか道は拓けないのです。

しかし…、そんな能書きばかり繰り返す私がウザったいのかもしれません。世の中には貧乏でも家庭的問題を抱えても、リストラに怯える毎日を送っていても、現状に満足している人も多いのでしょう。だから次第に私を疎ましくなり、いつしか「味方」が「敵」となり私から離れていくのです。
過去、私のもとから去った皆さんに!
私を許して下さい。
全て私の未熟さ故に招いた結果なのです。
私を許して下さい。

冒頭で紹介した吉田拓郎の歌は、まさに今の私の為のメッセージだと自戒を込めて…。


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samurai_mugen at 07:26|Permalinkclip!駄文 

2009.11.17

【ファイト!!】力なき正義は無能なり=ブログのメインテーマ・コラム

ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ

暗い水の流れに打たれながら魚たち昇ってゆく
光っているのは傷ついて剥がれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにね
痩せこけてそんなに痩せこけて魚たち昇ってゆく
勝つか負けるかそれは分からない
それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめてアイツは海になりました

ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ

あの魚たちの群れキラキラと海のなかの国境を越えていく
諦めという名の鎖を身を捩って解いていく…



中島みゆきと吉田拓郎の合作、「ファイト!」という唄の歌詞である。
この唄を聴いて私は幾度、涙を流したか分からない。実際の歌詞はもっと長い。悔しい、辛い、悲しい少年や少女の思いが、それぞれのシチュエーションで綴られている。私も歌詞に出てくる彼らのなかの1人だった…。
悔しいから反抗した。
辛いから泣いた。
悲しいから闘った。
「闘う」ということがどういう意味か? 私は自らの体験から学んだのだ。本来なら、そんなもの学ぶ必要はない。学びたくもないことだ。しかし、生き抜くためには闘うしかなかった。
そんな私を過去、多くの人間たちが嘲笑ってきた。
「ヤクザの息子が、チョーセンに何が出来るよ! 悔しかったら一人前に学校出て人並み以上に稼いでみな。どうせチンピラになるのがせいぜいだよ」
「チビが、かかってこいよ、チビの癖に生意気に! 柔道だろうがプロレスだろうがやってこいよ。いつでもフクロにしてやるわ」
「口だけ達者でとうとう逃げ出した。アイツはそうやっていつも調子いいこといって都合が悪くなると逃げ出すんだよ」
「ペンは暴力にもなる。けどオマエのペンなんか簡単に折ってやる。ペンでさえ握れないようにしてやるよ。生意気いうのは100年早いんだよ」


いまでも私を嘲笑うヤツらは絶えない。
だが、昔と違っているのは、誰も直接私の前で笑わないし、愚弄もしないということだ。笑うヤツらはいつも姿を隠し、必死になって見えないところから引きつったように笑うだけである。
そういうのを世間では「負け犬の遠吠え」と呼ぶ。
私は逃げも隠れもしない。
東京豊島区池袋の夢現舎が私の本陣だ。私を笑いたければ、悪口叩きたいならば、ケンカを売りたいならば夢現舎にくればいい。


「ファイト!」は真実を歌っている。
闘う人間の姿を、闘えない弱虫が笑うのだ。心のなかは歪んだ劣等感に溢れている。捻れたプライドにしがみつくことしか出来ない人間が自身の惨めさを隠そうと無我夢中に、闘う人間を笑うのだ。それも想像を絶するほど陰湿に、そして陰険に…。
しかし、闘う人間にとってはそんなもの痛くも痒くもない。なにせ負け犬の遠吠えだ。逆に、負け犬は闘う者から嘲笑を浴びることを知っているから、自らの卑屈さを知っているから尚更ヤツらはムキになって闘う者を笑う。
私は差別と偏見と蔑視の視線を大人たちから浴びながら今日まで闘い続けてきた。それだけは胸を張って断言出来る。


不良、少年犯罪者というレッテルを貼られた私は、T県トップの進学校に進み早稲田大学に入った。誰か悔しかったら早稲田大学に入ってみたらええ! 死ぬ気で受験勉強してみいや。ただのう、三瓶啓二や東孝が通った「夜学」は早稲田とはいわんよ。夜学は早稲田の盲腸じゃけえ、近々廃学が決定しとるんよ、念のため。
柔道も中途半端、極真空手は末席の末席のまた片隅を汚しただけの男に過ぎません。でも、私を弱者呼ばわりしてバカにするならば、とりあえず極真会館(松井派か極真館)の黒帯を取ってから吠えろや! いつでも待ってますけえ。
編集者だ、物書きといってもまだまだ出版界では「ハキダメのような格闘技界の業界人」(ちなみに私は俗に呼ばれる「格闘技界」と「格技・武道界」は別物と捉えています)としか見なされていない半端者です。物書きとしてさえ認められていない未熟者です。
けど、そんな私を笑うならば1冊でもいいから本を出版してからいえや。それも山田英司や家高康彦のように初版2000部なんちゅうのはメディア、マスコミとはいわんけえ。それはミニコミというんじゃ。小島は1回の増刷だけでもそれ以上を刷りますけん。
夢現舎、夢現舎といってもちっちゃなカスのような会社です。スタッフもせいぜい10人程度に過ぎません。デカい会社が本気になって潰そうと思えば簡単に跡形もなく消えてしまいそうな編集制作会社です。でも、誰もそれは出来ません。私たちは絶対に「筋」だけは通します。道理を無視して筋を違える相手には刺し違えても引きません。



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samurai_mugen at 23:55|Permalinkclip!テーマコラム 

2009.11.01

沖縄で出会ったミュージシャン<ういずあす>。いつか必ず!!

本当に心が癒される歌・音楽はそう多くはない。

9月初旬、例年より短い10日間ではあるが、私と倅は恒例の沖縄滞在に赴いた。宿泊するホテルはこの約10年間、2つに決めている。
前半の1週間(例年2週間の滞在なので)は今若者たちのメッカとなっている北谷・美浜と那覇市の中間地点(宜野湾)にあるANAラグナガーデン。後半1週間が那覇市の高台にあるナハテラスである。
蛇足だが、ナハテラスの周辺は最近まで閑散としていた。だがモノレール(ゆいレール)が開通し、最寄り駅近くにDFギャラリアがオープンすると俄に街は活気づき、最近では美浜辺りよりも華やかな巨大エンターテインメント地域に変貌しつつある。反比例するように、かつては沖縄No.1の観光地だった国際通りは寂しいくらいに閑古鳥が鳴いている。

話を戻す。
最初の滞在先、ラグナガーデンの広いプールで泳いだり、デッキチェアーにもたれて午睡を貪っていると、プール脇のステージから音楽が流れてきた。
ステージでは毎日午後7時になると観光客相手のショーが催される。エンジニアが機材の調整をしていたのだ。
ショーでは大道芸やマジックショーも行われるが、やはりメインは沖縄在住のセミプロミュージシャンによる沖縄民謡のミニリサイタルだ。とはいえ私たちは1度もショーを観た事がない。しかし部屋で寛いでいると自然と音楽が窓越しに流れてくる。それをボーッと聴くのが好きだった。

私は何故か三味線の音が好きである。江戸風小唄を伴奏する三味線も粋だが、激しいリズムを刻む津軽三味線は本気で学ぼうと思ったくらいに大好きだ。そして独特の旋律で乾いた音を響かせる三線と指笛を吹きながら唄う沖縄民謡には不思議な魅力を感じてきた。
ホテルのショーは観ないが、沖縄では一流の民謡トリオ<ネーネーズ>のリサイタルには何度足を運んだか分からない。<ネーネーズ>は本土でも活動しているので知っている人も少なくないだろう。
現在の<ネーネーズ>は所謂「2代目」で、約10年前に襲名し平均年齢もグッと若くなった。唄は上手いし3人とも絶世の美女である。彼女らとは色んな曲折を経て「友だち」になった。とはいえ、生来ウブな私は今でも彼女らの眼を見て話せない…。

またもや話が脇道に逸れた。
繰り返すが、ラグナガーデンのプールに漬かりながら私たちが戯れている前で、音楽エンジニアが夜のショーに向けた音響設備のチェックを行っていたのである。途中、その日のゲストミュージシャンの伴奏用カラオケと歌入りのカラオケを交互に流していたというわけである。
実に優しい楽曲だった。
沖縄民謡のリズムや三線がベースになりながらも洋楽のエッセンスが絶妙な形で溶け込んでいる…。ボーカリストは女性だが、沖縄民謡の節回しを駆使しながらも完全なポップスになっていた。

1990年代以降、沖縄出身のミュージシャンや俳優、アイドルの活躍は目覚ましい。個人的には好きではないが安室奈美恵やSPEED辺りが牽引車になったのかもしれない。
沖縄アクターズスクールは今や観光スポットにさえなっているほどである。蛇足だが、私は沖縄出身の女性が好きだ。仲間由紀恵も国仲涼子もいいが、新垣結衣は…もう完璧過ぎてゴメンナサイ! である。

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(東洋1広いと言われるラグナガーデンのプール)

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samurai_mugen at 14:44|Permalinkclip!駄文 

2009.10.16

身も心も腐った貧乏人にはヘドが出る! 闘うべき時に闘えない負け犬ども!(改訂版)

今までも厭という程繰り返し書いてきた。

力なき正義は無能なり!!

ここで言う「力」とは何も腕力だけを意味しない。銭も「力」のひとつだし地位や名誉は勿論、政治力や社会的影響力などは名実ともに「力」の象徴である。
一方で「貧すれば鈍する」という諺があるように、如何にもっともな綺麗事を並べ立てようが銭がなければどうにもならない。「金持ちケンカせず」とも言うが、銭のない貧乏人に限って見栄を張り、法螺を吹き、豪傑さをアピールする。だが何かの拍子に必ずメッキは剥がれる。行動の隙間から醜いセコさが滲み出るのだ。
D塾のA、新Kの癌・S、格闘技SのA、Fの師匠・Iらがその代表格だ。酒を浴びる程に飲み、それが豪傑の証だと勘違いしている大バカ者ばかりである。その癖、皆10円や100円にも拘る吝嗇家だ。
当然のように家内事情は常に火の車であり、他人にタカるのが実に巧い。要は最悪の「貧乏人」という事だ。身も心も腐り切った貧乏人である。
そんな阿呆がいるかと思えば、反対に如何に自分が不幸か!? 時には身内の誰彼が不治の病に冒されているとか寝たきりだとかデッチ上げてまで同情を買おうとする輩もいる。
ヤツらはヤツらで質が悪い。
自分が不幸なのは国が悪い、政治が悪いと政治家に責任を押し付けるだけでは収まらない。富める者、銭のある人間を平然と悪人呼ばわりする。まるで詐欺か強盗でもして銭を溜め込んだかのように敵視する。
それに迎合し、「税金は金持ちからふんだくればいい」とまで極言を吐く大衆に擦り寄る幇間評論家もいる。浅ましい似非貧乏人の極みだ。旧社会党、現在の社民党が好例だ。福島瑞穂のエキセントリックな醜い発言には首でも絞めてやりたいほど腹が立つ。あのタダレて崩壊寸前の顔をTVで見るだけで、私は1日中気分が悪い。
俺はなあ、汗をかき、血を吐き、涙を流しながら闘って来たんよ。死ぬ気で闘い頑張って銭を稼いできたんじゃけえ…、それをテメエら貧乏人の為に税金で取られたら堪らんのじゃ!!
日本は正当な努力による報酬を認めない精神的社会主義国(産業社会主義国)である。決して自由主義国ではない。横並び主義、年功序列が染み付いた経済後進国そのまんまだ。
そこまで言うならオマエらみんなで究極の「社会主義国」北朝鮮に移住しやがれ! そういえば最後の最後まで北朝鮮の拉致問題を否定し続けたのも土井たか子ら旧社会党の連中だった。
拉致事件が明るみになっても謝罪ひとつしない傲慢さ…オマエら皆、愚民専門の詐欺師じゃけん。社民党さんよ!!

私は近所近隣から嘲られる程、貧乏な家に育った。物心ついた頃から何ひとつ欲しいモノを買ってもらった事がない。トランジスタラジオが欲しいとダダをこねればオヤジの義兄弟・梁川の所からクズ同然のラジオを探してくる。中学の時、「ラジカセ」が流行ったが私には手に届かない夢だった…。

何故、ウチは貧乏なのか!?

何度も何度も自問自答した。
理由は簡単だった。一家の大黒柱たるオヤジが放蕩三昧で甲斐性がなかったからである。「本物」のヤクザならば甲斐性も銭もあるものだが所詮、ただの博徒には「ヒモ」になるのがいいところなのだ。常にウチの台所はお袋が昼も夜も働いた銭で守っていた。汗水垂らし、体を壊しながらお袋は働いて私を食わせてくれた。

貧乏は宿命ではない。怠惰の結果に過ぎないのだ。だから私は貧乏人が大嫌いだ。
豪快さを売りにするクセに中身のない見栄っ張りを私は唾を吐きたい程蔑む。
自らの不幸を切り売して金持ちを悪人呼ばわりする腐れオカマには呆れて言葉もない。
ヤツらには皆共通項がある。闘うべき時に闘わず、頑張るべき時に頑張らなかったゴミクズ連中だ。



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samurai_mugen at 14:09|Permalinkclip!駄文 

2009.10.04

一瞬に過ぎ去った私の夏…(改訂版)

久々のブログになります。

この夏は一瞬で過ぎていったような気がします。
かといって決して私が多忙を極めたという訳ではありません。相変わらず(株)夢現の業務は副代表のYが何もかも仕切り実務まで彼女が乗り出して出版不況のトンネルから脱出すべく精一杯、頑張ってくれました。
新人スタッフは過去もそうですが、入社して暫くすると「出版」という今まで心に描いていた世界と異なる「現実」を知り、当惑と責任の重さの中で溺れそうになりながら一生懸命にもがいています。
今や中堅となったスタッフはスタッフで、更なるステップアップの前に立ちはだかる高い「壁」に呆然とし、時には身をすくませたり、また時には勇敢に挑んだり四苦八苦を繰り返しています。
そんなスタッフたちを統率しつつ(株)夢現の財務関係から一作家として原稿執筆までこなしてしまうYはやはり怪物かスーパーウーマンではありますが、そんな彼女に甘えきっている自分への恥ずかしさ、つまり自己嫌悪が日々募る毎日です。
いつかは彼女を高く広い、そして青く澄み通った大空に羽ばたかせてやらなければいけない。解放してやらなければならないのです。
一方でそんな日が永遠に来ない事を祈っている…。その矛盾が私を苦しめ続けています。

半世紀生きてきた事実に不思議な重圧を私は感じながら夏を過ごしてきたのもまた事実です。夢と諦念の狭間の中で、後何年私は走れるのだろうか!? 不安との闘いの中で身動きが取れない事もありました。
今年が最後の全国ツアーと謳って活動していた吉田拓郎は、結局最後の最後でゴールに辿り着けず、挫折感を残したままこの夏を終えました。
矢沢永吉は60歳を記念する東京ドーム公演に6万人近い観衆を集め、広いステージをダッシュしながら微塵も衰えぬパワーを見せつけました。

私は間違いなく矢沢さんのようには生きられません。ドームの観客に混じり声が枯れるまで2時間半、「永ちゃんコール」を続けました。これはある意味で私自身への鼓舞でもあったのですが、結果的に矢沢さんが遠くに感じる寂しさだけを私に残して終わりました。

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(5万人を超える観衆を飲み込んだ矢沢永吉の東京ドームコンサート)

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samurai_mugen at 18:45|Permalinkclip!駄文 

【改訂新版】泉谷しげるに本当の「男」を見た!

何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか

口煩いぜ
見飽きた励ましの言葉は
今更オマエの口から聞きたくない
歳を取ったかい
いつもの顔付きが優しいぜ
受け売りの言葉など
横に置けよ
何か起こせる口だけのフリは
見抜かれている
気付くのが遅いのか早いのか

何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか

口喧しく
いつまで言う事はないだろう
イラつく俺は
オマエの目を見ない
それでも止めずに
素顔に迫ってくる気かよ
俺だけが引いた
ラインを超えてくる
何もかも見棄てたフリしても
見抜かれている
気付くのが遅いのか早いのか

何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか

命を賭けて答えを出すのは
戦う相手が強いから
目覚めるのが遅いのか早いのか

何故、こんな時代に
頑張れないのか
何故、こんな時代に
頑張らないのか


【何故、こんな時代に…】
(作詞・作曲/泉谷しげる)



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泉谷しげる…。
1970年代、吉田拓郎や井上陽水と並び「フォーク御三家」などと呼ばれたソングライターである。

だが1979年、TVドラマ「戦後最大の誘拐事件 吉展ちゃん事件」でいきなり犯人役を演じ、大絶賛されたのを期に俳優としても積極的に活動するようになった。
80年代に流行したトレンディドラマでこそ剽軽な亭主役をこなしたが、以後は自ら好んで悪役や穢れ役を演じた。最近ではTVドラマ「電車男」の痴漢役で注目を浴びたのが記憶に新しい。
私は「役者に転向」した泉谷が嫌いではなかったが、やはり彼は「歌を棄ててしまった…」のかと寂しい思いを抱いていた事もまた事実である。

70年代、泉谷しげるのソングライターとしての個性は際立っていた。「春夏秋冬」「春のからっ風」「寒い国からきた手紙」などの情緒的な楽曲と共に挑戦的かつ過激な反体制的な楽曲も彼の十八番だった。
彼の歌はみな荒削りの歌詞ばかりだ。文法などどうでもいいといった感じである。しかし彼の歌を聴けば聴く程、心が激しく揺さぶられるから不思議だった。
怒鳴るように、叫ぶように唄い、ギターを打楽器の如く鳴らした。演奏中に弦が切れるのも珍しくなく、それでも泉谷は全く無視して唄い続けた。
とにかく粗野を絵に描いたような荒くれ者…それが泉谷しげるのイメージだった。
しかし、フッと見せる恥じらいや笑顔は透明感に満ちていた。

高校中退後、職を転々とし、また幼少期に患った小児麻痺の影響で足が不自由ながらも常に前向きに生き続けた結果、自分の心に燻る怒りや悲しみを表現する事が出来る「フォークソング」に辿り着いたと彼は言う。
75年には拓郎、陽水、小室等と共に「フォーライフレコード」設立のメンバーに加わったが、極めて強い個性と組織嫌いから「フォーライフ」を離れ、これを期に彼の楽曲はフォークからロック色を強めていく…。
考えてみれば、最初から泉谷の歌はロックだったのかもしれない。





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samurai_mugen at 12:19|Permalinkclip!駄文 

【再掲載・全面改訂版】吉田拓郎が教えてくれた…

あの日の君はとても
コワイ顔をしていました
だけど僕も一歩だって
引き下がるつもりはありません
時間ばかりが沈黙の中で
進んでいくような
それでも結局お互いに
納得は出来ないままで

女と男とは
違う生きものなんだと言いきかせて
黙り込んだままそっぽを向いて
寝るしかなかったのです
深夜になって僕は
そっと起きて水割りを作ってみました
一人で色々考えてみたけど
やっぱり結論は出ないままで

君はその頃寝たふりをしながら
くやしさいっぱいの気持ちで
「どうしてこの男と一緒にいるんだろう」と
考えていた事でしょう

あれからずいぶん時も過ぎ
考え方も変わってきたようだけど
君には君の 僕には僕の
越えられないものがある

昔と何が違うんだろう
年を重ねるって何だろう
人はそんなに変わらないだろう
僕は君の事が好きだから
君とこのままがいいんです
君も僕以外の男は無理でしょう

二人とも欠点が多くて
誇れるものは少ないけれど
お互いの事は二人が
一番良く知っているわけだから
いっぱいの問題を抱えながら
僕たちはこれからもずっと
危なっかしいけどそれなりの
人生を続けて行きましょう

(作詞・作曲/吉田拓郎・「今は恋とは言わない」)



吉田拓郎は今年、60歳を幾つか越えました。たしか63でしょうか…。その生き方は破天荒そのままでした。

1970年代初期、私が中学に入ってまもない頃です。彗星の如く音楽sceneに現れて、しかしTV嫌いでTVには殆ど出ず、AMラジオの深夜放送が彼らフォークシンガーの砦でした。
なのに突然、当時の人気番組「夜のヒットスタジオ」に登場したシーンを私はよく覚えています。その風貌は当時のヒッピーそのもの、攻撃的な眼と無愛想…。他の歌手が1曲それも1コーラスを省いた持ち時間しか貰えない中で拓郎だけノウノウと48分枠のうち何と15分近くも番組を占拠してフルコーラスで3曲(2曲という説もありますが私の記憶では3曲です)も唄い続けるという無茶苦茶ぶり。
それも折角の番組専属バックバンドを無視して持参したギターとブルースハープだけでガナるように唄っては、笑顔1つ見せないまま一言も口にせず不機嫌そうに姿を消していったものでした。
童顔と長髪の優男にも拘わらず、常に世間や業界に対して挑戦的に憎まれ口を叩き、「俺はLoveーSongしか唄わない」と啖呵を切りつつも、その歌は実に身近な人生の悲しみや寂しさ、強がりや弱さを秘めた繊細な情緒に溢れていたものです。
私生活では毎日のように殴り合いのケンカ沙汰が絶えませんでした。まさに無頼派の典型でした。生来のケンカ好きで相手が何人いようが自分からケンカを売ってはタックルからガムシャラにパンチの連打連打がお決まりのパターンだったといいます。
当然、全戦全勝とはいかず勝率6割程度。
四角佳子との結婚の引き金になったケンカでは、他人のケンカの仲裁に入る振りをして暴れたものの、運悪く袋叩きに合い鼻骨と頬骨を骨折し病院に運ばれたとか。
そんな拓郎を献身的に看病した四角と電撃結婚したものの、あっという間に離婚。仲人役の小室等から呆れられ絶縁の憂き目に遭ったりもしました。
極めて攻撃的な若者でした。とにかくケンカは日常茶飯事。それでも業界関係者相手のケンカでは泉谷しげると引分け(一説には判定負け)、長渕剛には瞬殺KO、桑田佳祐は這って逃げたとか…こんな嘘か誠か分からない武勇伝が語り継がれています。でも小室等は勿論なぎら健壱など多くの証人がいるのも事実です。
当然のように幾度も警察の厄介になり、名が世間に売れてからは何度も「吉田拓郎、また暴行傷害の現行犯で逮捕」なんて新聞には叩かれ続け、業界やmedia関係者から疎んじられてきたのです。酒癖は勿論悪いですがシラフでもケンカ上等で、何と口ゲンカならば負け知らずだったとか。矢沢永吉さんもタジタジでした。
当然、女性関係の激しさも並みではなく、四角佳子との離婚から程なく、当時清純派アイドルとして人気絶頂だった浅田美代子と入籍。なのにまた数年で離婚。拓郎は世間から「女癖が悪いヤツ」と集中攻撃され、良識派からは強烈な顰蹙を買ったものです。
そんな無茶苦茶な無頼派振りは20代から50歳頃まで殆ど変わる事もなく、拓郎を嫌いな人間に言わせれば「礼儀知らずのまま天狗になった生意気なガキ」でしかなく、ショーケンこと萩原健一と並んで要は鼻つまみ者、手に追えない「暴力ミュージシャン」の象徴でした。
口を開けば周りを煙りに撒くような話しかしないヘソ曲がりか皮肉屋か!? 掴み処のないひねくれ者でもありました。その癖、ツッコミは半端でなく過去幾多の芸能人のスキャンダルを暴露しまくりました。桑田佳祐と原由子の関係も拓郎がラジオで暴いた事は知る人ぞ知る秘密です。
拓郎が劇性胃潰瘍で入院。歌手生命は終わったと言われた頃、桑田は拓郎を貶めた「吉田拓郎の唄」を作り大物振りをアピール、「これで拓郎を葬った!」とまで公言しましたが、拓郎は奇跡的に復活。焦った桑田は見舞いにギター、フェンダー社製のテレキャスターを贈ったら目の前でメチャメチャに壊されオマケに殴られ、その後非公式に歌詞を大幅に書き換えさせられ、コンサートではこの楽曲を封印したというのは業界内では知る人ぞ知る逸話です。

話が脇道にそれました。
本業の音楽活動ではいち早くプロ意識に目覚めセルフプロデュースに乗り出しました。自ら業界と対立しながら身に付けたノウハウで矢沢さんの独立に貢献し、かぐや姫をプロデュース、ビートボーイズと名乗りビートルズのコピーバンドだったアルフィーを売り出したのも拓郎でした。拓郎のバックバンドでドラムスを担当していた浜田省吾は拓郎と所謂「師弟関係」にあるのですが、浜田のデビュー時には拓郎がバックバンドを務めた事もありました。
最後には小室、泉谷、井上陽水と共に自分らのレコード会社まで設立し、自ら社長に収まるという異彩を放ち、型破りな行動力で音楽sceneを駆け抜けていきました…。

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