日本で大切に扱われた『三国遺事』(下)
『三国遺事』は、1624年に書物5万冊を集めた徳川家中の蔵書の中でも「代表作」とされ、皇室から貸し出しの依頼が来たこともあった。この事実を初めて明らかにした人物が、まさにコ教授だった。
「徳川の蔵書は、現在は名古屋市の“蓬左文庫”という図書館に保管されている。2006年にその図書館を訪ねた際、案内のパンフレットで“皇室にお貸しした書籍のメモ”という見出しがついた写真を発見した。32点の目録の10番目に、『三国遺事』があった」
「天皇も手にした」というプレミアムが付いて以降、日本国内で『三国遺事』の価値はさらに跳ね上がった。そして、朝鮮では『三国遺事』の行方すらはっきりしていなかった1904年、近代化の真っ最中だった日本の東京帝国大学が『三国遺事』を出版した。乙巳保護条約(第2次日韓協約)が締結される1年前のことだった。「日本の学者は当時、『三国遺事』がどういう本なのかを知っていた。学者らは、この本について“朝鮮のオリジナル現物”という一言で要約した。朝鮮人の情緒、心性をこの本から探り出し、これを植民地経営に活用した」
『三国遺事』の返還は1927年、崔南善によってなされた。同氏が日本に留学していた1904年、朝鮮でうわさでしか聞いたことのなかった『三国遺事』を発見した。その後同氏は、「百千金でも求め難い真書」という紹介と共に、啓明倶楽部の機関雑誌『啓明』第18号に『三国遺事』の全文を掲載した。コ教授は「『三国遺事』は知識人の歴史から民衆の歴史へ、事大の歴史から自主の歴史へと韓国の歴史を転換した。この価値が、近代植民地下できちんと評価されるようになった」と語った。
そんなコ教授は、蓬左文庫で『三国遺事』の実物を手にしたときの感激を、今でも忘れられないという。
「1512年に慶州府尹の李継福(イ・ゲボク)がこの本を印刷しなかったら、壬辰倭乱が起こらなかったら、徳川が愛さなかったら、崔南善が日本に留学しなかったら、この本はどうなっていただろう。とてつもない偶然と必然が重なり、『三国遺事』が再び韓国に返ってきた。“韓国人は何者なのか”を語るとき、手にするに値する唯一の本がまさにこれだ」
金南仁(キム・ナムイン)記者
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