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オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説全文(1/7ページ)

2009年12月11日6時53分

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写真:オスロで10日、ノーベル平和賞のメダルと証書を受け取り、笑顔を見せるオバマ米大統領=APオスロで10日、ノーベル平和賞のメダルと証書を受け取り、笑顔を見せるオバマ米大統領=AP

 国王王妃両陛下、皇太子皇太子妃両殿下、ノルウェーのノーベル委員会のみなさん、米国民のみなさん、そして世界の市民のみなさん。

 この栄誉を、私は深い感謝と非常に謙虚な気持ちで受ける。これは、世界のすべての残酷なことや困難にもかかわらず、我々は単なる運命の囚人ではない、という高い志を示す賞だ。我々の行動には意味があり、歴史を正義の方向へと向けることができる。

 しかし私は、みなさんの寛大な決定が、かなりの論争を生み出したことを認めないわけにはいかない。それはまず、世界の舞台での私の仕事が緒についたばかりで、終わっていないためだ。シュバイツァー氏(医師)やキング氏(牧師)、マーシャル氏(元米国務長官)、マンデラ氏(元南ア大統領)といった、この賞を受けた歴史上の偉人たちに比べて、私が達成したものはきわめて小さい。そして世界には、正義を求めて投獄されたり暴行を受けたりする男女や、人々の苦しみを和らげるために人道組織で苦労しながら働く人々、勇気と思いやりをもった静かなる行動で、最もかたくなな皮肉家の心さえ動かす何百万もの名もなき人々がいる。私は、これらの男女――名が知られた人もいるし、助けている相手にしか知られていない人もいる――が私よりもこの名誉に値すると考える人々に、反論できない。

 しかし恐らく、私の受賞に関する最も深い問題は、私が二つの戦争のただ中にある国の軍最高司令官だという事実だ。これらの戦争の一つは幕を閉じようとしている。もう一つは米国が望んだのではない紛争であり、さらなる攻撃から米国自身、そしてすべての国を守る努力として、ノルウェーを含む他の42カ国が参加している紛争だ。

 我々はなお戦時下にあり、私には、遠い地での戦いに何千人もの米国の若者を送り出している責任がある。その中には、殺すことになる者もいるだろうし、殺されることになる者もいるだろう。だから私は、武力紛争に代償が伴うことを切に感じつつ、ここに来ている。戦争と平和の関係や、戦争を平和に置き換える努力についての難問を抱えて、だ。

 さて、これらの問いは新しいものではない。どんな形であれ、戦争は最初の人類とともに登場した。歴史の始まりにおいては、その道義性は問われなかった。干ばつや疾病のように、単なる事実にすぎなかった。部族、そして後には文明が、お互いに権力を追い求め、不一致を解決するための方法だった。

 やがて、法によって集団内での暴力の制御が模索されるようになり、哲学者や聖職者、政治家らは戦争の破壊的な力を規制しようとした。「正しい戦争」という概念が生まれ、一定の条件が満たされる場合にのみ戦争は正当化されるとされた。つまり、最後の手段または自衛として行われ、武力の使用が(目的に)釣り合うものであり、可能な限り、民間人に暴力が及ばないように行われなければならないというものだ。

 歴史の大部分において、この「正しい戦争」という概念は、めったに守られなかった。互いに殺し合う新しい方法を考えつく人間の能力は、容姿が違いや信仰の異なる人々に慈悲を示さない能力と同様、尽きることがなかった。軍隊同士の戦争は、国家間の戦争に取って代わられた。戦闘員と民間人との区別があいまいになる全面戦争である。30年の間に、そのような大量殺害が2度、この大陸を席巻した。(ドイツ)第三帝国と枢軸国を倒すこと以上に正当な理由は見いだし難いとはいえ、第2次世界大戦は、戦死した民間人の数が、死亡した兵士の数を上回った戦争だった。

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