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2009-12-12

[]出来の悪い小学生言い訳 00:15 出来の悪い小学生の言い訳 - 我が九条−麗しの国日本 を含むブックマーク はてなブックマーク - 出来の悪い小学生の言い訳 - 我が九条−麗しの国日本

「何でそう思うんだ」

「みんながそう思っているからです」

「僕にはそう読めたからです」

こういう論理的思考の苦手な小学生は実在する。これでは困るので根拠を問われれば具体的に論拠を出すように指導する。自分の感じたことがそのまま結論になるのは、論理的な思考ができないことを示している。作文を課する中学校はそういうところをみている、はずである。しかし実際の作文教室などの添削をみているとひどいもので、「私はこう思いました。だからこうです」というのが見逃されている。それどころか自分がそう思ったことをそうだと無根拠に結論に持ってきても「素直に自分の言いたいことが書けました」と褒める。これではだめだ。これでは優劣はつかない。結局添削者の好みになってしまう。学校ならば教師の好みに合わせた作文を書けば点がいい、ということになる。

少し前の話だが、小レポートを課していた。ある留学生レポートを持ってやってきた。「私、日本語開講科目とるのはじめてなんですけど、これで大丈夫ですか」とたどたどしい日本語不安そうにレポート差し出す。一読して主張と根拠がわかった。「大丈夫ですよ。よく書けています」と言った。次に持ってきた日本人学生。これはひどかった。何回読んでも分からない。結局主張と論拠が自分でも分けられていないからだ。「僕はこう思う。だからこうだ」「ここにこう書いてあった。だから私はこう思う」これでは根拠にならない、という基本的なことを教わっていないのだろうな、と思う。どこでそういうのを教えるべきなのか、というのは難しい。私は大学受験指導のときに小論文対策講座を受けて学んだ。

apesnotmonkeysapesnotmonkeys 2009/12/13 00:39 「小論文」ならぬ「感想文」を書かせる、という国語教育の弊害は(ある時期までの歴史的な意義は認めたとしても)思いのほか大きいように思います。

WallersteinWallerstein 2009/12/13 00:44 私も全く同感です。小論文対策授業でもかなりひどい「感想文」を書かせるものもあるようです。私が学んだ小論文対策講座の担当者は大学の教師だったので、その辺は大学に行って役立ちましたが、話を聞いていますと、感情をそのまま押し出させる「小論文対策講座」もあるようです。弊害は本当に大きいと思います。意義があるのは小学校低学年まででしょう。高学年になれば、最低限の論理的思考を身に付けてもらわないと、そもそも文章読解もできませんから。

tikani_nemuru_Mtikani_nemuru_M 2009/12/13 01:39 まともな「作文」教育がされず、「感想文」が国語の主題となる。
しかも、その「感想」が思想チェックとして現実的に機能するという事態があるわけです。

事実とロジックに基づけば何をいってもよい、という、まさに「表現の自由」の根本が「感想文」指導によって損なわれているということに思えます。

WallersteinWallerstein 2009/12/13 06:14 作文教育をふくむ国語教育は現代の「修身・道徳」科目と言えますよね。しかもその偏りに極めて無自覚なのが怖い。

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