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オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説全文(6/7ページ)

2009年12月11日6時53分

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写真:オスロで10日、ノーベル平和賞のメダルと証書を受け取り、笑顔を見せるオバマ米大統領=APオスロで10日、ノーベル平和賞のメダルと証書を受け取り、笑顔を見せるオバマ米大統領=AP

 文化大革命の戦慄(せんりつ)を考えると、ニクソン(元米大統領)が毛沢東(元中国主席)と会ったことは弁解の余地がなかったように見える。だがその会談が、何百万人もの中国国民を貧困状態から引き上げ、中国を開かれた社会とつながる道に乗せる助けになったのは確かだ。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がポーランドと対話したことは、カトリック教会だけでなく、レフ・ワレサ(元大統領)のような労働指導者にも(活動の)場を作った。ロナルド・レーガン(元米大統領)が軍縮に取り組み、ペレストロイカ(改革)を受け入れたことは、ソ連との関係を改善しただけではなく、東欧全体の反体制派に力を与えた。ここに単純な公式はない。しかし我々は、孤立と関与、圧力と報奨のバランスをとるよう最善の努力をして、時をへて人権と尊厳が前進していくようにしなければならない。

 三つ目に、正義としての平和とは、市民的・政治的権利だけではなく、経済的な安全と機会を含まなければならない。というのも、真の平和とは恐怖からの解放だけでなく、欠乏からの自由でもあるからだ。

 開発は、安全なしには根付かないということは疑いようのない真実だ。生きるのに必要な食糧やきれいな水、医薬品や寝場所が手に入らないところに安全は存在しないのも事実だ。子どもたちがまっとうな教育や、家族を養える仕事を望めないところにも安全は存在しない。希望の欠如は、社会を内側から腐らせうる。

 だからこそ、農民による食糧供給や、国家による子どもの教育、病人への医療を支援することは、ただの慈善事業ではないのだ。同様に、だからこそ、世界が一緒に気候変動に立ち向かわなければならない。もし我々が何もしないなら、この後何十年にもわたって一層の紛争の原因となるような、干ばつや飢饉、大規模な避難民の発生に直面することになるいうことには、科学的にはほとんど争いがない。科学者や運動家たちだけが迅速で力のある行動を求めているのではない。わが国や他国の軍指導者も、これに共通の安全保障がかかっていることを理解している。

 国家間の合意。強い組織。人権への支持。開発への投資。これらすべてが、ケネディ大統領が言及した進化をもたらすのに不可欠な材料だ。とはいえ、さらなる何かがなければ、我々がこの仕事を成し遂げるための意志や持久力を持つとは思わない。それは、我々が倫理的な想像力の広げること。そして、我々みんなが共有し、奪い得ないものがある、ということへのこだわりだ。

 世界がより小さくなるにつれ、人類はいかに似通っているかということが認識しやすくなるだろうと思うかもしれない。我々は基本的に同じものを求めていること、すなわち、自分と家族にとっての幾ばくかの幸福と満足感をもって人生を送る機会をみんなが望んでいることが理解しやすくなると思うかもしれない。

 だが、めまいがするようなペースでグローバル化し、近代という文化的な平準化が進んでいることを考えると、人々が、自らが慈しむ特定のアイデンティティ――自らの人種、部族、そして一番強いであろう宗教――を失うのではないかと恐れることは驚きではない。その恐怖が紛争につながった場所もある。時には、我々は昔に逆戻りしているのでないかとさえ感じることもある。それは、中東では、アラブ人とユダヤ人の間の紛争が激化する中に見られる。部族の境界で引き裂かれている国家にも、そうしたことが見られる。

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