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松田優作、没後20年の帰還 下関、公式映画を上映(2/2ページ)

2009年12月10日1時0分

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写真:松田優作さんの思い出を語る奥田瑛二さん=東京都港区松田優作さんの思い出を語る奥田瑛二さん=東京都港区

 エグゼクティブプロデューサーとして映画製作に携わった松田さんの妻美由紀さんは「下関の海を見て育った優作が、何を感じて、何をつくっていったかを知ってほしい」と話している。

     ◇

 俳優の奥田瑛二さん(59)は「下関スカラ座シアター・ゼロ」の支配人。松田さんと同年代で、役者として同じ世界で活躍してきた。「SOUL RED 松田優作」の上映にあたって、松田さんへの思いを聞いた。

 ――松田さんとの接点は。

 強烈な思い出がある。最初の出会いはけんか。24年前に渋谷で優作さんに頭をこづかれてエレベーターの中で格闘し、歌手の内田裕也さんの仲立ちで「手打ち」をした。

 優作さんの遺作となったハリウッド映画「ブラック・レイン」への出演依頼が僕に来ていた。当時、千利休を描いた映画への出演が決まっていたので断った。その後、オーディションがあり、優作さんの出演が決まった。89年に有楽町マリオンで公開日が一緒になり、両方とも超満員。因縁だなと思った。

 ――松田さんを俳優としてどう見ていた。

 優作さんは拳銃を持ち、サングラスをかけたハードボイルド。僕はそうじゃないものがしたかった。優作さんはハードボイルドのトップランナーで、自分の役者人生の中で大きな存在だった。この世界の中で、優作さんがいて自分がいるんだと思っていた。

 ――地元へのメッセージを。

 優作さんを見直せる機会。世界に通用する俳優をプライドに思ってくれるとうれしい。全国のファンを集めたフェスティバルをすれば盛り上がると思う。故人ではあるがフィルムの中で生きている。下関でこれからどうかかわるべきか、見えてくると思う。

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