日本で大切に扱われた『三国遺事』(上)

『徳川が愛した本』コ・ウンギ延世大研究教授

コ・ウンギ教授は、「ライフワークである『三国遺事』シリーズを毎年1巻ずつ、全15巻出すつもりだ。次の巻は、一然による『三国遺事』の叙述方式を説明する『この話し手の一生』と題したものになる」と語った。/写真=李明元(イ・ミョンウォン)記者
 世に出てから700年、過去100年間に関連論文だけで3000本、現在積極的に売られている関連書籍は367種。これは、高麗時代に一然が著した『三国遺事』が打ち立てている「記録」だ。同著に記されている物語とは、どのようなものなのか。ニンニクを食べたクマは人になり、薯童は歌一つで善花公主を誘い出し、文姫は姉にねだって夢を買い取り王妃となった。どれ一つ取ってみても、韓国人になじみのある場面ばかりだ。韓民族の原型が、そっくりそのまま息づいている。

 20年間にわたり『三国遺事』を研究してきた延世大国学研究院のコ・ウンギ研究教授(48)によると、『三国遺事』は、その伝承の過程だけでも1本の小説になるという。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)=1592-98=で日本の兵士が包みに入れて海を越えた後、徳川家康(1543-1616)の家中の文庫に所蔵されていたものを、崔南善(チェ・ナムソン)=1890-1957=が発見するまで…。コ教授は、『徳川が愛した本』(玄岩社)の中で、700年にわたり『三国遺事』がたどった運命を細かく追跡した。主な舞台は日本、江戸時代(1603-1867)。

 「本のタイトル通り徳川が『三国遺事』を愛読していなかったら、この本の運命は180度変わっていただろう。戦国時代が終わり、江戸時代になると、日本列島にも平和が訪れた。侍たちは刀を置き、本を手にした。ちょうど壬辰倭乱が起こった際、“文化先進国”の朝鮮から本を残らず持ち込んだ。そのほとんどは徳川に献上された。徳川は朝鮮の美しい印刷物に感銘を受け、それらの本をとても大切に管理した」

 性理学を修めた朝鮮の学者から「根拠がなく荒唐無稽だ」と過小評価されていた『三国遺事』が、日本では極めて大切に扱われた。実際、『三国遺事』は日本に流出した朝鮮のほかの本に比べ、印刷の面で卓越したものではなかった。コ教授は、「朝鮮の真の姿を知ることができるという点から、日本人の関心は高かったとみられる」と語った。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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