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オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説全文(3/7ページ)

2009年12月11日6時53分

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写真:オスロで10日、ノーベル平和賞のメダルと証書を受け取り、笑顔を見せるオバマ米大統領=APオスロで10日、ノーベル平和賞のメダルと証書を受け取り、笑顔を見せるオバマ米大統領=AP

 多くの国々では、理由はどうであれ、今日軍事行動をめぐって深く相反する感情がある。だから、私はこの点を提起する。時にこれは、唯一の軍事大国である米国への反射的な疑念を伴う。

 しかし、世界は思い出さねばならない。第2次大戦後の世界に安定をもたらしたのは、国際機関だけや、条約や宣言だけではないことを。我々は誤りも犯したかもしれないが、事実として、米国は60年以上に及んで自国民の流した血と軍事力によって、世界の安全保障を保証する助けになってきた。米国の男女の兵士による献身と犠牲が、ドイツから韓国に及ぶ平和と繁栄を促し、バルカンのような場所に民主主義が根を下ろすのを可能にしてきた。我々がこうした負担を背負ってきたのは、我々の意思を押しつけたいからではない。我々がそうしてきたのは、見識ある自己利益のためだ。つまり、我々の子孫のためによりよい未来を求めるからだ。他国の子どもや孫たちが自由と繁栄のうちに暮らせたならば、我々の子孫の暮らしもよりよくなるだろうと信じるからだ。

 そう、だから戦争の手段というのは、平和を保つうえで役割を持っている。しかしこの真実は、また別の真実と共存せねばならない――いかに正当化されようとも、戦争は人類に悲劇をもたらすという真実とである。兵士たちの勇気と犠牲は栄光に満ち、国家、大義、戦友への献身を表す。しかし、戦争それ自体は決して輝かしいものではないし、我々は決してそのように持ち上げてはならない。

 したがって、我々の課題の一つは、これら一見矛盾する二つの真実――戦争は時に必要であり、また戦争はあるレベルにおいて人間の愚かさの発露だという真実――を調和させることだ。具体的にいえば、かつてケネディ大統領が呼びかけた課題に努力を振り向けなければならない。彼は語った。「人間の本性の急激な変化に基づくものでなく、人間のつくる制度の段階的な進化に基づいた、より実際的で、より達成可能な平和を目指そう」と。

 人間の作る制度の段階的進化。この進化とはどんなものだろう? これらに向けた実際的なステップは何か?

 まず最初に、私は強い国も弱い国も同じ様に、すべての国は武力行使を規定する基準を厳守しなければならないと信じる。私は、ほかの国の元首と同様、もし自国を守るために必要ならば一国で行動する権利を留保する。しかしながら、基準を厳守するものは強くなり、厳守しないものは孤立し、弱体化すると確信している。

 世界は9・11後、米国のそばに結集した。そして、米国のアフガニスタンにおける取り組みを引き続き支援している。無分別な攻撃への憎悪や広く認識された自衛原則からだ。同様に世界は、サダム・フセインがクウェートに侵攻した時に彼に対決する必要を認めた。それは、侵略の代償についての明確なメッセージを送る世界の総意でもあった。

 さらに米国は、いや実際どんな国でも、自らが規則に従うことを拒めば、他国に規則に従うように主張できない。規則を守らなければ、我々の行動は恣意的(しいてき)に映り、正当化されうる場合でも、将来の介入の正当性を損なう。

 この点は、軍事行動の目的が、自衛や、侵略を受けた国の防衛の範囲を超える時に、特に重要となる。我々はみな、政府による自国民の虐殺をどう防止するか、暴力や被害が地域全体を巻き込むような内戦をどう食い止めるかといった難問に直面するケースがますます増えている。

 私は、バルカンや、戦争で傷ついた他の場所でそうであったように、人道的な見地からの武力行使は正当化できると信じる。行動をしないことは我々の良心を引き裂き、後により高くつく介入へとつながりうる。だからすべての責任ある国は、明確な任務を与えられた軍隊が平和を維持するために果たすことができる役割を認める必要がある。

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