平成15年に前立腺がん摘出手術を受けられた後、決して健康状態が万全とはいえない天皇陛下の外国要人との会見については平成16年以降、重量級の人物から求めがあっても、それが1カ月前までに文書できちんと申請されない限り受けないという「1カ月ルール」が厳正に運用されてきました。
安倍元首相は本日付のメールマガジンで「陛下のご健康を守るため、小泉、安倍、福田、麻生内閣に於いて厳守されてきました。私の知る限りでも、来日する賓客の多くが陛下への謁見を望み、1カ月を切って申し込んでくる国も多々あります。その中には日本にとって重要な要人もいましたが、例外なく断ってきました。陛下のご日程に政治的、外交的思惑を入れてはいけないと、その時々の政権は自制してきました」と書いています。
また、1カ月ルールには別の目的もあります。周知の通り、陛下は外国の要人と会う際や外国訪問にあたっては、相手について極めて熱心に勉強され、準備されるのです。多忙を極める公務、宮中祭祀をこなした上での話です。
だからこそ、陛下と会見した外国首脳らが、「ここまでわが国と私のことを理解されているのか」と感銘を受けもするし、日本とはそういう国なのだなと理解するわけです。そして、今回来日する中国の習近平国家副主席は、あるいは将来の国家主席なのかもしれませんが、現在は元首でも何でもないのです。
中国側には二つの狙いがあったと思います。一つは、陛下といつでも会える習副主席という実績をつくって習氏に箔をつけること。もう一つは、中国の「要望」という踏み絵を日本が踏むかどうかを確かめること。結果的に、日本はほいほいと簡単に踏み絵を踏んでみせたわけで、中国は「日本は何でも言うことを聞くんだな」とさぞほくそ笑んでいることでしょう。平成5年に天皇、皇后両陛下の訪中を実現させ、国際社会への復帰の足がかりとして利用したときのように。
それなのに、小沢一郎幹事長の働きかけを受けた鳩山由起夫首相は平野博文官房長官に宮内庁との調整を指示し、宮内庁は抵抗したものの押し切られた形です。しかも、ルール破りについて記者団に質問された、鳩山氏は逆にこう言い放ちました。
「1か月を数日間切れば、もう杓子定規でダメだというようなことで、果たしてそれが本当にたとえば諸外国との国際的な親善の意味で、正しいことなのかどうか」
これはいわば逆ギレです。自己正当化のあまり、1カ月ルールの方がおかしいと言っているようです。天皇の政治利用など当たり前だと言っているようにすら受け取れます。鳩山氏は万事がそうで、在日米軍再編問題への対応を見ても、「国と国との契約」(政務三役)など、どうとでもテキトーに変えられると考えているように見えます。法治主義よりも人治主義が優先するという考え方は、中国に近いのかもしれません。
しかし、米国は大統領が就任式の際に聖書に手を置くように、基本的にキリスト教の原理が幅をきかせている国です。キリスト教は、神と人との契約によって成り立っています。いわば、契約は神聖なのです。なのに、鳩山氏は以前、「オバマさんは分かってくれる人だ」などと甘えとしか思えない人治主義が法治主義に優先するようなことを口走っていました。大統領来日直前に「キリスト教は独善的で排他的だ」と平気でのたまう小沢氏を身近で見ていると、ついそう思い込んでしまうのかもしれませんが。
ともあれ、私と官邸で一緒に働いている後輩記者が先日、首相発言に関する記事を書きながらさかんにため息をついているので「どうしたのか」と聞くと、「このバカ政権に対する怒りで目がくらみそうです」と言っていました。同感です。はっきり言えば、あの阪神大震災で大失態を犯した村山富市元首相以下ではないかと最近は感じています。
鳩山氏は最近では、米国は米軍普天間飛行場は現状維持がベストだと思っているようだとまで語っていますが、宜野湾市民の背負う危険がそのまま残るとしたら、それは米国のせいというより鳩山政権のしでかした不始末でしょう。そんな明々白々な事実すら認識できないようです。本当にどうしたらいいのか、この人は。
というわけで、真面目にこの政権のことを考えると絶句状態となり、ときに言葉がでてこなくなるのです。
本日は所用で新幹線に乗り、某所へと赴き、帰りの新幹線で名物だというこの弁当を買いました。けっこうおいしくいただきました。これ以上、政治のことを考えても頭に血がのぼるばかりなので、漫画でも読んでビールを飲んで寝ます。
by ayp5552
もうなんとコメントしていいの…