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オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説全文(2/7ページ)

2009年12月11日6時53分

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写真:オスロで10日、ノーベル平和賞のメダルと証書を受け取り、笑顔を見せるオバマ米大統領=APオスロで10日、ノーベル平和賞のメダルと証書を受け取り、笑顔を見せるオバマ米大統領=AP

 そのような破壊と、核兵器の時代の到来で、勝者と敗者双方にとって、さらなる世界大戦を防ぐための機構が必要だということが明らかになった。そして、ウッドロー・ウィルソン元米大統領がこの賞を受賞したアイデアである国際連盟を米上院が拒否してから四半世紀後、米国は平和を維持するための仕組み作りで世界をリードした。マーシャルプランと国際連合、戦争遂行を統制する機構、人権を守り、集団殺害を防ぎ、最も危険な兵器を制限する諸条約だ。

 さまざまな意味で、この努力は成功した。確かに悲惨な戦争が起こり、残虐行為も行われた。しかし、第三次世界大戦は起きていない。歓喜に満ちた群衆によって壁は倒され、冷戦は終結した。商業によって、世界の大部分がつながれた。何十億人が貧困から脱出した。自由、自己決定、平等、そして法の支配といった考えは、たどたどしくも前進した。私たちは、過去の世代の不屈の精神と先見の明の継承者だ。そしてこれは、私自身の国が誇るに値する遺産だ。

 しかし、新しい世紀に入って10年がたち、この古い構造物は新たな脅威の重みに押しつぶされつつある。世界はもはや二つの核超大国の間での戦争のおそれに震えることはないかもしれないが、核の拡散は、大惨事の危険性を増大させうる。長い間、テロリズムは戦術だったが、現代の科学技術によって、不相応に大きな憎悪に駆られた少数の者たちが、恐るべき規模で罪のない人々を殺害できるようになった。

 さらに、国家間の戦争は急速に国家内の戦争に取って代わられつつある。民族や宗派間の紛争の再びの台頭、分離独立運動や反乱、失敗国家の増加。これらはいずれも終わりなき混乱に民間人をどんどん巻き込んでいる。今日の戦争では、兵士より多数の民間人が殺される。将来の紛争の種がまかれ、経済は荒廃し、市民社会はずたずたに引き裂かれ、難民は増加し、子どもたちが傷ついている。

 今日私は、戦争の問題について明確な解決方法を持ち合わせていない。私が知っているのは、これらの困難に立ち向かうには、何十年も前に勇敢に行動した男女が持っていたのと同じ構想力や勤勉さ、粘り強さが必要だということだ。そして、それは私たちに、正しい戦争の観念と、正しい平和をもたらすという急務について、新しい思考を求めるのだ。

 我々は、厳しい真実を認めることから始めなければならない。我々が生きている間には、暴力を伴う紛争を根絶することはできないという真実だ。一国による行動であろうと、複数国の共同行動であろうと、武力行使が必要なだけではなく、道義的に正当化されると国家が考える場合が出てくるだろう。

 私はこの発言を、ずいぶん前にマーティン・ルーサー・キング牧師がこの授賞式で語った言葉を胸に行っている。彼は「暴力は決して恒久的な平和をもたらさない。それは社会の問題を何も解決しない。それはただ新たな、より複雑な問題を生み出すだけだ」と言った。キング牧師が生涯をかけた仕事の直接の結果としてここにいる者として、私は非暴力が持つ道義的力の体現者だ。私は、ガンジーとキング牧師の信条と人生には、何ら弱いものはなく、何ら消極的なものはなく、何ら甘い考えのものはないことを知っている。

 しかし、私は、自国を守るために就任した国家元首として、彼らの先例だけに従うわけにはいかない。私はあるがままの世界に立ち向かっている。米国民への脅威に対して、手をこまねいてることはできない。間違ってはいけない。世界に邪悪は存在する。非暴力の運動では、ヒトラーの軍隊をとめることはできなかっただろう。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を置かせることはできない。武力行使がときに必要だと言うことは、冷笑的な態度をとることではない。それは人間の不完全さと、理性の限界という歴史を認めることだ。

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