2009年12月03日
すばらしい新世界/世界とつながるニュース.42
画像は「旬を楽しむ会」のwebサイトから借用しました。
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今日からロージャースではエキゾティッククリスマスがスタート。
国道沿いの駐車場に面したロージャース・ジャルダンではインドの刺繍職人さんの実演があさってまで行われます。
何日か前の日経MJ(日経流通新聞)には内地で進む海外ファストファッションの多店舗展開の記事。
H&Mに続いてFOREVER 21が新宿に出店予定だそう。
最近ラオスで生活をはじめた友人から届いたメールに記されたある憂い。
リベラル先進国市民が第三世界の「近代化」に対して抱く罪悪感と疑問と迷い。
ラオスにいる友人から送られてきた写真。
多くの「先進国」がインフラ整備と集中化と大量生産大量消費システムの大きな
恩恵を受けて「豊かさ」を手にしてきたのは紛れもない事実。
でもこれってほんとうの豊かさなの?
一度ならず頭をよぎるこの疑問。
「豊かさ」のおかげで貧しくなってはいないだろうか。
これもそう、一度は誰もが抱くクエスチョン。
だからといって「豊かさ」を否定するのはちょっと違う、そんな気もするし・・・。
効率化に支えられてきた豊かさからは得ることのできないもう一つの豊かさ。
それに気付くことができるのも、もう一つの豊かさを手にすることができるのも、
一度は「豊かに」なったせいでもあるし。
そんなこんなで三つのことが頭から離れずからまっていた時に、ふと目にとまったのがこの記事です。
早い遅い。大きい小さい。安い高い。
答えを出す必要があるのかどうかはわからないけど少なくとも言えるのは、高けりゃいいでも安けりゃいいでも、
そのどちらでもない、ということでしょうか・・・。
日経ビジネスonline 2009年11月18日(水)
先細る魚大国ニッポン
うまい魚が、食卓でなく、海に流れる
流通効率化のしわ寄せは漁師たち
著者:中西 未紀
東京の高級住宅街である白金に11月7日にオープンした1軒の日本料理店「味彩せいじ」。広尾の懐石料理店を皮切りに、西麻布で鮨を10年間握り、系列の日本料理店も任されたという料理人がいよいよ独立し、腕によりをかけて魚料理を振舞う。
東京で魚と言って、すぐに頭に思い浮かぶのは、全国から魚介類が集まる築地の魚市場。ここも、やはり、築地で厳選した素材を使って料理を堪能させようというのだろうか。
「築地? 基本的には頼りませんよ」。料理人、平原成二はこともなげに言う。そして、こう続けた。「毎日どんな魚が届くのか、私も楽しみにしているんです」。
栗の香りがする茹でダコ
どうやらこの店は、普通の日本料理店とは趣が異なるようだ。平原の仕入先の魚は「とにかく鮮度が違う」のだという。しかも、築地では見ることができないような魚を扱うこともあるらしい。その日の献立は、届いた魚で決まってくる。
なぜこのような店を立ち上げようと思い至ったのか。平原は言う。「ZEN風土との出会いが始まりでした」。
ZEN風土とは、平原の仕入先である。強烈な印象は、今でも忘れられない。本物のタコの味を教えられたのも、ついこの間のことだ。
「よく『いいタコは、茹でると栗の香りがする』と言います。ところが、今までそんなタコにはまず出会ったことがなかったんです。でも、そのタコは本当にそうでした。初めてですね。タコがあんなにうまいと思ったのは」
10年働いた鮨店では、師匠が直接築地に出向いて最高のネタを仕入れていた。日本料理の経験もあり、いわば魚介の専門家である平原がそこまで感動したタコ。それは、ZEN風土が持ってきた大分のタコであった。
ここで平原は、水産流通の現実を初めて知る。大分のタコはうまいにもかかわらず、数が揚がらないから、既存の流通に乗らない――。
同じ大きさの魚がなぜ揃うのか
料理人を驚かせたZEN風土とは、どんな会社なのか。魚の仕入れを始めた経緯について尋ねると、いきなり“先制パンチ”が飛んできた。
「もしかして、お鮨屋さんの魚が一番新鮮なものだと思ってません?」
そう言って笑うのは、ZEN風土会長の増田紀雄だ。東京都港区に本社を構えており、もともとはコンピューターソフト開発を手がけていた。それが7年ほど前に全国漁業協同組合連合会(全漁連)のソフト開発に携わったことが縁となって、全国の漁港とのネットワークができた。
これをきっかけに今は、息子である社長の増田剛と一緒に、レストランを中心に魚介類の産地直送販売に取り組んでいる。現在、その顧客リストには、フランス料理の「シェ・松尾」や「霧笛楼」、イタリア料理の「アクアパッツァ」、中華料理の「赤坂四川飯店」など、日本を代表するような名店がずらりと並ぶ。
「皆さん、『築地直送』と書いてあると、新鮮だって思うんですよね。でも、築地というのはあくまでも消費地市場で、水揚げしている生産地市場とは違います。魚は何よりも鮮度が命ですが、築地に魚が来るまでの間に、いくつもの取引があるわけです。その分、時間もコストもかかる」
「料亭や鮨屋が築地から仕入れているのは、築地でなければならない理由があるんですよ。簡単に言うと、多品種少量。例えば鮨店であれば、マグロとサーモンとヒラメと甘エビ、ウニ、イクラ、魚卵の類・・・。今、店を開くなら、それら全部を揃えなきゃいけない。『産地直送で天然のものだけ』なんてことは、なかなかできません。『甘エビの同じ大きさのものを毎日同じだけ揃えて』と言われたら、1つの産地ではもうお手上げです。ちょっと考えれば分かるでしょ。だいたい魚なんて毎日何が獲れるか、揚がるまで分からないんですから」
大手スーパーマーケットの食品売り場では、今、“同じ大きさを同じ数だけ揃える無理”がまかり通っている。同じ種類でほぼ同じ大きさの魚の切り身が、毎日きれいにパック詰めされて並ぶ光景。もはやここに違和感を覚える人の方が少ないだろう。
そんな“無理”を可能としたのが、量販店のような大口需要者が漁師に強いる、いわゆる「4定」と呼ばれる安定供給条件だ。4定とは「定量」「定質」「定価(低価格)」「定時」の頭文字を取っている。
この4つの基準を満たす安定供給が約束された魚介類しか流通に乗れない仕組みが、広く常識となってしまっている。大量に効率的に流通させることを考えれば、合理的ではある。しかし、流通がひたすら合理性を最優先した結果、負担は“さかのぼって”いき、最も川上にいる漁師にしわ寄せが押し付けられる格好になった。
漁船の網に数匹だけ引っかかったような魚種は、ある一定量以上が確保できなければNG。少し大きかったり、小さかったりすればNG。地元では「おいしい」と評判の魚でも、一般に知名度がある定番でなければNG。
いずれも、商品価値はゼロの「未利用魚」となる。漁師は家で食べるか、近所に配るか、はたまた死にかけをそのまま海に捨てるか。幸い流通に乗ったとしても、需要のある量販店などは「大量購入」を盾に価格はとことんまで叩こうとする。特に最近は、消費者の低価格志向も強い。それに対して、船の燃料費や人件費といったコストは、ほとんど配慮されないという。
下関は、フグの加工場に過ぎない
「捨てる魚でも、獲るのにコストはかかっているんです。だから売れなければ0円以下、漁師にとっては赤字です。昔はそれでもよかったんでしょうけれど。今は漁獲量も減って、そういう余裕もありませんから。未利用魚が、もし1000円でも2000円にでもなれば、話は違ってきますよね」
ZEN風土ともつき合いが長いという山口県漁協の販売担当者に話を聞く中でも、業界の厳しい現実がこぼれ出てくる。
「やはり、今の流通のほとんどは量販店ですから。量販店で売れる魚って言ったら、定番の10~15種類くらいなものですよね。たまにフェアで珍しい魚を売ることはあっても、鮮魚売り場で働く人は詳しいわけではありませんから、量販店のマニュアル通りに魚を3枚におろすだけ。昔、街にあった魚店みたいに『これは煮つけにしたらおいしいよ』なんて教えることはできません」
「歩留まりの関係もあるんですよ。ハマチがたくさん売れるのは、規格が統一されているからなんです。カットして何切れ取ったら一番歩留まりがいいかというのが分かっているので、決まったキロ数より大きければ、かえって安くなってしまうんです。今は4キログラムが一番歩留まりがよくて高いので、『ハマチは3.8キログラムから4.2キログラムのものを持ってこい!』なんて言い方をしますよね。そんな無理なことを」
山口県と言えば、高級な下関のフグなどが有名だが・・・。
「あれは別に下関で獲れるわけじゃないですからね。船が集まって来るだけで」
何となく噂には聞いていても、漁協の職員から当然のように言われると驚く。どれほどの消費者が知っているだろうか? 「下関のふぐ(ふく)」が、秋田県や北海道からも来ていることを。伊勢湾などからは特に多くのフグが船に乗って下関までやって来るという。
下関の港へ船が着き、そこで荷を揚げれば、すべて「下関のふぐ」だ。何も知らずに名前だけでありがたがる消費者は、決して少なくないだろう。
「もともとは獲れたんだと思いますよ。関門海峡辺りで」
ZEN風土の増田紀雄や増田剛にとっても、これは周知の事実のようだ。
「三崎のマグロなんかと一緒ですよ。加工施設があるから船が来る。フグは最初の頃は中国の方で獲っていて、一番近い水揚げ地が下関だったみたいですね。揚げたら加工しなきゃどうにもならないから、加工業者がどんどん来て、そこへまたフグが入ってくる。その相乗効果で、ああいうブランドになったんです。マグロだって、ほかの漁港に揚げても、加工できる施設がないから困っちゃうんですよ」
どうやら魚介類の流通は、かなりいびつな構造になっていそうだ。漁師に求められるのは定番魚種の安定供給だが、輸入モノや養殖モノの影響もあって、価格はどんどん安くなる。4定から外れれば、一銭にもならない。こんな環境に、漁師は置かれている。
画像は「旬を楽しむ会」のwebサイトから借用しました。
漁師の平均年齢が還暦を超える山口県漁協
「この10年で、山口県でも漁師は半分に減っています」
山口県漁協の販売担当者の口は重くなる。数だけではない。平均年齢は還暦をとうに超えているという。
「平均年齢は、今でだいたい67歳くらいですね。10年経ったらその人たちが77歳になるわけでしょう。もうほとんどリタイヤですよね。毎年20代で入ってくるのは、せいぜい5人くらいです。辞めていくのは100人単位、200人単位ですから、あと10年したら今の半分どころじゃないかもしれない。そうすれば漁獲高も減るでしょうし、流通コストにも関わってきます。今まで100ケース積んでいたものが10ケースだけしか積めないとなったら、当然その分コストがかかってくる。スーパーに流すルートも、また方法を変えざるを得なくなると思います」
農業の後継者問題についてはよく取り沙汰されるので、ご存じの方も多いだろう。漁業においても、問題は深刻だ。いや、状況はもっと厳しいかもしれない。農業は注目を集めているだけ、まだましと言えるかもしれないのだから。労力と得る金額が見合わなければ、若い人たちが積極的にやりたいと思うはずはない。
「国内で水産の流通というと、ほとんどすべては委託販売になります。行われる競りは売り手である漁師が『原価がこれだけだから、いくらで売りたい』と言うのではなく、それを競る仲買人がほしい値段で落とすわけですね。我々は、そこに問題があるのではないかと、買い取り販売を始めました」
買い取り販売とは、漁協も生産地市場で仲買人として名を連ねて競りに参加し、100円でも高く買い取って値を上げようという試みだ。しかし、それを築地のような消費地市場に持っていて、競りの結果、安値がついてしまっては漁協の経営が成り立たない。そこで、築地を経由しないで流通できるようにすればいいのではないかと、山口県漁協による産地直送の挑戦が始まった。
「たくさん獲れる中に混ざってぽっと獲れるような魚は、通常は流通に乗りません。こうした魚というのは、結構多いんですよ。地元じゃおいしいと有名でも、1つの船で2キログラムぐらいしか獲れない魚種もある。流通に乗るのは、一箱3キログラムだったり4キログラムだったりいろいろあるのですが、それに満たなければもうタダなわけですよね。我々はそういう魚をある程度の量にして出荷するために、1人の漁師で足りなければ10人を集めて1ケースにする、といった工夫も行っています」
ZEN風土が注目したのも、こうした流通に乗らない魚介類だった。それまでは捨てていた、0円の価値もなかった魚に値段がつく。それだけでも漁師にとっては懐が潤うというわけだ。
実は、魚は高級和牛よりも高い
もっとも魚介類の場合、話はそう単純ではない。大きな壁がある。それは、スーパーで買った魚を食べるためには家庭で料理しなければならないという、当たり前の事実だ。ただでさえ“魚が触れない主婦”の存在が言われている今、見たこともない地方の魚などは、もはや論外である。そこで、ZEN風土は料理人の力を必要とした。すなわち、平原である。
「北海道のカジカ鍋というのも増田会長から初めて聞きました。カジカなんて川の魚かと思っていたんですが、海にもいるんですってね。送ってもらったら、アンコウのような感じで見た目はグロテスクなんだけど、クセもなく、内臓も胃袋や肝まで食べられて本当においしいんです。ブツ切りにして、北海道ではじゃがいもやにんじんを入れた味噌鍋にして食べるみたいですね。あまりにもおいしくて、鍋をつついて壊してしまうほどだというので、別名『鍋壊し』と呼ばれているそうです」
平原はそんな出会いを楽しみながら、新しい魚の消費者を生む橋渡しを引き受けた。
「各地の漁港にも何度か連れていってもらいましたが、『金目鯛ってこんなに種類があるんだ』なんてことも初めて知りました。地元での発見は多いですね。店でも月に1度くらい、漁港の方を呼んで地元ならではの魚料理を作ってもらおうと考えているんです。実は料理人というのはすごく内弁慶で、私自身も勉強したい。流通にしても、こんなに宅配便が発達している時代に料理人はいまだ築地が当たり前だと思っているんですから、だいぶ遅れていますよね」
通常、水揚げされた魚介類というのは、まず漁港にある生産地市場で競りが行われ、競り落とした仲買人が築地に代表される中央卸売市場(消費地市場)へ持っていく。築地では大卸が荷を受け、それを仲卸(仲買人)たちが競り落とす。そこからようやく小売店や料理店に卸され、消費者に渡っていくという流れである。
もちろんそれぞれの間を経るごとに、鮮度は落ち、料金が加算されていく。傷みやすい魚介の多くは、もって3日。少しでも早く広く流通させるために、かつてはそれが最善の流通方法だったのかもしれない。しかしこれだけ運送技術も発達した今、そのやり方はもっと効率よくできるのではないかとも思う。
「ZEN風土でやっていることって、今まで業界ではありえないことだったんですよ。私も最初は驚きました。できない現状があるんです。やっぱり、前からのつき合いがある仲買人を裏切ることにもなりますからね」
古い確執のようなものかもしれない、と平原は語った。「あまり記事には書いてほしくないんですけど」と前置きしながら、「本当はかなりリスクを背負うことでもあるんですよ」と漏らした言葉から、うかがい知れることもある。
「でも、仕入れで一番原価がかかるのは魚なんです。日本料理店でも刺身って、ちょこっとしか出てこないですよね。マグロなんかいい例です。私がいた鮨屋でも、マグロは1キログラム2万円か3万円ぐらいが普通でした。それって、キログラム当たり単価にすると、高級和牛より高いんですよ」
高級魚でなくとも、食べられない骨や頭を除いた可食部分をキログラム単価に換算すれば、やっぱり魚は肉よりも割高だという。
気づけば、日本人は魚介類を食べなくなっている。厚生労働省の「国民栄養調査」「国民健康・栄養調査報告」によれば、既に2006年には、日本人の1日当たりの魚介類の摂取量は肉と逆転している。1997年には肉の約1.2倍の魚介類を食べていた日本人だが、その10年後には1~19歳で2割以上、30~49歳では3割以上も摂取量が少なくなり、調理も手軽な肉を食べる機会の方が増えてしまったのだ。
平原はZEN風土のネットワークをフルに活用して、最高に鮮度のいい魚介類を産地直送で仕入れる。さらに、それまではタダ同然だったおいしい未利用魚も積極的に利用していく。
「飲み物代込みで、1人5000円くらいの予算の店を考えています。本当はちょっと厳しいのですが(笑)。最終的には毎日すべてのメニューがその日の仕入れによって決まるような形にしたいですね。身勝手ですが、それを愉しんでいただける方、こちらでも好みが分かって出すことができる信頼関係を築ける方に来ていただける店が理想です」
料理人、卸、消費者が三位一体に
もっとも、当日にならないとどんな料理が出てくるか分からない、あるいは時価の日本料理店ということになると、少々敷居が高すぎる。実はここに、もう1人のプレーヤーがいる。マイクロファイナンスによるファンドを手がけるミュージックセキュリティーズ(東京都千代田区)だ。1口数万円程度と、個人が気軽に投資できる金額でファンドを募集し、有望な事業に投資する。今回は、「旬を楽しむ会」の第1弾ファンドとして、味彩せいじを支援する。
きる手法を示すことで、「独立したいけど資金繰りで悩んでいる料理人の背中を押したい」と本人は語る。
もう1つは、常連客作り。投資した個人にしてみれば「自分がオーナーのお店」。それだけに足繁く通ってくれることや、新しい顧客を連れて来てくれることが期待できる。もちろん投資家は店舗の収益に応じて分配金を得ることができるし、食事優待券や鮮魚ギフト、また料理人と行く漁港ツアーへの優先参加といった特典も予定されているという。募集開始から1カ月、味彩せいじは開業前ということでほとんど宣伝はしていないが、約50人が投資し、最大募集金額の3割が既に集まっている。
築地のおかげで全国各地の魚が楽しめるようになったこと、スーパーの流通によって魚の価値や種類の取り揃えが安定していることなど、我々が効率化による恩恵を被っている側面があるのは確かだ。
しかし、本来は食の豊かさを目的とすべき効率化のはずが、いつしか効率化による低価格が目的となってしまったようだ。その流通に乗らなければ、どんなにおいしい魚であっても価値はゼロ。海に捨てられていく。そして、“生産者”である漁師たちの生活が苦しくなっていく。これはやはり、どこか、何かがおかしいのではないか。
そんな思いが、魚の卸と料理人、そしてファンドを通じた消費者たちが三位一体となる動きの背景にある。
「おいしい魚を味わいたい」
この期待に応えるべきは、漁師しかいない。養殖だけに頼れば、タイやスズキなど魚種が限られてしまう。量は確保できるが、やはり天然モノよりは味が落ちる。四方を海に囲まれた日本では、様々な旬の魚を獲ることができる。もっといろいろな魚が食卓に並んでもおかしくはないはず。
期待を担う当事者たちは今、漁業の現状に何を感じているのか。次回からは漁港を訪ねて、実態をレポートしていく。
=文中敬称略
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091110/209356/
2009年11月18日
箱の中身は何ですか?/世界とつながるニュース.41
「奇麗な皮膚だ。君はまるで人間のようだ」
アンドロイドに向って老人は言った。
「箱の中身を見てみたい?」
自らの身体の内側に広がる空っぽの世界を眺めながら女は男にそう言った。
彼女が必要としているのは小奇麗な器でもましてやありきたりの褒め言葉でもなかった。
アンドロイドに向って老人は言った。
「箱の中身を見てみたい?」
自らの身体の内側に広がる空っぽの世界を眺めながら女は男にそう言った。
彼女が必要としているのは小奇麗な器でもましてやありきたりの褒め言葉でもなかった。
さて、世の中には変わった人がいるものです。
沖縄には変わった生きものが多く生息していますが、
高知には変わった人がたくさんいます。
ものすごい仕事ができるのに、一次産業と地域のための仕事しか引き受けない
という一流のグラフィックデザイナー、梅原真さんもその一人。
日経ビジネスオンラインで最近始まった『シアワセのものさし』という連載企画で詳しいことがわかります。
第59回平成21年度日本観光ポスター 国土交通大臣賞金賞受賞のこのポスターも梅原氏の手によるものです。
写真は久高将和さん。
日経ビジネスオンライン 2009年10月23日(金)
「シアワセのものさし」持ってますか?
篠原 匡(日経ビジネスオンライン記者)
グローバル資本主義や世界経済のあり方を根底から問い直した金融危機。その余熱が冷めやらぬ今年1月、「この国のゆくえ」という連載を始めました。これから訪れる新しい時代。この国がどういう国を目指すべきなのか、それを考えてみたいと思ったからでした。
あの連載は4月に終わりましたが、その後も暇を見つけて、日本の未来が見えそうな地方や企業に足を運びました。そして、2カ月前、ある人物に出会いました。
坂本龍馬や中岡慎太郎、武市半平太など幕末の風雲児を生み出した土佐の国に生きるグラフィックデザイナーでした。一次産業と地域に関する仕事しか受けない。大企業の依頼も断っている。それでいて、この人が関わると、どんなプロジェクトの成功してしまう。そんな不思議な力を持ったデザイナーでした。
業界では有名なようですが、恥ずかしいことに、私は存在すら知りませんでした。でも、少し話を聞いただけで、その計り知れない人間の深さと他を圧倒する迫力に引き込まれました。出会ってたったの2カ月。それでも、前回の連載で書ききれなかったことが、この人を通して書けるのではないか――と感じました。
これから数カ月、このデザイナーを主人公にした連載を始めます。彼の足跡や過去の実績を通じて、商品開発の手法や企業経営の要諦、地域経済の未来などが浮き彫りになるでしょう。それだけでなく、彼の考え方や生き方は、グローバル経済の大海原を漂流しているこの国に、違った価値観を提示するに違いありません。
オバマの米国は新たな世界秩序の構築を模索しています。国内でも民主党政権が誕生、国家機構の見直しに着手し始めました。金融危機から早一年。世の中は新たなフェーズに進みつつあると言っていいでしょう。連載がどこにどう転がっていくかわかりませんが、新しい時代の「ものさし」が提示できれば望外の喜びです。 (篠原匡)
続きはこちらでどうぞ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091021/207732/
2009年11月05日
選べる広告/世界とつながるニュース.40
送り手と受け手のどちらに主導権を与えたほうが効果的か?
いまさらかもしれませんが、今だからこそデジタルサイネージ。
受け手が必要な情報だと感じれば、広告は単なる広告以上のものになるのかも。
見たくない時は目に入らない。
聞きたくない時には耳をふさぐ。
こどもを相手に悪戦苦闘の親や先生と同じように、あるいは新政権の新総理と同じように
「伝わり方」をもっと勉強しなくては、そう思う今日この頃。
というわけで、以下メディアサボールからの引用です。


メディア サボール 2009年10月5日
ニューヨーク・タクシーのデジタルサイネージ
ライター/ブロガー いしたにまさき
突然ですが、実は100年を超える歴史を持っているのが、通称イエローキャブと呼ばれるニューヨークのタクシーです。先日、一週間ほどニューヨークに滞在していて、このニューヨーク・タクシーを利用していて発見がありました。
それはJFK空港からマンハッタンに向かうのに乗ったタクシーでいきなり目に飛び込んできました。あれ? なんかずっと情報が出ているぞ。
このタクシーの助手席の後ろに備え付けられた液晶画面をよく見ていると、右には広告、左にはマップが表示されています。広告はどんどん入れ替わっていくし(しかもナショナルクライアントクラスの広告主が多い)、マップはずっと現在地を示し続けています。
さらに、ホントにすごいなあと感心するのが、2つのオプション。
●音声をオフにできる
●広告とマップ表示など全部をオフにできる
●もっと情報が欲しければ「ZAGAT」「Taxi Info」などいろいろな情報を入手することができる
つまり、広告主と広告を見る人の関係をタクシーという場のことを考えて、ユーザー側にコントロールを預けているわけです。
このタクシー広告は技術としては、最近では耳にすることも多くなってきた「デジタルサイネージ」で実現されています。
日本ではまだまだこれからと言われているデジタルサイネージですが、ニューヨークではタクシーに限らず、街中や店舗で数多く見かけました。東京との比較で言うと、ざっくり10倍程度の量はあったと思います。
さて、このニューヨーク・タクシーでのデジタルサイネージの話、まだ終わりません。この初日以降も何度かタクシーのお世話にはなったのですが、なんとそのタクシーすべてに同じ画面が装備されていました。車が新しいとか古いとか、そういうのは一切関係ありません。きっとすべてのタクシーに装備されているんだと思います。
そして、余り知られていないのですが(というか私も知らなかったんですが)、ニューヨークのタクシーは民間じゃありません。ニューヨーク市の運営です、公営なんですね。
実際には、ニューヨーク市の管轄「New York City Taxi & Limousine Commission」というところにニューヨークのタクシーは所属しており、ニューヨーク市に監視されているわけです。最近では、2012年までにすべてのタクシー「イエローキャブ」をハイブリッド車にすると発表(リンク:http://www.hinomaru-limo.com/info.html)したりと、ちょっと日本でのタクシーの感覚とは違うものがあります。
ただ、タクシーが公営でこういう運営をされているからこそ、全部のタクシーに「デジタルサイネージ」を導入したりすることもできるわけです。民営がすべていいわけではないということと、デジタルサイネージへの対応に町づくりとしてのニューヨーク市の思想が反映されていると考えてもおかしくはないでしょう。
日米の感覚の違いを示すいいサンプルになっているのではないかと思い、紹介しました。歴史とその性質の違いから、ある業種の運営を民営にするか、公営にするかをアメリカの方がうまくジャッジされているのかもしれないと思った次第です。
いしたにまさき
http://tokyodrift.jp/
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/
Media Sabor
http://mediasabor.jp/2009/10/post_696.html
いまさらかもしれませんが、今だからこそデジタルサイネージ。
受け手が必要な情報だと感じれば、広告は単なる広告以上のものになるのかも。
見たくない時は目に入らない。
聞きたくない時には耳をふさぐ。
こどもを相手に悪戦苦闘の親や先生と同じように、あるいは新政権の新総理と同じように
「伝わり方」をもっと勉強しなくては、そう思う今日この頃。
というわけで、以下メディアサボールからの引用です。
メディア サボール 2009年10月5日
ニューヨーク・タクシーのデジタルサイネージ
ライター/ブロガー いしたにまさき
突然ですが、実は100年を超える歴史を持っているのが、通称イエローキャブと呼ばれるニューヨークのタクシーです。先日、一週間ほどニューヨークに滞在していて、このニューヨーク・タクシーを利用していて発見がありました。
それはJFK空港からマンハッタンに向かうのに乗ったタクシーでいきなり目に飛び込んできました。あれ? なんかずっと情報が出ているぞ。
このタクシーの助手席の後ろに備え付けられた液晶画面をよく見ていると、右には広告、左にはマップが表示されています。広告はどんどん入れ替わっていくし(しかもナショナルクライアントクラスの広告主が多い)、マップはずっと現在地を示し続けています。
さらに、ホントにすごいなあと感心するのが、2つのオプション。
●音声をオフにできる
●広告とマップ表示など全部をオフにできる
●もっと情報が欲しければ「ZAGAT」「Taxi Info」などいろいろな情報を入手することができる
つまり、広告主と広告を見る人の関係をタクシーという場のことを考えて、ユーザー側にコントロールを預けているわけです。
このタクシー広告は技術としては、最近では耳にすることも多くなってきた「デジタルサイネージ」で実現されています。
日本ではまだまだこれからと言われているデジタルサイネージですが、ニューヨークではタクシーに限らず、街中や店舗で数多く見かけました。東京との比較で言うと、ざっくり10倍程度の量はあったと思います。
さて、このニューヨーク・タクシーでのデジタルサイネージの話、まだ終わりません。この初日以降も何度かタクシーのお世話にはなったのですが、なんとそのタクシーすべてに同じ画面が装備されていました。車が新しいとか古いとか、そういうのは一切関係ありません。きっとすべてのタクシーに装備されているんだと思います。
そして、余り知られていないのですが(というか私も知らなかったんですが)、ニューヨークのタクシーは民間じゃありません。ニューヨーク市の運営です、公営なんですね。
実際には、ニューヨーク市の管轄「New York City Taxi & Limousine Commission」というところにニューヨークのタクシーは所属しており、ニューヨーク市に監視されているわけです。最近では、2012年までにすべてのタクシー「イエローキャブ」をハイブリッド車にすると発表(リンク:http://www.hinomaru-limo.com/info.html)したりと、ちょっと日本でのタクシーの感覚とは違うものがあります。
ただ、タクシーが公営でこういう運営をされているからこそ、全部のタクシーに「デジタルサイネージ」を導入したりすることもできるわけです。民営がすべていいわけではないということと、デジタルサイネージへの対応に町づくりとしてのニューヨーク市の思想が反映されていると考えてもおかしくはないでしょう。
日米の感覚の違いを示すいいサンプルになっているのではないかと思い、紹介しました。歴史とその性質の違いから、ある業種の運営を民営にするか、公営にするかをアメリカの方がうまくジャッジされているのかもしれないと思った次第です。
いしたにまさき
http://tokyodrift.jp/
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/
Media Sabor
http://mediasabor.jp/2009/10/post_696.html
2009年10月10日
三ツ星の前評判。今年のボジョレー/世界とつながるニュース.39
台風18号のお陰かどうかは存じませんがすっかり秋めいてきてきましたね。
さて、世界でもっともボジョレーが盛り上がる日本にもフランスから嬉しい便りが届いています。
フランスの今年の夏はここ数年で一番の「葡萄日和」が続いたそうで、
ボジョレーに限らず、多くのぶどう産地で2005年をしのぐほどの作柄が報告されているようです。
ロージャースでも予約受付を開始したボジョレー・ヌーヴォー、今年は期待できそうです。

2009年8月26日 読売新聞
09ボジョレー、05を上回る期待
2009年のボジョレーは、高温と日照、少雨に恵まれ、2005年を上回るヴィンテージになるという期待が高まっている。
フランス食品振興会が伝えるボジョレーワイン委員会の発表によると、3月から7月まで6か月間の日照量は、平年を91時間上回り、平均気温は1968年以来、2003年を除いて最も高かった。7月の初旬と中旬の気温が高く、乾燥していて、降雨量は通常の半分以下だった。
ブドウは健全な状態で、糖度と酸のバランスは良く、最高の熟度に達する可能性がある。委員会は、05年を上回る高品質のヴィンテージになるという見方をしている。
収穫公示は8月27日に決定した。最も早熟な区画は例外的に公示前の収穫が認められ、8月24日に始まり、丘陵地帯は9月12日となる見通し。収穫量は少なめで、一株あたりの果房は平均11・8房という。
YOMIURI ONLINE

2009年9月18日 読売新聞
09ヌーボー、歴史的ヴィンテージに期待
フランス食品振興会は、今年のボージョレ・ヌーボーについて、「まれに見るすばらしい年になる見通し」と発表した。
ボージョレ地区では、8月27日から収穫を開始。「歴史的なミレジムになるべき条件がそろっている」と生産者は口をそろえる。
ボージョレワイン委員会テクニカル・ディレクターのジャン・リュック・ベルジェール氏は「完ぺきな衛生状態、厚めの果皮の小さな粒、控えめな収量、昼夜の理想的な気温差など、05年を除けば、これだけ美しい色を見たのは1976年以来」と期待している。
収穫量予想は約80万ヘクトリットル。収穫量が少なかった08年をやや上回るが、過去数年の平均100万ヘクトリットルを下回る。
ヌーボー大国の日本への輸出量は、04年の9万3934ヘクトリットルをピークに減少を続け、08年には5万167ヘクトリットルまで減少。09年もさらに減る見込みという。金額も、04年の2万4454ユーロから、08年は2万156ユーロまで落ち込んでいる。
一方、フランス食品振興会が主催し、東京都内でボージョレワインと中華料理をあわせる試飲セミナーが開かれた。
星野リゾートの総料理長、梶川俊一氏は「ボージョレは、初心者のためのワインというイメージがあるが、経験の深いソムリエにも好まれている。ワインファンの中間層にも魅力を伝えたい」と話した。
今年のボージョレ・ヌーボーの解禁日は、11月19日。
YOMIURI ONLINE
さて、世界でもっともボジョレーが盛り上がる日本にもフランスから嬉しい便りが届いています。
フランスの今年の夏はここ数年で一番の「葡萄日和」が続いたそうで、
ボジョレーに限らず、多くのぶどう産地で2005年をしのぐほどの作柄が報告されているようです。
ロージャースでも予約受付を開始したボジョレー・ヌーヴォー、今年は期待できそうです。
2009年8月26日 読売新聞
09ボジョレー、05を上回る期待
2009年のボジョレーは、高温と日照、少雨に恵まれ、2005年を上回るヴィンテージになるという期待が高まっている。
フランス食品振興会が伝えるボジョレーワイン委員会の発表によると、3月から7月まで6か月間の日照量は、平年を91時間上回り、平均気温は1968年以来、2003年を除いて最も高かった。7月の初旬と中旬の気温が高く、乾燥していて、降雨量は通常の半分以下だった。
ブドウは健全な状態で、糖度と酸のバランスは良く、最高の熟度に達する可能性がある。委員会は、05年を上回る高品質のヴィンテージになるという見方をしている。
収穫公示は8月27日に決定した。最も早熟な区画は例外的に公示前の収穫が認められ、8月24日に始まり、丘陵地帯は9月12日となる見通し。収穫量は少なめで、一株あたりの果房は平均11・8房という。
YOMIURI ONLINE
2009年9月18日 読売新聞
09ヌーボー、歴史的ヴィンテージに期待
フランス食品振興会は、今年のボージョレ・ヌーボーについて、「まれに見るすばらしい年になる見通し」と発表した。
ボージョレ地区では、8月27日から収穫を開始。「歴史的なミレジムになるべき条件がそろっている」と生産者は口をそろえる。
ボージョレワイン委員会テクニカル・ディレクターのジャン・リュック・ベルジェール氏は「完ぺきな衛生状態、厚めの果皮の小さな粒、控えめな収量、昼夜の理想的な気温差など、05年を除けば、これだけ美しい色を見たのは1976年以来」と期待している。
収穫量予想は約80万ヘクトリットル。収穫量が少なかった08年をやや上回るが、過去数年の平均100万ヘクトリットルを下回る。
ヌーボー大国の日本への輸出量は、04年の9万3934ヘクトリットルをピークに減少を続け、08年には5万167ヘクトリットルまで減少。09年もさらに減る見込みという。金額も、04年の2万4454ユーロから、08年は2万156ユーロまで落ち込んでいる。
一方、フランス食品振興会が主催し、東京都内でボージョレワインと中華料理をあわせる試飲セミナーが開かれた。
星野リゾートの総料理長、梶川俊一氏は「ボージョレは、初心者のためのワインというイメージがあるが、経験の深いソムリエにも好まれている。ワインファンの中間層にも魅力を伝えたい」と話した。
今年のボージョレ・ヌーボーの解禁日は、11月19日。
YOMIURI ONLINE
2009年09月05日
解雇も定年もない会社/世界とつながるニュース.38
解雇も増産も定年もない会社、株式会社ヤイリギター。創業1935年。
好景気も不景気も関係なしに本物だけを作り続けてきたこの会社には不況の風にもぐらつくことはないでしょう。

100%ハンドメイド、30人の職人が手作業で作るギターは一日あたりわずかに25本。
いい音が出る本物のギターを作るために代々伝わる製法を崩すわけにはいかないそうです。
頑固な姿勢は時として、時代の変化をするりするりと無意識にかわしていけるのでしょう。

工程ごとに分業していますが、ベテランの職人はすべての工程を把握しています。
若手の職人もすべての工程を担当するそうです。
芭蕉布のように生産工程の一から十までを熟知した職人がものづくりを行っています。
仕事が細分化されていないから、働く人のモチベーションは高いまま保たれます。

合板や若い材は決して使いません。
使い込むほど味わいがでる無垢材の家具づくりのように
大切に寝かせられた材は、部位に応じた乾燥工程を経て人の手に受け入れます。
効率や利便性とは対局にある姿勢が共感を誘います。

木材の供給がストップしたとしても20年は生産が続けられるだけの木材を70年代から備蓄しているそうです。
急には手に入らないのがある。だからゆっくりと憂いに備えることが必要なんですね。

ヤイリギターは永久保証。基本的に材料代のみでリペアを引き受けているそうです。
末永く使われることを前提にしたカスタマーケアの体制がブランドへの信頼度を高めています。
変化は善、変化に素早く対応することもまた善。
いままさに変化がもてはやされる時代のようですが、
昔からいわれるように、山を越える道は決して一つであってはいけないのです。
どうしてって、一本の道が万が一ってこともありますから・・・。
以上の画像はすべてヤイリギター・オフィシャルサイトから借用しました。
職人さんの紹介ページもありますので是非ご覧ください。
http://www.yairi.co.jp/home.html
楽器のことにはまるっきりの素人ですが、このニュースには久しぶりに短い触覚が振リ切れました。
ちょっと長いですが、今日は土曜日、登り窯で焼かれた器を片手に、ゆっくりご覧になってはいかがでしょうか。
日経ビジネスONLINE 2009年3月6日
世界ブランドの日本人を追え クエスト 探求者たち
解雇、増産、定年なし“たわけ”の哲学
ヤイリギター社長 矢入一男
Text:酒井 香代
1990年3月、東京ドーム。ビートルズ時代以来、24年ぶりに日本公演を果たしたポール・マッカートニーの手にあった漆黒のギターは、A.Yairi(アルバレズ・ヤイリ)のYD-88だった。
輸出用のA.Yairi、国内ブランドのK.Yairiと、岐阜県可児市のわずか30人ほどの職人を中心にした会社、ヤイリギター。ここから生み出されるアコースティックギターは、日本国内はもとより世界中のプロのギタリストやアマチュアプレーヤーを今もうならせ続けている。
かつて日本にもギター製作会社は100以上あった。特に名古屋を中心とする中京地方には50年代、50以上のギター工場がひしめいていた。しかし今ではその数は10分の1になっているという。
消えていった数多くの会社と、世界中のギターファンにその名を知られたヤイリギターはどう違うのだろうか。
「新しいことやら、難しいことは分からん」
32年生まれの喜寿。ヤイリギターを率いる矢入一男の口癖は、「たわけ」だ。
「新しいことやら、難しいことは分からん。ただ、ギターのことだけは、『たわけ』の一つ覚えと、自負しています」
3歳の時に父親が、「矢入楽器製作所」を名古屋に設立するが、まもなく時代は戦争に突入。戦時中の工場は、砲弾を入れる木箱の製作などでしのいでいた。
45年には、名古屋の工場を空襲で焼け出され、岐阜県の可児市へと移転する。戦後、木琴など楽器製作をしながら、陶器用の箱も作らねば会社は立ちゆかなかった。やがて60年前後、米国から安い工賃の日本の工場へ、ギター製作が発注されるようになった。矢入楽器製作所も米国向けギターの製作を始めた。
高校卒業後、家業を手伝っていた矢入は、62年、30歳でギターの本場を見るために渡米する。そこで知ったのは、日本で作られる「3ドルギター」はおもちゃ扱いだということだった。マーチンやギブソンといったアコースティックギターの最高峰とは比べものにならなかった。
一念発起した矢入は、木工訓練校の生徒に声をかけ、メード・イン・ジャパンの本格的ギター作りへとスタートを切る。65年には父の会社を受け継ぎ、ヤイリギターを設立。K.Yairiブランドが誕生する。
時代は、フォークブームを迎えていた。大量生産のギターが飛ぶように売れ始め、周りの会社は好景気を迎えていた。しかし「たわけ」の矢入は、手作りにこだわり、素材にこだわり、少量生産を貫いた。品質の向上だけを目指した。
「若い頃の冒険心やろうね。怖さ知らずやった」
人間にも素材にも効率を求めない
ヤイリギター設立当初からの職人、松尾浩は言う。
「世の中には見えないところをごまかしているギターもある。けれど、音は正直。寿命が違ってくる。職人は、誠実さとまじめさと嘘をつかないことだ」
この会社では、決して効率を求められることはない。それは、人間に対しても、素材に対しても同じだ。
30人ほどの職人が働く工場敷地の広さは2000坪もある。風通しのいい丘の上の工場の様々な場所に、おびただしい数の木が寝かされている。
今も矢入は、子供用のおもちゃのような木琴を奏で、音を愛おしむ。父の会社の時代から、木琴は身近にあった。ギターにとっての木材は基本。その大切さを知りつくしている。
ギターの「たわけ」の辞書に、資材在庫の回転率などという言葉はない。合板はもとより、速乾速成の木材は決して使わない。よい木材を見つけては求め、何年も、ギターの素材に成長するまでゆっくりと寝かせる。短期的には会社の財政を圧迫する投資。これも矢入の言う「たわけ」ならではの行いだ。
カスタムオーダーメードのギターを作り出す熟練の職人の1人に小池健司がいる。矢入が木工訓練校で声をかけた、ヤイリギター設立時からの古株だ。
ギターのトップ材(表板)の裏側を支える「力木」(ブレイシング)を、慎重に鉋で削り出す小池もまた、木琴を時に奏でる。
「基本は木琴と同じ。縁を削ると音は高くなり、内側をへこませると音は低くなる」
この微妙な技術は、誰にも真似することができない。
「我々のフォークの時代は、ギターは弾き込むものだった。最近は奏者も気が短くなったのかなぁ、すぐ弾けるものを求めたがる。けれど自分は、弾き込んで木全体が振動する、いい木の音を作りたい。奏者が楽器を育てればいい」
小池の言葉で、ヤイリギターにとっては、出荷・販売は終点ではないことが分かる。その意味は、「奏者が音を育てられる」ということのほかにもう1つあった。
ヒット商品が出ても生産ペースは変えない
楽器店などで開催されるクリニックも、ヤイリギターならではの風景だ。時には、30年間1度もリペアに出されたことのないギターが持ち込まれる。若手の職人が、丁寧に診断し、調整する。
あるアマチュアはこう語る。
「マーチンからヤイリに乗り換えた。丁寧で繊細。それに職人さんとも触れ合える。ユーザーフレンドリーなこともヤイリファンになった理由です」
すべての楽器には、プロ、アマチュア問わず、永久保証がつけられている。実費以外は、修理代を取らない。それは、ユーザーへのサービスという言葉を超え、希少価値の高い木材をおろそかにしないという哲学でもある。また、年数を経た楽器の状態やユーザーの声は、モノ作りへと還元される。
こだわりの人。とはいえ決して頑固一徹ではない。これまで矢入は、新しいギターや楽器作りに躊躇することはなかった。
近年の新楽器の代表作は、沖縄出身のバンドBEGINと共同開発した4弦の「一五一会(イチゴイチエ)」だ。
「ヤイリギターの職人さんと話しているうちに、楽器とは、作ってもいいものだと思うようになったんです。矢入社長に、こんな楽器と言ってみたら、『若きゃあもんで、やってみりゃあええが』と。社長は、実に引き出しの多い人なんです」
こうして生まれた一五一会は、指1本で弾けることから従来のギターファンや三線ファンの枠を超え、ヒット商品になった。発注数が膨大になった。が、ヤイリギターが、生産量のペースを乱さないのはこれまでと同じだった。淡々と、粛々と、30人の職人で作ることのできる数を作り続ける。1日20本程度。昔から、今も変わらぬヤイリギターの生産量である。
社員の募集さえしてこなかった
ヤイリギターでは、職人は通常、組み立てや仕上げなどの工程を分業する。が、数年たてば別の担当に代わり、全分野で経験を積めるシステムになっている。20〜30年の時間をかけて、1本のギターを1人で作り出せるオールラウンドプレーヤー、小池のようなマイスターをじっくりと育てていくという方針だ。
中堅職人が、新しいギターにチャレンジする。これを温かく見守る矢入は、職人のやる気を、あわてずじっくり育てることでも一流だ。ほめそやすわけでもなく、それぞれの職人としての才能を見極め、実直なアドバイスを送る。
「楽器というものは奥が深い。人間的な円みと、体験学のようなもの。そういうものを学ぼうという向学心があれば、さらに伸びる」
2008年、米国発の世界不況と円高は、ヤイリギターのある岐阜県可児市にも過酷な影響を与えている。自動車産業の下請け工場も多い地域だ。
1970年に、米国の大手楽器商、セントルイス・ミュージックと契約して以来、A.Yairiブランドで輸出製品を製作してきたヤイリギターにとっても、不況と円高の影響は少なくはない。
ただヤイリギターには、世間を賑わす「解雇」という言葉がない。
ヒット商品が生まれたとしても、増産はしない。だから派遣社員やアルバイトを増やしたこともない。長年、社員の募集さえしてこなかった。
「みんな好きで来ている職人たちだけ。辞めてくれと言ったこともないし、来てくれと集めたこともないなぁ」
年齢を重ねても、マイスターになってカスタムオーダーメードのギターを担当するので、実質、定年もない。
人の言うことを聞かない「たわけ」だと自称する矢入は、時代のさざ波に揺り動かされることはなかった。どんな時でもひたすらにモノ作りの姿勢を貫き続けてきた。だからこそ、人間や短期では手に入らない木材といった本物の資産が、しっかりとヤイリギターに積み上げられてきた。
出来上がったギターに、そっと頬を寄せてボディーの共鳴を確かめる矢入。音だけではない。正直な楽器作りは、人の心も共鳴させ続ける。「たわけ」であり続けることの勇気こそが、ヤイリギターの今日を支えている。

QUESTクエスト〜探求者たち〜はWOWOWで毎週日曜 午前10:00〜放送されています。
日経ビジネスONLINE
http://business.nikkeibp.co.jp/
好景気も不景気も関係なしに本物だけを作り続けてきたこの会社には不況の風にもぐらつくことはないでしょう。
100%ハンドメイド、30人の職人が手作業で作るギターは一日あたりわずかに25本。
いい音が出る本物のギターを作るために代々伝わる製法を崩すわけにはいかないそうです。
頑固な姿勢は時として、時代の変化をするりするりと無意識にかわしていけるのでしょう。
工程ごとに分業していますが、ベテランの職人はすべての工程を把握しています。
若手の職人もすべての工程を担当するそうです。
芭蕉布のように生産工程の一から十までを熟知した職人がものづくりを行っています。
仕事が細分化されていないから、働く人のモチベーションは高いまま保たれます。
合板や若い材は決して使いません。
使い込むほど味わいがでる無垢材の家具づくりのように
大切に寝かせられた材は、部位に応じた乾燥工程を経て人の手に受け入れます。
効率や利便性とは対局にある姿勢が共感を誘います。
木材の供給がストップしたとしても20年は生産が続けられるだけの木材を70年代から備蓄しているそうです。
急には手に入らないのがある。だからゆっくりと憂いに備えることが必要なんですね。
ヤイリギターは永久保証。基本的に材料代のみでリペアを引き受けているそうです。
末永く使われることを前提にしたカスタマーケアの体制がブランドへの信頼度を高めています。
変化は善、変化に素早く対応することもまた善。
いままさに変化がもてはやされる時代のようですが、
昔からいわれるように、山を越える道は決して一つであってはいけないのです。
どうしてって、一本の道が万が一ってこともありますから・・・。
以上の画像はすべてヤイリギター・オフィシャルサイトから借用しました。
職人さんの紹介ページもありますので是非ご覧ください。
http://www.yairi.co.jp/home.html
楽器のことにはまるっきりの素人ですが、このニュースには久しぶりに短い触覚が振リ切れました。
ちょっと長いですが、今日は土曜日、登り窯で焼かれた器を片手に、ゆっくりご覧になってはいかがでしょうか。
日経ビジネスONLINE 2009年3月6日
世界ブランドの日本人を追え クエスト 探求者たち
解雇、増産、定年なし“たわけ”の哲学
ヤイリギター社長 矢入一男
Text:酒井 香代
1990年3月、東京ドーム。ビートルズ時代以来、24年ぶりに日本公演を果たしたポール・マッカートニーの手にあった漆黒のギターは、A.Yairi(アルバレズ・ヤイリ)のYD-88だった。
輸出用のA.Yairi、国内ブランドのK.Yairiと、岐阜県可児市のわずか30人ほどの職人を中心にした会社、ヤイリギター。ここから生み出されるアコースティックギターは、日本国内はもとより世界中のプロのギタリストやアマチュアプレーヤーを今もうならせ続けている。
かつて日本にもギター製作会社は100以上あった。特に名古屋を中心とする中京地方には50年代、50以上のギター工場がひしめいていた。しかし今ではその数は10分の1になっているという。
消えていった数多くの会社と、世界中のギターファンにその名を知られたヤイリギターはどう違うのだろうか。
「新しいことやら、難しいことは分からん」
32年生まれの喜寿。ヤイリギターを率いる矢入一男の口癖は、「たわけ」だ。
「新しいことやら、難しいことは分からん。ただ、ギターのことだけは、『たわけ』の一つ覚えと、自負しています」
3歳の時に父親が、「矢入楽器製作所」を名古屋に設立するが、まもなく時代は戦争に突入。戦時中の工場は、砲弾を入れる木箱の製作などでしのいでいた。
45年には、名古屋の工場を空襲で焼け出され、岐阜県の可児市へと移転する。戦後、木琴など楽器製作をしながら、陶器用の箱も作らねば会社は立ちゆかなかった。やがて60年前後、米国から安い工賃の日本の工場へ、ギター製作が発注されるようになった。矢入楽器製作所も米国向けギターの製作を始めた。
高校卒業後、家業を手伝っていた矢入は、62年、30歳でギターの本場を見るために渡米する。そこで知ったのは、日本で作られる「3ドルギター」はおもちゃ扱いだということだった。マーチンやギブソンといったアコースティックギターの最高峰とは比べものにならなかった。
一念発起した矢入は、木工訓練校の生徒に声をかけ、メード・イン・ジャパンの本格的ギター作りへとスタートを切る。65年には父の会社を受け継ぎ、ヤイリギターを設立。K.Yairiブランドが誕生する。
時代は、フォークブームを迎えていた。大量生産のギターが飛ぶように売れ始め、周りの会社は好景気を迎えていた。しかし「たわけ」の矢入は、手作りにこだわり、素材にこだわり、少量生産を貫いた。品質の向上だけを目指した。
「若い頃の冒険心やろうね。怖さ知らずやった」
人間にも素材にも効率を求めない
ヤイリギター設立当初からの職人、松尾浩は言う。
「世の中には見えないところをごまかしているギターもある。けれど、音は正直。寿命が違ってくる。職人は、誠実さとまじめさと嘘をつかないことだ」
この会社では、決して効率を求められることはない。それは、人間に対しても、素材に対しても同じだ。
30人ほどの職人が働く工場敷地の広さは2000坪もある。風通しのいい丘の上の工場の様々な場所に、おびただしい数の木が寝かされている。
今も矢入は、子供用のおもちゃのような木琴を奏で、音を愛おしむ。父の会社の時代から、木琴は身近にあった。ギターにとっての木材は基本。その大切さを知りつくしている。
ギターの「たわけ」の辞書に、資材在庫の回転率などという言葉はない。合板はもとより、速乾速成の木材は決して使わない。よい木材を見つけては求め、何年も、ギターの素材に成長するまでゆっくりと寝かせる。短期的には会社の財政を圧迫する投資。これも矢入の言う「たわけ」ならではの行いだ。
カスタムオーダーメードのギターを作り出す熟練の職人の1人に小池健司がいる。矢入が木工訓練校で声をかけた、ヤイリギター設立時からの古株だ。
ギターのトップ材(表板)の裏側を支える「力木」(ブレイシング)を、慎重に鉋で削り出す小池もまた、木琴を時に奏でる。
「基本は木琴と同じ。縁を削ると音は高くなり、内側をへこませると音は低くなる」
この微妙な技術は、誰にも真似することができない。
「我々のフォークの時代は、ギターは弾き込むものだった。最近は奏者も気が短くなったのかなぁ、すぐ弾けるものを求めたがる。けれど自分は、弾き込んで木全体が振動する、いい木の音を作りたい。奏者が楽器を育てればいい」
小池の言葉で、ヤイリギターにとっては、出荷・販売は終点ではないことが分かる。その意味は、「奏者が音を育てられる」ということのほかにもう1つあった。
ヒット商品が出ても生産ペースは変えない
楽器店などで開催されるクリニックも、ヤイリギターならではの風景だ。時には、30年間1度もリペアに出されたことのないギターが持ち込まれる。若手の職人が、丁寧に診断し、調整する。
あるアマチュアはこう語る。
「マーチンからヤイリに乗り換えた。丁寧で繊細。それに職人さんとも触れ合える。ユーザーフレンドリーなこともヤイリファンになった理由です」
すべての楽器には、プロ、アマチュア問わず、永久保証がつけられている。実費以外は、修理代を取らない。それは、ユーザーへのサービスという言葉を超え、希少価値の高い木材をおろそかにしないという哲学でもある。また、年数を経た楽器の状態やユーザーの声は、モノ作りへと還元される。
こだわりの人。とはいえ決して頑固一徹ではない。これまで矢入は、新しいギターや楽器作りに躊躇することはなかった。
近年の新楽器の代表作は、沖縄出身のバンドBEGINと共同開発した4弦の「一五一会(イチゴイチエ)」だ。
「ヤイリギターの職人さんと話しているうちに、楽器とは、作ってもいいものだと思うようになったんです。矢入社長に、こんな楽器と言ってみたら、『若きゃあもんで、やってみりゃあええが』と。社長は、実に引き出しの多い人なんです」
こうして生まれた一五一会は、指1本で弾けることから従来のギターファンや三線ファンの枠を超え、ヒット商品になった。発注数が膨大になった。が、ヤイリギターが、生産量のペースを乱さないのはこれまでと同じだった。淡々と、粛々と、30人の職人で作ることのできる数を作り続ける。1日20本程度。昔から、今も変わらぬヤイリギターの生産量である。
社員の募集さえしてこなかった
ヤイリギターでは、職人は通常、組み立てや仕上げなどの工程を分業する。が、数年たてば別の担当に代わり、全分野で経験を積めるシステムになっている。20〜30年の時間をかけて、1本のギターを1人で作り出せるオールラウンドプレーヤー、小池のようなマイスターをじっくりと育てていくという方針だ。
中堅職人が、新しいギターにチャレンジする。これを温かく見守る矢入は、職人のやる気を、あわてずじっくり育てることでも一流だ。ほめそやすわけでもなく、それぞれの職人としての才能を見極め、実直なアドバイスを送る。
「楽器というものは奥が深い。人間的な円みと、体験学のようなもの。そういうものを学ぼうという向学心があれば、さらに伸びる」
2008年、米国発の世界不況と円高は、ヤイリギターのある岐阜県可児市にも過酷な影響を与えている。自動車産業の下請け工場も多い地域だ。
1970年に、米国の大手楽器商、セントルイス・ミュージックと契約して以来、A.Yairiブランドで輸出製品を製作してきたヤイリギターにとっても、不況と円高の影響は少なくはない。
ただヤイリギターには、世間を賑わす「解雇」という言葉がない。
ヒット商品が生まれたとしても、増産はしない。だから派遣社員やアルバイトを増やしたこともない。長年、社員の募集さえしてこなかった。
「みんな好きで来ている職人たちだけ。辞めてくれと言ったこともないし、来てくれと集めたこともないなぁ」
年齢を重ねても、マイスターになってカスタムオーダーメードのギターを担当するので、実質、定年もない。
人の言うことを聞かない「たわけ」だと自称する矢入は、時代のさざ波に揺り動かされることはなかった。どんな時でもひたすらにモノ作りの姿勢を貫き続けてきた。だからこそ、人間や短期では手に入らない木材といった本物の資産が、しっかりとヤイリギターに積み上げられてきた。
出来上がったギターに、そっと頬を寄せてボディーの共鳴を確かめる矢入。音だけではない。正直な楽器作りは、人の心も共鳴させ続ける。「たわけ」であり続けることの勇気こそが、ヤイリギターの今日を支えている。
QUESTクエスト〜探求者たち〜はWOWOWで毎週日曜 午前10:00〜放送されています。
日経ビジネスONLINE
http://business.nikkeibp.co.jp/
2009年08月19日
多くの人を幸福にするシステム/世界とつながるニュース.37
世の中ってほんとうに不思議だなあと、思うことってありませんか。
何か重大なことが放置されていても、「大多数」の人が問題なしと思っていれば、
たとえそれが他の人から見るととてつもなく大きな問題であったとしても、問題なしとされてしまいます。
「それが多数決を原則とする民主主義システムなんだよ」
といわれてしまえばそれまでなのかもしれませんが、
この記事を読むとそれでほんとうにいいのだろうかと思ったりします。
何人からが多数なの?いや人数でなくて構成比。じゃあ、何%なら多数なの?
127万人ってどう?多数なの少数なの?日本の人口は1億2700万人だから1%。
多数なのか少数なのかわからない・・・。
8月30日は衆議院選挙。そして同時に最高裁判所裁判官国民審査の日でもあるそうです。
暑い日が続いて身も心もだらんとなってしまいがち。
たまには水風呂にでも浸かってリフレシュしたいですね。

日経ビジネスオンライン 2009年8月5日
児玉博の「見えざる構図」=ニュースの裏側を透視する〜
政権交代に踊る前に、違憲状態に「×」
青色LED(発光ダイオード)訴訟で原告の中村修二氏の代理人を務めた升永英俊弁護士や企業法務で著名な久保利英明弁護士が中心となり、「一票の格差」(国会議員1人当たりの有権者数の格差)見直しを求める「一人一票実現国民会議」が立ち上がった。
7月28日に日経ビジネスオンライン連載「久保利英明の日本人はバカなのか!?」の記事で触れたように、升永弁護士は米国留学時代、米国が1票の価値の平等を徹底する姿勢を目の当たりにした。そこに米国の根幹である正義とフェアネスの精神を守り抜く気概を感じ、衝撃を受けた。
翻って日本は半世紀以上、一票の価値の平等をないがしろにし続けている。その元凶に、最高裁判所が違憲判決に躊躇する態度がある。そう判断し、一人一票実現国民会議を結成し、次の総選挙で行われる最高裁判所裁判官国民審査で、合憲判断した最高裁判事を罷免にすべく動きだした。
升永弁護士にその狙いを聞いた。
(日経ビジネスオンライン編集部、聞き手はノンフィクションライター児玉 博)
—— 現在の有権者の一票の格差が衆議院で最大2倍強、参議院で同じく4倍強の開きがあります。升永さんにとっては、この格差は看過できない。
升永 まず「一票の格差」というよりは、「一票の不平等」ということです。格差というと、例えば2倍以内ならいいのか、という誤解を招いてしまう。本来は一票の価値は皆、同じであるべきというのが私の信念。価値が平等でない今の状況を説明するのには、一票の不平等という言葉を使っていきます。
民主主義国家であることを保障するためには、一票の価値は平等であるべき、というのが私の信念です。同じ日本人なのに、住んでいるところが違うだけで、「あなたは1票を持つが、あなたは0.2票分しかない」というのは、どう考えても民主的ではない。こうした差別を、性別や年齢の違いでされたらどう思いますか。
例えば、男性は1票だが女性は0.9票の価値しかない。50歳以上は1票を与えるが、50歳未満には0.5票しか与えない。それぞれが逆で考えてもいい。こうした差別をされれば、誰だっておかしいと思うはずです。私が50人近い人に、「女性の方が男性より投票価値が低いとしたらどう思うか」と尋ねたら、女性に限らず男性も含めてすべての人がおかしいと答えました。
民主主義の根幹は、国民一人ひとりの権利が平等に保障されていることです。憲法14条第1項には「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあります。
ここに住所がないから、住所の違いでは差別して良い、とはならないでしょう。一票の価値は、性別、年齢そして住所に違いがあっても、平等である必要があるのです。「一人一票」の保障は、民主主義国家の基本です。
—— 年齢や性別で例えられると、一票の格差問題の重大性を認識できますが、一方でこれまでこの問題に対する国民の関心は低いようですが。
升永 こういうたとえは、どうでしょうか。
ニュースで時折、発展途上国や専制国家などで、投票箱の紛失や開票の不正を防止するため、国際連合などから選挙監視団体が派遣される例を見かけます。考えようによっては、日本はこうした団体から監視を受けなくてはならない国々と、同じ状況にあるのです。
というのは、たとえば一票の価値が1対0.5の不平等があるということは、0.5票の価値しかない選挙区では、投票箱を開票所に持ち込まれる以前に、自動的に半分の投票箱がなくなってしまったことに等しいのです。
多くの日本人は日本で投票箱がなくなってしまうようなことはあり得ないと思っていますが、似たようなことが起きているのです。
—— たしかにそのたとえを聞くと、日本は我々国民が信じているような民主主義国家なのか、という疑問が生じます。
続きはこちらから…。
日経ビジネスオンライン
一人一票実現国民会議
http://www.ippyo.org/question1.html
何か重大なことが放置されていても、「大多数」の人が問題なしと思っていれば、
たとえそれが他の人から見るととてつもなく大きな問題であったとしても、問題なしとされてしまいます。
「それが多数決を原則とする民主主義システムなんだよ」
といわれてしまえばそれまでなのかもしれませんが、
この記事を読むとそれでほんとうにいいのだろうかと思ったりします。
何人からが多数なの?いや人数でなくて構成比。じゃあ、何%なら多数なの?
127万人ってどう?多数なの少数なの?日本の人口は1億2700万人だから1%。
多数なのか少数なのかわからない・・・。
8月30日は衆議院選挙。そして同時に最高裁判所裁判官国民審査の日でもあるそうです。
暑い日が続いて身も心もだらんとなってしまいがち。
たまには水風呂にでも浸かってリフレシュしたいですね。
日経ビジネスオンライン 2009年8月5日
児玉博の「見えざる構図」=ニュースの裏側を透視する〜
政権交代に踊る前に、違憲状態に「×」
青色LED(発光ダイオード)訴訟で原告の中村修二氏の代理人を務めた升永英俊弁護士や企業法務で著名な久保利英明弁護士が中心となり、「一票の格差」(国会議員1人当たりの有権者数の格差)見直しを求める「一人一票実現国民会議」が立ち上がった。
7月28日に日経ビジネスオンライン連載「久保利英明の日本人はバカなのか!?」の記事で触れたように、升永弁護士は米国留学時代、米国が1票の価値の平等を徹底する姿勢を目の当たりにした。そこに米国の根幹である正義とフェアネスの精神を守り抜く気概を感じ、衝撃を受けた。
翻って日本は半世紀以上、一票の価値の平等をないがしろにし続けている。その元凶に、最高裁判所が違憲判決に躊躇する態度がある。そう判断し、一人一票実現国民会議を結成し、次の総選挙で行われる最高裁判所裁判官国民審査で、合憲判断した最高裁判事を罷免にすべく動きだした。
升永弁護士にその狙いを聞いた。
(日経ビジネスオンライン編集部、聞き手はノンフィクションライター児玉 博)
—— 現在の有権者の一票の格差が衆議院で最大2倍強、参議院で同じく4倍強の開きがあります。升永さんにとっては、この格差は看過できない。
升永 まず「一票の格差」というよりは、「一票の不平等」ということです。格差というと、例えば2倍以内ならいいのか、という誤解を招いてしまう。本来は一票の価値は皆、同じであるべきというのが私の信念。価値が平等でない今の状況を説明するのには、一票の不平等という言葉を使っていきます。
民主主義国家であることを保障するためには、一票の価値は平等であるべき、というのが私の信念です。同じ日本人なのに、住んでいるところが違うだけで、「あなたは1票を持つが、あなたは0.2票分しかない」というのは、どう考えても民主的ではない。こうした差別を、性別や年齢の違いでされたらどう思いますか。
例えば、男性は1票だが女性は0.9票の価値しかない。50歳以上は1票を与えるが、50歳未満には0.5票しか与えない。それぞれが逆で考えてもいい。こうした差別をされれば、誰だっておかしいと思うはずです。私が50人近い人に、「女性の方が男性より投票価値が低いとしたらどう思うか」と尋ねたら、女性に限らず男性も含めてすべての人がおかしいと答えました。
民主主義の根幹は、国民一人ひとりの権利が平等に保障されていることです。憲法14条第1項には「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とあります。
ここに住所がないから、住所の違いでは差別して良い、とはならないでしょう。一票の価値は、性別、年齢そして住所に違いがあっても、平等である必要があるのです。「一人一票」の保障は、民主主義国家の基本です。
—— 年齢や性別で例えられると、一票の格差問題の重大性を認識できますが、一方でこれまでこの問題に対する国民の関心は低いようですが。
升永 こういうたとえは、どうでしょうか。
ニュースで時折、発展途上国や専制国家などで、投票箱の紛失や開票の不正を防止するため、国際連合などから選挙監視団体が派遣される例を見かけます。考えようによっては、日本はこうした団体から監視を受けなくてはならない国々と、同じ状況にあるのです。
というのは、たとえば一票の価値が1対0.5の不平等があるということは、0.5票の価値しかない選挙区では、投票箱を開票所に持ち込まれる以前に、自動的に半分の投票箱がなくなってしまったことに等しいのです。
多くの日本人は日本で投票箱がなくなってしまうようなことはあり得ないと思っていますが、似たようなことが起きているのです。
—— たしかにそのたとえを聞くと、日本は我々国民が信じているような民主主義国家なのか、という疑問が生じます。
続きはこちらから…。
日経ビジネスオンライン
一人一票実現国民会議
http://www.ippyo.org/question1.html
2009年08月05日
文化を伝えるマーケティング/世界とつながるニュース.36
てぃーだブログでも何人かの方が取り上げているサントリーの角瓶。
夏といえばビールの沖縄でも、小雪さんのCFに飲む気をそそられている人は少なくないのでは。
もともとはワインの製造販売から事業をはじめ、昭和初期に日本初の本格ウィスキーといわれる「ホワイト」を世に送り出したサントリー。華やかでインパクトのある広告づくりでや、クラッシックや美術などの文化活動への支援も早くから行ってきたことで知られています。そのためか、かつては文科系大学生の就職人気企業ランキングのトップの座を占めているほどでした。
どちらかといえば派手系のサントリーが、長期にわたって低迷してきたウイスキー事業の地道な改革に乗り出し、いままさに復活を成し遂げようとしているそうです。

画像はサントリーが輸入しているスコットランドのシングルモルトウィスキーです。
日経ビジネスンライン 2009年7月15日
「現場力」が会社を救う
飲む文化を伝えて“洋酒天国”再建へ
「地道さ」選んだマーケティング転換
サントリー (ウイスキー事業)
30年近くも長期低迷していたウイスキー事業が復活の兆しを見せている。
「オールド」「角瓶」の風味や外見をリニューアルしただけではない。
売り込み中心の営業から飲む文化を伝える地道な営業へというマーケティングの転換があった。
酒販店や居酒屋などへの文化の伝播に職人気質のブレンダーも動いた。 (文中敬称略)
<日経情報ストラテジー 2008年2月号掲載>
【プロジェクトの概要】
近年清涼飲料やビールで強みを見せるサントリーには、80年以上にも及ぶ洋酒事業の
歴史がある。しかし、1980年代以降は、焼酎の台頭や飲酒習慣の変化などに押され元気
を失ってきた。消費者が飲み方を知らなくては、いくら広告宣伝や営業力に長けていても
市場にかつての元気を取り戻すことは不可能だ。サントリーは、スーパーや酒販店、外食
チェーンといった顧客接点を通じてウイスキーの魅力を語ることに再生の道を見いだした。
「ザ・サントリーオールド」「角瓶」という二大ブランドのリニューアルとほぼ時を同じ
くして、啓もう活動に乗り出した。営業担当者はもちろん、職人であるブレンダーまでが
ウイスキーの魅力を地道に伝えようとしている。ウイスキーの伝道師を育てる社内資格認
定制度も立ち上げ、初年度は全国の拠点から25人が受講した。
1年間に及ぶ取り組みは徐々に成果を上げつつある。
福島県いわき市と郡山市に7店舗を構える、食品スーパーの一二三(ひふみ)屋は、
いわき平店を2007年夏に3カ月も休業し一度更地にして大規模な店の改装に踏み切った。
リニューアル後の目玉は、「Sake Theatre」。瓶詰めのアルコール飲料の販売スペースを
ほかのエリアから区切って室温を3度低く設定するとともに、照明も薄暗くして
落ち着いた雰囲気をかもし出した。また、10月にオープンしたJRいわき駅に
隣接する商業施設「LATOV」内の店には、ウイスキー樽の底を並べて
作った巨大オブジェを設置し、街行く人を驚かせた。
酒類販売に力を注ぐ両店で一番目立つスペースに
並べられているのがサントリーのウイスキーだ。商品棚の
端のエンドと呼ばれる陳列スペースのうち、入口に近い2つを“占拠”
している。一二三屋社長の阿部泰孝は「ただ売るだけじゃない。この地に
ウイスキーを楽しむ文化を根づかせる」と言う。同社は酒類部門に強みを持った
食品スーパーだが、近年は価格競争に巻き込まれがちだった。品ぞろえや商品棚の見せ方
で特色を作りたい一二三屋に、サントリーが提案する形で平店とLATOV店のウイスキー販売スペースは生まれた。
実は一二三屋のようにサントリーの協力を得て販売スペースを拡張したり、店を改装したりするなどして
2007年に入ってウイスキー販売に力を入れるようになった酒販店やスーパーのチェーンは
全国で10以上に上る。サントリーはプレミアムモルツというヒット商品を生み、
悲願のビール事業黒字化は目前に迫っている。酒類以外に柱になる
商品もたくさんある。にもかかわらず、この1年余り、
ウイスキー事業の復活に心血を注いできた。
そんな思いが実ったかのように長く縮小を
続けてきた市場に一筋の明かりが差し込んでいる。
看板的存在である「ザ・サントリーオールドウイスキー」を
2006年3月にリニューアル発売したところ、長らく右肩下がりだった
販売量が2005年の51万4000ケース(1ケース=12本)から、2006年は54万ケースと
息を吹き返した。リニューアル効果が薄れる2007年も前年並みの売り上げで推移している。
2007年3月にリニューアルした「角瓶」も同様に売り上げ減少を食い止めた。
サントリーが国内のウイスキー産業の盟主としての地位を不動にしたのは
1950年発売の「オールド」だろう。80年には年間1240万ケースという
世界的にも類を見ない販売量を記録した。しかしその後、チューハイ
など飲みやすいアルコール飲料が台頭したことにより、ウイスキー
市場は縮小の一途をたどった。
もちろんサントリーも手をこまぬいて
いたわけではない。伝説的な広報誌『洋酒天国』
の時代から知られる洗練された広告や、「やってみなはれ」
の言葉で知られる挑戦的かつお祭り的な勢いを持つ営業力でてこ入れを何度も図った。
元大相撲のタレントであるKONISHIKIや人気歌手のケミストリーをキャラクターに
すえたテレビCMが話題になったり、98年には5000人近い社員が一晩に
全国2万5000店の酒販店をウイスキー関連のPOP(店頭販促)広告
で埋め尽くす「一夜城作戦」を断行したりと様々な手を打って
きた。ただし、売り上げという数字目標を追ったカンフル剤は、
一時的にキャンペーンを成功させても市場縮小を食い止めるには至らなかった。
揺れたマーケティング戦略
30年近くに及ぶ不振の期間に変わったのは市場規模だけではない。
ウイスキーの飲まれ方自体が大きく変容した。アルコール度数が40度を超えるウイスキーは、
バーなどで1人もしくは少人数でひっそりとゆっくりと飲まれるものだった。
こうした光景は影を潜め、代わりに増えたのが大人数でわいわい飲む習慣だ。
チューハイやカクテルといった飲みやすいアルコールが幅を利かす。居酒屋チェーンの
パイオニア的存在だった「つぼ八」が全国展開に乗り出したのは78年。ウイスキーが衰退していく
80年以降は酒場という言葉の意味が書き換えられていった時代でもあった。
洋酒事業部営業部長の及川剛は、焼酎のマーケティングを担当した経験がある。
「一度外からウイスキーを見たことが良かった」
洋酒事業部営業部長の及川剛は「成人の1%にすぎない、月に2本以上飲む
ヘビーユーザーが消費の4割を占めるという構造になっている。
その結果、うちが得意としてきたマス向けのキャン
ペーンは使いづらくなってしまった」と語る。
二十数年間でウイスキーは一部の好事家が
熱烈に愛するマニアックな商品になってしまっていた。
サントリーはこの消費構造の変化に対応したマーケティング戦略に迷っていた。
シェア上位の企業に追いつけ追い越せと頑張っているビール事業ではマスマーケティングも大切だろう。
しかし、洋酒事業は市場が縮小しても最大手の企業として利益は十分に出ていた。
若者というウイスキー入門者にアピールしても目先の効果が上がらなければ、
そのマーケティングをすぐにあきらめてしまう。この繰り返しが続いた。
ならば盟主が取るべき戦略とは何なのか。
及川は「市場の活性化につながる地道な啓もう活動」と言う。
消費者が離れていったのなら呼び戻すしかない。
目先の売り上げやシェアにとらわれない最大手だからこそできる道だ。
洋酒事業部はキャンペーンの成功や商品のヒットといった「数」ではなく、
ウイスキーを愛する文化をもう一度醸成するという「質」を求めて動き出したのだ。
オールドのマーケティングを担当する洋酒事業部企画部の本間慎二郎は
「頑固になってウイスキーが持つ雰囲気や文化といった価値を継続的に訴えていくしかない」と話す。
(上木 貴博)
ここでは4ページのうち2ページを引用させていただきました。
続きはこちらでどうぞ。
日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/
夏といえばビールの沖縄でも、小雪さんのCFに飲む気をそそられている人は少なくないのでは。
もともとはワインの製造販売から事業をはじめ、昭和初期に日本初の本格ウィスキーといわれる「ホワイト」を世に送り出したサントリー。華やかでインパクトのある広告づくりでや、クラッシックや美術などの文化活動への支援も早くから行ってきたことで知られています。そのためか、かつては文科系大学生の就職人気企業ランキングのトップの座を占めているほどでした。
どちらかといえば派手系のサントリーが、長期にわたって低迷してきたウイスキー事業の地道な改革に乗り出し、いままさに復活を成し遂げようとしているそうです。
画像はサントリーが輸入しているスコットランドのシングルモルトウィスキーです。
日経ビジネスンライン 2009年7月15日
「現場力」が会社を救う
飲む文化を伝えて“洋酒天国”再建へ
「地道さ」選んだマーケティング転換
サントリー (ウイスキー事業)
30年近くも長期低迷していたウイスキー事業が復活の兆しを見せている。
「オールド」「角瓶」の風味や外見をリニューアルしただけではない。
売り込み中心の営業から飲む文化を伝える地道な営業へというマーケティングの転換があった。
酒販店や居酒屋などへの文化の伝播に職人気質のブレンダーも動いた。 (文中敬称略)
<日経情報ストラテジー 2008年2月号掲載>
【プロジェクトの概要】
近年清涼飲料やビールで強みを見せるサントリーには、80年以上にも及ぶ洋酒事業の
歴史がある。しかし、1980年代以降は、焼酎の台頭や飲酒習慣の変化などに押され元気
を失ってきた。消費者が飲み方を知らなくては、いくら広告宣伝や営業力に長けていても
市場にかつての元気を取り戻すことは不可能だ。サントリーは、スーパーや酒販店、外食
チェーンといった顧客接点を通じてウイスキーの魅力を語ることに再生の道を見いだした。
「ザ・サントリーオールド」「角瓶」という二大ブランドのリニューアルとほぼ時を同じ
くして、啓もう活動に乗り出した。営業担当者はもちろん、職人であるブレンダーまでが
ウイスキーの魅力を地道に伝えようとしている。ウイスキーの伝道師を育てる社内資格認
定制度も立ち上げ、初年度は全国の拠点から25人が受講した。
1年間に及ぶ取り組みは徐々に成果を上げつつある。
福島県いわき市と郡山市に7店舗を構える、食品スーパーの一二三(ひふみ)屋は、
いわき平店を2007年夏に3カ月も休業し一度更地にして大規模な店の改装に踏み切った。
リニューアル後の目玉は、「Sake Theatre」。瓶詰めのアルコール飲料の販売スペースを
ほかのエリアから区切って室温を3度低く設定するとともに、照明も薄暗くして
落ち着いた雰囲気をかもし出した。また、10月にオープンしたJRいわき駅に
隣接する商業施設「LATOV」内の店には、ウイスキー樽の底を並べて
作った巨大オブジェを設置し、街行く人を驚かせた。
酒類販売に力を注ぐ両店で一番目立つスペースに
並べられているのがサントリーのウイスキーだ。商品棚の
端のエンドと呼ばれる陳列スペースのうち、入口に近い2つを“占拠”
している。一二三屋社長の阿部泰孝は「ただ売るだけじゃない。この地に
ウイスキーを楽しむ文化を根づかせる」と言う。同社は酒類部門に強みを持った
食品スーパーだが、近年は価格競争に巻き込まれがちだった。品ぞろえや商品棚の見せ方
で特色を作りたい一二三屋に、サントリーが提案する形で平店とLATOV店のウイスキー販売スペースは生まれた。
実は一二三屋のようにサントリーの協力を得て販売スペースを拡張したり、店を改装したりするなどして
2007年に入ってウイスキー販売に力を入れるようになった酒販店やスーパーのチェーンは
全国で10以上に上る。サントリーはプレミアムモルツというヒット商品を生み、
悲願のビール事業黒字化は目前に迫っている。酒類以外に柱になる
商品もたくさんある。にもかかわらず、この1年余り、
ウイスキー事業の復活に心血を注いできた。
そんな思いが実ったかのように長く縮小を
続けてきた市場に一筋の明かりが差し込んでいる。
看板的存在である「ザ・サントリーオールドウイスキー」を
2006年3月にリニューアル発売したところ、長らく右肩下がりだった
販売量が2005年の51万4000ケース(1ケース=12本)から、2006年は54万ケースと
息を吹き返した。リニューアル効果が薄れる2007年も前年並みの売り上げで推移している。
2007年3月にリニューアルした「角瓶」も同様に売り上げ減少を食い止めた。
サントリーが国内のウイスキー産業の盟主としての地位を不動にしたのは
1950年発売の「オールド」だろう。80年には年間1240万ケースという
世界的にも類を見ない販売量を記録した。しかしその後、チューハイ
など飲みやすいアルコール飲料が台頭したことにより、ウイスキー
市場は縮小の一途をたどった。
もちろんサントリーも手をこまぬいて
いたわけではない。伝説的な広報誌『洋酒天国』
の時代から知られる洗練された広告や、「やってみなはれ」
の言葉で知られる挑戦的かつお祭り的な勢いを持つ営業力でてこ入れを何度も図った。
元大相撲のタレントであるKONISHIKIや人気歌手のケミストリーをキャラクターに
すえたテレビCMが話題になったり、98年には5000人近い社員が一晩に
全国2万5000店の酒販店をウイスキー関連のPOP(店頭販促)広告
で埋め尽くす「一夜城作戦」を断行したりと様々な手を打って
きた。ただし、売り上げという数字目標を追ったカンフル剤は、
一時的にキャンペーンを成功させても市場縮小を食い止めるには至らなかった。
揺れたマーケティング戦略
30年近くに及ぶ不振の期間に変わったのは市場規模だけではない。
ウイスキーの飲まれ方自体が大きく変容した。アルコール度数が40度を超えるウイスキーは、
バーなどで1人もしくは少人数でひっそりとゆっくりと飲まれるものだった。
こうした光景は影を潜め、代わりに増えたのが大人数でわいわい飲む習慣だ。
チューハイやカクテルといった飲みやすいアルコールが幅を利かす。居酒屋チェーンの
パイオニア的存在だった「つぼ八」が全国展開に乗り出したのは78年。ウイスキーが衰退していく
80年以降は酒場という言葉の意味が書き換えられていった時代でもあった。
洋酒事業部営業部長の及川剛は、焼酎のマーケティングを担当した経験がある。
「一度外からウイスキーを見たことが良かった」
洋酒事業部営業部長の及川剛は「成人の1%にすぎない、月に2本以上飲む
ヘビーユーザーが消費の4割を占めるという構造になっている。
その結果、うちが得意としてきたマス向けのキャン
ペーンは使いづらくなってしまった」と語る。
二十数年間でウイスキーは一部の好事家が
熱烈に愛するマニアックな商品になってしまっていた。
サントリーはこの消費構造の変化に対応したマーケティング戦略に迷っていた。
シェア上位の企業に追いつけ追い越せと頑張っているビール事業ではマスマーケティングも大切だろう。
しかし、洋酒事業は市場が縮小しても最大手の企業として利益は十分に出ていた。
若者というウイスキー入門者にアピールしても目先の効果が上がらなければ、
そのマーケティングをすぐにあきらめてしまう。この繰り返しが続いた。
ならば盟主が取るべき戦略とは何なのか。
及川は「市場の活性化につながる地道な啓もう活動」と言う。
消費者が離れていったのなら呼び戻すしかない。
目先の売り上げやシェアにとらわれない最大手だからこそできる道だ。
洋酒事業部はキャンペーンの成功や商品のヒットといった「数」ではなく、
ウイスキーを愛する文化をもう一度醸成するという「質」を求めて動き出したのだ。
オールドのマーケティングを担当する洋酒事業部企画部の本間慎二郎は
「頑固になってウイスキーが持つ雰囲気や文化といった価値を継続的に訴えていくしかない」と話す。
(上木 貴博)
ここでは4ページのうち2ページを引用させていただきました。
続きはこちらでどうぞ。
日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/
2009年07月27日
とかく女は生きにくい/世界とつながるニュース.35
とかくこの世は生きにくい。
肉食系だ、カワイイだとちやほやされてるかに見える女たち。
ほんとうに私たちってイケてるの?
明治生まれの先輩たちから「あなたたちは贅沢よ」とおしかりを受けそうですが、
時代は変わってもジェンダーの呪縛が相も変わらず私たちを“らしさ地獄”から放さない。
らしさは趣味だ!
がんばれ私たち。
そんな声が聞こえてくる深澤真紀さんの記事をご紹介いたします。
日経ビジネスオンライン 2009年7月24日
深澤真紀の平成女子図鑑
女は生きにくい、女は面白い
「女らしさ」は趣味。百人百様の女のルールを尊重しよう
この連載は今回で最終回です。
私がこの連載で書きたかったテーマは2つあります。
1つは、「女は生きにくいし、面倒くさい」ということです。
たとえば「女子力」という言葉があります。
gooランキングで「これができていると「女子力」が高いと思うことランキング」(2008年6月23日〜2008年6月25日)という調査がありました。
1位:一年を通してムダ毛処理を怠らない
2位:座っている時の足は常に揃った状態
3位:着る服に合わせてメイクを変える
4位:浴衣の着付けができる
5位:飲み会の時さりげなく皿を片付ける
6位:ブラとショーツは常にセットではく
7位:ポケットティッシュ・ウェットティッシュを常に携帯している
8位:カバンの中には裁縫道具
9位:定期的にネイルケア
10位:家着にも気を抜かない
…なんだか大変です。
私は海外出張や旅行から帰ってくるといつも、日本の女性がみな、小ぎれいでこざっぱりしていることにあらためてびっくりします。
ファッションの都市であるパリやミラノと比べても、日本(特に東京)のように、「すべての女性が小ぎれいでこざっぱりした都市」はないように思います。
それにもかかわらず、日本ではまだまだ「女子力」を要求されます。

「女らしさ」はこんなに大変
「女子力」だけではなく、「大人の女の条件」などもあります。
例えば——、キャリアを持つ、家族を大事にする(義理の家族ももちろん)、女友達を大事にする、夫や彼氏だけではなくデートする男友達を年上から年下まで持つ、着物の着付けもできる、いろいろな趣味を持つ、高級なホテルやレストランでもスマートに振る舞える、和食からエスニック、イタリアンまで作ってホームパーティでもてなせる、髪や肌をいつまでも美しく保つ…。
もちろん、どれも「できれば素敵」ですが、すべてをきちんとやるのは大変ですし、面倒くさいことでもあります。
そもそも、私自身が「女子力」や「大人の女の条件」が苦手であるという個人的な理由もあるのですが(上記の条件にはほとんど当てはまっていません、笑)、みんなも本当は大変なんじゃないのかなとも思うのです。
また、日本にはいろいろな国の文化やマナーが入ってきています。
例えば、私は食や料理の仕事も手がけているのですが、日本のキッチンに物が多くて片づけにくいといわれるのは、作る料理の種類が多いからです。
よく「ドイツ人の家のキッチンはきれいだ」と言われますが、ドイツではハムとチーズとパンだけなどの食事も多く、火を入れる料理が少ないので、道具も少なく、キッチンをきれいにしておけるのだそうです。
一方日本では、和食、洋食、中華、それ以外にも各国の料理を作るので、揚げ物も、蒸し物も、焼き物も…、といろんな調理をするわけで、道具も増えますし、キッチンを汚さずにきれいに保つのは難しいのです。
服装も、日本の女性は洋装と和装の決まりを守らなければなりませんし、それぞれの季節感やマナーなどを守らなければいけません。
こんなふうにキッチンでも服装でも、いろいろなルールの中を生きるのが日本の女性です。
いわば「女子ルール」でしょうか。
そして人間関係も、会社でも家庭でも友人関係でも、過剰に「感じよく」いることを求められているような強迫観念に追い詰められています。
気を使わなければならない対象も多すぎるのです。

「選べない」不幸と「選べる」不幸
この連載では何度も言っているのですが、「女子力」や「大人の女の条件」や「女らしさ」に夢中になることが悪いわけではないのです。
しかしそれは「趣味」でしかないのだ、と思った方がいいのです。
「女らしさ」と思っていることは、実は人それぞれの「ずれ」があるものですら、お互いの「女らしさ」は趣味だと思って尊重しておきましょう。
そして、自分の選択を尊重してもらうためには、自分以外の他者の選択も尊重することです。
自分も相手もなかなか許さず、「女はこうあるべき」とか「女子力が」とかばかり言っていても疲れてしまいます。
そして、自分の気に入らない「女子ルール」を生きている相手であっても、他人をコントロールできるものと思わない方がいいのです。
「コントロールなんてしていない、彼女のためなのだ」などと思うかもしれませんが、相手のためというのは、自分のための欲望でしかないのです。
今の日本で女でいるのは、生きにくいし面倒くさいこともたくさんある。
でもそれは選択肢が増えたからであり、選ばなければいけないという苦しみなのです。
そしてそれが大変であれば、「選ばなく」てもいいのです。
この連載の1回目でも書きましたが、バブル期に、女性の選択肢が増えたことはいいことだと思います。
ただ、選択肢が増えてしまったという状況に、少し不幸な部分もあるとは思います。「選択肢が多い苦しみ」はもちろんあるからです。バブル世代は、結婚か仕事かなどの様々な分岐点に立たされ、困惑していた部分もあります。
選択肢がないことは、とても不幸なことなのです。
選べる不幸は、大きな幸福のうえの小さな不幸でしかありません。もちろんその不幸は自分にとっては小さいとは思えないものでもあるのですが。

マニアな女、女芸人、だめんず、負け犬
そして2つ目のテーマが、「女性の面白さ」。
例えば、この連載でも紹介した腐女子や歴女(レキジョ)。
彼女たちは今まで存在しないといわれた「マニアな女たち」です。
彼女たちは、「女として褒められたい」ということよりも、自分の妄想や衝動で行動しているのです。とても面白い存在ですし、私自身もかなりなマニアな女です。
そして、女芸人が増えたことや、だめんず、負け犬などの女性の自虐が増えたことも、女性の生き方の選択肢が増えたからだと思います。
女性も、マニア受けする生き方を選んだっていいのです。「誰からも愛されたい」という万人受け志向を捨てればかなり楽になれます。
女として生きることに過剰に意味をつけたり、女を無理やりに楽しもうとしたりしなくてもいいのです。
女であることに苦しんだり、重さを感じなくてもいいのです。
女性一人ひとりが、自分なりの落としどころを探していくこと、そして他者の落としどころを尊重していくこと。そして男性にもそれを認め、男性からもそれを認められること。
そうすれば女も少し生きやすくなり、もっと面白くなると思うのです。
長い間、ご愛読をありがとうございました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20090721/200571/
深澤 真紀(ふかさわ・まき)
編集者・コラムニスト。企画会社タクト・プランニング社長。1967年東京生まれ、早稲田大学卒業。出版社を経て1998年にタクト・プランニング設立。書籍・雑誌・ウェブのプロデュース、若者・女性・食・旅などに関する執筆や講演を行う。著書に、『思わず使ってしまうおバカな日本語』(祥伝社新書)、『くらたまとフカサワのアジアはらへり旅』(理論社)、また、日経ビジネスオンラインの連載をまとめた『平成男子図鑑』(日経BP社)、『自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術』(光文社)がある。日経ビジネスオンラインでは、「深澤真紀の平成女子図鑑」、「深澤真紀の社会の“正しい歯車”として生きる!」、「草食男子も悪くない」なども連載中。
肉食系だ、カワイイだとちやほやされてるかに見える女たち。
ほんとうに私たちってイケてるの?
明治生まれの先輩たちから「あなたたちは贅沢よ」とおしかりを受けそうですが、
時代は変わってもジェンダーの呪縛が相も変わらず私たちを“らしさ地獄”から放さない。
らしさは趣味だ!
がんばれ私たち。
そんな声が聞こえてくる深澤真紀さんの記事をご紹介いたします。
日経ビジネスオンライン 2009年7月24日
深澤真紀の平成女子図鑑
女は生きにくい、女は面白い
「女らしさ」は趣味。百人百様の女のルールを尊重しよう
この連載は今回で最終回です。
私がこの連載で書きたかったテーマは2つあります。
1つは、「女は生きにくいし、面倒くさい」ということです。
たとえば「女子力」という言葉があります。
gooランキングで「これができていると「女子力」が高いと思うことランキング」(2008年6月23日〜2008年6月25日)という調査がありました。
1位:一年を通してムダ毛処理を怠らない
2位:座っている時の足は常に揃った状態
3位:着る服に合わせてメイクを変える
4位:浴衣の着付けができる
5位:飲み会の時さりげなく皿を片付ける
6位:ブラとショーツは常にセットではく
7位:ポケットティッシュ・ウェットティッシュを常に携帯している
8位:カバンの中には裁縫道具
9位:定期的にネイルケア
10位:家着にも気を抜かない
…なんだか大変です。
私は海外出張や旅行から帰ってくるといつも、日本の女性がみな、小ぎれいでこざっぱりしていることにあらためてびっくりします。
ファッションの都市であるパリやミラノと比べても、日本(特に東京)のように、「すべての女性が小ぎれいでこざっぱりした都市」はないように思います。
それにもかかわらず、日本ではまだまだ「女子力」を要求されます。
「女らしさ」はこんなに大変
「女子力」だけではなく、「大人の女の条件」などもあります。
例えば——、キャリアを持つ、家族を大事にする(義理の家族ももちろん)、女友達を大事にする、夫や彼氏だけではなくデートする男友達を年上から年下まで持つ、着物の着付けもできる、いろいろな趣味を持つ、高級なホテルやレストランでもスマートに振る舞える、和食からエスニック、イタリアンまで作ってホームパーティでもてなせる、髪や肌をいつまでも美しく保つ…。
もちろん、どれも「できれば素敵」ですが、すべてをきちんとやるのは大変ですし、面倒くさいことでもあります。
そもそも、私自身が「女子力」や「大人の女の条件」が苦手であるという個人的な理由もあるのですが(上記の条件にはほとんど当てはまっていません、笑)、みんなも本当は大変なんじゃないのかなとも思うのです。
また、日本にはいろいろな国の文化やマナーが入ってきています。
例えば、私は食や料理の仕事も手がけているのですが、日本のキッチンに物が多くて片づけにくいといわれるのは、作る料理の種類が多いからです。
よく「ドイツ人の家のキッチンはきれいだ」と言われますが、ドイツではハムとチーズとパンだけなどの食事も多く、火を入れる料理が少ないので、道具も少なく、キッチンをきれいにしておけるのだそうです。
一方日本では、和食、洋食、中華、それ以外にも各国の料理を作るので、揚げ物も、蒸し物も、焼き物も…、といろんな調理をするわけで、道具も増えますし、キッチンを汚さずにきれいに保つのは難しいのです。
服装も、日本の女性は洋装と和装の決まりを守らなければなりませんし、それぞれの季節感やマナーなどを守らなければいけません。
こんなふうにキッチンでも服装でも、いろいろなルールの中を生きるのが日本の女性です。
いわば「女子ルール」でしょうか。
そして人間関係も、会社でも家庭でも友人関係でも、過剰に「感じよく」いることを求められているような強迫観念に追い詰められています。
気を使わなければならない対象も多すぎるのです。
「選べない」不幸と「選べる」不幸
この連載では何度も言っているのですが、「女子力」や「大人の女の条件」や「女らしさ」に夢中になることが悪いわけではないのです。
しかしそれは「趣味」でしかないのだ、と思った方がいいのです。
「女らしさ」と思っていることは、実は人それぞれの「ずれ」があるものですら、お互いの「女らしさ」は趣味だと思って尊重しておきましょう。
そして、自分の選択を尊重してもらうためには、自分以外の他者の選択も尊重することです。
自分も相手もなかなか許さず、「女はこうあるべき」とか「女子力が」とかばかり言っていても疲れてしまいます。
そして、自分の気に入らない「女子ルール」を生きている相手であっても、他人をコントロールできるものと思わない方がいいのです。
「コントロールなんてしていない、彼女のためなのだ」などと思うかもしれませんが、相手のためというのは、自分のための欲望でしかないのです。
今の日本で女でいるのは、生きにくいし面倒くさいこともたくさんある。
でもそれは選択肢が増えたからであり、選ばなければいけないという苦しみなのです。
そしてそれが大変であれば、「選ばなく」てもいいのです。
この連載の1回目でも書きましたが、バブル期に、女性の選択肢が増えたことはいいことだと思います。
ただ、選択肢が増えてしまったという状況に、少し不幸な部分もあるとは思います。「選択肢が多い苦しみ」はもちろんあるからです。バブル世代は、結婚か仕事かなどの様々な分岐点に立たされ、困惑していた部分もあります。
選択肢がないことは、とても不幸なことなのです。
選べる不幸は、大きな幸福のうえの小さな不幸でしかありません。もちろんその不幸は自分にとっては小さいとは思えないものでもあるのですが。
マニアな女、女芸人、だめんず、負け犬
そして2つ目のテーマが、「女性の面白さ」。
例えば、この連載でも紹介した腐女子や歴女(レキジョ)。
彼女たちは今まで存在しないといわれた「マニアな女たち」です。
彼女たちは、「女として褒められたい」ということよりも、自分の妄想や衝動で行動しているのです。とても面白い存在ですし、私自身もかなりなマニアな女です。
そして、女芸人が増えたことや、だめんず、負け犬などの女性の自虐が増えたことも、女性の生き方の選択肢が増えたからだと思います。
女性も、マニア受けする生き方を選んだっていいのです。「誰からも愛されたい」という万人受け志向を捨てればかなり楽になれます。
女として生きることに過剰に意味をつけたり、女を無理やりに楽しもうとしたりしなくてもいいのです。
女であることに苦しんだり、重さを感じなくてもいいのです。
女性一人ひとりが、自分なりの落としどころを探していくこと、そして他者の落としどころを尊重していくこと。そして男性にもそれを認め、男性からもそれを認められること。
そうすれば女も少し生きやすくなり、もっと面白くなると思うのです。
長い間、ご愛読をありがとうございました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20090721/200571/
深澤 真紀(ふかさわ・まき)
編集者・コラムニスト。企画会社タクト・プランニング社長。1967年東京生まれ、早稲田大学卒業。出版社を経て1998年にタクト・プランニング設立。書籍・雑誌・ウェブのプロデュース、若者・女性・食・旅などに関する執筆や講演を行う。著書に、『思わず使ってしまうおバカな日本語』(祥伝社新書)、『くらたまとフカサワのアジアはらへり旅』(理論社)、また、日経ビジネスオンラインの連載をまとめた『平成男子図鑑』(日経BP社)、『自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術』(光文社)がある。日経ビジネスオンラインでは、「深澤真紀の平成女子図鑑」、「深澤真紀の社会の“正しい歯車”として生きる!」、「草食男子も悪くない」なども連載中。
2009年07月27日
温暖化に続くのは生物多様性/世界とつながるニュース.34
夏といえばゴーヤー。
ゴーヤーと言えばチャンプルー。
いろんな素材を混ぜこぜにしているから栄養バランスがよく身体に優しい。
インドネシアではナシチャンプル、ミーチャンプル。長崎ではチャンポン。
太平洋の東側では共通言語となっているこの言葉。
多種多様なものが混じりあっている、雑多なものを一つに混ぜる。
いま、チャンプルーが世界標準語になろうとしています。
太平洋の向こう側のアメリカではオバマ大統領が「グリーンニューディール」を公約に唱え、その具体化が進め、
ビジネスの世界では、地球温暖化に続いて生物多様性がキーワードとなり、国内企業も取り組みをはじめているようです。
夏休み二週目が始まる今日、こどもにとっても実は身近な問題である生物多様性とジネスについての記事をご紹介いたします。
沖縄こどもの国に今月から仲間入りした2歳の雄ライオン「ダイ」。7月15日から一般公開されているようです。
彼の故郷の平原がこの取り組みで少しは暮らしやすい場所になるといいですね。

ナショナル ジオグラフィック日本版
地球上の多様な生物や自然環境を取り上げてきた伝統ある雑誌
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/index.shtml
ダイヤモンドオンライン 2009年7月27日
地球温暖化に続く環境のキーワード
「生物多様性」は新たなビジネスを生む
環境問題への取り組みというと、これまで「地球温暖化対策」を中心に、「省エネ」「廃棄物削減」などに注力されてきた。本来、環境に関する問題は、大気汚染や騒音など、古くから問題になっているテーマが多数あり、論点は多岐にわたる。しかしながら、実際には「地球温暖化対策」「低炭素社会の実現」がテーマのほとんどを占めている。
そんな中、最近少しずつ注目を集めているのが、「生物多様性」の問題だ。地球上には多様な生態系の中でさまざまな種類の生き物が生息しており、それぞれが異なった遺伝子を持ち、個性を発揮している。この「多様性」を大切に尊重していこうというのが、「生物多様性」の問題の根底にある。
具体的な問題提起としては、たとえば、乱獲や土地開発により、絶滅危惧種がかつてないスピードで増加しているといった事項がある。日本には絶滅危惧種が野生動植物の約3割、3155種も存在しているが、あまり知られていない。そもそも、人間は地球上に暮らすたくさんの生き物たちの一員にすぎず、地球によって生かされている存在だ。食文化の豊かさ、医薬品の原材料、森などから出る安全な飲み水など、数え切れないほどの恵みを他の生物から受けている。にもかかわらず、生物多様性に関して、自らの手で自分たちを危機的な状況に陥らせている側面がある。
このままいけば、人間が地球から受けている多数の「恵み」が損なわれてしまうだろう。全ての生物の命をできる限り守り、その恵みを受け続けていけるように行動することが必要だというのが、「生物多様性」問題の骨子だ。
徐々に「生物多様性」に注目が集まっている背景には、2010年10月に開催される生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)がある。開催地は愛知県名古屋市。COP10の議長国として、現在、日本は有意義な議論が行われるよう、関係各国や国際機関等との調整を進めている。
地球温暖化防止に企業の協力が不可欠なように、生物多様性も民間の協力が必要だ。協力という点では、今、「生物多様性民間参画ガイドライン」の検討が進められている。すでに、住友林業や積水化学工業、大手電機メーカーなどでは独自に生物多様性保護に関する取り組みを推進する動きもある。このガイドラインは企業による生物多様性に関する活動への参画を促すための、取り組みの指針となるものだ。
数年前まで、企業の環境問題・低炭素社会への取り組みというと、「紙・ゴミ・電気」といった資源削減に終始していた。しかし近年、環境保全と経済発展を結びつけ両立させることが持続可能な社会を構築していく上で極めて重要だという考えが強まり、企業では利益に直結した環境活動への意識が高まっている。
将来的には、バイオミミクリー(自然や生物の生態を模倣した技術)といった、製品デザインなどに着想を得る手法も存在する。生物多様性を産業に活かす場面が増えていく可能性もある。企業にとって、「生物多様性」は利益を産む要素として、今から気にかけておいたほうがいいキーワードだといえる。
(江口 陽子)
http://diamond.jp/series/brandnew/10200/

森のガラス館で飼育されているイグアナ。
生物多様性についての関連情報はこちらでどうぞ
●BDNJ 生物多様性JAPAN
http://www.bdnj.org/
●FujiSankei Business i
「生物多様性」が潮流に…生態系保全、ビジネスに直結 異業種が情報交換・海外動向探る
http://www.business-i.jp/news/top-page/topic/200809240017o.nwc
●日経ビジネスオンライン
人類は「生物多様性」と「経済」を両立できるのか?
絶滅危惧種が教える次の環境問題
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090128/184180/
●日本総研/企業のための生物多様性Archives/国内事例/清水建設
「これまで建設業界はダムや道路の建設を通して生態系を破壊する存在として認識されてきたのではないでしょうか。実際に自然保護団体や地域住民の反対を受けた例も見受けられます。
その一方で、現在、建設会社各社は環境関連の技術で鎬を削っています。近年増えつつある社会貢献活動の一環としての屋上緑化やビオトープといった事業、これらに使われる技術は建設業界の中で進化してきました。」
続きはこちら。
http://www.jri.co.jp/thinktank/sohatsu/bio-diversity/case/002shim.html
ゴーヤーと言えばチャンプルー。
いろんな素材を混ぜこぜにしているから栄養バランスがよく身体に優しい。
インドネシアではナシチャンプル、ミーチャンプル。長崎ではチャンポン。
太平洋の東側では共通言語となっているこの言葉。
多種多様なものが混じりあっている、雑多なものを一つに混ぜる。
いま、チャンプルーが世界標準語になろうとしています。
太平洋の向こう側のアメリカではオバマ大統領が「グリーンニューディール」を公約に唱え、その具体化が進め、
ビジネスの世界では、地球温暖化に続いて生物多様性がキーワードとなり、国内企業も取り組みをはじめているようです。
夏休み二週目が始まる今日、こどもにとっても実は身近な問題である生物多様性とジネスについての記事をご紹介いたします。
沖縄こどもの国に今月から仲間入りした2歳の雄ライオン「ダイ」。7月15日から一般公開されているようです。
彼の故郷の平原がこの取り組みで少しは暮らしやすい場所になるといいですね。
ナショナル ジオグラフィック日本版
地球上の多様な生物や自然環境を取り上げてきた伝統ある雑誌
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/index.shtml
ダイヤモンドオンライン 2009年7月27日
地球温暖化に続く環境のキーワード
「生物多様性」は新たなビジネスを生む
環境問題への取り組みというと、これまで「地球温暖化対策」を中心に、「省エネ」「廃棄物削減」などに注力されてきた。本来、環境に関する問題は、大気汚染や騒音など、古くから問題になっているテーマが多数あり、論点は多岐にわたる。しかしながら、実際には「地球温暖化対策」「低炭素社会の実現」がテーマのほとんどを占めている。
そんな中、最近少しずつ注目を集めているのが、「生物多様性」の問題だ。地球上には多様な生態系の中でさまざまな種類の生き物が生息しており、それぞれが異なった遺伝子を持ち、個性を発揮している。この「多様性」を大切に尊重していこうというのが、「生物多様性」の問題の根底にある。
具体的な問題提起としては、たとえば、乱獲や土地開発により、絶滅危惧種がかつてないスピードで増加しているといった事項がある。日本には絶滅危惧種が野生動植物の約3割、3155種も存在しているが、あまり知られていない。そもそも、人間は地球上に暮らすたくさんの生き物たちの一員にすぎず、地球によって生かされている存在だ。食文化の豊かさ、医薬品の原材料、森などから出る安全な飲み水など、数え切れないほどの恵みを他の生物から受けている。にもかかわらず、生物多様性に関して、自らの手で自分たちを危機的な状況に陥らせている側面がある。
このままいけば、人間が地球から受けている多数の「恵み」が損なわれてしまうだろう。全ての生物の命をできる限り守り、その恵みを受け続けていけるように行動することが必要だというのが、「生物多様性」問題の骨子だ。
徐々に「生物多様性」に注目が集まっている背景には、2010年10月に開催される生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)がある。開催地は愛知県名古屋市。COP10の議長国として、現在、日本は有意義な議論が行われるよう、関係各国や国際機関等との調整を進めている。
地球温暖化防止に企業の協力が不可欠なように、生物多様性も民間の協力が必要だ。協力という点では、今、「生物多様性民間参画ガイドライン」の検討が進められている。すでに、住友林業や積水化学工業、大手電機メーカーなどでは独自に生物多様性保護に関する取り組みを推進する動きもある。このガイドラインは企業による生物多様性に関する活動への参画を促すための、取り組みの指針となるものだ。
数年前まで、企業の環境問題・低炭素社会への取り組みというと、「紙・ゴミ・電気」といった資源削減に終始していた。しかし近年、環境保全と経済発展を結びつけ両立させることが持続可能な社会を構築していく上で極めて重要だという考えが強まり、企業では利益に直結した環境活動への意識が高まっている。
将来的には、バイオミミクリー(自然や生物の生態を模倣した技術)といった、製品デザインなどに着想を得る手法も存在する。生物多様性を産業に活かす場面が増えていく可能性もある。企業にとって、「生物多様性」は利益を産む要素として、今から気にかけておいたほうがいいキーワードだといえる。
(江口 陽子)
http://diamond.jp/series/brandnew/10200/
森のガラス館で飼育されているイグアナ。
生物多様性についての関連情報はこちらでどうぞ
●BDNJ 生物多様性JAPAN
http://www.bdnj.org/
●FujiSankei Business i
「生物多様性」が潮流に…生態系保全、ビジネスに直結 異業種が情報交換・海外動向探る
http://www.business-i.jp/news/top-page/topic/200809240017o.nwc
●日経ビジネスオンライン
人類は「生物多様性」と「経済」を両立できるのか?
絶滅危惧種が教える次の環境問題
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090128/184180/
●日本総研/企業のための生物多様性Archives/国内事例/清水建設
「これまで建設業界はダムや道路の建設を通して生態系を破壊する存在として認識されてきたのではないでしょうか。実際に自然保護団体や地域住民の反対を受けた例も見受けられます。
その一方で、現在、建設会社各社は環境関連の技術で鎬を削っています。近年増えつつある社会貢献活動の一環としての屋上緑化やビオトープといった事業、これらに使われる技術は建設業界の中で進化してきました。」
続きはこちら。
http://www.jri.co.jp/thinktank/sohatsu/bio-diversity/case/002shim.html
2009年07月21日
金融危機を愛する9つの理由/世界とつながるニュース.33
「お金がなければ使わなくてもすむ生き方を楽しもう」
個人消費によって成立している私たちのような企業にとって痛いところをついてくるこのフレーズ。
できれば見なかったふりをして、やりすごしたいニュースなのですが、あえて紹介させていただきます。
「リセッショニスタ / 世界とつながるニュース.29」http://rogers.ti-da.net/e2407084.htmlでも紹介したように、
ハイ&ローで個性的かつ賢いお洒落を楽しむファッションリーダーが注目されていますが、ファッションに限らず
主体的な選択で上手に消費生活を楽しもうという動きは、私たちにとって価値あるヒントを含んでいるように思えます。
経済危機を追い風とするか逆風で終わらせるか。それは日々のヒントの受け取り方しだい。
市場の変化、つまりはライフスタイルの変化に真摯に耳を傾けられるか、そしてそれを正しく活用できるか。
いま、そのような姿勢が必要とされている気がします。
ちなみにロージャースで取り扱いしているブランドは、「リッチでハイクラス」という一昔前のブランド品とは
少し違います。
それは日本のマーケットではまだ馴染みがない成長途中の若手ブランドです。素材にこだわり、使い手のライフスタイルを考
えたものづくりをしている小さなブランドです。大きくても共感できる確かな哲学をともなったブランドです。
自分にほんとうに必要なものを、よく考えてセレクトする「賢い」生活者に
これからも支えられて、ビジネスを続けていきたいと思っています。
メディア サボール 2009年3月9日
デンマーク人気女性誌の提言「金融危機を愛する9つの理由」
デンマーク在住ジャーナリスト ニールセン北村朋子
全世界を深刻な不況に陥れている金融危機。デンマークでも、昨年暮れから企業の倒産や従業員の解雇の報道が続いており、つい先頃も、デンマーク最大の銀行であるダンスケ・バンクで350人、日本にも多くの豚肉が輸出されているデニッシュ・クラウンで850人の解雇が発表された。
しかし、落ち込んでいるばかりのデンマーク人ではない。今年の年頭スピーチで、アナス・フォー・ラスムセン首相も「この記録的な世界金融危機は、必要以上に悲観視すればさらなる危機、混乱、崩壊という負のサイクルにはまり込む可能性がある。その一方で、危機は新しい視点を与える機会とも成りうる。」と語り、「グリーン成長を持って、危機から脱出する策としよう。失敗を恐れるより、成し遂げようとする気持ちが強ければ、全てはいい方向に向かう」と力強く宣言していたっけ。保守的な一面も確実に持ちながら、いざという時は危機さえも、新たなる成長のステップとするポジティブ・シンキングは、デンマーク人の得意とするところだ。
2004年あたりから、日本のバブルのような好景気を謳歌していたデンマーク人女性たちも、ここのところライフスタイルの見直しを迫られている。それほど切羽詰まった状況、というわけではないけれど、あまりひどいことにならないうちに、生活をシフトしようという雰囲気が感じられる。それを後押しするかのように、こちらで一番人気の女性向け週刊誌” Alt for Damerne”(「女性のための全て」の意。発行部数約7万3000)の最近の号でも、「金融危機を愛する9つの理由」という記事が掲載されていたので紹介したい。
その1)
高いワインにさよならできる。→去年までは、専門家に、自分がまるで無教養で
あるかのような扱いを受けながら、やたらに値段の張る、うまく発音もできない
ような高級ワインを買っていたが、それももう終わり。これからは安売り店で
売っている、デンマーク語のラベルのワインでも、十分おいしい一本を探せる。
スクリュー式のキャップのものでも、結構いいものが見つかるものだ。
その2)
肉にこだわりすぎるのをやめられる。→去年までは、ブランドの肉を求めて
何十キロも車を走らせていたが、それももう終わり。これからも、できれば
オーガニックを買うという選択には変わりはないが、ブランドや気取った
大人のメニュー(例えばカルパッチョなど)にこだわりすぎるのをやめ、
昔ながらのフリカデッラ(豚肉のミートボール)、スパゲティ・ミートソース、
ラザーニャを作ろう。そうすれば、作り置きもきくし、何より、子供と一緒の
メニューを食べられる。
その3)
化粧品も、もっと手軽に調達できる。→去年までは、ハリウッドスターが使うような、特別なオーガニック化粧品を求めて、
遠くの店を回るための綿密な買い物計画が必要だった。でも、それももう終わり。これからは、近くの薬局やドラッグストア
で手に入る廉価な化粧品で十分。でも、パラベンやアレルギーの原因になるような原料や香料が使われていないか、品質は要チェック。
その4)
本を買うのでなく、借りられる。→去年までは、これまでないくらいに推理小説や庭の手入れの本を買っていたが、本は高い
し、重いし、場所をとるので、それももう終わり。これからは、図書館で借りる。そうすれば、本を借りるだけでない図書館
の便利な機能も利用できる。これで、あなたの家の本棚は、一度読んだきりでもう二度と読まない本の数々から解放される。
その5)
車とのつきあい方について再考できる。→去年までは、4WDがかっこいいと思っていた。でも、それももう終わり。
これからは、燃費が悪く、CO2排出量も多い4WDをやめて小型車に変えるか、もしくは、いっそのこと
車を手放すという手も。新しい、環境と経済に配慮したとってもモダンな暮らしにシフトできる。
その6)
見栄をはるのをやめられる。→キッチン、バスルーム、旅行、電化製品…なんでも新しいものが誰でも手に入るようになり、
リッチなのを自慢することの社会的嫌悪感が薄れていたが、それももう終わり。これからは、
会話に「最近何を買ったか」でなく、もっと人間として大事なこと…例えば人生、信じること、希望、夢について語る時間が
できる。おまけに、家を最新電化製品で埋め尽くすのをやめれば、もっと新聞や本を読むゆとりができ、家人もお互いの話を
もっとよく聞くようになる。
その7)
運動がタダになる。→オフィスで座って仕事をする多くの私たちにとって、運動が大切だということはよく理解している。
だから、人の勧めるままに、高い会費を払ってフィットネスクラブに入会していたけれど、それももう終わり。
これからは、タダでできるジョギング、サイクリング、ウォーキング、縄跳びが毎日のスポーツの日課に。
これで、フィットネスクラブに通う時間からも解放される。
その8)
ストレスからくるショッピングをやめられる。→これまでは、ストレス解消のために高いインテリア用品や
身の回りのものを買っていたが、それももう終わり。これからは、たとえば高品質でおいしいチョコレートを少しだけ食べて
気分転換。これなら、それほど値は張らない。ただし、できれば7)の運動と組み合わせ、食べ過ぎに注意。
その9)
古くても、いいものはいいと言える。→これまでは、財布の中身とよく相談せずに、高いブランドの洋服に手を出していた
が、それももう終わり。これからは、リサイクルショップを利用して、個性を存分に発揮したり、友人や同僚と
いらなくなった洋服の交換パーティーをしたりすれば、ワードローブも一新、お財布の負担も軽くなる。
子供服やおもちゃについても同様。
デンマークの人々は、近頃、平静を取り戻しはじめ、私がこちらに住み始めたばかりの頃の、「賢い消費者」に戻りつつ
ある。この金融危機という下降の時期をもポジティブにとらえ、それをバネに、スローライフ、エココンシャス、
脱自慢話、無料の運動などを通して、上昇へ転じようというしたたかさが、とても頼もしく思える。
日本は、円高の影響で買い物ツアーが人気を呼んでいると聞く。確かに、お金がある人は使ってくれた方が、経済はよくまわるのだけれど、相変わらず分不相応なブランド品を追い求める姿勢に、そろそろ疑問を感じてもいい頃ではないか? こういう時期だからこそ、社会に本当に必要なもの、自分にとってとても大切なものは何かを、あらためて考えてみるチャンス、という風にとらえることはできないだろうか。立ち止まる機会が与えられたら、そこでどんな次の一歩を踏み出すのかを考え抜くことが、その後の飛躍につながっていくのだと思うが、どうだろう?
Media Sabor
http://mediasabor.jp/
2009年07月19日
父子旅行/世界とつながるニュース.32
海洋博記念公園で恒例の花火大会が開催された昨日、
公園内のあちらこちらの木陰では家族連れが寝そべっていました。
世の中は夏休みモード。
夏休みをどうやって過ごすか、こどもにどんな思い出を残してあげられるか。
お父さん、計画は万全ですか。
以下に引用したのは毎日新聞が取り上げていた父子旅行の記事。
お母さんには一人の時間をプレゼント。
お父さんには勇気を出してもらって、一人でこどもと向き合ってみる。
いかがでしょうか。
毎日新聞 2009年6月21日 東京朝刊
父子旅行:成長、かわいさ…気付くきっかけに

平日は子どもの寝顔を見るだけというお父さん、たまにはお母さん抜きで旅に出てみませんか--。父子で濃密な時を過ごせば、心のきずなも深まりますよ。【大和田香織】
長野県軽井沢町で自然体験ツアーを行うNPO・ピッキオは13~14日、子育て支援のNPO「ファザーリング・ジャパン(FJ)」と共同で父子限定のキャンプを開いた。参加したのは小学1~5年の親子4組。初日はテントを立て、火おこしに挑戦。ダッチオーブンで料理し、森の中を飛び回るムササビの観察などを楽しんで寝袋で就寝した。2日目は朝食作りの後、山道をサイクリング。渓流に入って魚や虫を観察した。

●最初は心配
長男の一馬君(10)と参加した埼玉県の会社員、白石節男さん(45)。平日の帰宅は一馬君が寝た後で、父子旅行は今回が初めて。最初は「夕食の後片付けがきちんとできるのか、寝付きはいいのか心配」と話していたが、「夜も母親のことを思い出すふうでもなく、友だちともすぐうち解けた」と息子のたくましさに感心した様子だった。一馬君も「お父さんはいつもと違って声が大きかった。今度は海がいい」と早くも次の旅行に期待を寄せる。
長男の駿一朗君(6)と訪れた都内の公務員、高見功さん(46)は妻の勧めで参加した。「近くの公園と違い、自然の中は心も通い合う気がします」
FJの安藤哲也代表(46)は「父親たちに気付きの場を与えたい」と話す。母親がいると父親はついつい、子どもの世話を頼ってしまう。「子どももなじみの薄い相手にはなつきにくいが、一度しっかり向き合うと変わる。わが子のかわいさにも気付きます」。昨年同様の企画に参加した父親からは「子どもと過ごす楽しさを知り、早く仕事を終えようと思うようになった」との声が届くという。

●企画プラン好評
リクルート(東京都千代田区)は沖縄県や静岡県のビーチリゾートで父子向けの旅行プランを企画した。
「家族旅行」というと以前は父親に義務感が漂ったが、同社の横山幸代さんによると、20~30代男性は子育てに積極的なうえ、自分が主体となって子どもと遊び、出費も惜しまない点で旧世代と異なるという。
「父子消費」で旅行市場を活性化しようと今年1月、新潟県で1泊2日の旅を企画した。割安だったこともあり6組12人の枠に240件もの応募があった。参加した3~8歳の子の親たちには「末っ子に比べ、あまり構ってやれなかった上の子と向き合えた」など好評だった。

●母親は任せる度胸を
子どもが小さい場合、送り出す母親も健康管理などで心配しがちだが、安藤さんは「子どもを父親に任せる度胸を持って」と言う。「パパには無理、と無意識に子どもから父親を遠ざけていませんか。失敗で父親も学びます。慣れないうちは半日旅行から始めては」と提案している。
http://mainichi.jp/life/edu/child/archive/news/2009/06/20090621ddm013100031000c.html
■父子旅行についての関連記事です。
「平成版『父子2人旅』で新たな市場創出」
旅行新聞新社 編集部 増田 剛
http://mediasabor.jp/2009/07/2_5.html
公園内のあちらこちらの木陰では家族連れが寝そべっていました。
世の中は夏休みモード。
夏休みをどうやって過ごすか、こどもにどんな思い出を残してあげられるか。
お父さん、計画は万全ですか。
以下に引用したのは毎日新聞が取り上げていた父子旅行の記事。
お母さんには一人の時間をプレゼント。
お父さんには勇気を出してもらって、一人でこどもと向き合ってみる。
いかがでしょうか。
毎日新聞 2009年6月21日 東京朝刊
父子旅行:成長、かわいさ…気付くきっかけに
平日は子どもの寝顔を見るだけというお父さん、たまにはお母さん抜きで旅に出てみませんか--。父子で濃密な時を過ごせば、心のきずなも深まりますよ。【大和田香織】
長野県軽井沢町で自然体験ツアーを行うNPO・ピッキオは13~14日、子育て支援のNPO「ファザーリング・ジャパン(FJ)」と共同で父子限定のキャンプを開いた。参加したのは小学1~5年の親子4組。初日はテントを立て、火おこしに挑戦。ダッチオーブンで料理し、森の中を飛び回るムササビの観察などを楽しんで寝袋で就寝した。2日目は朝食作りの後、山道をサイクリング。渓流に入って魚や虫を観察した。
●最初は心配
長男の一馬君(10)と参加した埼玉県の会社員、白石節男さん(45)。平日の帰宅は一馬君が寝た後で、父子旅行は今回が初めて。最初は「夕食の後片付けがきちんとできるのか、寝付きはいいのか心配」と話していたが、「夜も母親のことを思い出すふうでもなく、友だちともすぐうち解けた」と息子のたくましさに感心した様子だった。一馬君も「お父さんはいつもと違って声が大きかった。今度は海がいい」と早くも次の旅行に期待を寄せる。
長男の駿一朗君(6)と訪れた都内の公務員、高見功さん(46)は妻の勧めで参加した。「近くの公園と違い、自然の中は心も通い合う気がします」
FJの安藤哲也代表(46)は「父親たちに気付きの場を与えたい」と話す。母親がいると父親はついつい、子どもの世話を頼ってしまう。「子どももなじみの薄い相手にはなつきにくいが、一度しっかり向き合うと変わる。わが子のかわいさにも気付きます」。昨年同様の企画に参加した父親からは「子どもと過ごす楽しさを知り、早く仕事を終えようと思うようになった」との声が届くという。
●企画プラン好評
リクルート(東京都千代田区)は沖縄県や静岡県のビーチリゾートで父子向けの旅行プランを企画した。
「家族旅行」というと以前は父親に義務感が漂ったが、同社の横山幸代さんによると、20~30代男性は子育てに積極的なうえ、自分が主体となって子どもと遊び、出費も惜しまない点で旧世代と異なるという。
「父子消費」で旅行市場を活性化しようと今年1月、新潟県で1泊2日の旅を企画した。割安だったこともあり6組12人の枠に240件もの応募があった。参加した3~8歳の子の親たちには「末っ子に比べ、あまり構ってやれなかった上の子と向き合えた」など好評だった。
●母親は任せる度胸を
子どもが小さい場合、送り出す母親も健康管理などで心配しがちだが、安藤さんは「子どもを父親に任せる度胸を持って」と言う。「パパには無理、と無意識に子どもから父親を遠ざけていませんか。失敗で父親も学びます。慣れないうちは半日旅行から始めては」と提案している。
http://mainichi.jp/life/edu/child/archive/news/2009/06/20090621ddm013100031000c.html
■父子旅行についての関連記事です。
「平成版『父子2人旅』で新たな市場創出」
旅行新聞新社 編集部 増田 剛
http://mediasabor.jp/2009/07/2_5.html
2009年07月16日
能無しを大量生産するブログ/世界とつながるニュース.31
古い記事ですが、ちょっとセンセーショナルなタイトルに惹き付けられてしまいました。
ファッション業界の方だと思われるROCK'N ROLL MARCHさんのコメントhttp://rogers.ti-da.net/e2407084.htmlが頭から離れずにいたこの10日あまり。
この記事を読んで、何かが見えてきたような気がします。
クオリティとインティマシー(親密さ)。
地球人としての私と私でしかない私。
二者択一の問題ではないんだ・・・。
村上春樹氏がだいぶ前に小説の中で登場人物に語らせたカフカの言葉、「君と世界の戦いでは世界に支援せよ」に悩まされてきた優柔不断な私を少し楽にしてくれました。

メディア サボール 2008年6月25日
「ネットは能無しを大量生産している」
市民メディア、ブログが台頭するジャーナリズムの行く末は?
米国在住ジャーナリスト 岩下 慶一
「インターネットは個人発信の面白そうなブログにあふれている。 皆さん、ウエブ上の市民ジャーナリズムを無条件に持ち上げている。俺は違うね。俺に言わせれば、インターネットジャーナリズムの普及が推進しているのは多様化なんかじゃない。一般的な常識や社会観点の欠落したアホの量産だ。一日中コンピュータの前に座って、世界で何が起こっているのかを知ろうともせず、自分の知りたい情報のみにアクセスし、単語も満足につづれず、地図を見てもシカゴの位置を指し示せない能無しが大量に社会に出てきている。さらにまずいのは、やつらの多くが自分がアホである事に気づいていない事だ。オタクな知識がやたらとあるばかりに、自分は結構知的だと思っていたりする。こういう社会はどうなっていくのか? もうすぐ分かるだろう。まあ、ろくな事にはならないと思っているよ。」(FOXニュースインタビュー John C. Dvorak)
今月、TECHライターとして評価の高いドヴォラックがブログをはじめとする市民メディアに対して放った辛らつなコメントは、市民メディア推進派に大きな衝撃をもたらした。既存のメディア関係者ならともかく、インターネット関係のジャーナリストとして、ドヴォラックは当然市民メディアを賞賛する側だと思われていたからだ。
ドヴォラックは言う。新聞やTVの衰退によって、人々は共通のビジョンを持たなくなってしまった。世界経済の現状や、アジアで起こった地震や、ホットな政治のニュースをまったく知らない人々が増えている。皆が同じ新聞を読み、3大ネットワークのニュースを見ていた時代には、ウォータークーラーの周りで社会を論じる光景は一般的だった。いまや人々は共通の話題を失いつつある。テクノロジーのおかげで、自分の欲しい情報だけにアクセスしている結果、社会的なビジョンの欠落した人間が大量発生している。
重要なニュースはある程度押し付けてでも世に知らせるべきである、というドヴォラックの主張に対し、ネット上で非難の嵐が巻き起こった。「メディアの画一化した情報を受け取る時代よりははるかにましだ」「情報の選択は個人の自由だ」etc。
この議論、かつてホリエモン(株式会社ライブドアの元代表取締役社長CEO 堀江貴文)とジャーナリストの江川紹子の間で交わされた論争とそっくりそのままだ。当時、大手マスコミを買収し、市民メディアを作ろうとしていたホリエモンは、人々が興味を持つニュースこそバリューがあると主張し、重要なニュースはたとえポピュラリティーが低くても伝えるべきだとする江川紹子と真っ向から対立した。
ホリエモンは、人々の興味の度合いによって表示順位が決まるニュースメディアを構想し、江川は「それでは人権問題等の重要なテーマが芸能ニュースの陰に埋もれてしまう」と反対する。ホリエモンが堀の中に落っこちてこの議論もチャラになったが、「重要なニュースを人々に伝えるというニュースメディアの使命」VS「情報の選択は人々の自由意志」という問題は、決着がつくどころか現在も延々と続いている。
ドヴォラックの言うように、ある程度の押し付けがないと人間は何かを学ぼうとしない。一部の賢明な人はさておき、私を含む凡人たちが安きに流れてしまうのは世の習いだ。そうした意味では、「インターネットがアホを量産している」というドヴォラックの過激な主張もある意味当たっている。インターネットを情報ツールとして駆使し、効率的な情報収集をする人がいる一方、世の流れには興味を持たず、ひたすら自分の世界に閉じこもる層も確実に増えているのだ。
ともあれ、市民メディアの隆盛は今やとどめようがない。ブログやYouTubeの勢いは、既存のメディアをいよいよ追い詰めている。こうした中で、メディアとは何か、という問題も提示され始めている。市民メディアが力を増していくにつれ、それらの内包する情報確認の甘さや倫理観の欠如がクローズアップされているのだ。
情報のプロフェッショナルである新聞記者やレポーターは、こうした点を突いて“市民メディアはジャーナリズムではない”と主張する。こうした声を、自分たちのテリトリーを荒らす市民メディアに対するやっかみと受け取るのは間違いだ。市民メディアと呼ばれるものの中に、いわゆる“荒らし”的なものが多く存在する事は間違いないし、情報としての信頼度の高さはやはり既存のメディアが一番である。
米国ワシントン大学で、メディアの未来についての興味深い研究が行われている。新聞やテレビで長年の経験を持つジャーナリストと、デジタルコミュニケーションを研究する学生のコラボレーションにより、メディアの未来を模索しようというプロジェクトだ。Flip The Media (既存のメディアをひっくり返す)という挑戦的なタイトルだが、その目的は、どちらかがどちらかを駆逐するといった偏狭な未来像ではなく、2つを統合した新しいメディアを創造することだ。
既存メディアの現役記者とインターネット世代の研究者の活発なやり取りの中で、一つの可能性が見えてきている。それは、市民メディアが情報発信をし、大手メディアはそれをjudge(検証)する、という役割分担だ。大手メディアは数や機動性において市民メディアにかなわない。一方、市民メディアは情報の検証や倫理の点で大手メディアのクォリティーを確保できない。それぞれが欠点を補完しあうことが、新しい時代のジャーナリズムの理想的な形だというのだ。
喧々諤々の議論は終わる事がないが、ブログをはじめとする市民メディアと既存のテレビや新聞を対立構造で捉えるのはそろそろやめるべき時期であることは確かだろう。大手メディアは滅び行く恐竜で、市民メディアこそが新しい潮流だという見方は時代遅れだ。両者が膝を交えて新たな可能性を探るべき時が来ている。
Medeia Sabor
http://mediasabor.jp/
ファッション業界の方だと思われるROCK'N ROLL MARCHさんのコメントhttp://rogers.ti-da.net/e2407084.htmlが頭から離れずにいたこの10日あまり。
この記事を読んで、何かが見えてきたような気がします。
クオリティとインティマシー(親密さ)。
地球人としての私と私でしかない私。
二者択一の問題ではないんだ・・・。
村上春樹氏がだいぶ前に小説の中で登場人物に語らせたカフカの言葉、「君と世界の戦いでは世界に支援せよ」に悩まされてきた優柔不断な私を少し楽にしてくれました。
メディア サボール 2008年6月25日
「ネットは能無しを大量生産している」
市民メディア、ブログが台頭するジャーナリズムの行く末は?
米国在住ジャーナリスト 岩下 慶一
「インターネットは個人発信の面白そうなブログにあふれている。 皆さん、ウエブ上の市民ジャーナリズムを無条件に持ち上げている。俺は違うね。俺に言わせれば、インターネットジャーナリズムの普及が推進しているのは多様化なんかじゃない。一般的な常識や社会観点の欠落したアホの量産だ。一日中コンピュータの前に座って、世界で何が起こっているのかを知ろうともせず、自分の知りたい情報のみにアクセスし、単語も満足につづれず、地図を見てもシカゴの位置を指し示せない能無しが大量に社会に出てきている。さらにまずいのは、やつらの多くが自分がアホである事に気づいていない事だ。オタクな知識がやたらとあるばかりに、自分は結構知的だと思っていたりする。こういう社会はどうなっていくのか? もうすぐ分かるだろう。まあ、ろくな事にはならないと思っているよ。」(FOXニュースインタビュー John C. Dvorak)
今月、TECHライターとして評価の高いドヴォラックがブログをはじめとする市民メディアに対して放った辛らつなコメントは、市民メディア推進派に大きな衝撃をもたらした。既存のメディア関係者ならともかく、インターネット関係のジャーナリストとして、ドヴォラックは当然市民メディアを賞賛する側だと思われていたからだ。
ドヴォラックは言う。新聞やTVの衰退によって、人々は共通のビジョンを持たなくなってしまった。世界経済の現状や、アジアで起こった地震や、ホットな政治のニュースをまったく知らない人々が増えている。皆が同じ新聞を読み、3大ネットワークのニュースを見ていた時代には、ウォータークーラーの周りで社会を論じる光景は一般的だった。いまや人々は共通の話題を失いつつある。テクノロジーのおかげで、自分の欲しい情報だけにアクセスしている結果、社会的なビジョンの欠落した人間が大量発生している。
重要なニュースはある程度押し付けてでも世に知らせるべきである、というドヴォラックの主張に対し、ネット上で非難の嵐が巻き起こった。「メディアの画一化した情報を受け取る時代よりははるかにましだ」「情報の選択は個人の自由だ」etc。
この議論、かつてホリエモン(株式会社ライブドアの元代表取締役社長CEO 堀江貴文)とジャーナリストの江川紹子の間で交わされた論争とそっくりそのままだ。当時、大手マスコミを買収し、市民メディアを作ろうとしていたホリエモンは、人々が興味を持つニュースこそバリューがあると主張し、重要なニュースはたとえポピュラリティーが低くても伝えるべきだとする江川紹子と真っ向から対立した。
ホリエモンは、人々の興味の度合いによって表示順位が決まるニュースメディアを構想し、江川は「それでは人権問題等の重要なテーマが芸能ニュースの陰に埋もれてしまう」と反対する。ホリエモンが堀の中に落っこちてこの議論もチャラになったが、「重要なニュースを人々に伝えるというニュースメディアの使命」VS「情報の選択は人々の自由意志」という問題は、決着がつくどころか現在も延々と続いている。
ドヴォラックの言うように、ある程度の押し付けがないと人間は何かを学ぼうとしない。一部の賢明な人はさておき、私を含む凡人たちが安きに流れてしまうのは世の習いだ。そうした意味では、「インターネットがアホを量産している」というドヴォラックの過激な主張もある意味当たっている。インターネットを情報ツールとして駆使し、効率的な情報収集をする人がいる一方、世の流れには興味を持たず、ひたすら自分の世界に閉じこもる層も確実に増えているのだ。
ともあれ、市民メディアの隆盛は今やとどめようがない。ブログやYouTubeの勢いは、既存のメディアをいよいよ追い詰めている。こうした中で、メディアとは何か、という問題も提示され始めている。市民メディアが力を増していくにつれ、それらの内包する情報確認の甘さや倫理観の欠如がクローズアップされているのだ。
情報のプロフェッショナルである新聞記者やレポーターは、こうした点を突いて“市民メディアはジャーナリズムではない”と主張する。こうした声を、自分たちのテリトリーを荒らす市民メディアに対するやっかみと受け取るのは間違いだ。市民メディアと呼ばれるものの中に、いわゆる“荒らし”的なものが多く存在する事は間違いないし、情報としての信頼度の高さはやはり既存のメディアが一番である。
米国ワシントン大学で、メディアの未来についての興味深い研究が行われている。新聞やテレビで長年の経験を持つジャーナリストと、デジタルコミュニケーションを研究する学生のコラボレーションにより、メディアの未来を模索しようというプロジェクトだ。Flip The Media (既存のメディアをひっくり返す)という挑戦的なタイトルだが、その目的は、どちらかがどちらかを駆逐するといった偏狭な未来像ではなく、2つを統合した新しいメディアを創造することだ。
既存メディアの現役記者とインターネット世代の研究者の活発なやり取りの中で、一つの可能性が見えてきている。それは、市民メディアが情報発信をし、大手メディアはそれをjudge(検証)する、という役割分担だ。大手メディアは数や機動性において市民メディアにかなわない。一方、市民メディアは情報の検証や倫理の点で大手メディアのクォリティーを確保できない。それぞれが欠点を補完しあうことが、新しい時代のジャーナリズムの理想的な形だというのだ。
喧々諤々の議論は終わる事がないが、ブログをはじめとする市民メディアと既存のテレビや新聞を対立構造で捉えるのはそろそろやめるべき時期であることは確かだろう。大手メディアは滅び行く恐竜で、市民メディアこそが新しい潮流だという見方は時代遅れだ。両者が膝を交えて新たな可能性を探るべき時が来ている。
Medeia Sabor
http://mediasabor.jp/
2009年07月10日
この一ページは本当に読者を幸せに…/世界とつながるニュース.30
あなたにとってのこの一冊、あなたにとってのこの一ページは何ですか。
私がこの一冊に出会ったのはもう30年以上前のこと。
祖母の家のテーブルにいつもこの雑誌がありました。
暮らしとはほど遠い小学生の目にどうしてこの雑誌がとまったのかはよくわかりません。
覚えているのは優しくて気取りのない文章と、生活感をともないつつも夢が広がる写真とレイアウト。
そこには右も左もわからないこどもの心に訴えかける何かがあったのでしょう。
(以下のテキストは毎日jp、mns.産経ニュース、暮しの手帖社ホームページ、Wikipediaから、画像は暮らしの手帳社から借用いたしました)

毎日新聞 2009年6月21日
今週の本棚・ブックエンド:『暮しの手帖』の…
『暮しの手帖』の人気コラム「暮らしのヒント集」が、一冊にまとめられました(1260円)。内外文字印刷による「活版限定版」も製作中。2730円と割高ですが、インクの香りを懐かしむ人も少なくないことでしょう。同誌は1948年の創刊。1万部を刷ったものの流通に乗せきれず、残部は編集者らが背負って書店を行脚したそうです。雑誌の寿命は、作り手の熱意が決めるのかもしれません。現在、最高齢の読者は98歳とか。伴侶のような雑誌がある人生……。現在の若者にも、そんな未来を送りたいものです。(希)
http://mainichi.jp/enta/book/news/20090621ddm015070010000c.html

mns.産経ニュース 2008年10月16日
広告のない雑誌「暮しの手帖」 リニューアルで部数増
「広告の不振」を理由にした雑誌の休刊が相次いでいる。そんななか、広告を掲載しない主義を貫いて創刊60周年を迎えた雑誌がある。名物企画「商品テスト」で知られる生活情報誌「暮(くら)しの手帖(てちょう)」(隔月25日発売)だ。一時は部数が低迷していたが、読者の視点を大切にするという編集方針は変えずにリニューアルを図り、雑誌不況を尻目に部数を伸ばしている。松浦弥太郎編集長(42)にサバイバルの手法を聞いた。(中島幸恵)
「暮しの手帖」は、戦後まもない昭和23年に「一人ひとりが自分の暮らしを大切にすることを通して戦争のない世の中に」という理念を掲げて創刊。広告を排除し、各メーカーの商品を客観的に検証、比較する「商品テスト」などの企画が人気を呼び、発行部数が100万部を超える人気雑誌になった。
だが読者の高齢化が進み、競合誌の台頭やネットの普及などもあって、数年前の部数は約10万部に。平成18年、テコ入れを図って新たに外部から編集長に迎えられたのが、古本屋を営む文筆家、松浦さんだった。
松浦さん自身、それまで「暮しの手帖」を買う気が起こらなかった、と笑う。「古くさくてつまらないな、と。どこかで読んだような記事の繰り返しでは読者に飽きられます」
真っ先に手を付けたのが、雑誌の大幅な若返りだったという。
「雑誌として新しくあるためには、新陳代謝が必要。古くからの読者と新規開拓に合わせた編集には無理があります。対象を社会の中心である30−40代に絞り、人気連載も含め、3年かけて徐々に刷新していくことにしました」
エコ、スローライフといったブームも追い風となった。「マーガレット・ハウエル」を特集した今年1月発売号は16万5000部を完売した。「何気ない暮らしの中にある“物語”を見つめ直し、自分らしく丁寧に生きるという潮流のルーツが『暮しの手帖』にあったことが大きい」と松浦さん。
「広告がなくても、読者の発想で雑誌は作れるし、支持されてきた。ただ、満足できるものを作れば必ず売れるという時代は終わりました。多くのアイデアの中から自分たちが読者に何をどう伝えるべきか、『この1ページは本当に読者を幸せにするのか』。そう問いかけながら丁寧に愛情を込めて編集する基本姿勢が、いま問われていると思います」
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/081016/bks0810160841001-n1.htm

暮しの手帖社オフィシャルサイト
http://www.kurashi-no-techo.co.jp/
以下、暮しの手帖社、会社案内より引用。
「暮しの手帖社について
暮しの手帖社の前身、衣裳研究所は、昭和21年3月に東京銀座で大橋鎭子と花森安治のコンビで創業しました。戦後まもない、物の無い時代でもおしゃれに美しく暮らしたいと願う女性への、服飾の提案雑誌『スタイルブック』出版からのスタートでした。
昭和23年9月に、健康をささえる「食」と、家庭を守る「住」をとり入れ、『美しい暮しの手帖』(のちに『暮しの手帖』と誌名を変更)を創刊。これと同時に暮しの手帖社に社名を変更しました。
『暮しの手帖』刊行にあたっては、大橋鎭子と花森安治のそれぞれに思いがありました。大橋は戦争中、防空壕のなかで、自分が見たい、知りたいと思うことを本にすれば、戦争で学校も満足に行けなかった多くの女性たちに喜んでもらえるだろう、と考えていました。また花森は、戦争への反省から、一人ひとりが自分の暮らしを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中にしたいと考えていました。そんな二人が毎日の生活を少しでも豊かで美しくするために、手作り家具や直線裁ちの服などを提案していこうと一致し、創刊しました。
その後、経済成長とともに物が出回り始めると、どれが役に立つ商品か、また本当に良いものをメーカーに製造してもらうためにも、商品テストを実施。消費者の立場に立った実証主義のテストは高く評価され、多くの読者の支持を得ました。
おかげさまで、創業から半世紀以上がたちました。広告を載せていない『暮しの手帖』は、一冊一冊をお買い上げくださったみなさまのおかげで、今日まで続いてまいりました。
これからも毎日の暮らしに少しでも役に立ち、親から子へと読みつがれていく、そんな雑誌でありたいと思います。
横山泰子 」
暮しの手帖 / 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
暮しの手帖(くらしのてちょう)は、花森安治、大橋鎮子らが創刊した、日本の家庭向け総合生活雑誌。
『美しい暮しの手帖』として1948年創刊以後、半世紀を経て今なお熱心な読者を抱えている。東京都新宿区北新宿にある暮しの手帖社(かつては港区麻布に所在していた)から年6回、2か月に1号の間隔で刊行され、通算号数は350号を超える(100号毎に「第*世紀」と区分している)。
主な内容は家庭婦人を対象としたファッションや飲食物/料理、各種商品テスト、医療/健康関連の記事や、様々な連載記事や読者欄等がある。また、「雑誌の全ての部分を自分達の目の届く所に置いておきたい」という理念から、一般の広告を一切掲載していない。従って、いずれの記事も一貫して商業主義に左右されない生活者本位の視点が貫かれ、特に家庭電化製品や日用品を中心とした商品テストは、その条件の厳格さで製品のメーカーに大きな影響力を持つ。 また、主張はリベラル・平和主義寄りで、上記の反商業主義に加え、反戦争・反差別の論調も(決して強烈ではないものの)多く見られる。
1956年には「婦人家庭雑誌に新しき形式を生み出した努力」について第4回菊池寛賞を受賞している。
先述の通り「雑誌の全ての部分」を堅持するため、雑誌そのもののスタイルについてレイアウトや印刷手法にいたるまで花森亡き後も守ってきたが、2007年2月1日発売、第4世紀26号、通算376号より、文筆家、書籍商として知られる松浦弥太郎を編集長に迎え、現代的なスタイルを取り入れはじめている。
かつては東京の六本木に、暮らしの手帖・別館といういわばショールーム的な施設を保有、公開していたが、現在は閉館している。
みずからに問い続けたい、「装う人をこの一枚は、この一足はほんとうに幸せにするのか」と。
Roger's JARDIN
Roger's PASSAGE
Roger's ECOLE
PlazaHouse ARENA
私がこの一冊に出会ったのはもう30年以上前のこと。
祖母の家のテーブルにいつもこの雑誌がありました。
暮らしとはほど遠い小学生の目にどうしてこの雑誌がとまったのかはよくわかりません。
覚えているのは優しくて気取りのない文章と、生活感をともないつつも夢が広がる写真とレイアウト。
そこには右も左もわからないこどもの心に訴えかける何かがあったのでしょう。
(以下のテキストは毎日jp、mns.産経ニュース、暮しの手帖社ホームページ、Wikipediaから、画像は暮らしの手帳社から借用いたしました)
毎日新聞 2009年6月21日
今週の本棚・ブックエンド:『暮しの手帖』の…
『暮しの手帖』の人気コラム「暮らしのヒント集」が、一冊にまとめられました(1260円)。内外文字印刷による「活版限定版」も製作中。2730円と割高ですが、インクの香りを懐かしむ人も少なくないことでしょう。同誌は1948年の創刊。1万部を刷ったものの流通に乗せきれず、残部は編集者らが背負って書店を行脚したそうです。雑誌の寿命は、作り手の熱意が決めるのかもしれません。現在、最高齢の読者は98歳とか。伴侶のような雑誌がある人生……。現在の若者にも、そんな未来を送りたいものです。(希)
http://mainichi.jp/enta/book/news/20090621ddm015070010000c.html
mns.産経ニュース 2008年10月16日
広告のない雑誌「暮しの手帖」 リニューアルで部数増
「広告の不振」を理由にした雑誌の休刊が相次いでいる。そんななか、広告を掲載しない主義を貫いて創刊60周年を迎えた雑誌がある。名物企画「商品テスト」で知られる生活情報誌「暮(くら)しの手帖(てちょう)」(隔月25日発売)だ。一時は部数が低迷していたが、読者の視点を大切にするという編集方針は変えずにリニューアルを図り、雑誌不況を尻目に部数を伸ばしている。松浦弥太郎編集長(42)にサバイバルの手法を聞いた。(中島幸恵)
「暮しの手帖」は、戦後まもない昭和23年に「一人ひとりが自分の暮らしを大切にすることを通して戦争のない世の中に」という理念を掲げて創刊。広告を排除し、各メーカーの商品を客観的に検証、比較する「商品テスト」などの企画が人気を呼び、発行部数が100万部を超える人気雑誌になった。
だが読者の高齢化が進み、競合誌の台頭やネットの普及などもあって、数年前の部数は約10万部に。平成18年、テコ入れを図って新たに外部から編集長に迎えられたのが、古本屋を営む文筆家、松浦さんだった。
松浦さん自身、それまで「暮しの手帖」を買う気が起こらなかった、と笑う。「古くさくてつまらないな、と。どこかで読んだような記事の繰り返しでは読者に飽きられます」
真っ先に手を付けたのが、雑誌の大幅な若返りだったという。
「雑誌として新しくあるためには、新陳代謝が必要。古くからの読者と新規開拓に合わせた編集には無理があります。対象を社会の中心である30−40代に絞り、人気連載も含め、3年かけて徐々に刷新していくことにしました」
エコ、スローライフといったブームも追い風となった。「マーガレット・ハウエル」を特集した今年1月発売号は16万5000部を完売した。「何気ない暮らしの中にある“物語”を見つめ直し、自分らしく丁寧に生きるという潮流のルーツが『暮しの手帖』にあったことが大きい」と松浦さん。
「広告がなくても、読者の発想で雑誌は作れるし、支持されてきた。ただ、満足できるものを作れば必ず売れるという時代は終わりました。多くのアイデアの中から自分たちが読者に何をどう伝えるべきか、『この1ページは本当に読者を幸せにするのか』。そう問いかけながら丁寧に愛情を込めて編集する基本姿勢が、いま問われていると思います」
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/081016/bks0810160841001-n1.htm
暮しの手帖社オフィシャルサイト
http://www.kurashi-no-techo.co.jp/
以下、暮しの手帖社、会社案内より引用。
「暮しの手帖社について
暮しの手帖社の前身、衣裳研究所は、昭和21年3月に東京銀座で大橋鎭子と花森安治のコンビで創業しました。戦後まもない、物の無い時代でもおしゃれに美しく暮らしたいと願う女性への、服飾の提案雑誌『スタイルブック』出版からのスタートでした。
昭和23年9月に、健康をささえる「食」と、家庭を守る「住」をとり入れ、『美しい暮しの手帖』(のちに『暮しの手帖』と誌名を変更)を創刊。これと同時に暮しの手帖社に社名を変更しました。
『暮しの手帖』刊行にあたっては、大橋鎭子と花森安治のそれぞれに思いがありました。大橋は戦争中、防空壕のなかで、自分が見たい、知りたいと思うことを本にすれば、戦争で学校も満足に行けなかった多くの女性たちに喜んでもらえるだろう、と考えていました。また花森は、戦争への反省から、一人ひとりが自分の暮らしを大切にすることを通じて、戦争のない平和な世の中にしたいと考えていました。そんな二人が毎日の生活を少しでも豊かで美しくするために、手作り家具や直線裁ちの服などを提案していこうと一致し、創刊しました。
その後、経済成長とともに物が出回り始めると、どれが役に立つ商品か、また本当に良いものをメーカーに製造してもらうためにも、商品テストを実施。消費者の立場に立った実証主義のテストは高く評価され、多くの読者の支持を得ました。
おかげさまで、創業から半世紀以上がたちました。広告を載せていない『暮しの手帖』は、一冊一冊をお買い上げくださったみなさまのおかげで、今日まで続いてまいりました。
これからも毎日の暮らしに少しでも役に立ち、親から子へと読みつがれていく、そんな雑誌でありたいと思います。
横山泰子 」
暮しの手帖 / 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
暮しの手帖(くらしのてちょう)は、花森安治、大橋鎮子らが創刊した、日本の家庭向け総合生活雑誌。
『美しい暮しの手帖』として1948年創刊以後、半世紀を経て今なお熱心な読者を抱えている。東京都新宿区北新宿にある暮しの手帖社(かつては港区麻布に所在していた)から年6回、2か月に1号の間隔で刊行され、通算号数は350号を超える(100号毎に「第*世紀」と区分している)。
主な内容は家庭婦人を対象としたファッションや飲食物/料理、各種商品テスト、医療/健康関連の記事や、様々な連載記事や読者欄等がある。また、「雑誌の全ての部分を自分達の目の届く所に置いておきたい」という理念から、一般の広告を一切掲載していない。従って、いずれの記事も一貫して商業主義に左右されない生活者本位の視点が貫かれ、特に家庭電化製品や日用品を中心とした商品テストは、その条件の厳格さで製品のメーカーに大きな影響力を持つ。 また、主張はリベラル・平和主義寄りで、上記の反商業主義に加え、反戦争・反差別の論調も(決して強烈ではないものの)多く見られる。
1956年には「婦人家庭雑誌に新しき形式を生み出した努力」について第4回菊池寛賞を受賞している。
先述の通り「雑誌の全ての部分」を堅持するため、雑誌そのもののスタイルについてレイアウトや印刷手法にいたるまで花森亡き後も守ってきたが、2007年2月1日発売、第4世紀26号、通算376号より、文筆家、書籍商として知られる松浦弥太郎を編集長に迎え、現代的なスタイルを取り入れはじめている。
かつては東京の六本木に、暮らしの手帖・別館といういわばショールーム的な施設を保有、公開していたが、現在は閉館している。
みずからに問い続けたい、「装う人をこの一枚は、この一足はほんとうに幸せにするのか」と。
Roger's JARDIN
Roger's PASSAGE
Roger's ECOLE
PlazaHouse ARENA
2009年07月06日
リセッショニスタ / 世界とつながるニュース.29
「後ろ指を指されないよう、身をすくめて」楽しむ「こっそりショッピング」。
ニューヨークではそんな現象が起きているようです。

よく知られたキャッチフレーズ、「欲しがりません、勝つまでは」的な事態が進行しているようにもみえますが、
一方では、既存の価値観に縛られない自由なファッションを楽しんでいる人たちの姿も見えてきます。
ものごとや歴史にはいつも二面性がある。ネガティブに捉えてしまいがちな景気後退にも、そこから芽吹こうとしている種が
少なからず詰まっている。光があたれば影ができるし影があるところには必ず光がある。
そんな当たり前のことに気付かせてくれるニュースを今日はお届けします。
ヴィンテージになりうる服と切り貼りできる服。
ロージャースとユニクロでハイ&ロー。
そういうコーデも面白いかもしれませんね。
ちなみにいま、ロージャースではサマークリアランスセール、開催中です。

メディア サボール 2009年2月16日
不景気時代のファッションリーダー「リセッショニスタ」
ファッション・ジャーナリスト 宮田 理江
「リセッショニスタ」(Recessionista)が新たなファッションリーダーとなりつつある。「ファッションに敏感な人」を意味する「ファッショニスタ」(fashionista)をもじった言葉で、英語の「Recession(景気後退)」と引っかけた造語だ。はっきりした定義はないが、不景気に流されず、自分のスタイルで、上手に買い物を楽しむ人といった意味で使われる事が多い。
「贅沢は敵だ」とばかりに、米国ではラグジュアリーブランドの買い物が手控えられる傾向が続く。ニューヨークの五番街に軒を連ねる高級百貨店からも顧客の足が遠のいている。
全米に800店以上を構える米国百貨店業界の最大手「メーシーズ」は2月2日、全従業員の4%に当たる7000人の削減を発表した。一部の高級百貨店は見栄もイメージもかなぐり捨てて、顧客に密かに来店を促すお誘いのダイレクトメールを打ったという。アッパー系百貨店のこれまでの取り澄ました態度を知る人には驚きだ。
ニューヨークの高級ショップでお得意様となってきた富裕層には、金融界の成功者が少なくない。世界最大の出来高を誇る証券取引所や、金融のプロが集まるウォール街を抱えるだけあって、マンハッタンのリッチピープルにはマネーマーケットに携わる人が大勢いる。米国金融界への不信から発した今回の世界的景気後退で大きな影響を受けている層として、これまでファッションショッピングの上顧客だった人たちも含まれる。
ニューヨークでは今、「こっそりショッピング」が静かに人気を得ている。募る買い物欲に負けて、百貨店やラグジュアリーショップで高額品の買い物を済ませても、そのショップのロゴ入り紙袋は断り、無地の紙袋に包んでもらったり、宅配で届けてもらう買い物の事だ。派手なロゴ入り紙袋を持っている姿を、町中で誰かに見られては困るというわけだ。
後ろ指を指されないよう、身をすくめているといった状況だが、一方のリセッショニスタはこの時期だからと言って、必ずしも買い物を控えているわけではない。むしろ、上手に消費するそのスタイルが「カッコいい」と評価を受けている。高額品を買わないファッションリーダーの出現という不思議な現象だ。
リセッショニスタの買い物は、実はファッショニスタに重なる部分がある。どちらもピカピカの新品ではなく、ヴィンテージや古着で掘り出し物を見付けるのが上手だからだ。
リセッショニスタはリサイクリストにも通じる。昔買った服やアクセサリーをワードローブから掘り起こして、上手に装ってみせるからだ。新品にはない風合いや時代感がかえって成熟した大人の気品・風格を漂わせる。
こう考えていくと、「リセッショニスタ」というのは、「おしゃれ上手」の別名ではないかと思えてくる。テレビドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」の主演女優サラ・ジェシカ・パーカーもヴィンテージを巧みにミックスする着こなしで有名。彼女がヴィンテージの魅力を広めたおかげもあって、近年は映画賞のレッドカーペットのような晴れ舞台でもヴィンテージをまとう女優やセレブリティも増えてきた。
割安なディスカウントショップや、季節の変わり目・決算期のセールで、お値打ちな品物を買うのも、リセッショニスタの得意技。言い方を変えれば、リセッショニスタは目先の流行に目を奪われず、自分のスタイルを持ち、スタイリングの主導権を握っているとも言える。
日本ではなかなかこうはいきにくい。そもそも、米国にはフリーマーケットやガレージセールが根付いている。親から子へ、時には祖父母から孫へ服やアクセサリーが譲り渡されるのもざらだ。祖父から譲られたツイードのジャケットを大事に着るような習慣はアッパークラスの家庭にも息づいている。
しかも、ニューヨークにはたくさんのヴィンテージショップがある。いわゆる古着とは異なり、きちんと保存された状態のよいヴィンテージ。1度しか着ないで、すぐに業者に引き取らせてしまうリッチピープルの存在も、在庫の豊かさを下支えしている。
いわゆるファストファッションの台頭もリセッショニスタの選択肢を広げた。百貨店やラグジュアリーブランドに比べれば、リーズナブルプライスのファストファッションは米国でも売り上げを維持している。スウェーデンのヘネス・アンド・モーリッツ(H&M)は2008年度第4四半期(9─11月)の売上高も前年同期比でプラスを維持した。
日本でも百貨店が売り上げをダウンさせるのを尻目に、「ユニクロ」が売上高を積み上げ続けている。国内既存店の売上高は1月まで3カ月連続で前年水準を上回った。景気後退という出来事は、値段と品質のコストパフォーマンス感に優れた「ユニクロ」の強みをあらためて消費者に確認させるきっかけになったと見える。ジャパニーズ・リセッショニスタはニューヨーカーのようにはフリーマーケットやヴィンテージショップを活用できないが、「ユニクロ」という心強い味方を再発見したようだ。
今ではラグジュアリーウエアと「ユニクロ」「ZARA」「H&M」などのリーズナブルアイテムを組み合わせる「ハイ&ロー」のミックスはかなり浸透してきた。ミシェル・オバマ米大統領夫人もこのミックススタイリングがお得意。大統領就任式でもリーズナブルブランド「J.Crew」の手袋を、超高級ドレスと組み合わせて見せた。
景気後退と聞くと、悪い事ばかりのような気がしがちだが、リセッショニスタの出現は、自己表現としてのファッションの奥行きが一段と深まりつつあることを物語る。時間や値段、ブランドなどをミックスする着こなしの定着は、リーズナブルプライスで自分流を表現するスタイリングの進化という意味では、「後退」ではなく、むしろ「前進」と言ってよさそうだ。
宮田理江
http://fashionbible.cocolog-nifty.com/
Media Sabor
http://mediasabor.jp/
ニューヨークではそんな現象が起きているようです。
よく知られたキャッチフレーズ、「欲しがりません、勝つまでは」的な事態が進行しているようにもみえますが、
一方では、既存の価値観に縛られない自由なファッションを楽しんでいる人たちの姿も見えてきます。
ものごとや歴史にはいつも二面性がある。ネガティブに捉えてしまいがちな景気後退にも、そこから芽吹こうとしている種が
少なからず詰まっている。光があたれば影ができるし影があるところには必ず光がある。
そんな当たり前のことに気付かせてくれるニュースを今日はお届けします。
ヴィンテージになりうる服と切り貼りできる服。
ロージャースとユニクロでハイ&ロー。
そういうコーデも面白いかもしれませんね。
ちなみにいま、ロージャースではサマークリアランスセール、開催中です。
メディア サボール 2009年2月16日
不景気時代のファッションリーダー「リセッショニスタ」
ファッション・ジャーナリスト 宮田 理江
「リセッショニスタ」(Recessionista)が新たなファッションリーダーとなりつつある。「ファッションに敏感な人」を意味する「ファッショニスタ」(fashionista)をもじった言葉で、英語の「Recession(景気後退)」と引っかけた造語だ。はっきりした定義はないが、不景気に流されず、自分のスタイルで、上手に買い物を楽しむ人といった意味で使われる事が多い。
「贅沢は敵だ」とばかりに、米国ではラグジュアリーブランドの買い物が手控えられる傾向が続く。ニューヨークの五番街に軒を連ねる高級百貨店からも顧客の足が遠のいている。
全米に800店以上を構える米国百貨店業界の最大手「メーシーズ」は2月2日、全従業員の4%に当たる7000人の削減を発表した。一部の高級百貨店は見栄もイメージもかなぐり捨てて、顧客に密かに来店を促すお誘いのダイレクトメールを打ったという。アッパー系百貨店のこれまでの取り澄ました態度を知る人には驚きだ。
ニューヨークの高級ショップでお得意様となってきた富裕層には、金融界の成功者が少なくない。世界最大の出来高を誇る証券取引所や、金融のプロが集まるウォール街を抱えるだけあって、マンハッタンのリッチピープルにはマネーマーケットに携わる人が大勢いる。米国金融界への不信から発した今回の世界的景気後退で大きな影響を受けている層として、これまでファッションショッピングの上顧客だった人たちも含まれる。
ニューヨークでは今、「こっそりショッピング」が静かに人気を得ている。募る買い物欲に負けて、百貨店やラグジュアリーショップで高額品の買い物を済ませても、そのショップのロゴ入り紙袋は断り、無地の紙袋に包んでもらったり、宅配で届けてもらう買い物の事だ。派手なロゴ入り紙袋を持っている姿を、町中で誰かに見られては困るというわけだ。
後ろ指を指されないよう、身をすくめているといった状況だが、一方のリセッショニスタはこの時期だからと言って、必ずしも買い物を控えているわけではない。むしろ、上手に消費するそのスタイルが「カッコいい」と評価を受けている。高額品を買わないファッションリーダーの出現という不思議な現象だ。
リセッショニスタの買い物は、実はファッショニスタに重なる部分がある。どちらもピカピカの新品ではなく、ヴィンテージや古着で掘り出し物を見付けるのが上手だからだ。
リセッショニスタはリサイクリストにも通じる。昔買った服やアクセサリーをワードローブから掘り起こして、上手に装ってみせるからだ。新品にはない風合いや時代感がかえって成熟した大人の気品・風格を漂わせる。
こう考えていくと、「リセッショニスタ」というのは、「おしゃれ上手」の別名ではないかと思えてくる。テレビドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」の主演女優サラ・ジェシカ・パーカーもヴィンテージを巧みにミックスする着こなしで有名。彼女がヴィンテージの魅力を広めたおかげもあって、近年は映画賞のレッドカーペットのような晴れ舞台でもヴィンテージをまとう女優やセレブリティも増えてきた。
割安なディスカウントショップや、季節の変わり目・決算期のセールで、お値打ちな品物を買うのも、リセッショニスタの得意技。言い方を変えれば、リセッショニスタは目先の流行に目を奪われず、自分のスタイルを持ち、スタイリングの主導権を握っているとも言える。
日本ではなかなかこうはいきにくい。そもそも、米国にはフリーマーケットやガレージセールが根付いている。親から子へ、時には祖父母から孫へ服やアクセサリーが譲り渡されるのもざらだ。祖父から譲られたツイードのジャケットを大事に着るような習慣はアッパークラスの家庭にも息づいている。
しかも、ニューヨークにはたくさんのヴィンテージショップがある。いわゆる古着とは異なり、きちんと保存された状態のよいヴィンテージ。1度しか着ないで、すぐに業者に引き取らせてしまうリッチピープルの存在も、在庫の豊かさを下支えしている。
いわゆるファストファッションの台頭もリセッショニスタの選択肢を広げた。百貨店やラグジュアリーブランドに比べれば、リーズナブルプライスのファストファッションは米国でも売り上げを維持している。スウェーデンのヘネス・アンド・モーリッツ(H&M)は2008年度第4四半期(9─11月)の売上高も前年同期比でプラスを維持した。
日本でも百貨店が売り上げをダウンさせるのを尻目に、「ユニクロ」が売上高を積み上げ続けている。国内既存店の売上高は1月まで3カ月連続で前年水準を上回った。景気後退という出来事は、値段と品質のコストパフォーマンス感に優れた「ユニクロ」の強みをあらためて消費者に確認させるきっかけになったと見える。ジャパニーズ・リセッショニスタはニューヨーカーのようにはフリーマーケットやヴィンテージショップを活用できないが、「ユニクロ」という心強い味方を再発見したようだ。
今ではラグジュアリーウエアと「ユニクロ」「ZARA」「H&M」などのリーズナブルアイテムを組み合わせる「ハイ&ロー」のミックスはかなり浸透してきた。ミシェル・オバマ米大統領夫人もこのミックススタイリングがお得意。大統領就任式でもリーズナブルブランド「J.Crew」の手袋を、超高級ドレスと組み合わせて見せた。
景気後退と聞くと、悪い事ばかりのような気がしがちだが、リセッショニスタの出現は、自己表現としてのファッションの奥行きが一段と深まりつつあることを物語る。時間や値段、ブランドなどをミックスする着こなしの定着は、リーズナブルプライスで自分流を表現するスタイリングの進化という意味では、「後退」ではなく、むしろ「前進」と言ってよさそうだ。
宮田理江
http://fashionbible.cocolog-nifty.com/
Media Sabor
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2009年06月30日
マリ・クレール休刊に / 世界とつながるニュース.28
「グローバルな視野から、モードにコスメ、カルチャー、世界情勢や社会問題までをルポルタージュし、
女性の毎日をチアアップする“知的モード誌”」、marie claireが9月号を持って休刊することになったそうです。
1937年にパリで発刊された伝統あるマリ・クレール。1980年代後半の中央公論時代の日本語版は
他の女性雑誌とは一線を画する、知的でハイクオリティな雑誌として一世を風靡していました。
ファッションにとどまらず、アートや文学、映画について質の高い情報発信を行っていた記憶があります。
バブル以降は角川書店へ身売りされ、現在はアシェット婦人画報が発行を行っています。

画像はマリ。クレールは現在ネットオークションにかけられている別冊創刊号です。
mns.産経ニュース 2009年6月30日
女性月刊誌「マリ・クレール」が休刊へ
月刊女性誌「マリ・クレール」(アシェット婦人画報社刊)、が7月28日発売の9月号で休刊することが30日、明らかになった。アシェット婦人画報社は、広告収入の落ち込みが原因としている。
同誌はフランスの同名雑誌の日本語版として中央公論社(当時)から昭和57年創刊された。単なるファッション誌にとどまらず、吉本ばななさんの小説「TUGUMI」の連載など、文芸や映画批評、世界情勢や社会問題に至るまで幅広いジャンルを扱うハイ・カルチャー誌として評価された。
ただ、最近は部数が落ち込み、日本雑誌協会によると、発行部数は約3万3500部にとどまっていた。
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090630/biz0906301125006-n1.htm
女性の毎日をチアアップする“知的モード誌”」、marie claireが9月号を持って休刊することになったそうです。
1937年にパリで発刊された伝統あるマリ・クレール。1980年代後半の中央公論時代の日本語版は
他の女性雑誌とは一線を画する、知的でハイクオリティな雑誌として一世を風靡していました。
ファッションにとどまらず、アートや文学、映画について質の高い情報発信を行っていた記憶があります。
バブル以降は角川書店へ身売りされ、現在はアシェット婦人画報が発行を行っています。
画像はマリ。クレールは現在ネットオークションにかけられている別冊創刊号です。
mns.産経ニュース 2009年6月30日
女性月刊誌「マリ・クレール」が休刊へ
月刊女性誌「マリ・クレール」(アシェット婦人画報社刊)、が7月28日発売の9月号で休刊することが30日、明らかになった。アシェット婦人画報社は、広告収入の落ち込みが原因としている。
同誌はフランスの同名雑誌の日本語版として中央公論社(当時)から昭和57年創刊された。単なるファッション誌にとどまらず、吉本ばななさんの小説「TUGUMI」の連載など、文芸や映画批評、世界情勢や社会問題に至るまで幅広いジャンルを扱うハイ・カルチャー誌として評価された。
ただ、最近は部数が落ち込み、日本雑誌協会によると、発行部数は約3万3500部にとどまっていた。
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090630/biz0906301125006-n1.htm
2009年06月29日
森ガール・ギャル文化の現在/世界とつながるニュース.27
森ガールで盛り上がるmixi。
透明感のあるおんなの子=ナウシカ、カヒミ・カリイ?ちょっと違うらしい。
カメラ片手に散歩をするのがすき、雑貨屋さん巡りをついついしてしまう=80年代にもいましたね。代官山とかキラー通りとか。これもちょっとずれてるみたい。
ナチュラル系の夢見る少女ではくくれそうにありません。
農ギャルと合わせてポジションニンングしてみると面白いかもしれませんね。
今日は「草食男子」の名付け親、深澤真紀さんの記事を紹介させていただきます。
日経ビジネスオンライン 2009年6月26日
深澤真紀の平成女子図鑑
「森ガール」と「農ギャル(ノギャル)」
ガーリー・乙女・ギャル文化の現在
●「森ガール」をご存じですか?
「森にいそうな女の子」を指す言葉で、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のmixi(ミクシィ)で「森ガールコミュニティ」の管理人を務めるchoco*さんが、友人に「森にいそうな格好だね」と言われたことから生まれました。
森ガールコミュニティは2006年8月に開設され、今や3万5000人余りを集める人気コミュニティーですが、森ガールが話題になったのは、2008年あたりからです。
ちなみに私が名づけた「草食男子」は2006年10月にこのサイトで発表し、2008年から話題になってきたので、言葉の広がり方がちょっと似ています。一方で、森ガールと草食男子が違う点は、森ガールは当事者による名づけであることです。
●「ゆるい感じ」がキーワードの「森ガール」
森ガールの定義は、森ガールコミュニティのトップページに60以上載っていますので、そこから抜粋します。
ゆるい感じのワンピースがすき/シンプルよりどこかくせのある服がすき(でも派手派手してるのはそんなにすきじゃない)/素材にはこだわりたい/ちいさな子が着るようなワンピースもすき/短いネイルのほうが落ち着く/ニットやファーで、もこもこした帽子がすき/古いものに魅力を感じる/レトロな花柄すき/レースがすき/タイツ・レギンスがすき/靴は基本ぺたんこ/マフラーもストールもぐるぐるまきにしたい/重ね着すき/童話がすき/色白/ゆるいパーマをかけている/ロリータとはちがうの/ガーリー/カフェでまったりするのがすき/カメラ片手に散歩をするのがすき/雑貨屋さん巡りをついついしてしまう/すきなものはついついコレクションしちゃう、コレクター/本屋さんでかわいい本を見つけると嬉しい/手作りがすき/やわらかい雰囲気がでてるおんなの子/透明感のあるおんなの子/つねにゆるい雰囲気をだしている/森ガールファッションはロリータ系・姫系・お姉さん系・お嬢様系・全身ナチュラル系・チョキチョキ系とは異なります。
なんとなく、イメージがわくのではないでしょうか。
女性誌の「別冊spoon.」(角川グループパブリッシング)では、女優の蒼井優を表紙にして、森ガールのファッションとカルチャーを紹介する「森ガールA to Z」を出版し、話題になりました。
その蒼井優が映画版で演じたマンガ『ハチミツとクローバー』(羽海野チカ著)の主人公、はぐちゃん(天然不思議ちゃん風の美大生)も、森ガールの象徴と言われています。
かつて消費社会研究家の三浦展が名づけた「かまやつ女」(公式サイトによると「最近、原宿や下北沢でみかける、帽子をかぶった女子。古くさい、おじさんみたいな帽子で、髪型ももっさりしていて、服装は楽ちん風。まるでかまやつひろしのような風貌が特徴だ。」)も、森ガールにちょっと似ています。
ただ、若い世代がかまやつひろしをよく知らないことや、当事者たちからの受けの悪いこともあり、この言葉はあまり浸透しませんでした。
●ガーリー、乙女、自然派
森ガールは「ガーリーブーム」の流れも受け継いでいます。
ガーリーとは、「少女らしい状態や、女性が惹かれるもの全般を俗に言う語。ファッション・アート・その人自身などを通して表現される。1990 年代中盤のアメリカで発祥した考え方。「−スタイル」〔少女(girl)をもじったもの。蔑称のgirlieと区別されることが多い〕」(大辞林より)という意味(ちなみに蔑称のgirlieとは売春婦のこと)です。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20090624/198508/
引用させていただいて記事は三ページ中の1ページです。
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画像はすべて熊本市上通りにあるカフェ、BAHIAで撮影したものです。
深澤真紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
深澤 真紀(ふかさわ まき、1967年 - )は、コラムニスト・編集者・企画会社タクト・プランニング代表取締役。東京都出身。早稲田大学第二文学部社会専修卒業。
学生時代に『私たちの就職手帖』副編集長をつとめる。卒業後、いくつかの出版社で編集者をつとめ、1998年に企画会社タクト・プランニング設立。書籍・雑誌・ウェブページのプロデュースや、作家のマネジメント、また若者・男性・女性・食・旅などに関する執筆や講演を行う。
著書『平成男子図鑑』では「草食男子」・「肉食女子」を命名する。著書『思わず使ってしまうおバカな日本語』では「代理店語」を命名し、著書『自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術』では、人間関係をメンタルではなく、メンテナンスで考える「メンテナンス術」を提唱している。
著書
* 『平成男子図鑑』(日経BP,2007年)
* 『思わず使ってしまうおバカな日本語』(祥伝社新書,2007年)
* 『くらたまとフカサワのアジアはらへり旅』(倉田真由美との共著,理論社,2008年)
* 『自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術』(光文社,2009年)
2009年06月22日
欧米に脱出するクリエーター/世界とつながるニュース.26
MediaSabor 2009年6月19日
ネット広告伸びるも、ブラジルを脱出するクリエーター
ブラジル在住ジャーナリスト 高橋直子

ブラジルでもインターネット広告は、金融危機の時代だからこそ、迅速に結果を出す投資としてとらえられている。莫大な費用がかかる従来のテレビや紙面での広告よりも、経費や商品価格を抑えられるインターネット上に、宣伝の場を求める企業が増えているのだ。クライアントは低予算で大きな結果を求める傾向にある。だからこそ広告代理店は、ますますクリエイティブが求められることになるのだ。
ブラジルIAB(アイエービー)の調査によると、ブラジル国内のインターネットユーザーは、2008年に比べて2009年度は20%増えるとされる。また 2009年のオンラインメディア部門は、10億レアルに達すると予想されているが、その中の4,2%をオンライン広告が占めるとされる。今や、ブラジルのインターネット広告は、テレビ広告と同じくらい需要があるとされ、低迷気味のテレビ広告に比べ増加傾向にある。

そしてそんな広告市場を担うブラジル人クリエーターの、近年の世界での活躍には著しいものがある。カンヌ国際広告祭でブラジルは、インターネット上の優れた広告を決めるサイバーライオン賞を10年間に107受賞している。同時期に世界の広告業界をリードするアメリカ合衆国は、128の受賞であり、それと比べてもブラジル人クリエーターの活躍の大きさが想像できる。また若い広告クリエーター向けのコンペティション、Young Lionsでは、ブラジル人のオンラインメディアに向けた発表が高い評価を受けており、この8年の間にブラジル人は5回受賞している。
そんな世界でも認められている、ブラジルの若手クリエーター。現在、ブラジル国内のインターネット広告業を支えるはずの彼らの、ブラジル脱出が注目されている。

ブラジル人のネットクリエーターの海外での活躍は、年々目立ってきている。特にアートディレクターは、言語の壁を打ち破りやすい職柄であり、海外進出が後を絶たないという。このようなブラジル人クリエーターは主にエージェントに所属し、アメリカ合衆国、イギリス、スペイン、フランス、オランダなどの国々に在住する。例えば「サイバーライオン賞、Young Lionsの受賞ブラジル人の、ほとんどすべてが海外で仕事をしている。」とマーケティング専門の学校「Escola Superior de Propaganda e Marketing (ESPM)」の校長はいう。
ブラジル人アートディレクター、ファビアーノ・ローザは、電通ワンダーマンのマドリッドエージェンシーで働いている。スペインでは20メガビットのブロードバンドサービスだが、ブラジルはわずか8メガビッド。環境の違いを海外に渡った理由にあげる。また、イギリスのオンラインエージェント、 Sapient で働くアートディレクターヴァルター・クルグは「ブラジルで働いていたときは、毎日すごいスピードで作業し、プロセスの中で修正しながら進んでいった。海外では仕事はもっと整理されており、進み方もゆっくり。ブラジルにいたときより2倍の速度がかかるが、後からの修正やエラーはほとんどない。」と海外で仕事を続ける意向を語った。
もちろん最初は言語の問題があったが、自身が選択したワークスタイルに納得しているのが、海外で働くブラジル人クリエーターの特徴だ。給料がブラジルより高いというのももちろん大きな理由であるのは間違いない。
世界で注目されるブラジル人クリエーターと、ブラジル国内でのインターネット広告の需要の高まり。今後続々と新人クリエーターが誕生していくのはいうまでもないが、才能あるクリエーターが次々にブラジルを脱出していく状況では、この分野の更なる発展は望めない。今後ブラジルのインターネット広告業界がどのような動きを見せるか注目していきたいところだ。
<参考>
Estado de São Paulo の記事
http://www.estadao.com.br/estadaodehoje/20090601/not_imp380104,0.php
2008年サイバーライオン賞シルバー:
First Few Words (Gringo) http://www.gringo.nu/awards/gringo/
Época CTRL+C (JWT) http://www.itsclicktime.com/2008/epoca/
同ブロンズ:
Greenpeace WeAtheR ( AlmapBBDO e Colmeia )
http://200.186.92.250/awards/2008/greenpeace/weather/eng/index.html
GM Omega Wheel (McCann Erickson)
http://www.yellowmachine.us/wheel/
AACD Half Movement (Wunderman)
http://www.awaaaaaaaards.com/2008/aacd/halfmovement/en/
Poliflor Turntable (Sinc)
http://www.likeavirginnow.com/en/turntable/
Rolling Stone Guitar (AgênciaClick)
http://www.congado.net/2008/rollingstone/revista/en/
以上メディア・サボールから引用させていただきました。
http://mediasabor.jp/2009/06/post_655.html
ネット広告伸びるも、ブラジルを脱出するクリエーター
ブラジル在住ジャーナリスト 高橋直子
ブラジルでもインターネット広告は、金融危機の時代だからこそ、迅速に結果を出す投資としてとらえられている。莫大な費用がかかる従来のテレビや紙面での広告よりも、経費や商品価格を抑えられるインターネット上に、宣伝の場を求める企業が増えているのだ。クライアントは低予算で大きな結果を求める傾向にある。だからこそ広告代理店は、ますますクリエイティブが求められることになるのだ。
ブラジルIAB(アイエービー)の調査によると、ブラジル国内のインターネットユーザーは、2008年に比べて2009年度は20%増えるとされる。また 2009年のオンラインメディア部門は、10億レアルに達すると予想されているが、その中の4,2%をオンライン広告が占めるとされる。今や、ブラジルのインターネット広告は、テレビ広告と同じくらい需要があるとされ、低迷気味のテレビ広告に比べ増加傾向にある。
そしてそんな広告市場を担うブラジル人クリエーターの、近年の世界での活躍には著しいものがある。カンヌ国際広告祭でブラジルは、インターネット上の優れた広告を決めるサイバーライオン賞を10年間に107受賞している。同時期に世界の広告業界をリードするアメリカ合衆国は、128の受賞であり、それと比べてもブラジル人クリエーターの活躍の大きさが想像できる。また若い広告クリエーター向けのコンペティション、Young Lionsでは、ブラジル人のオンラインメディアに向けた発表が高い評価を受けており、この8年の間にブラジル人は5回受賞している。
そんな世界でも認められている、ブラジルの若手クリエーター。現在、ブラジル国内のインターネット広告業を支えるはずの彼らの、ブラジル脱出が注目されている。
ブラジル人のネットクリエーターの海外での活躍は、年々目立ってきている。特にアートディレクターは、言語の壁を打ち破りやすい職柄であり、海外進出が後を絶たないという。このようなブラジル人クリエーターは主にエージェントに所属し、アメリカ合衆国、イギリス、スペイン、フランス、オランダなどの国々に在住する。例えば「サイバーライオン賞、Young Lionsの受賞ブラジル人の、ほとんどすべてが海外で仕事をしている。」とマーケティング専門の学校「Escola Superior de Propaganda e Marketing (ESPM)」の校長はいう。
ブラジル人アートディレクター、ファビアーノ・ローザは、電通ワンダーマンのマドリッドエージェンシーで働いている。スペインでは20メガビットのブロードバンドサービスだが、ブラジルはわずか8メガビッド。環境の違いを海外に渡った理由にあげる。また、イギリスのオンラインエージェント、 Sapient で働くアートディレクターヴァルター・クルグは「ブラジルで働いていたときは、毎日すごいスピードで作業し、プロセスの中で修正しながら進んでいった。海外では仕事はもっと整理されており、進み方もゆっくり。ブラジルにいたときより2倍の速度がかかるが、後からの修正やエラーはほとんどない。」と海外で仕事を続ける意向を語った。
もちろん最初は言語の問題があったが、自身が選択したワークスタイルに納得しているのが、海外で働くブラジル人クリエーターの特徴だ。給料がブラジルより高いというのももちろん大きな理由であるのは間違いない。
世界で注目されるブラジル人クリエーターと、ブラジル国内でのインターネット広告の需要の高まり。今後続々と新人クリエーターが誕生していくのはいうまでもないが、才能あるクリエーターが次々にブラジルを脱出していく状況では、この分野の更なる発展は望めない。今後ブラジルのインターネット広告業界がどのような動きを見せるか注目していきたいところだ。
<参考>
Estado de São Paulo の記事
http://www.estadao.com.br/estadaodehoje/20090601/not_imp380104,0.php
2008年サイバーライオン賞シルバー:
First Few Words (Gringo) http://www.gringo.nu/awards/gringo/
Época CTRL+C (JWT) http://www.itsclicktime.com/2008/epoca/
同ブロンズ:
Greenpeace WeAtheR ( AlmapBBDO e Colmeia )
http://200.186.92.250/awards/2008/greenpeace/weather/eng/index.html
GM Omega Wheel (McCann Erickson)
http://www.yellowmachine.us/wheel/
AACD Half Movement (Wunderman)
http://www.awaaaaaaaards.com/2008/aacd/halfmovement/en/
Poliflor Turntable (Sinc)
http://www.likeavirginnow.com/en/turntable/
Rolling Stone Guitar (AgênciaClick)
http://www.congado.net/2008/rollingstone/revista/en/
以上メディア・サボールから引用させていただきました。
http://mediasabor.jp/2009/06/post_655.html
2009年06月21日
父親 / 世界とつながるニュース.25
cinema cafe.net 2009年06月20日
過激で過保護なパパが待受けで登場! リーアム・ニーソンが「遅くなるなら連絡しろ」
6月21日(日)は父の日だが、女子高生を娘に持つ35歳から60歳までの父親100人に「娘からどんな父親だと思われたいか?」というアンケートを取ったところ、「優しくて友達のような父親」と回答した方が47%、「強くて威厳のある父親」と答えたのはその半分に近い25%という結果が出たとか…。さらに、「娘に好かれるために心がけていることは?」という質問には「若作り(流行に気をつけたり、若者の言葉を意識して使うなど)」が13%、「ダイエットや身だしなみ」が24%、「プレゼントを買う」が11%など、娘に好かれようと努力するお父さんたちの姿が見え、世に言う“草食化”が父親たちの間にも蔓延か? といった実態が浮かび上がってくる。
その一方、「もし娘がストーカー被害に遭ったら?」という問いには「犯人を捜しだす」が 57%、さらに「犯人を探して復讐する」なんていうお父さんも11%おり、「警察に任せる」は29%と意外に少なめ。実際に直面したときにどう行動するかは分かりませんが、「気は優しくて力持ち」を理想とするお父さんが多いのかも…?
さてそんな中、アメリカから過激なお父さんが上陸! 誘拐された娘を、“闇のコネクション”を最大限に駆使して救い出そうとする、元特殊工作員の父親の奮闘、暴れっぷりを描いた『96時間』が8月22日(土)より公開される。『シンドラーのリスト』のリーアム・ニーソンが、主人公のブライアンを熱演! 全米で初登場1位となったのち、9週連続トップ10入りのロングランを記録している。
このたび、リーアム扮する過激で、ある意味“過保護”気味の暴走お父さんが24時間、娘を見守るその名も「“過保護”待受け Flash(R)」が、映画の公式サイト(パソコン、モバイル共通)に登場。こちらの待受け、「今日はどこに行くんだ? ちゃんと行き先を言うんだ!」、「遅くなるようなら、ちゃんと連絡するんだ!」、「まさか、まだ遊んでいるわけじゃないだろうな?」などなど朝・昼・晩とそれぞれ違った心配メッセージが表示され、圏外の場合や土日にもさらに違ったメッセージを表示。いつでもあなたをリーアムお父さんが見守ってくれるのだ。
若作りしようがんばろうが、威厳を保とうが、いずれにせよパパはいつだって娘のことが心配でたまらない! 愛情の裏返しと思って、過保護パパを“携帯”してみては?
http://www.cinemacafe.net/news/cgi/release/2009/06/6188/
日経トレンディネット 2009年06月18日
ニフティ、“父親の育児”を応援するブログメディアを開設
ニフティ(本社:東京都品川区)は2009年6月17日、同社が運営するブログサービス「ココログ」に、“父親の育児”をテーマにしたブログメディア「パパスイッチ」を開設した。「仕事も育児も両立」させたいという若い父親の増加を受け、父親の育児の楽しみ方や、役立つ情報を発信してゆく。
コンテンツは、「育児ガイド」「アウトドア」「料理」「ママサポート」「ビジネス」などのテーマに沿った記事で構成。父親としての子供との過ごし方・しつけ方や、仕事の効率化を図るための“ワークライフバランス”の実践方法、一緒に育児をする母親のサポート方法などを紹介する。
内容には、父親支援事業を展開しているNPO法人ファザーリング・ジャパン(所在地:東京都文京区)が協力する。さらに、若い父親を対象としたイベントや、父親の育児をサポートする企業とのコラボレーション企画など、「パパスイッチ」を介して活動を展開する予定。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/news/20090618/1027117/
時事通信 2009年6月20日
おやじの存在、子供に大切=父の日前にオバマ米大統領
【ワシントン20日時事】オバマ米大統領は19日、父の日を迎えるのを前に、地域の父親や子供たちをホワイトハウスに招き、子育ての喜びとともに、父親が不在だった自らの経験を語り、子供にとっておやじの存在がいかに大切かを訴えた。
2歳で父親と別れて暮らしたオバマ大統領は、「父親が家から去った後にできた心の空白が埋まることはなかった」と振り返った。また、わずかな期間、再会した父親から大好きなバスケットボールをもらったエピソードを紹介。「ほんのささやかな父親との出来事が、子供の心に深い思い出を刻み付ける」と話した。
一方で、育児の難しさを認め、自分自身も2人の娘たちと過ごす時間を犠牲にして、仕事をしてきたことを挙げ、「わたしは完ぺきな父親ではない」と語った。ただ、「子供たちと過ごすことは、この上ない幸せだ」と話し、「父親の務めは義務ではなく、特権なのだ」と訴えた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009062000200
日経BP社 セーフティジャパン 2009年6月16日
ほめ上手な父親になろう「その1」 ——「ほめ方がわからない」お父さんに贈る「6つのコツ」
2 短所言い換え法
親というものは、子どもの短所ほど目につくものだ。ダラダラしている、やるべきことをやらない、整理整頓をしないなど、「子どもの短所を挙げてください」と訊くと、スラスラといくつも言える親が多い。
ところが、子どもの長所を挙げてくださいというと、なかなか出てこない。しかし、大人も同じだが、短所は長所の裏返しである。ここが重要だ。
何でも後回しにして遊んでしまう子は、「度胸がよい」「神経が太い」とも言える。これは、大人になってから大事な資質だ。
いつも気を抜けない神経質な人では、大きな仕事を任されたときにその重圧に参ってしまう恐れがある。その点、神経が図太い子は、トラブルが起きても乗り越える力があるかもしれない。
逆に「家に帰ったら宿題をしないと気がすまない」性格は、もしかしたら長所ではないかもしれない。親としてはすばらしい長所に思えても、将来を考えると、逆に不利かもしれない。
つまり、要は親の見方だ。そういう目で見れば、宿題をしてなくても平気で遊べる子が、頼もしく見えてくるだろう。
親が子どもを見るときに「直すべき短所」と否定してしまうのではなく、「ちょっと別の角度から見る」ことは大切だ。短所は長所の裏返しであり、無理に矯正してしまうことで、子どもの長所を奪っているかもしれないのだから。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20090529/156491/?P=3
2009年06月18日
ネズミが世界を救う/世界とつながるニュース.24
NHKで毎週水曜日深夜に放送されているチェンジメーカー。
昨日は地雷を探し当てるネズミたちと、社会起業家の男性が取り上げられていました。
モザンビークの野原をとことこ走るネズミ君。
彼ら彼女らには一匹ずつ名前が付けられています。
ジーコ(左)とアラン(右)
バートさんがタンザニアの研修センターで赤ちゃんの時から育て上げた人懐っこいこのネズミたちは
NPOのアポポの研修センターで決められたトレーナーの手によって大切に育てられているそうです。

★APOPOのオフィシャルサイト http://www.herorat.org/ja
ネズミは匂いに敏感で、地雷に含まれる火薬を嗅ぎ分けます。
体重は1kg程度なので地雷を踏んでも爆発することはなく、
器械と違って呼称もないし、アフリカのたいていの場所に棲んでいる。
そして、器械よりも地雷除去の確率が高い。
これまでにアポポの活動で事故が起こったことはまったくないそうです。
「途上国」が「先進国」に依存せずに活動できるし、
その上現地の雇用の拡大にもつながるこの事業、
南北問題を解決する一つのひな形に違いありません。
このパーフェクトな問題解決型の事業システムを発想し、実現したのがベルギー人のもと工業デザイナー、バートさん。
アラフォー世代ののこの方は、ものを売るためのデザインの仕事に疑問を持ちはじめ、一時、引きこもっていたそうです。
若い頃の写真を見るとパンクっぽい。番組ではsex pistols がBGMで流れていたので、たぶんこの人は
そういうタイプの方だったのでしょう。

バートさんを支えてきたのはミックさん。彼の恩師です。
「目標を言葉にしなさい」ミックさんは行ったそうです。
自分の考えや夢を周りの人に話していれば、共感する人が集まってきて、自然と物事がうまく運びだす。
解説者の井上英之さん(慶応義塾大学専任講師)は次のようにコメントしていました。
「重要なのは励ましキャピタリストの存在です。誰かのアイディアに対して問題点を指摘する前に、まず、
それは素晴らしいアイディアだね、と肯定してあげる人。社会を変えてたい、そう思っているチェンジメーカーに
必要なのは、そういう理解者の存在です」
バートさんがこの事業を立ち上げてから14年経ったいま、物事は順調に動いています。
ですが、ここにくるまでのプロセスでは当然、様々な障害を乗り越えてきたそうです。

ネズミが火薬を嗅ぎ分けることを確信したバートさんは事業化にあたって必要な資金を確保するために
NGOや企業を回りはじめましたが、「そんなバカな事ができる分けないだろ」とほとんど相手にされずにいました。
それでも彼はあきらめませんでした。なぜなら彼には確信があったからです、
それからミックさんのような理解者もいました。
ペットショップで公開実験をやって、このプランの実現可能性をアピールし、研究者や著名人にアプローチして
彼は徐々に賛同者を増やしていったそうです。
ベルギー政府やEU、世界銀行、企業、個人の寄付でこの事業は運営されていて、アメリカ軍も部分的なサポートをしたことがあります。

現在では地雷に続く偉大なプロジェクトが進行中。
なんと結核の検査をネズミくんたちにやってもらおうというものです。
(すでに病院の検査が見落とした517人の患者をすでにネズミくんが発見しています。)

「弱虫は強い」
これがバートさんの信念です。
「弱い人、失敗したり、つまずいたことのある人は他人の弱さを理解できる。
そして、その人のために、自分のために何ができるか考えることができる」
「社会のプレッシャーにつぶされちゃいけない。あなたの視点で問題点を見つけ出してそれを実現しよう」
そう言う意味のことを番組で言っていました。
リポーターの谷村春香さんは大学生でしょうか、若くてカワイイ女の子です。
彼女はこう言っていました。
「才能じゃなくて、思いなんですね」
バートさんには独自の感性と世界観があるはずですが、この事業を成功に導いたのは持って生まれた彼の才能ではなく、
こうしたら社会がもっとよくなるんじゃないかという問題意識と成し遂げたいという情熱、それから人を巻き込む
人間性だったのではないでしょうか。
昨日紹介させていただいたカポエイラアカデミー沖縄のベンジャミンさんが言っているように「思いはかなう」。
可能性が誰にでもあることを、そして、いまの現実が多くの現実の一つに過ぎないことを訴えかけてくれた番組でした。
「アホな発想が世界を変える」解説者の井上さんはそうも言っていました。
昨日は地雷を探し当てるネズミたちと、社会起業家の男性が取り上げられていました。
モザンビークの野原をとことこ走るネズミ君。
彼ら彼女らには一匹ずつ名前が付けられています。
ジーコ(左)とアラン(右)
バートさんがタンザニアの研修センターで赤ちゃんの時から育て上げた人懐っこいこのネズミたちは
NPOのアポポの研修センターで決められたトレーナーの手によって大切に育てられているそうです。
★APOPOのオフィシャルサイト http://www.herorat.org/ja
ネズミは匂いに敏感で、地雷に含まれる火薬を嗅ぎ分けます。
体重は1kg程度なので地雷を踏んでも爆発することはなく、
器械と違って呼称もないし、アフリカのたいていの場所に棲んでいる。
そして、器械よりも地雷除去の確率が高い。
これまでにアポポの活動で事故が起こったことはまったくないそうです。
「途上国」が「先進国」に依存せずに活動できるし、
その上現地の雇用の拡大にもつながるこの事業、
南北問題を解決する一つのひな形に違いありません。
このパーフェクトな問題解決型の事業システムを発想し、実現したのがベルギー人のもと工業デザイナー、バートさん。
アラフォー世代ののこの方は、ものを売るためのデザインの仕事に疑問を持ちはじめ、一時、引きこもっていたそうです。
若い頃の写真を見るとパンクっぽい。番組ではsex pistols がBGMで流れていたので、たぶんこの人は
そういうタイプの方だったのでしょう。
バートさんを支えてきたのはミックさん。彼の恩師です。
「目標を言葉にしなさい」ミックさんは行ったそうです。
自分の考えや夢を周りの人に話していれば、共感する人が集まってきて、自然と物事がうまく運びだす。
解説者の井上英之さん(慶応義塾大学専任講師)は次のようにコメントしていました。
「重要なのは励ましキャピタリストの存在です。誰かのアイディアに対して問題点を指摘する前に、まず、
それは素晴らしいアイディアだね、と肯定してあげる人。社会を変えてたい、そう思っているチェンジメーカーに
必要なのは、そういう理解者の存在です」
バートさんがこの事業を立ち上げてから14年経ったいま、物事は順調に動いています。
ですが、ここにくるまでのプロセスでは当然、様々な障害を乗り越えてきたそうです。
ネズミが火薬を嗅ぎ分けることを確信したバートさんは事業化にあたって必要な資金を確保するために
NGOや企業を回りはじめましたが、「そんなバカな事ができる分けないだろ」とほとんど相手にされずにいました。
それでも彼はあきらめませんでした。なぜなら彼には確信があったからです、
それからミックさんのような理解者もいました。
ペットショップで公開実験をやって、このプランの実現可能性をアピールし、研究者や著名人にアプローチして
彼は徐々に賛同者を増やしていったそうです。
ベルギー政府やEU、世界銀行、企業、個人の寄付でこの事業は運営されていて、アメリカ軍も部分的なサポートをしたことがあります。
現在では地雷に続く偉大なプロジェクトが進行中。
なんと結核の検査をネズミくんたちにやってもらおうというものです。
(すでに病院の検査が見落とした517人の患者をすでにネズミくんが発見しています。)
「弱虫は強い」
これがバートさんの信念です。
「弱い人、失敗したり、つまずいたことのある人は他人の弱さを理解できる。
そして、その人のために、自分のために何ができるか考えることができる」
「社会のプレッシャーにつぶされちゃいけない。あなたの視点で問題点を見つけ出してそれを実現しよう」
そう言う意味のことを番組で言っていました。
リポーターの谷村春香さんは大学生でしょうか、若くてカワイイ女の子です。
彼女はこう言っていました。
「才能じゃなくて、思いなんですね」
バートさんには独自の感性と世界観があるはずですが、この事業を成功に導いたのは持って生まれた彼の才能ではなく、
こうしたら社会がもっとよくなるんじゃないかという問題意識と成し遂げたいという情熱、それから人を巻き込む
人間性だったのではないでしょうか。
昨日紹介させていただいたカポエイラアカデミー沖縄のベンジャミンさんが言っているように「思いはかなう」。
可能性が誰にでもあることを、そして、いまの現実が多くの現実の一つに過ぎないことを訴えかけてくれた番組でした。
「アホな発想が世界を変える」解説者の井上さんはそうも言っていました。
2009年06月15日
世界を変える環境ビジネス/世界とつながるニュース .23
はじめの一歩は突然やってくる。
はじめの一歩はいつも静かで
はじめの一歩はとても小さい。
「ドイツでは2000年の環境分野における雇用規模が約130万人で、機械製造業の約115万人、食品関連産業の約100万人を上回ったとされている。(記事より抜粋)」
アメリカで、ドイツで、進んでいます、構造変化。
好ましいと思える船には乗ってみたいものです。
以下のニュース、WIRED VISIONから引用させていただきました。
WIRED VISION 2009年6月12日
各国の環境ビジネス雇用状況:製造・食品業を超える国も
ソーラーパネルを設置する労働者。 flickr/OregonDOT(運輸省)
米国では、1998年から2007年の10年間において、グリーンジョブ(環境関連雇用)の増加率が、ほかの職種を250%近く上回っている。グリーンジョブが9.1%増なのに対し、労働市場全体では3.7%しか成長していない。
非営利団体Pew Charitable Trustsが6月10日付で出した報告によると、現在、米国のグリーンジョブ関連雇用者数はおよそ77万人で、採用企業は約6万8200社にまで広がっている。
たしかにこの数は、米国の労働者数全体からするとほんの一部かもしれない。しかし、採炭や公益サービス[ガスや電気]、大手石油会社など従来型のエネルギー分野が雇用している127万人に、規模としてはすでに接近しつつある。また、雇用の創出という意味において、バイオテクノロジーをはるかに上回っている。バイオテクノロジーは(歴史の長さと投資額こそ勝っているものの)、雇用者数は約20万人しかない。
今回の報告は、政府の予測や業界団体の推定の多くとは異なり、産業ごとではなく各人の職種をカウントしている。つまり、実際にソーラーパネルの設置を行なっている電気工だけが、「グリーンカラー」の電気工としてカウントされているわけだ。従って、他の数字よりは少ないが、正確だと言う。
このグリーンジョブは、経済再生とエネルギー転換に向けてオバマ米大統領が打ち出した計画の柱だ。製造業の雇用者数はこの10年間、毎年数パーセントの減少が続いている。ホワイトハウスのサイト「Whitehouse.gov」にある、課題を整理したページのなかで、オバマ政権は「収入がよく、アウトソースができないような、新たなグリーンジョブの拡大を促進」したいと述べている。
Pew Charitable Trustsによる今回の報告では、現在存在しているグリーンジョブの大半はクリーンエネルギー分野のものではないことが示されている。既存のグリーンジョブの65%は、リサイクルを含む「保全と汚染緩和」というカテゴリーに分類されるものだという。
つまり、従来型のエネルギー企業で雇用の削減があるとしても、クリーンエネルギー分野には雇用拡大の余地が大きく残されているということになる。現在の規模は小さいのだ。2007年、米国の「クリーンエネルギー」分野に限定した雇用者数はわずか8万9000人だった。
さらに最近の調査では、リニューアブル・エネルギー(持続的利用可能エネルギー)で、温室効果ガス排出量と化石燃料依存の現状に本当に影響を与えようと思うのならば、大量の人的資源が必要になることが指摘されている。
カリフォルニア大学バークレー校公共政策大学院(Goldman School of Public Policy)の研究チームは、リニューアブル・エネルギー産業は従来の化石燃料事業よりも大きな労働力を要することを示した。
この報告では、「産出される単位エネルギーあたり(平均メガワットあたりなど)でみると、幅広いさまざまなシナリオを通じて、化石燃料をベースとするエネルギー分野よりもリニューアブル・エネルギー分野の方が多くの雇用を生み出す」と述べられている。
[日本の環境白書(平成14年、2002年版)によれば、ドイツでは2000年の環境分野における雇用規模が約130万人で、機械製造業の約115万人、食品関連産業の約 100万人を上回ったとされている。また、米国のリサイクル・リユース産業においては、自動車製造業に匹敵する約112万人の雇用が創出されているという。
日本の2000年の環境関連雇用は76万9000人だったが、環境大臣は今年4月に「緑の経済と社会の変革」を発表。これが実施されると、環境ビジネスの市場規模は70兆円(2006年)から120兆円(2020年)、雇用は140万人から280万人に拡大する見通しという]
[日本語版:ガリレオ-緒方 亮/合原弘子]
WIRED VISIONhttp://wiredvision.jp/
2009年06月11日
ノギャル&イケてる農業/世界とつながるニュース.22
革命家的ビジネスパーソン / 世界とつながるニュース.18http://rogers.ti-da.net/e2365819.html
の引用記事中でも紹介されていた農ギャル/ノギャルのニュースをお届けします。
Natsuko companyさんが今日のブログhttp://giborin.ti-da.net/e2446710.htmlでも取り上げていたノギャル。
いま、農業の現場からも霞ヶ関からも熱い注目を集めています。
ギャルのカリスマ藤田志穂さんらの取り組み、
話題性抜群でビジネスの香りも十分すぎるほど漂ってはいますが、
彼女自身の取り組みは単なる話題性を超えた真摯なもの。
そう信じたくなるニュースです。

ロージャースのスタッフです。藤田さんではありません。
秋田経済新聞 2009年03月13日
元ギャル社長・藤田志穂さんが「ノギャル」に-秋田で「イケてる農業」目指す
秋田で「ノギャル」プロジェクトを発表した藤田志穂さん(中)と板橋瑠美さん(左)、ギャルモデルの今泉宏美さん。秋田市内のホテルで
東京・渋谷を中心にギャルの動向調査などを手掛けるマーケティング会社「SGR」(東京都渋谷区)の元ギャル社長・藤田志穂さんが3月13日、秋田市立体育館(秋田市八橋本町)で行われたファッションイベント会場で、農業プロジェクト「ノギャル」を秋田で始めると発表した。
これまでにも「エコ啓発」や「エイズ予防」などの企画を立ち上げてきた藤田さんの新企画のコンセプトは、「イケてる農業」。「若者が農業に携わるきっかけづくり」(藤田さん)にしようと、人気ブロガーでギャルママモデルの板橋瑠美さんと、ギャルモデルの今泉宏美さんの3人で稲作や野菜づくりに取り組むほか、渋谷のギャルやギャルママを中心に「農業体験ツアー」の企画やアパレルメーカーとの提携で、「イケてる農作業着」のプロデュースも行う。
新潟で稲作農業を営んでいた祖父を持つ藤田さんは「田舎に帰る度、田んぼにオタマジャクシやカエルを取りに行ったり、祖母と裏山に大根や山菜を採りに行ったりした」が、中学生のころ祖父が亡くなり、「農業を継ぐ家族がいないまま田んぼが荒れていく状態に寂しさを感じた」という。
その後、農業従事者の高齢化などを理由に休耕田が増えていることや、日本の食糧自給率が諸外国に比べて特に低いことなどを知った藤田さんは「自分たちが食べる食材をもっと自分たちで賄える環境にしたい」と、ギャルが農業に取り組むプロジェクト「ノギャル」を発案。
「若者が農業に興味を持つきっかけを作ることで、農業自体を盛り上げることが今の日本には必要」とする同企画に賛同する全国の農家からオファーを受けた藤田さん。秋田を選んだ理由については「渋谷駅前の『ハチ公』像のふるさとだから」と話す。
3人は「やってみないとわからない。リアルに体験することが大事なので、まず自分たちが取り組むことで、農業の魅力を見つけながら発信していければ」と口をそろえる。
3月下旬から大潟村でコメ作りを始め、今秋、「渋谷米」として商品化を目指す。
http://akita.keizai.biz/headline/614/

Fuji Sankei Business i. 2009年5月27日
【日本の「食」を守れ】(14)ギャル米、芸能事務所のアミューズ おしゃれに農業
「あきたこまち」の産地である秋田県大潟村の水田に23日、見た目には農業とは不釣り合いのギャルたちが田植えをする姿があった。東京・渋谷の10代後半から20代のギャルたちが、農業の担い手となり、食料自給率アップを目指すという風変わりなプロジェクトだ。
農家の手ほどきを受けながら秋田でコメ作りに挑戦し、今秋にはギャル米ならぬ「シブヤ米」を収穫し、商品化する。アパレルメーカーやファッションモデルの協力を得て、農作業に向いたおしゃれな服作りや、ギャルママが子供と一緒に参加できる農業体験イベントも企画している。
仕掛け人は、「ギャル文化」を社会に理解してもらおうと活動する藤田志穂さん(24)だ。自身のブログで、「いきなりギャルが農業を始めるとゆーのは難しいけど、何かキッカケを作ることで農業自体がもりあがっていけたら」とプロジェクトの狙いをつづる。ブログを通じて共感したギャルたちに、「おしゃれに農業」の輪が広がる。
■ ■
流行に敏感な芸能事務所も、農業に照準を合わせ始めている。サザンオールスターズや福山雅治さんらが所属するアミューズ(東京都渋谷区)は4月、農業を行う新しい部門を立ち上げた。多くの芸能人らを抱えるだけに、「ファンや若者に食の豊かさを伝えたい」と、取締役の市毛るみ子さんは食育に意欲を燃やす。
アミューズは昨夏、千葉県南房総市の休耕地を借りて農業を始めた。所属する若手俳優の春日由輝さん(22)らが週1、2回、農作業に通う。大根やレタスなど野菜作りに奮闘する姿をブログなど公開している。
アミューズの農業進出の狙いは、「農業体験をテレビで発信するだけではなく、新たなビジネスにつなげる」ことにある。俳優らが畑で奮闘する姿は、視聴者の心を確実にとらえる。所属女優の上野樹里さん(23)が案内役を務め、1月からテレビ東京で放送中の農業番組「畑のうた」は予想外の高視聴率を記録した。9月までの放送延長が決まり、スポンサーも増えた。
番組効果でアミューズの農業の認知度が高まり、農家や流通、販売会社から問い合わせも来ているという。市毛さんは「このネットワークを生かし、新たな流通システムを構築していきたい」と、可能性を探る。
■ ■
インターネットや携帯電話のブログを通じて伝わるシブヤ米のギャルや女優、タレントの活動は、若者たちのライフスタイルや生き方に大きな影響を与える。共感する若者が増えれば、農業を変える大きな力になるかもしれない。企業が国産ブランドにめざめ、自然食レストランや有機野菜の宅配の動きが自然体で広がっている。個人の農業回帰の動きも力強い。
制度面でも、農業生産法人だけでなく、一般企業や個人が農地を借りられるようにして、新たに農業参入する担い手たちを支援する農地法改正作業が、大詰めを迎えている。農業人口の増加や耕作放棄地の解消につながると期待されている。
ただ、「戦後最大の農地法改正」(農林水産省)も、日本では赤字でも細々と農業を続ける高齢世帯が多く、「農地を集めて集積化するのは容易ではない」(東大大学院教授の鈴木宣弘さん)現実がある。
農家の高齢化は限界に近づいており、丸紅経済研究所所長の柴田明夫さんは「日本の農業があと3〜5年もつのかという危機感がある」と警告する。元気な担い手たちの芽を育てるには、目に見えない規制や障壁を取り除く、日本の将来を見据えた国民的議論が必要かもしれない。
◇
http://www.business-i.jp/news/flash-page/news/200905270123a.nwc
の引用記事中でも紹介されていた農ギャル/ノギャルのニュースをお届けします。
Natsuko companyさんが今日のブログhttp://giborin.ti-da.net/e2446710.htmlでも取り上げていたノギャル。
いま、農業の現場からも霞ヶ関からも熱い注目を集めています。
ギャルのカリスマ藤田志穂さんらの取り組み、
話題性抜群でビジネスの香りも十分すぎるほど漂ってはいますが、
彼女自身の取り組みは単なる話題性を超えた真摯なもの。
そう信じたくなるニュースです。
ロージャースのスタッフです。藤田さんではありません。
秋田経済新聞 2009年03月13日
元ギャル社長・藤田志穂さんが「ノギャル」に-秋田で「イケてる農業」目指す
秋田で「ノギャル」プロジェクトを発表した藤田志穂さん(中)と板橋瑠美さん(左)、ギャルモデルの今泉宏美さん。秋田市内のホテルで
東京・渋谷を中心にギャルの動向調査などを手掛けるマーケティング会社「SGR」(東京都渋谷区)の元ギャル社長・藤田志穂さんが3月13日、秋田市立体育館(秋田市八橋本町)で行われたファッションイベント会場で、農業プロジェクト「ノギャル」を秋田で始めると発表した。
これまでにも「エコ啓発」や「エイズ予防」などの企画を立ち上げてきた藤田さんの新企画のコンセプトは、「イケてる農業」。「若者が農業に携わるきっかけづくり」(藤田さん)にしようと、人気ブロガーでギャルママモデルの板橋瑠美さんと、ギャルモデルの今泉宏美さんの3人で稲作や野菜づくりに取り組むほか、渋谷のギャルやギャルママを中心に「農業体験ツアー」の企画やアパレルメーカーとの提携で、「イケてる農作業着」のプロデュースも行う。
新潟で稲作農業を営んでいた祖父を持つ藤田さんは「田舎に帰る度、田んぼにオタマジャクシやカエルを取りに行ったり、祖母と裏山に大根や山菜を採りに行ったりした」が、中学生のころ祖父が亡くなり、「農業を継ぐ家族がいないまま田んぼが荒れていく状態に寂しさを感じた」という。
その後、農業従事者の高齢化などを理由に休耕田が増えていることや、日本の食糧自給率が諸外国に比べて特に低いことなどを知った藤田さんは「自分たちが食べる食材をもっと自分たちで賄える環境にしたい」と、ギャルが農業に取り組むプロジェクト「ノギャル」を発案。
「若者が農業に興味を持つきっかけを作ることで、農業自体を盛り上げることが今の日本には必要」とする同企画に賛同する全国の農家からオファーを受けた藤田さん。秋田を選んだ理由については「渋谷駅前の『ハチ公』像のふるさとだから」と話す。
3人は「やってみないとわからない。リアルに体験することが大事なので、まず自分たちが取り組むことで、農業の魅力を見つけながら発信していければ」と口をそろえる。
3月下旬から大潟村でコメ作りを始め、今秋、「渋谷米」として商品化を目指す。
http://akita.keizai.biz/headline/614/
Fuji Sankei Business i. 2009年5月27日
【日本の「食」を守れ】(14)ギャル米、芸能事務所のアミューズ おしゃれに農業
「あきたこまち」の産地である秋田県大潟村の水田に23日、見た目には農業とは不釣り合いのギャルたちが田植えをする姿があった。東京・渋谷の10代後半から20代のギャルたちが、農業の担い手となり、食料自給率アップを目指すという風変わりなプロジェクトだ。
農家の手ほどきを受けながら秋田でコメ作りに挑戦し、今秋にはギャル米ならぬ「シブヤ米」を収穫し、商品化する。アパレルメーカーやファッションモデルの協力を得て、農作業に向いたおしゃれな服作りや、ギャルママが子供と一緒に参加できる農業体験イベントも企画している。
仕掛け人は、「ギャル文化」を社会に理解してもらおうと活動する藤田志穂さん(24)だ。自身のブログで、「いきなりギャルが農業を始めるとゆーのは難しいけど、何かキッカケを作ることで農業自体がもりあがっていけたら」とプロジェクトの狙いをつづる。ブログを通じて共感したギャルたちに、「おしゃれに農業」の輪が広がる。
■ ■
流行に敏感な芸能事務所も、農業に照準を合わせ始めている。サザンオールスターズや福山雅治さんらが所属するアミューズ(東京都渋谷区)は4月、農業を行う新しい部門を立ち上げた。多くの芸能人らを抱えるだけに、「ファンや若者に食の豊かさを伝えたい」と、取締役の市毛るみ子さんは食育に意欲を燃やす。
アミューズは昨夏、千葉県南房総市の休耕地を借りて農業を始めた。所属する若手俳優の春日由輝さん(22)らが週1、2回、農作業に通う。大根やレタスなど野菜作りに奮闘する姿をブログなど公開している。
アミューズの農業進出の狙いは、「農業体験をテレビで発信するだけではなく、新たなビジネスにつなげる」ことにある。俳優らが畑で奮闘する姿は、視聴者の心を確実にとらえる。所属女優の上野樹里さん(23)が案内役を務め、1月からテレビ東京で放送中の農業番組「畑のうた」は予想外の高視聴率を記録した。9月までの放送延長が決まり、スポンサーも増えた。
番組効果でアミューズの農業の認知度が高まり、農家や流通、販売会社から問い合わせも来ているという。市毛さんは「このネットワークを生かし、新たな流通システムを構築していきたい」と、可能性を探る。
■ ■
インターネットや携帯電話のブログを通じて伝わるシブヤ米のギャルや女優、タレントの活動は、若者たちのライフスタイルや生き方に大きな影響を与える。共感する若者が増えれば、農業を変える大きな力になるかもしれない。企業が国産ブランドにめざめ、自然食レストランや有機野菜の宅配の動きが自然体で広がっている。個人の農業回帰の動きも力強い。
制度面でも、農業生産法人だけでなく、一般企業や個人が農地を借りられるようにして、新たに農業参入する担い手たちを支援する農地法改正作業が、大詰めを迎えている。農業人口の増加や耕作放棄地の解消につながると期待されている。
ただ、「戦後最大の農地法改正」(農林水産省)も、日本では赤字でも細々と農業を続ける高齢世帯が多く、「農地を集めて集積化するのは容易ではない」(東大大学院教授の鈴木宣弘さん)現実がある。
農家の高齢化は限界に近づいており、丸紅経済研究所所長の柴田明夫さんは「日本の農業があと3〜5年もつのかという危機感がある」と警告する。元気な担い手たちの芽を育てるには、目に見えない規制や障壁を取り除く、日本の将来を見据えた国民的議論が必要かもしれない。
◇
http://www.business-i.jp/news/flash-page/news/200905270123a.nwc
2009年06月08日
歴史的建造物と文脈なきハリボテ/世界とつながるニュース.21
MediaSabor 2009年5月18日
歴史刻み“現役”で“愛される”建造物は地域の誇り
― 修復・保存、活用が理念のナショナルトラスト運動が日本で育つか
旅行新聞新社 編集部 増田 剛

長らく日本の観光地の発想は、「何もないところに何かを創る」ことだった。
1987年に発足した竹下内閣の「ふるさと創生事業」(自ら考え自ら行う地域づくり事業)はその一つの象徴といえる。全国約3300の市区町村に1億円が均等に配られた。が、しかしバブル期の真只中という時代的なムードも手伝ってか、現存する歴史的建造物の修復・保存への活用というよりも、全国各地に得体の知れない産物が突如として現れた。調べ出すと切りがないほど「○○日本一」「世界一の○○」というモニュメントなどが生まれたが、哀しいことに、アイデアの元となる切り口の均質さが際立った。これら「ぽっと出」の物語性を無視した観光素材に地元の人たちは誇りを感じることもなく、愛することもなかった。遠来の旅行者のリピータ―化も望むべくもなく、多くのものが瞬く間に風化していった……。
その後空前のバブル経済が崩壊。その間にも海外旅行が日常化し、エジプトや南米、ヨーロッパなどの世界遺産を鑑賞し、バリ島やモルジブなどのリゾート地に滞在する人が増えたことによって、日本各地に脈絡無く散在する“張りぼて”の観光素材が急速に色褪せ、陳腐化していった。その代わり、ささやかであっても、世界中どこを探してもそこにしかない自然や、歴史、人々の生活の営み、文化に、価値を見出す人たちが増えていった。東京ディズニーリゾートを除く多くのレジャー施設が軒並み苦戦する一方で、「世界遺産をめぐる旅」が、相変わらず人気を博していることも、日本人がこれまでにあまり意識しなかった自分たちの自然の素晴らしさや文化、歴史的な建物への関心の高さを物語っているのかもしれない。

海外を見渡せば、競技場や劇場も改修しながら保存・活用している。十分に歴史的な建造物でありながら、市民や国民に愛され続ける例として競技場や劇場はわかりやすい。サッカーや野球のホームスタジアムでは100年前、50年前の伝説的な名選手の落書きやサインがロッカールームやスタジアムの壁に残っていたり、歴史的な名勝負が行われた場所として地元の人々によって愛され、語り継がれ、誇りとして存在し続けるところも多い。建造物ではないが、100年以上の歴史を刻む欧州や南米のサッカークラブや米国の大リーグのチームなどは地域の誇りとして、過去の歴史や栄光を誇りとして、例え街を離れることになっても応援し続けている。それら文化的な伝統も消滅するとなれば、大変な騒ぎになるだろう。
劇場だってそうだ。パリのガルニエ宮やローマのオペラ座、黒人文化の象徴的存在としてビリー・ホリデイやジェームス・ブラウンらを輩出したニューヨーク・ハーレムのアポロ・シアターなど、伝説的なシーンが語り継がれ、今もその舞台に立つことは俳優や演奏者にとって何よりの名誉であり、誇りである。これら歴史的な劇場には世界中から観光客が訪れ、劇場の前では畏敬の念を持って見上げる。
しかし、日本では――。風格があり、個人的にも好きだった東京・銀座の歌舞伎座も取り壊され、最新のガラス張りの高層複合ビルの一角に組み込まれる計画が発表された。大相撲の殿堂「両国国技館」だって、1985年設立で建物の歴史は25年程度。大相撲の長い歴史に比べ、風格を感じさせるまでの歴史を刻んでいない。
日本では歴史的な名勝負の舞台となったスタジアムや、劇場が“現役”として幾つ残っているだろうか。高校野球の聖地であり、熱狂的な阪神タイガースの名勝負の舞台として蔦が絡まる甲子園球場(改修後も蔦を絡ませる)ぐらいしか思い浮かばない。甲子園球場は関西の人だけでなく、多くの日本人がその存在を誇りに思っているのではないだろうか。2016年の東京五輪招致のために、東京・晴海に約1000億円をかけて新スタジアムが建設されるようだが、前回の1964年の東京五輪のメイン舞台として歴史を刻んだ国立霞ヶ丘陸上競技場は「老朽化」が指摘されているものの、さまざまな歴史を持った稀有なスタジアムであることは間違いない。東京マラソンのゴールシーンでのデッドヒート場面、ラグビーや高校サッカーの聖地として、さらにはW杯をかけたサッカー日本代表の決死の名勝負、名場面などがずっしりと詰まっているスタジアムだ。
劇場では規模は小さいが、福岡県飯塚市の嘉穂劇場なども存在感が光っている。炭坑夫たちの希望であり、かつては美空ひばりや力道山らスターが公演し、現在でも中村勘三郎さんや椎名林檎さんなど、錚々たるスターが舞台を彩る。多くの人が集い利用し、愛される歴史的建造物といえば、愛媛県松山市の道後温泉の共同浴場「道後温泉本館」(重要文化財)は今も市民や日本全国の観光客に愛され、使用されている。夏目漱石も入った「道後温泉本館」が仮にも取り壊され、無くなったとしたら……と想像すると、文化的な意味でも大きな損失に思えてならない。

旅の途中で、その街の歴史や文化を物語る古い建造物が今も現役で活躍している姿を目撃したときに、思わず嬉しくなる。「地域の人たちに愛されているんだな」と思う。寺院でも教会でも町家でも土塀でもなんでもいい。そこに歴史を刻むものがあれば、街に住み、通りを歩く人たちの文化の豊かさや香りのようなものが感じられる。逆に、歴史の痕跡や街の記憶が消失した街は、あまりに無機質で寂しい。もちろん、最新施設を建てる努力も必要だろう。しかし、歴史的な建造物を残す努力も同じように必要だと思う。竹下内閣の「ふるさと創生事業」のような地域起こしの予算が近い将来、国から地方に配られることもあるかもしれない。そのときには、日本全国どこにでもある均質的なものを造る以外に、個性ある建造物を修復・保存するための予算を確保する考えも持ち合わせてほしいと思う。
古くたっていい。多少使いづらくたっていいではないか、と思う。修復を繰り返しながら、そこに誇りとなる歴史、個性ある文化が存在することが、地元からの若者流出を食い止める力となり、また、一度外に出た人間が地元に戻る求心力になるのではないか。政府の人口推計によると、2050年には日本の人口は9000万人になるという。今後40年間で東京都3つ分の人口が消失する計算だ。しかし、消失するのは東京ではなく、そのほとんどが地方の市町村だ。このままでは日本各地で荒廃した寂しい風景が増えてしまうのが目に浮かぶようだ。
美しい自然景観や貴重な文化財・歴史的な環境を保全し、活用しながら後世に継承していくことを理念として活動している「日本ナショナルトラスト」という団体がある。1968年に設立された市民参加型組織で、白川郷合掌造り民家や旧安田楠雄邸など全国で12件の保護資産を持っている。40年という月日を経ながらその事業規模は小さく、日本でナショナルトラスト運動が根付いているとは現状ではいえない。年間収入は経常ベースで1億円未満。職員は4人という。現在、東京都文京区の民家に事務机を入れて仕事をしている。常時個人・団体会員を募集しているが、大きな飛躍は今のところ見られない。一方、大先輩格である英国のナショナルトラストは年間収入が500億円、繰越金が1000億円規模という。歴史的建造物の保護などを基盤とし、さまざまなブランド戦略による事業収入も莫大で、大きな経済効果をあげている。

西村幸夫・東京大学教授は「英国のナショナルトラストは1895年に設立されたが40年経った1935年の時点では、今の日本のナショナルトラストの会員数と大差ない状況だった。英国でも大きくテイクオフしたのは、設立から60年以上経ってからで、かなり長い間苦労の段階があった。時間はかかるが、あるところまでくると、『知らない人がおかしい』という雰囲気に変わり突然テイクオフする。そこまで挫けないで頑張って活動を続けてほしい」とエールを送る。
その日本ナショナルトラストが4月20日に東京国立博物館平成館大講堂で設立40周年記念シンポジウムを開いた。基調講演では京町家の保存・再利用などに精力的に取り組んでいるアレックス・カー氏が登壇した。カー氏は、地方では普通の民家でも価値のあるものが多く存在するが、そのほとんどが「利便性が悪い」「現代的でない」などの理由で日々、壊されている日本の田舎の現状を悲観する一方、欧米に比べ古い建物の修復技術や情報が普及していないことを指摘した。また、日本では「○○記念館」として凍結した形で保存しがちだが、「欧米のようにレストランや宿泊施設などさまざまな用途での活用が望ましい」と話した。最近の動きでは、スターバックスが今年3月、復元ではあるものの神戸市の異人館エリアの「北野物語館」に「スターバックスコーヒー 神戸北野異人館店」を出店するなど新たな動きが出てきた。また、沖縄県石垣島でも古民家を活用したロングステイビジネスを開始しているが、このように、その土地の古い民家や歴史を刻んだ建造物の活用が今後さらに活発化することで、地域活性化にもつながる可能性が広がる。

地方で生まれ育ち、やがて町を捨て東京に出るのも一つの選択肢。だが、町を離れて数年後、数十年後になって、たぶん客観的に自分の生まれた町を見つめ直す時期が来る。愛着のある建造物や歴史的な文化が残っていればなおさらだ。だが、今も刻一刻と全国で過疎化が進行している。「歴史ある建物を取り壊さず活用する」ことで、新たなビジネスに活路を見出す人が全国各地に現れてほしい、と思う。そのとき、日本の観光もこれまでとは違った局面に様変わりすることだろう。
歴史と愛着が刻み込まれた建造物と、泡のように吹けば飛ぶようなハリボテ建造物。
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歴史刻み“現役”で“愛される”建造物は地域の誇り
― 修復・保存、活用が理念のナショナルトラスト運動が日本で育つか
旅行新聞新社 編集部 増田 剛
長らく日本の観光地の発想は、「何もないところに何かを創る」ことだった。
1987年に発足した竹下内閣の「ふるさと創生事業」(自ら考え自ら行う地域づくり事業)はその一つの象徴といえる。全国約3300の市区町村に1億円が均等に配られた。が、しかしバブル期の真只中という時代的なムードも手伝ってか、現存する歴史的建造物の修復・保存への活用というよりも、全国各地に得体の知れない産物が突如として現れた。調べ出すと切りがないほど「○○日本一」「世界一の○○」というモニュメントなどが生まれたが、哀しいことに、アイデアの元となる切り口の均質さが際立った。これら「ぽっと出」の物語性を無視した観光素材に地元の人たちは誇りを感じることもなく、愛することもなかった。遠来の旅行者のリピータ―化も望むべくもなく、多くのものが瞬く間に風化していった……。
その後空前のバブル経済が崩壊。その間にも海外旅行が日常化し、エジプトや南米、ヨーロッパなどの世界遺産を鑑賞し、バリ島やモルジブなどのリゾート地に滞在する人が増えたことによって、日本各地に脈絡無く散在する“張りぼて”の観光素材が急速に色褪せ、陳腐化していった。その代わり、ささやかであっても、世界中どこを探してもそこにしかない自然や、歴史、人々の生活の営み、文化に、価値を見出す人たちが増えていった。東京ディズニーリゾートを除く多くのレジャー施設が軒並み苦戦する一方で、「世界遺産をめぐる旅」が、相変わらず人気を博していることも、日本人がこれまでにあまり意識しなかった自分たちの自然の素晴らしさや文化、歴史的な建物への関心の高さを物語っているのかもしれない。
海外を見渡せば、競技場や劇場も改修しながら保存・活用している。十分に歴史的な建造物でありながら、市民や国民に愛され続ける例として競技場や劇場はわかりやすい。サッカーや野球のホームスタジアムでは100年前、50年前の伝説的な名選手の落書きやサインがロッカールームやスタジアムの壁に残っていたり、歴史的な名勝負が行われた場所として地元の人々によって愛され、語り継がれ、誇りとして存在し続けるところも多い。建造物ではないが、100年以上の歴史を刻む欧州や南米のサッカークラブや米国の大リーグのチームなどは地域の誇りとして、過去の歴史や栄光を誇りとして、例え街を離れることになっても応援し続けている。それら文化的な伝統も消滅するとなれば、大変な騒ぎになるだろう。
劇場だってそうだ。パリのガルニエ宮やローマのオペラ座、黒人文化の象徴的存在としてビリー・ホリデイやジェームス・ブラウンらを輩出したニューヨーク・ハーレムのアポロ・シアターなど、伝説的なシーンが語り継がれ、今もその舞台に立つことは俳優や演奏者にとって何よりの名誉であり、誇りである。これら歴史的な劇場には世界中から観光客が訪れ、劇場の前では畏敬の念を持って見上げる。
しかし、日本では――。風格があり、個人的にも好きだった東京・銀座の歌舞伎座も取り壊され、最新のガラス張りの高層複合ビルの一角に組み込まれる計画が発表された。大相撲の殿堂「両国国技館」だって、1985年設立で建物の歴史は25年程度。大相撲の長い歴史に比べ、風格を感じさせるまでの歴史を刻んでいない。
日本では歴史的な名勝負の舞台となったスタジアムや、劇場が“現役”として幾つ残っているだろうか。高校野球の聖地であり、熱狂的な阪神タイガースの名勝負の舞台として蔦が絡まる甲子園球場(改修後も蔦を絡ませる)ぐらいしか思い浮かばない。甲子園球場は関西の人だけでなく、多くの日本人がその存在を誇りに思っているのではないだろうか。2016年の東京五輪招致のために、東京・晴海に約1000億円をかけて新スタジアムが建設されるようだが、前回の1964年の東京五輪のメイン舞台として歴史を刻んだ国立霞ヶ丘陸上競技場は「老朽化」が指摘されているものの、さまざまな歴史を持った稀有なスタジアムであることは間違いない。東京マラソンのゴールシーンでのデッドヒート場面、ラグビーや高校サッカーの聖地として、さらにはW杯をかけたサッカー日本代表の決死の名勝負、名場面などがずっしりと詰まっているスタジアムだ。
劇場では規模は小さいが、福岡県飯塚市の嘉穂劇場なども存在感が光っている。炭坑夫たちの希望であり、かつては美空ひばりや力道山らスターが公演し、現在でも中村勘三郎さんや椎名林檎さんなど、錚々たるスターが舞台を彩る。多くの人が集い利用し、愛される歴史的建造物といえば、愛媛県松山市の道後温泉の共同浴場「道後温泉本館」(重要文化財)は今も市民や日本全国の観光客に愛され、使用されている。夏目漱石も入った「道後温泉本館」が仮にも取り壊され、無くなったとしたら……と想像すると、文化的な意味でも大きな損失に思えてならない。
旅の途中で、その街の歴史や文化を物語る古い建造物が今も現役で活躍している姿を目撃したときに、思わず嬉しくなる。「地域の人たちに愛されているんだな」と思う。寺院でも教会でも町家でも土塀でもなんでもいい。そこに歴史を刻むものがあれば、街に住み、通りを歩く人たちの文化の豊かさや香りのようなものが感じられる。逆に、歴史の痕跡や街の記憶が消失した街は、あまりに無機質で寂しい。もちろん、最新施設を建てる努力も必要だろう。しかし、歴史的な建造物を残す努力も同じように必要だと思う。竹下内閣の「ふるさと創生事業」のような地域起こしの予算が近い将来、国から地方に配られることもあるかもしれない。そのときには、日本全国どこにでもある均質的なものを造る以外に、個性ある建造物を修復・保存するための予算を確保する考えも持ち合わせてほしいと思う。
古くたっていい。多少使いづらくたっていいではないか、と思う。修復を繰り返しながら、そこに誇りとなる歴史、個性ある文化が存在することが、地元からの若者流出を食い止める力となり、また、一度外に出た人間が地元に戻る求心力になるのではないか。政府の人口推計によると、2050年には日本の人口は9000万人になるという。今後40年間で東京都3つ分の人口が消失する計算だ。しかし、消失するのは東京ではなく、そのほとんどが地方の市町村だ。このままでは日本各地で荒廃した寂しい風景が増えてしまうのが目に浮かぶようだ。
美しい自然景観や貴重な文化財・歴史的な環境を保全し、活用しながら後世に継承していくことを理念として活動している「日本ナショナルトラスト」という団体がある。1968年に設立された市民参加型組織で、白川郷合掌造り民家や旧安田楠雄邸など全国で12件の保護資産を持っている。40年という月日を経ながらその事業規模は小さく、日本でナショナルトラスト運動が根付いているとは現状ではいえない。年間収入は経常ベースで1億円未満。職員は4人という。現在、東京都文京区の民家に事務机を入れて仕事をしている。常時個人・団体会員を募集しているが、大きな飛躍は今のところ見られない。一方、大先輩格である英国のナショナルトラストは年間収入が500億円、繰越金が1000億円規模という。歴史的建造物の保護などを基盤とし、さまざまなブランド戦略による事業収入も莫大で、大きな経済効果をあげている。
西村幸夫・東京大学教授は「英国のナショナルトラストは1895年に設立されたが40年経った1935年の時点では、今の日本のナショナルトラストの会員数と大差ない状況だった。英国でも大きくテイクオフしたのは、設立から60年以上経ってからで、かなり長い間苦労の段階があった。時間はかかるが、あるところまでくると、『知らない人がおかしい』という雰囲気に変わり突然テイクオフする。そこまで挫けないで頑張って活動を続けてほしい」とエールを送る。
その日本ナショナルトラストが4月20日に東京国立博物館平成館大講堂で設立40周年記念シンポジウムを開いた。基調講演では京町家の保存・再利用などに精力的に取り組んでいるアレックス・カー氏が登壇した。カー氏は、地方では普通の民家でも価値のあるものが多く存在するが、そのほとんどが「利便性が悪い」「現代的でない」などの理由で日々、壊されている日本の田舎の現状を悲観する一方、欧米に比べ古い建物の修復技術や情報が普及していないことを指摘した。また、日本では「○○記念館」として凍結した形で保存しがちだが、「欧米のようにレストランや宿泊施設などさまざまな用途での活用が望ましい」と話した。最近の動きでは、スターバックスが今年3月、復元ではあるものの神戸市の異人館エリアの「北野物語館」に「スターバックスコーヒー 神戸北野異人館店」を出店するなど新たな動きが出てきた。また、沖縄県石垣島でも古民家を活用したロングステイビジネスを開始しているが、このように、その土地の古い民家や歴史を刻んだ建造物の活用が今後さらに活発化することで、地域活性化にもつながる可能性が広がる。
地方で生まれ育ち、やがて町を捨て東京に出るのも一つの選択肢。だが、町を離れて数年後、数十年後になって、たぶん客観的に自分の生まれた町を見つめ直す時期が来る。愛着のある建造物や歴史的な文化が残っていればなおさらだ。だが、今も刻一刻と全国で過疎化が進行している。「歴史ある建物を取り壊さず活用する」ことで、新たなビジネスに活路を見出す人が全国各地に現れてほしい、と思う。そのとき、日本の観光もこれまでとは違った局面に様変わりすることだろう。
株式会社旅行新聞新社
所在地:東京都千代田区外神田6-7-2 真田ビル
「旅行ネット」http://www.ryoko-net.co.jp
「おかみねっと」http://www.okami.ne.jp
所在地:東京都千代田区外神田6-7-2 真田ビル
「旅行ネット」http://www.ryoko-net.co.jp
「おかみねっと」http://www.okami.ne.jp
歴史と愛着が刻み込まれた建造物と、泡のように吹けば飛ぶようなハリボテ建造物。
どちらがお好みですか?
おかげさまで55周年
Plaza House & Roger's
constructed by people without names in 1954
2009年06月05日
世界環境デー / 世界とつながるニュース.20
6月5日、今日は世界環境デー。
2009年、今年は沖縄地方、雨が少なく夏場の水不足が懸念されます。
喜んでいいのか、今日も見事に晴れ渡ってしまっていますね。
さて、今回は環境デーにちなみ、環境に関する二つのニュースご紹介します。
毎日新聞 2009年6月5日 東京朝刊
特集:きょうは世界環境デー(その1) サンゴに温暖化のつめ跡
地球温暖化は人類が直面する最大の環境問題とされる。温暖化の進行で懸念されているのが地表面の7割を覆う海への影響だ。海面上昇に加え、海洋生態系の悪化を招く海の酸性化や水温上昇をもたらす。5日の
「世界環境デー」に、現状と対策を報告する。
海の熱帯林と呼ばれるサンゴ礁は、多様な生物の営みを支えている。今年公表された「環境・循環型社会・生物多様性白書」によると、観光や海産物資源の提供などでもたらす恵みは日本のサンゴ礁だけで2500億円以上という。だが、地球温暖化に伴う影響が各地で表れ、その恵みがいつまで続くのか楽観できない。実態の把握と対策が急がれている。
続きはこちらで……
毎日jp http://mainichi.jp/life/ecology/news/20090605ddm010040128000c.html

朝日新聞 2009年6月1日
仏ドキュメンタリー「HOME」 世界環境デーに88カ国一斉上映
地上の大自然や人の営みを空撮したドキュメンタリー映画「HOME 空から見た地球」(ヤン・アルテュスベルトラン監督)が世界環境デーの5日、世界88カ国で一斉公開される。仏映画界の大物、リュック・ベッソンらがプロデューサーを務め、非営利の大プロジェクトに発展させた。
赤みがかった岸辺と鮮やかな青が対照的な泉。サンゴ礁はまるでブルーの海に張りつくアメーバだ。大氷原を進む雪上車はかすかに船のように見える。
「何百時間もの撮影はシナリオなしだった。空から見える生命のありようは説明の必要もないからだ」とアルテュスベルトラン監督は言う。撮影は50カ国以上に及んだ。
フランスの航空写真家である監督が「無料で配給し、多くの人が地球環境を考える機会にしたい」と映画構想を語った時、最初は笑い飛ばしたベッソンも「自分も何かできないかと考えていた」と共鳴したという。仏流通大手PPR社がスポンサーとなり、映画館、テレビ、インターネット、DVDによる一斉公開が実現の運びとなった。
映像では天然資源を求めて奔走する人間の存在もかいま見られる。ベッソンは「地球という『HOME』(家)は一つしかない。それを壊したら、みんな死んでしまうと訴えたい」と語る。
日本では5日、東京のユナイテッド・シネマ豊洲で無料の招待上映が、同日午後6時からWOWOWで無料放送がある。別バージョンのDVDも発売予定。問い合わせはアスミック・エース(03・5413・4353)へ。(パリ=飯竹恒一)
asahi.com
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200906010224.html
2009年、今年は沖縄地方、雨が少なく夏場の水不足が懸念されます。
喜んでいいのか、今日も見事に晴れ渡ってしまっていますね。
さて、今回は環境デーにちなみ、環境に関する二つのニュースご紹介します。
毎日新聞 2009年6月5日 東京朝刊
特集:きょうは世界環境デー(その1) サンゴに温暖化のつめ跡
地球温暖化は人類が直面する最大の環境問題とされる。温暖化の進行で懸念されているのが地表面の7割を覆う海への影響だ。海面上昇に加え、海洋生態系の悪化を招く海の酸性化や水温上昇をもたらす。5日の
「世界環境デー」に、現状と対策を報告する。
海の熱帯林と呼ばれるサンゴ礁は、多様な生物の営みを支えている。今年公表された「環境・循環型社会・生物多様性白書」によると、観光や海産物資源の提供などでもたらす恵みは日本のサンゴ礁だけで2500億円以上という。だが、地球温暖化に伴う影響が各地で表れ、その恵みがいつまで続くのか楽観できない。実態の把握と対策が急がれている。
続きはこちらで……
毎日jp http://mainichi.jp/life/ecology/news/20090605ddm010040128000c.html
朝日新聞 2009年6月1日
仏ドキュメンタリー「HOME」 世界環境デーに88カ国一斉上映
地上の大自然や人の営みを空撮したドキュメンタリー映画「HOME 空から見た地球」(ヤン・アルテュスベルトラン監督)が世界環境デーの5日、世界88カ国で一斉公開される。仏映画界の大物、リュック・ベッソンらがプロデューサーを務め、非営利の大プロジェクトに発展させた。
赤みがかった岸辺と鮮やかな青が対照的な泉。サンゴ礁はまるでブルーの海に張りつくアメーバだ。大氷原を進む雪上車はかすかに船のように見える。
「何百時間もの撮影はシナリオなしだった。空から見える生命のありようは説明の必要もないからだ」とアルテュスベルトラン監督は言う。撮影は50カ国以上に及んだ。
フランスの航空写真家である監督が「無料で配給し、多くの人が地球環境を考える機会にしたい」と映画構想を語った時、最初は笑い飛ばしたベッソンも「自分も何かできないかと考えていた」と共鳴したという。仏流通大手PPR社がスポンサーとなり、映画館、テレビ、インターネット、DVDによる一斉公開が実現の運びとなった。
映像では天然資源を求めて奔走する人間の存在もかいま見られる。ベッソンは「地球という『HOME』(家)は一つしかない。それを壊したら、みんな死んでしまうと訴えたい」と語る。
日本では5日、東京のユナイテッド・シネマ豊洲で無料の招待上映が、同日午後6時からWOWOWで無料放送がある。別バージョンのDVDも発売予定。問い合わせはアスミック・エース(03・5413・4353)へ。(パリ=飯竹恒一)
asahi.com
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200906010224.html
2009年06月05日
ハワイと沖縄の架け橋 / 世界とつながるニュース19
琉球新報 2007年11月4日
「ハラウ・フラ・カラカウア」 ハワイのフラ大会出場へ
同教室のメンバーたちは4月、糸満市に到着したハワイの古代式帆船「ホクレア号」の歓迎式で、フラを踊って歓迎。これに感激したナイノア・トンプソン船長が、フェスティバル関係者に伝えたことから、指導者の大田さんが同フェスティバルのパンフレットに歓迎式の様子を寄稿することになった。
大田さんは、ホクレア号の歓迎を通して、ハワイと沖縄の交流の懸け橋になれたことを喜んでいる。同教室の12月の発表会には、トンプソン船長から教わったフラを披露する予定。
メンバーたちがフェスティバルで踊るのは、リリオカラニ女王が汽車の旅をするのをイメージした古典の踊りと、マウイ島のピンクのバラを表現した創作ダンス。大田さんは「ただ踊るのではなく、言葉や衣装にも意味がある。歴史、文化の勉強も必要」と話す。
メンバーの神谷友紀さんは「初めてなので不安もあるが、練習通り思い切り楽しく笑顔で踊りたい」と意気込みを語った。
2008年のワールド・インビテーショナル・フラフェスティバルに出場したハラウ・フラ・カラカウア
2009年06月01日
革命家的ビジネスパーソン / 世界とつながるニュース.18
月が替わって6月最初の月曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
変わる、代わる、換わる、替わる。
世の中にはいろんな「かわる」がありますね。
私にとっては好ましいものでもあなたにとっては疎ましく思えるもの。
変化、交代、転換、代替は人によって受け取り方は様々です。
今日ご紹介させていただく記事は時代が転換転移あることを示唆するいくつかの変化について述べられたものです。
職業、年齢、性別に関わらずご参考になれば幸いです。

MediaSabor
ナンデモ革命
谷口 正和(株式会社ジャパンライフデザインシステムズ 代表取締役社長)
■気軽に「革命」しよう
最近、新しいことをやると、ナンデモ「革命」らしい。普通「革命」と言ったら、改善や改良を超えて、絶対的な価値の変化をもたらすものだったろう。それがごく気軽に革命とタイトルアップされるケースが増えているらしい。
滝沢秀明主演の舞台のタイトルは「新春滝沢革命」。ハロプロ(ハロー!プロジェクト)の新春コンサートのタイトルは「革命元年」。ハロプロの各メンバーが今年の目標を「○○革命」で決意表明した。例えば髪形を変えたければ「ヘアスタイル革命」と言った具合である。食の世界でも革命はキーワードになりつつあり、ご当地ものや変わった具材を使ったハンバーガーは「ハンバーガー革命」と呼ばれる。健康的な食材が売り物の「アール・バーガー」の「アール」は revolutionの頭文字である。「過去を否定せず、手法を変えることを『革命』と呼んでおり、すでに日常語」(ティーエネックス・飯田寛取締役)ということだ(朝日新聞4 /4)。
世の中、100年に一度の激変期、そこかしこに行き詰まりが見え始めた今日、みんな「革命」を待望しているのかもしれない。過去の延長線上に未来はない、カイゼンで物事はすまない、思い切って谷を跳び越してみたいという気持ちが、この「革命」という言葉を流行らしているように見える。
ただし、どの革命も大変平和な革命で、時代が成熟して来た中での血を流さない革命のようだ。しかしそれらの意味するところに、私たちは大いに耳を傾けねばならないだろう。表層的に見える事象群の奥にこそ、時代の転換を示唆する新しい価値観は出てきているのだから。

■価値観の「谷」を跳び越そう
革命とは、何か新しい価値観の創出や、技術の飛躍を示すものとして、いくつかの事例を探っていこう。
「100%失敗間違いない」と言われた雑誌が、遂に黒字化して評判を呼んでいる。それはホームレスが販売する雑誌『ビッグイシュー』だ。http://www.bigissue.jp/「ホームレスの仕事をつくり自立を支援する」をコンセプトに、5年前に立ち上がったが、創刊5年で遂に黒字化した。現在の実売部数は約3万部で、通算116号。これまで約800人が販売員登録を行い、5年間で販売員が稼いだ総額は3億2200万円にも上る。1冊300円で、1冊売れると販売員に160円の収入が入る仕組みだ。支持されているコンテンツは意外や巻頭を飾るセレブインタビューではなく、誌面の3分の2を占める一見地味な日本版独自の記事だそうである。格差社会、引きこもり、うつ病といった社会的テーマを取り上げ続けてきた。
もうひとつの驚きは、読者の最大層が20代女性だということである。街頭でホームレスが販売している雑誌なので、かなり買いにくいはずだが、若い世代、それも女性が買っているところに、時代の変化を感じる。出版界にひとつの革命的事例が誕生したと言えるだろう(週刊東洋経済4 /11号)。

アメリカ発のネット版アウトレットモールと言える「GILT(ギルト)」が日本でも大ヒットの兆しを見せている。高級ブランドの招待制ファミリーセール「ギルト」が、3月12日の日本オープン以来、19日には会員数10万人を突破した。高級ブランドを最大70%の割引率で売る会員制のネット版アウトレットだ。最短6分で売り切れるブランドも登場、用意した商品の90%以上が売れたという。10月末までに会員100万人、5年以内に売上高500億円を目指す(繊研新聞4 /4)。

朝時間の活用が、最近のビジネスパースンの革命のようだ。朝活用型生活提案イベント「朝EXPO in Marunouchi」が毎朝授業を行う市民講座「丸の内朝大学」に発展する。開講時間は朝7時半から8時半まで。3ヶ月1クール、全6から10回。講座内容は現場のプロが伝える最新農業、環境ビジネス、マクロビフード、ヨギーなど(ウーマンエキサイト4 /3)。『日経アソシエ』(4 /21号)も「仕事に差がつく30分の新習慣『朝活』」を特集している。朝30分から1時間早く起きると、「体が丈夫になる」「肌がきれいになる」「人脈が広がる」「頭の働きがよくなる」などの効果があると説く。
注目のクリエイティブディレクター、佐藤可士和氏は、自分でオフイスを起こしてから、広告代理店時代の深夜型から一気に朝型に切り替えた。その効用は「一日を充実した気持ちでスタートできる」「仕事の処理速度が夜の3から4倍違う」「創造のインプットとなるゆとり時間が持てる」だという。革命児は、ライフスタイルも革命するのだ。働き方の革命は、夜型から朝型へ、と言うことである。

これから伸びる産業は、農業、医療、教育だと言われているが、農業に革命児(?)が登場した。
今度は「ノギャル」で「ノーギョー革命」である。「ギャル革命」で名をはせた藤田志穂さんが渋谷系ギャルを率いて農業に挑戦する。秋田県で5月に田植え、秋には2500俵の収穫を目指す。商品名は「シブヤ米」と決まっている(ハチ公米はすでに登録されていたそうだ)。<構想は「稲作だけでなく野菜にも挑戦」「コメは米粉パンや化粧品にも」「ギャルママに農業体験ツアー」「農作業着プロデュース」。一見馬鹿馬鹿しく見えるだろうか。まさに革命の対象にならないものはないのである。

■個人の気付きが革命の発火点
いま自分がやっているビジネス、担当している領域、それらを一度「革命」の目で見直してみよう。小さくてもいいから、どこかに「革命」の芽はないだろうか。よし、変えるぞ。チェンジ&レボリューション。思い切って旧秩序、旧思考から逆構造への転換である。革命のポイントは、考え方、やり方は革命的でも、基本は「小さく」「ローコスト」で回すということだ。回すということが革命にとって、何よりも重要なのである。
そして革命のテーマ探しは「私が私のお客様」の姿勢で見つけることである。自分が顧客だったら、こんなのは駄目、こうして欲しい、こうやればいい。それを実践すれば革命になるのだ。人に頼んでいると、革命はなかなか進まない。自分でやれば邪魔ナシ、正解へ向けて一直線。速く、ストレートに革命は成功する。
今ある課題を「ナンデモ革命」の目線で見直してみよう。基本の変革点はどこにあるかを発見し、そこに革命を起こそう。日常課題、身の丈課題、最小単位の革命が始まる。個人文化が柱になった時代は、個人の気付きが革命の発火点である。
メディアサボール 2009年4月20日
http://mediasabor.jp/2009/04/post_628.html
株式会社ジャパンライフデザインシステムズ
http://www.jlds.co.jp/
変わる、代わる、換わる、替わる。
世の中にはいろんな「かわる」がありますね。
私にとっては好ましいものでもあなたにとっては疎ましく思えるもの。
変化、交代、転換、代替は人によって受け取り方は様々です。
今日ご紹介させていただく記事は時代が転換転移あることを示唆するいくつかの変化について述べられたものです。
職業、年齢、性別に関わらずご参考になれば幸いです。
MediaSabor
ナンデモ革命
谷口 正和(株式会社ジャパンライフデザインシステムズ 代表取締役社長)
■気軽に「革命」しよう
最近、新しいことをやると、ナンデモ「革命」らしい。普通「革命」と言ったら、改善や改良を超えて、絶対的な価値の変化をもたらすものだったろう。それがごく気軽に革命とタイトルアップされるケースが増えているらしい。
滝沢秀明主演の舞台のタイトルは「新春滝沢革命」。ハロプロ(ハロー!プロジェクト)の新春コンサートのタイトルは「革命元年」。ハロプロの各メンバーが今年の目標を「○○革命」で決意表明した。例えば髪形を変えたければ「ヘアスタイル革命」と言った具合である。食の世界でも革命はキーワードになりつつあり、ご当地ものや変わった具材を使ったハンバーガーは「ハンバーガー革命」と呼ばれる。健康的な食材が売り物の「アール・バーガー」の「アール」は revolutionの頭文字である。「過去を否定せず、手法を変えることを『革命』と呼んでおり、すでに日常語」(ティーエネックス・飯田寛取締役)ということだ(朝日新聞4 /4)。
世の中、100年に一度の激変期、そこかしこに行き詰まりが見え始めた今日、みんな「革命」を待望しているのかもしれない。過去の延長線上に未来はない、カイゼンで物事はすまない、思い切って谷を跳び越してみたいという気持ちが、この「革命」という言葉を流行らしているように見える。
ただし、どの革命も大変平和な革命で、時代が成熟して来た中での血を流さない革命のようだ。しかしそれらの意味するところに、私たちは大いに耳を傾けねばならないだろう。表層的に見える事象群の奥にこそ、時代の転換を示唆する新しい価値観は出てきているのだから。
■価値観の「谷」を跳び越そう
革命とは、何か新しい価値観の創出や、技術の飛躍を示すものとして、いくつかの事例を探っていこう。
「100%失敗間違いない」と言われた雑誌が、遂に黒字化して評判を呼んでいる。それはホームレスが販売する雑誌『ビッグイシュー』だ。http://www.bigissue.jp/「ホームレスの仕事をつくり自立を支援する」をコンセプトに、5年前に立ち上がったが、創刊5年で遂に黒字化した。現在の実売部数は約3万部で、通算116号。これまで約800人が販売員登録を行い、5年間で販売員が稼いだ総額は3億2200万円にも上る。1冊300円で、1冊売れると販売員に160円の収入が入る仕組みだ。支持されているコンテンツは意外や巻頭を飾るセレブインタビューではなく、誌面の3分の2を占める一見地味な日本版独自の記事だそうである。格差社会、引きこもり、うつ病といった社会的テーマを取り上げ続けてきた。
もうひとつの驚きは、読者の最大層が20代女性だということである。街頭でホームレスが販売している雑誌なので、かなり買いにくいはずだが、若い世代、それも女性が買っているところに、時代の変化を感じる。出版界にひとつの革命的事例が誕生したと言えるだろう(週刊東洋経済4 /11号)。
アメリカ発のネット版アウトレットモールと言える「GILT(ギルト)」が日本でも大ヒットの兆しを見せている。高級ブランドの招待制ファミリーセール「ギルト」が、3月12日の日本オープン以来、19日には会員数10万人を突破した。高級ブランドを最大70%の割引率で売る会員制のネット版アウトレットだ。最短6分で売り切れるブランドも登場、用意した商品の90%以上が売れたという。10月末までに会員100万人、5年以内に売上高500億円を目指す(繊研新聞4 /4)。
朝時間の活用が、最近のビジネスパースンの革命のようだ。朝活用型生活提案イベント「朝EXPO in Marunouchi」が毎朝授業を行う市民講座「丸の内朝大学」に発展する。開講時間は朝7時半から8時半まで。3ヶ月1クール、全6から10回。講座内容は現場のプロが伝える最新農業、環境ビジネス、マクロビフード、ヨギーなど(ウーマンエキサイト4 /3)。『日経アソシエ』(4 /21号)も「仕事に差がつく30分の新習慣『朝活』」を特集している。朝30分から1時間早く起きると、「体が丈夫になる」「肌がきれいになる」「人脈が広がる」「頭の働きがよくなる」などの効果があると説く。
注目のクリエイティブディレクター、佐藤可士和氏は、自分でオフイスを起こしてから、広告代理店時代の深夜型から一気に朝型に切り替えた。その効用は「一日を充実した気持ちでスタートできる」「仕事の処理速度が夜の3から4倍違う」「創造のインプットとなるゆとり時間が持てる」だという。革命児は、ライフスタイルも革命するのだ。働き方の革命は、夜型から朝型へ、と言うことである。
これから伸びる産業は、農業、医療、教育だと言われているが、農業に革命児(?)が登場した。
今度は「ノギャル」で「ノーギョー革命」である。「ギャル革命」で名をはせた藤田志穂さんが渋谷系ギャルを率いて農業に挑戦する。秋田県で5月に田植え、秋には2500俵の収穫を目指す。商品名は「シブヤ米」と決まっている(ハチ公米はすでに登録されていたそうだ)。<構想は「稲作だけでなく野菜にも挑戦」「コメは米粉パンや化粧品にも」「ギャルママに農業体験ツアー」「農作業着プロデュース」。一見馬鹿馬鹿しく見えるだろうか。まさに革命の対象にならないものはないのである。
■個人の気付きが革命の発火点
いま自分がやっているビジネス、担当している領域、それらを一度「革命」の目で見直してみよう。小さくてもいいから、どこかに「革命」の芽はないだろうか。よし、変えるぞ。チェンジ&レボリューション。思い切って旧秩序、旧思考から逆構造への転換である。革命のポイントは、考え方、やり方は革命的でも、基本は「小さく」「ローコスト」で回すということだ。回すということが革命にとって、何よりも重要なのである。
そして革命のテーマ探しは「私が私のお客様」の姿勢で見つけることである。自分が顧客だったら、こんなのは駄目、こうして欲しい、こうやればいい。それを実践すれば革命になるのだ。人に頼んでいると、革命はなかなか進まない。自分でやれば邪魔ナシ、正解へ向けて一直線。速く、ストレートに革命は成功する。
今ある課題を「ナンデモ革命」の目線で見直してみよう。基本の変革点はどこにあるかを発見し、そこに革命を起こそう。日常課題、身の丈課題、最小単位の革命が始まる。個人文化が柱になった時代は、個人の気付きが革命の発火点である。
メディアサボール 2009年4月20日
http://mediasabor.jp/2009/04/post_628.html
株式会社ジャパンライフデザインシステムズ
http://www.jlds.co.jp/
2009年05月31日
社会的起業家 その2 /世界とつながるニュース.17
梅雨前線が右に左に動いているように、政局が動いています。
民主社会の中では主義主張、安全保障のあり方や税金の使い道などについての考えは多種多様。
選挙の際には自分のために自らの判断で貴重な一票を積極的に投じたいものですね。
さて、昨日から今日にかけて紹介させていただいている記事は社会的起業家について書かれたアメリカの新聞記事。
企業と社会のあり方について実に有用な示唆を与えてくれるものだと思えます。
産学共同ならぬ産社協働。立場に関わらず、ご参考いただければ幸いです。

以下、Year Upについて取り上げたアメリカのサンフランシスコ・クロニクル(San Francisco Chronicle)の
3月29日の記事の後半です。(拙訳ご容赦ください)
前半は「社会的起業家 /世界とつながるニュース.16」をご覧下さい。
http://rogers.ti-da.net/e2363895.html
Year Up students learn business and life skills
Julian Guthrie, Chronicle Staff Writer
Sunday, March 29, 2009
イヤー・アップのサンフランシスコ支部がオフィスを構えるのはウォーターフロントにあるスピアーストリートで金融街から遠くはありません。初年度の予算は660,000ドル。資金は官庁やスポサー企業、地域の慈善家から調達。一年間のプログラムを引き受けるのにだいたい20,000ドルを企業は支払います。23人からなる最初のクラスは9月2日にスタートし、そのうち18人がインターンにつきました。二番目のグループは40人。クラスは3月2日にスタートします。
相手を尊重しながら、その場にもっともふさわしいやり方でコミュニケーションを行うことについて、デボラ・ペラン氏が行った授業には16人生徒が参加しました。
「ビジネスの世界で生きていくなら、これを知って置く必要がでてくるでしょう」、デボラは“コードスイッチング★”についてのの議論の中で言いました。
何人かの生徒がその言葉の意味を説明しようと手を挙げます。
「それは新しい環境に順応するということじゃないかな。話し方や身の振る舞いや着こなしを変える(スイッチする)。そうすれば新しい世界にスムーズに溶け込める」一人の生徒が自分の定義を披露すると、デボラはうなづきました。
イヤー・アップに参加するには事細かに記された契約書にサインしなくてはなりません。クラスには決められた時間に来て、決められた時間に帰る。社会人らしい服装をする。男性ならばスラックスを履き、ベルトをつけ、シャツを羽織り、ネクタイを締める。
「生徒の中には初めての人もいます。だから、ネクタイをどう結ぶかも教えなくてはなりません。そして必要な生徒には寄贈された洋服を彼らに渡します」バンフィールド氏は言います。
授業の後、生徒たちがイヤーアップによって自分たちがどう変わったかについて話してくれました。
24歳のジョンはスーツを着てネクタイを締めて、ブリーフケースを持って駅を出るときの気分がたまらないんだよ、と言います。
「誰かが新聞を手渡そうとする。彼か彼女は然るべき人物として接してくれる」
「自分がいっぱしの人間に思えるんだ」
カール、21歳。彼曰く、ドラッグを売ることや他人から物を奪うことしか頭にないような人間だらけの地区に住んでいます。彼は、いま、祖母が自分のことを誇りにできるような人間に戻りました。
「イヤー・アップで学びはじめた頃、『85点をとったよ』とよく祖母に自慢してたよ」
「ここでの経験はぼくの人生をすでに変えたんだ。ぼくはここにいることを誇りに思っている」
カーリー、22歳。里親の元で少年時代を過ごした彼は、イヤー・アップのおかげで自分の手で何かを成し遂げる方法を学んでいる。
「里親と暮らしている時に、頼れる人間は自分だけなんだと気付いたんだ」
彼は言います。
「いまはとても前向きだよ。友だちはいい服を着たぼくを見てどうしてそんな格好をしてるのか訊いてくるんだ。彼らにもいい刺激になってると思う」
スポンサー企業はこのプログラムと研修生の受け入れを歓迎していると語る。
「このプログラムにはいつもワクワクしていますよ」
14万人の社員を抱えるWells Fargo 社で技術主任として働くギニー・クラウスはそう言います。
彼女のもとにはイヤー・アップからの研修生がいるのです。
「彼らはやる気にあふれてやってきます。それから、ビジネスの世界でのやるべきこととやってはいけないことをきちんと身に付けてる」
「研修が終わったら何人かをぜひ雇ってみたいわ」
イヤー・アップについて詳しく知りたい方は+1-415-512-7588に電話するか、www.yearup.orgにアクセスしてください。
以上、The San Francisco Chronicle 2009年3月29日の記事から引用および翻訳させていただきました。
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2009/03/28/BU4K16IUMA.DTL&type=business
個性は宝。
UNITED PERSONALITIES
Roger's & Plaza House
民主社会の中では主義主張、安全保障のあり方や税金の使い道などについての考えは多種多様。
選挙の際には自分のために自らの判断で貴重な一票を積極的に投じたいものですね。
さて、昨日から今日にかけて紹介させていただいている記事は社会的起業家について書かれたアメリカの新聞記事。
企業と社会のあり方について実に有用な示唆を与えてくれるものだと思えます。
産学共同ならぬ産社協働。立場に関わらず、ご参考いただければ幸いです。
以下、Year Upについて取り上げたアメリカのサンフランシスコ・クロニクル(San Francisco Chronicle)の
3月29日の記事の後半です。(拙訳ご容赦ください)
前半は「社会的起業家 /世界とつながるニュース.16」をご覧下さい。
http://rogers.ti-da.net/e2363895.html
Year Up students learn business and life skills
Julian Guthrie, Chronicle Staff Writer
Sunday, March 29, 2009
イヤー・アップのサンフランシスコ支部がオフィスを構えるのはウォーターフロントにあるスピアーストリートで金融街から遠くはありません。初年度の予算は660,000ドル。資金は官庁やスポサー企業、地域の慈善家から調達。一年間のプログラムを引き受けるのにだいたい20,000ドルを企業は支払います。23人からなる最初のクラスは9月2日にスタートし、そのうち18人がインターンにつきました。二番目のグループは40人。クラスは3月2日にスタートします。
相手を尊重しながら、その場にもっともふさわしいやり方でコミュニケーションを行うことについて、デボラ・ペラン氏が行った授業には16人生徒が参加しました。
「ビジネスの世界で生きていくなら、これを知って置く必要がでてくるでしょう」、デボラは“コードスイッチング★”についてのの議論の中で言いました。
何人かの生徒がその言葉の意味を説明しようと手を挙げます。
「それは新しい環境に順応するということじゃないかな。話し方や身の振る舞いや着こなしを変える(スイッチする)。そうすれば新しい世界にスムーズに溶け込める」一人の生徒が自分の定義を披露すると、デボラはうなづきました。
★コードスイッチングとはもともと多国籍の人が集まる場で、
会話や議論がいくつかの母国語にまたがって行われるような時に、
相手に応じて言語を切り替えることのようです。そして、これは、
エリートのビジネスパーソンと伝統工芸の世界に身を置く職人とが
会話をする時にも必要とされます。また、ギャル語やオヤジ語も
コードの一つと考えられるので、世代間コミュニケーション
でも日常的に行われていることです。(訳者注釈)
会話や議論がいくつかの母国語にまたがって行われるような時に、
相手に応じて言語を切り替えることのようです。そして、これは、
エリートのビジネスパーソンと伝統工芸の世界に身を置く職人とが
会話をする時にも必要とされます。また、ギャル語やオヤジ語も
コードの一つと考えられるので、世代間コミュニケーション
でも日常的に行われていることです。(訳者注釈)
イヤー・アップに参加するには事細かに記された契約書にサインしなくてはなりません。クラスには決められた時間に来て、決められた時間に帰る。社会人らしい服装をする。男性ならばスラックスを履き、ベルトをつけ、シャツを羽織り、ネクタイを締める。
「生徒の中には初めての人もいます。だから、ネクタイをどう結ぶかも教えなくてはなりません。そして必要な生徒には寄贈された洋服を彼らに渡します」バンフィールド氏は言います。
授業の後、生徒たちがイヤーアップによって自分たちがどう変わったかについて話してくれました。
24歳のジョンはスーツを着てネクタイを締めて、ブリーフケースを持って駅を出るときの気分がたまらないんだよ、と言います。
「誰かが新聞を手渡そうとする。彼か彼女は然るべき人物として接してくれる」
「自分がいっぱしの人間に思えるんだ」
カール、21歳。彼曰く、ドラッグを売ることや他人から物を奪うことしか頭にないような人間だらけの地区に住んでいます。彼は、いま、祖母が自分のことを誇りにできるような人間に戻りました。
「イヤー・アップで学びはじめた頃、『85点をとったよ』とよく祖母に自慢してたよ」
「ここでの経験はぼくの人生をすでに変えたんだ。ぼくはここにいることを誇りに思っている」
カーリー、22歳。里親の元で少年時代を過ごした彼は、イヤー・アップのおかげで自分の手で何かを成し遂げる方法を学んでいる。
「里親と暮らしている時に、頼れる人間は自分だけなんだと気付いたんだ」
彼は言います。
「いまはとても前向きだよ。友だちはいい服を着たぼくを見てどうしてそんな格好をしてるのか訊いてくるんだ。彼らにもいい刺激になってると思う」
スポンサー企業はこのプログラムと研修生の受け入れを歓迎していると語る。
「このプログラムにはいつもワクワクしていますよ」
14万人の社員を抱えるWells Fargo 社で技術主任として働くギニー・クラウスはそう言います。
彼女のもとにはイヤー・アップからの研修生がいるのです。
「彼らはやる気にあふれてやってきます。それから、ビジネスの世界でのやるべきこととやってはいけないことをきちんと身に付けてる」
「研修が終わったら何人かをぜひ雇ってみたいわ」
イヤー・アップについて詳しく知りたい方は+1-415-512-7588に電話するか、www.yearup.orgにアクセスしてください。
以上、The San Francisco Chronicle 2009年3月29日の記事から引用および翻訳させていただきました。
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2009/03/28/BU4K16IUMA.DTL&type=business
個性は宝。
UNITED PERSONALITIES
Roger's & Plaza House
2009年05月30日
社会的起業家 /世界とつながるニュース.16
押切もえさんも出演しているNHKの英語でしゃべらナイトで、
昨日、Social Entrepreneur=社会的起業家のことが紹介されていました。
社会的起業家(社会起業家)とは、社会が抱えている問題や矛盾を事業=ビジネスによって解決する人たちのこと。
たとえば、貧困・環境・南北問題といったグローバルな問題、
商店街のシャッター通り化・育児困難・地場産業の衰退といった地域固有の身近な問題がありますが、
行政やNPO/NGOとは違うスタンスでこれらに取り組む人たちが増えています。

昨日のしゃべらナイトで紹介されていたのはアメリカのYear Up、
貧困層を対象に融資事業をはじめたグラミン銀行(創設者であり経営者である
ムハマド・ユヌス氏は2006年にノーベル賞を受賞)。
日本ではフェアトレードを事業化した株式会社フェアトレードカンパニー、
食の安全と有機農業の推進を事業化した株式会社大地など70〜80年代にかけて先駆けの企業が現れました。
企業サイドからは「夢物語で飯が食えるか」と冷笑され、市民団体からは「ボランティアで儲けるなんて」
と軽蔑されたであろう、先駆けの方たち。いま、時代は彼らに追いついてきました。
社会的企業は行政、(従来型の)企業、NPOに続く4番目のセクターとして今後の成長が期待されます。
ポスト産業資本主義に向けて新たな経済の枠組みが模索されている今日、
日本が、そして沖縄が進むべき道の一つがここに描かれているような気がします。

以下、Year Upについて取り上げたアメリカのサンフランシスコ・クロニクル(San Francisco Chronicle)の
3月29日の記事の一部です。(拙訳ご容赦ください)
Year Up students learn business and life skills
Julian Guthrie, Chronicle Staff Writer
Sunday, March 29, 2009
ボーンカ・ウィルソンは麻薬の売人やドラッグユーザーと親しくしていたのはそれほど昔のことではありません。
そして、そのころの彼女には何の計画も、そして選択肢もほとんどありませんでした。
彼女は、いま、エクセル・スプレッドシートの使い方を学んでいます。
彼女はオークランド在住のもとフォスターユース(里子)で20歳のシングルマザー。
「私はね、情報工学と挨拶の仕方や敬意の表し方、それから専門的な物事にふさわしい言葉について勉強しているの」
ウィルソンは言います。
「これはね、私にとってまったく新鮮で素晴らしいことなの」
ウィルソンはサンフランシスコでの新しいプログラムに参加している18歳から24歳の学生の一人。
このプログラムは集中的なコンピュータ・トレーニングといったハード系の技能と、握手やアイコンタクトのやり方や業務的なeメールの書き方といったソフト系の技能を上手に組み合わせたトレーニングが特徴です。
今月、イヤーアップは創立一周年を迎えました。
高校卒業資格かそれと同等の学位を持った若者が一年間、無料でこのプログラムを受講。最初の半年は教室でそして残りの半年はWells FargoやKaiser and Salesforce.comといった企業でインターンを経験します。
そして、10,000ドルと大学の学位さえ得ることができるのです。
サンフランシスコのこの活動は、ウォールストリートの元銀行員、Gerald Chertavianさんがボストンに2000年に設立した全国的なプログラム(6州にオフィスがある)の一つ。
ビッグブラザー・ビッグシスタープログラムでのボランティアの経験からジェラルドの中にイヤーアップの構想が芽生えました。
およそ85%の卒業生が四ヶ月以内に仕事を見つけ、彼らの平均所得は時給で15.59ドルだとイヤーアップは話します。
サンフランシスコ支部を立ち上げたのはオラクルコーポレーションで開発マネージャーを務めていたジェイ・バンフィールドささん。彼はオラクルでボランティア制度を立ち上げ、さらに、クリントン元大統領が組織した40万人以上のボランティア団体、アメリコープの設立にも関わりました。
「私は社会支援を受けて大人になりました」、ジェラルドは言います。
「私は母と祖母の手で育てられました。そして多くの人が私に機会を与えてくれました。そうすることが正しいことだと自然に考えている人たちだったからです。最初の雇用主、スタンフォード大学への奨学金入学、オラクル。」
「これまでのキャリアを通して気づいたことは、一方に経済的な敗者がいてもう一方にはコミュニティの敗者がいるということです」
後半の記事は次回あらためてご紹介いたします。
なお、英語が堪能な方はSan Francisco Chronicleのサイトをお読みください。
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2009/03/28/BU4K16IUMA.DTL&type=business
それではよい週末を。
日はまた昇る。
世界はいつも動いている。
Roger's & Plaza House
昨日、Social Entrepreneur=社会的起業家のことが紹介されていました。
社会的起業家(社会起業家)とは、社会が抱えている問題や矛盾を事業=ビジネスによって解決する人たちのこと。
たとえば、貧困・環境・南北問題といったグローバルな問題、
商店街のシャッター通り化・育児困難・地場産業の衰退といった地域固有の身近な問題がありますが、
行政やNPO/NGOとは違うスタンスでこれらに取り組む人たちが増えています。
昨日のしゃべらナイトで紹介されていたのはアメリカのYear Up、
貧困層を対象に融資事業をはじめたグラミン銀行(創設者であり経営者である
ムハマド・ユヌス氏は2006年にノーベル賞を受賞)。
日本ではフェアトレードを事業化した株式会社フェアトレードカンパニー、
食の安全と有機農業の推進を事業化した株式会社大地など70〜80年代にかけて先駆けの企業が現れました。
企業サイドからは「夢物語で飯が食えるか」と冷笑され、市民団体からは「ボランティアで儲けるなんて」
と軽蔑されたであろう、先駆けの方たち。いま、時代は彼らに追いついてきました。
社会的企業は行政、(従来型の)企業、NPOに続く4番目のセクターとして今後の成長が期待されます。
ポスト産業資本主義に向けて新たな経済の枠組みが模索されている今日、
日本が、そして沖縄が進むべき道の一つがここに描かれているような気がします。
以下、Year Upについて取り上げたアメリカのサンフランシスコ・クロニクル(San Francisco Chronicle)の
3月29日の記事の一部です。(拙訳ご容赦ください)
Year Up students learn business and life skills
Julian Guthrie, Chronicle Staff Writer
Sunday, March 29, 2009
ボーンカ・ウィルソンは麻薬の売人やドラッグユーザーと親しくしていたのはそれほど昔のことではありません。
そして、そのころの彼女には何の計画も、そして選択肢もほとんどありませんでした。
彼女は、いま、エクセル・スプレッドシートの使い方を学んでいます。
彼女はオークランド在住のもとフォスターユース(里子)で20歳のシングルマザー。
「私はね、情報工学と挨拶の仕方や敬意の表し方、それから専門的な物事にふさわしい言葉について勉強しているの」
ウィルソンは言います。
「これはね、私にとってまったく新鮮で素晴らしいことなの」
ウィルソンはサンフランシスコでの新しいプログラムに参加している18歳から24歳の学生の一人。
このプログラムは集中的なコンピュータ・トレーニングといったハード系の技能と、握手やアイコンタクトのやり方や業務的なeメールの書き方といったソフト系の技能を上手に組み合わせたトレーニングが特徴です。
今月、イヤーアップは創立一周年を迎えました。
高校卒業資格かそれと同等の学位を持った若者が一年間、無料でこのプログラムを受講。最初の半年は教室でそして残りの半年はWells FargoやKaiser and Salesforce.comといった企業でインターンを経験します。
そして、10,000ドルと大学の学位さえ得ることができるのです。
サンフランシスコのこの活動は、ウォールストリートの元銀行員、Gerald Chertavianさんがボストンに2000年に設立した全国的なプログラム(6州にオフィスがある)の一つ。
ビッグブラザー・ビッグシスタープログラムでのボランティアの経験からジェラルドの中にイヤーアップの構想が芽生えました。
およそ85%の卒業生が四ヶ月以内に仕事を見つけ、彼らの平均所得は時給で15.59ドルだとイヤーアップは話します。
サンフランシスコ支部を立ち上げたのはオラクルコーポレーションで開発マネージャーを務めていたジェイ・バンフィールドささん。彼はオラクルでボランティア制度を立ち上げ、さらに、クリントン元大統領が組織した40万人以上のボランティア団体、アメリコープの設立にも関わりました。
「私は社会支援を受けて大人になりました」、ジェラルドは言います。
「私は母と祖母の手で育てられました。そして多くの人が私に機会を与えてくれました。そうすることが正しいことだと自然に考えている人たちだったからです。最初の雇用主、スタンフォード大学への奨学金入学、オラクル。」
「これまでのキャリアを通して気づいたことは、一方に経済的な敗者がいてもう一方にはコミュニティの敗者がいるということです」
後半の記事は次回あらためてご紹介いたします。
なお、英語が堪能な方はSan Francisco Chronicleのサイトをお読みください。
http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2009/03/28/BU4K16IUMA.DTL&type=business
それではよい週末を。
日はまた昇る。
世界はいつも動いている。
Roger's & Plaza House
2009年05月23日
草食男子 / 世界とつながるニュース.15
毎日キレイ(毎日新聞) 2009年5月21日 18時16分
男性の恋愛意識:20代後半の“草食化”進む
4分の1が「据え膳食わぬ」は「恥」じゃない
「男性の消費と恋愛意識」調査で、「据え膳(ぜん)食わぬは男の恥」に「共感する」と答えた20代後半の男性は4人に1人だったことが分かった。恋愛にあまり積極的でない“草食系”の若者が多いことが浮き彫りになった。
調査は、ヤフーリサーチを運営する「ヤフーバリューインサイト」が3月28~30日に1都3県(東京、神奈川、埼玉、千葉)在住の20~49歳の男性300人を対象に、インターネットを通じて実施した。
「据え膳食わぬは男の恥」という考えに強く共感するかの問いに、「共感する」と答えたのは40~44歳45.0%で最も高かった。30~34歳が32.0%、25~29歳が26.0%だった。
20代後半層は「女性向けの商品を使うことに抵抗がない」が50%、「女性っぽい色などを取り入れることに抵抗がない」も34.0%と回答。20代前半層は34.0%と30.0%で、同じ20代でも後半層の方がより女性的なことが分かった。
さらに「付き合いや社交よりも貯金を優先することがある」に当てはまるという人は、20~24歳が48.0%、25~29歳が46.0%となり、「貯金を優先する」はほぼ2人に1人がという結果になった。
http://mainichi.jp/life/kirei/news/20090521mog00m100041000c.html
★据え膳食わぬは男の恥(すえぜんくわぬはおとこのはじ)
女性の方から言い寄られたとき、それに応じないようでは男として恥であるということ。
It is time to set in when the oven comes to the dough.
毎日新聞 2009年4月27日 11時13分
新入社員:09年度は「草食系男子」 安定志向さらに強く
シンクタンクの三菱UFJリサーチ&コンサルティングが09年度の新入社員を対象に行ったアンケートで、ガツガツと出世を狙わず一つの会社で定年まで穏やかに過ごしたいという社員像が浮かび上がった。背景には雇用不安があるとみられ、担当者は「はやりの言葉で言えば草食系男子」と分析する。
調査は04年から継続して行っている。同社が東京、愛知、大阪で開催した中堅・中小の新入社員を対象にしたセミナーで、1264人を対象に行った。
それによると、同じ会社で定年まで働きたいかとの質問では64%が「働きたい」と答え過去最高だった08年度の55%を9ポイント上回った。この質問は04~06年度は44%だったが、07年度から上昇していた。
逆に「自分に向かない仕事ならすぐに転職する」と答えたのは36%にとどまり、過去最低だった。07年度まで50%を超えていたが、急激に低下している。雇用情勢が悪化する中、転職や再就職が難しいとの認識が広がり、安定志向に向かっているとみられる。
会社に望むことの1位は「人間関係が良い」。「能力が発揮・向上できる」などが続いた。「地位が上がる」は8項目の選択肢の中で最低だった。また自信があることの項目では「協調性」「忍耐力」が上位を占めた。逆に「創造力」「積極性」は自信のない項目の上位で、ここでも安定志向を裏付ける結果になった。
http://mainichi.jp/life/job/news/20090427k0000e040025000c.html

毎日新聞 2009年2月19日 東京夕刊
特集ワイド:「草食男子と肉食女子」男の言い分
◇過干渉育ちの「弱い」現実/イメージ固定「強い」幻想--ギャップにジレンマ
最近の若者事情をテーマにした記事「草食男子と肉食女子」(1月21日)に対し、「随分と女性に都合のいい内容ですね」との批判が寄せられた。女性が男性にがっつくのは、男社会の中で経済的自立が難しいのが原因と分析したからだ。「女性優遇・女尊男卑」と今の日本社会を表現するその投稿をきっかけに、男性の言い分を考えてみた。
◇「しんどさ」同じ、女性と共有を
「今のところ非婚主義の40歳手前男」と名乗る投稿者に会った。横浜市在住で、東京都内でメディア関係の仕事をする男性(39)は、鋭い女性批判を展開する文面とは違い、静かで誠実そうな人だった。
男性は、小学校低学年のころ、自分に対する親の態度が姉妹と違うことについて「不平等じゃないか」と訴えたところ、母親に「男はそんなことを言うな」としかられたのを今も覚えている。小学校高学年になると、女子児童の方が体が大きくても、やられたことにやり返すと「女に対して何だ」と怒られ、理不尽な印象を受けた。
大人になると「女性専用」「女性のための」と銘打ったサービスや商品ばかりだということが気になった。メディアでの表現も、女性を持ち上げ、男性を蔑視(べっし)するものがほとんどだと感じる。
「男の苦労には全く目が向けられず、女だけが注目されている。かつては、何となく男が偉いという雰囲気があったからそれで済まされた。今は男優位でなくなったのに、男ばかりをバカにする表現がまかり通っている」と話す。
指摘を受けて、テレビなどの表現を調べた。夫婦をテーマにしたドラマのプロデューサーのコメントに「夫を調教したい妻たち」とあったり、本のタイトルに「夫のしつけ」といった言葉が使われていた。また、テレビコマーシャルが「男はにおう」との言葉で不潔さを指摘したり、電車のマナーポスターで悪者として描かれているのも男性だ。
男性は「反対に、女性に対して『調教』などの言葉を使ったら即アウト、作家生命は絶たれますよ」と指摘する。
■
「男は虐げられている」(郁朋社)の著者で、男女関係について長年研究している竹中英人さん(36)は、男性の生きづらさについて、フェミニズム思想の伝わり方を原因として挙げる。
「元々、『男らしさ』『女らしさ』といった、期待される性役割があり、それぞれメリットとデメリットがありました。男性は権利がある分、責任もあり、女性は抑圧される分、保護されていた。ところが、フェミニズム思想が広まる際に、男性は加害者で、女性は被害者だという視点のみが強調されて浸透してしまった。その結果、男性のデメリットと女性のメリットだけが残ってしまった」と分析する。
竹中さんによると、就職や収入面での男女間の格差は是正されつつあるが、女性は男性におごってもらったり、結婚してより高収入の男性に生活を頼るなどの「うまみ」を手放していないという。「恋愛や結婚といった個人対個人の関係でも、女性は、男性が好む格好や行動を取ってもあくまで『待っている』のであり、デートの計画を立てたり、会計を担うなどの実質的な役割は男性に期待している。プロポーズにしても、女性からという話はいまだに少なく、女性に対して『どうプロポーズされたか』と聞くのが一般的だ」と指摘する。
■
日本の男性学を研究してきた伊藤公雄・京大大学院教授は、「男性に比べ女性が元気なのは国際的な流れ」とした上で、日本独自の問題の背景を指摘する。
伊藤教授によると、1970年代に入ると、国連が国際婦人年(75年)を定めて女性の地位向上を積極的に働きかけるなど、女性は意欲的に成長するようになった。しかし、日本以外の国々は経済活動も男女で支える社会になったが、日本では男性は家庭のことを顧みずに労働に没頭し、女性は働くことを抑えて男性を支える仕組みを取った。
その結果、核家族化で母親だけが育児をしたため、異性で扱い方が分からず過干渉で育てられた男性たちが、うまく自立できない状況が生じたのだ。本来身近な男性から学ぶはずの、弱さを含む現実に即したモデルから、学習して成長する機会を得られなかったのだという。
伊藤教授は「そうした現実にもかかわらず、男性はいまだに『男は女をリードしなくては』『女性や子どもを養わなくては』といった、すり込みによる幻想を捨てられていない。その結果、現実の自分たちや生き方と、幻想とのギャップの大きさに、すごくジレンマが生じている」と話す。
では、男性が生きづらさから解放されるには、どうしたらいいのだろうか。
竹中さんはこう言う。「女性の被害部分が主な問題で、男性の大変さは問題じゃない、という発想ではなく、男性のしんどい部分は、女性が困っていた部分と同じくらい大変だよ、という発想を、共有する必要があると思う。考え方が変わらないと、報道や法律なんかも変わっていかないですから」
◇「草食男子と肉食女子」(1月21日掲載)の要約
異性に対してガツガツせず、心地よさを重視する「草食男子」と、恋愛や結婚相手を積極的に求めて行動する「肉食女子」。こんな新しいタイプの男女が、20代から30代前半に増えているらしい。
草食男子は、デリケートで傷付くことを嫌い、無理は避けたがる。このため、女性側は、恋愛や結婚で待っていても仕方がないと考え、積極性を増して「肉食化」している。
肉食化する背景には、「不景気による女性の保守化が、より良い条件の男性を求める肉食化につながっている」との見方や、男社会の中で女性の地位が低く、働く女性が報われない現実があるとの指摘がある。
その結果、女性が仕事ではなく、結婚に活路を見いだそうとし、合コン・婚活の王道ファッションは、従順そうで万人受けする「エビちゃん」ファッションになっていった。
http://mainichi.jp/life/edu/child/archive/news/2009/02/20090219dde012040010000c.html
男性の恋愛意識:20代後半の“草食化”進む
4分の1が「据え膳食わぬ」は「恥」じゃない
「男性の消費と恋愛意識」調査で、「据え膳(ぜん)食わぬは男の恥」に「共感する」と答えた20代後半の男性は4人に1人だったことが分かった。恋愛にあまり積極的でない“草食系”の若者が多いことが浮き彫りになった。
調査は、ヤフーリサーチを運営する「ヤフーバリューインサイト」が3月28~30日に1都3県(東京、神奈川、埼玉、千葉)在住の20~49歳の男性300人を対象に、インターネットを通じて実施した。
「据え膳食わぬは男の恥」という考えに強く共感するかの問いに、「共感する」と答えたのは40~44歳45.0%で最も高かった。30~34歳が32.0%、25~29歳が26.0%だった。
20代後半層は「女性向けの商品を使うことに抵抗がない」が50%、「女性っぽい色などを取り入れることに抵抗がない」も34.0%と回答。20代前半層は34.0%と30.0%で、同じ20代でも後半層の方がより女性的なことが分かった。
さらに「付き合いや社交よりも貯金を優先することがある」に当てはまるという人は、20~24歳が48.0%、25~29歳が46.0%となり、「貯金を優先する」はほぼ2人に1人がという結果になった。
http://mainichi.jp/life/kirei/news/20090521mog00m100041000c.html
★据え膳食わぬは男の恥(すえぜんくわぬはおとこのはじ)
女性の方から言い寄られたとき、それに応じないようでは男として恥であるということ。
It is time to set in when the oven comes to the dough.
毎日新聞 2009年4月27日 11時13分
新入社員:09年度は「草食系男子」 安定志向さらに強く
シンクタンクの三菱UFJリサーチ&コンサルティングが09年度の新入社員を対象に行ったアンケートで、ガツガツと出世を狙わず一つの会社で定年まで穏やかに過ごしたいという社員像が浮かび上がった。背景には雇用不安があるとみられ、担当者は「はやりの言葉で言えば草食系男子」と分析する。
調査は04年から継続して行っている。同社が東京、愛知、大阪で開催した中堅・中小の新入社員を対象にしたセミナーで、1264人を対象に行った。
それによると、同じ会社で定年まで働きたいかとの質問では64%が「働きたい」と答え過去最高だった08年度の55%を9ポイント上回った。この質問は04~06年度は44%だったが、07年度から上昇していた。
逆に「自分に向かない仕事ならすぐに転職する」と答えたのは36%にとどまり、過去最低だった。07年度まで50%を超えていたが、急激に低下している。雇用情勢が悪化する中、転職や再就職が難しいとの認識が広がり、安定志向に向かっているとみられる。
会社に望むことの1位は「人間関係が良い」。「能力が発揮・向上できる」などが続いた。「地位が上がる」は8項目の選択肢の中で最低だった。また自信があることの項目では「協調性」「忍耐力」が上位を占めた。逆に「創造力」「積極性」は自信のない項目の上位で、ここでも安定志向を裏付ける結果になった。
http://mainichi.jp/life/job/news/20090427k0000e040025000c.html
毎日新聞 2009年2月19日 東京夕刊
特集ワイド:「草食男子と肉食女子」男の言い分
◇過干渉育ちの「弱い」現実/イメージ固定「強い」幻想--ギャップにジレンマ
最近の若者事情をテーマにした記事「草食男子と肉食女子」(1月21日)に対し、「随分と女性に都合のいい内容ですね」との批判が寄せられた。女性が男性にがっつくのは、男社会の中で経済的自立が難しいのが原因と分析したからだ。「女性優遇・女尊男卑」と今の日本社会を表現するその投稿をきっかけに、男性の言い分を考えてみた。
◇「しんどさ」同じ、女性と共有を
「今のところ非婚主義の40歳手前男」と名乗る投稿者に会った。横浜市在住で、東京都内でメディア関係の仕事をする男性(39)は、鋭い女性批判を展開する文面とは違い、静かで誠実そうな人だった。
男性は、小学校低学年のころ、自分に対する親の態度が姉妹と違うことについて「不平等じゃないか」と訴えたところ、母親に「男はそんなことを言うな」としかられたのを今も覚えている。小学校高学年になると、女子児童の方が体が大きくても、やられたことにやり返すと「女に対して何だ」と怒られ、理不尽な印象を受けた。
大人になると「女性専用」「女性のための」と銘打ったサービスや商品ばかりだということが気になった。メディアでの表現も、女性を持ち上げ、男性を蔑視(べっし)するものがほとんどだと感じる。
「男の苦労には全く目が向けられず、女だけが注目されている。かつては、何となく男が偉いという雰囲気があったからそれで済まされた。今は男優位でなくなったのに、男ばかりをバカにする表現がまかり通っている」と話す。
指摘を受けて、テレビなどの表現を調べた。夫婦をテーマにしたドラマのプロデューサーのコメントに「夫を調教したい妻たち」とあったり、本のタイトルに「夫のしつけ」といった言葉が使われていた。また、テレビコマーシャルが「男はにおう」との言葉で不潔さを指摘したり、電車のマナーポスターで悪者として描かれているのも男性だ。
男性は「反対に、女性に対して『調教』などの言葉を使ったら即アウト、作家生命は絶たれますよ」と指摘する。
■
「男は虐げられている」(郁朋社)の著者で、男女関係について長年研究している竹中英人さん(36)は、男性の生きづらさについて、フェミニズム思想の伝わり方を原因として挙げる。
「元々、『男らしさ』『女らしさ』といった、期待される性役割があり、それぞれメリットとデメリットがありました。男性は権利がある分、責任もあり、女性は抑圧される分、保護されていた。ところが、フェミニズム思想が広まる際に、男性は加害者で、女性は被害者だという視点のみが強調されて浸透してしまった。その結果、男性のデメリットと女性のメリットだけが残ってしまった」と分析する。
竹中さんによると、就職や収入面での男女間の格差は是正されつつあるが、女性は男性におごってもらったり、結婚してより高収入の男性に生活を頼るなどの「うまみ」を手放していないという。「恋愛や結婚といった個人対個人の関係でも、女性は、男性が好む格好や行動を取ってもあくまで『待っている』のであり、デートの計画を立てたり、会計を担うなどの実質的な役割は男性に期待している。プロポーズにしても、女性からという話はいまだに少なく、女性に対して『どうプロポーズされたか』と聞くのが一般的だ」と指摘する。
■
日本の男性学を研究してきた伊藤公雄・京大大学院教授は、「男性に比べ女性が元気なのは国際的な流れ」とした上で、日本独自の問題の背景を指摘する。
伊藤教授によると、1970年代に入ると、国連が国際婦人年(75年)を定めて女性の地位向上を積極的に働きかけるなど、女性は意欲的に成長するようになった。しかし、日本以外の国々は経済活動も男女で支える社会になったが、日本では男性は家庭のことを顧みずに労働に没頭し、女性は働くことを抑えて男性を支える仕組みを取った。
その結果、核家族化で母親だけが育児をしたため、異性で扱い方が分からず過干渉で育てられた男性たちが、うまく自立できない状況が生じたのだ。本来身近な男性から学ぶはずの、弱さを含む現実に即したモデルから、学習して成長する機会を得られなかったのだという。
伊藤教授は「そうした現実にもかかわらず、男性はいまだに『男は女をリードしなくては』『女性や子どもを養わなくては』といった、すり込みによる幻想を捨てられていない。その結果、現実の自分たちや生き方と、幻想とのギャップの大きさに、すごくジレンマが生じている」と話す。
では、男性が生きづらさから解放されるには、どうしたらいいのだろうか。
竹中さんはこう言う。「女性の被害部分が主な問題で、男性の大変さは問題じゃない、という発想ではなく、男性のしんどい部分は、女性が困っていた部分と同じくらい大変だよ、という発想を、共有する必要があると思う。考え方が変わらないと、報道や法律なんかも変わっていかないですから」
◇「草食男子と肉食女子」(1月21日掲載)の要約
異性に対してガツガツせず、心地よさを重視する「草食男子」と、恋愛や結婚相手を積極的に求めて行動する「肉食女子」。こんな新しいタイプの男女が、20代から30代前半に増えているらしい。
草食男子は、デリケートで傷付くことを嫌い、無理は避けたがる。このため、女性側は、恋愛や結婚で待っていても仕方がないと考え、積極性を増して「肉食化」している。
肉食化する背景には、「不景気による女性の保守化が、より良い条件の男性を求める肉食化につながっている」との見方や、男社会の中で女性の地位が低く、働く女性が報われない現実があるとの指摘がある。
その結果、女性が仕事ではなく、結婚に活路を見いだそうとし、合コン・婚活の王道ファッションは、従順そうで万人受けする「エビちゃん」ファッションになっていった。
http://mainichi.jp/life/edu/child/archive/news/2009/02/20090219dde012040010000c.html
2009年05月21日
隠れ家に行こう。 / 世界とつながるニュース.14
ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
DIAMOND ON LINE 2009年05月21日
サラリーマンの“憩いの店”が大ピンチ
大不況で消える「人気バー」のともし火
「いつまで営業できるか、見通しが立ちませんよ。経営環境がどうにも厳しくなってしまって・・・・・・」
JR中央線の阿佐ヶ谷駅からほど近い、ある老舗バーのオーナーは寂しそうに笑う。

サラリーマンや学生の団体で騒々しい居酒屋とは違い、仄暗い灯りの下、静かなカウンターでウイスキー、カクテル、ワイン、焼酎などをじっくり楽しめるバー業態の酒場は、コアな人気がある。長らく過当競争が続く外食市場においても、これまで一定のシェアを保ち続けて来た。
「お客の8割方が仕事帰りのサラリーマンやOL。1人でゆっくり飲みたい人や、バーテンダーに仕事や家庭の悩みを聞いてもらいたくて来る人が多い。“隠れ家”的な心地よさがあるんでしょうね」(オーナー)。
そんな「サラリーマンの憩いの店」とも言えるバーが、「ここに来てかつてない苦境に直面している」と、オーナーは肩を落とす。
原因はこの大不況だ。「背伸びをせずに常連客の口コミで成り立っている」という個人経営店が多いバーは、資金力も宣伝力も居酒屋チェーンなどと比べて、極端に弱い。過去においても、不況の影響を強く被って来た。そんな彼らにとって、大手資本の居酒屋さえ淘汰の波に飲み込まれている今回の不況は、さすがにこたえるようだ。
「昨年末からお客が目に見えて減り始め、月間の売り上げが2割は減っています。“せいぜい2000~3000円程度”という客単価を考えても、むしろ居酒屋より安上がりなのですが・・・・。サラリーマンの小遣いが想像以上に減っているのかもしれませんね」(オーナー)
方々で話を聞くと、こんな苦境に陥っている人気バーは、首都圏全般に広がっているようだ。
日本フードサービス協会によれば、パブレストラン(バーを含む)や居酒屋などの全店売上高は、3月時点で対前年同月比93.8%、店舗数は同97.7%、利用客数は同93.8%と、昨年以降、毎月のように落ち込み続けているという。
「3月決算で大赤字を出したバーが金融機関から貸し剥がしに会い、この界隈だけで30店以上潰れたと聞きます」と明かすのは、新宿・歌舞伎町の雑居ビルでワインバーを営むオーナーだ。
「以前は舞台俳優やテレビ局の制作関係者が毎週のように朝まで飲んでくれましたが、接待費やタクシー代の削減により、今では月に1度来てくれるかどうか。売り上げは年初から3割減りました」(ワインバーのオーナー)
苦境に拍車をかけるのは、不況による客足減ばかりではない。仕入れ値や不動産価格の高止まりといった、構造的な問題もある。
コスト高の影響を最も被っているのは、トウモロコシや麦類を主原料とするウイスキー、とりわけバーボン・ウイスキーの専門店だ。

「昨年前半の原燃料高の影響で、銘柄によっては仕入れ値が2~3割も上昇しました。たまらず、ワイルド・ターキーやI.W.ハーパーなど人気銘柄のシングル価格を、600円から800円に値上げしました。燃油サーチャージが上昇したお陰で、海外にレアものを買い付けに行くこともできなくなってしまった」(高円寺のバーボンバー)
年後半に原燃料高が一服した後も、コストはなかなか下がらない。
「今度は不況が始まってメーカーや卸業者の利益が減り始めたため、多くの銘柄は値下げされず、酒類販売店の店頭価格が高止まりしたまま。一方でお客は減り続けているから、これではクビが回りません」(バーボンバー)
不況で下落し続けているはずの不動産価格も、客足が多い人気地域では高止まりしている。そのため、再開発が進んだ六本木、東京地下鉄副都心線が開通した新宿三丁目界隈などの人気既存店は、四苦八苦だ。
六本木の東京ミッドタウンに面するテナントビルでロックバーを営むオーナーは、こう嘆く。
「不況にもかかわらず、人気ビルともなれば一坪当たりの賃料が、歌舞伎町の1.3~1.5倍程度の水準で高止まりしています。ビルのオーナーが賃下げに応じてくれず、毎月の賃料だけで70~80万円も出て行ってしまう。地域柄、客足は多いものの、毎月収支をトントンに持って行くだけで精一杯」
このような苦境のなか、彼らは知恵を絞って“アイデア経営”を行ない、どうにかしのいでいる。
「何となく入りづらい」という従来の印象を払拭すべく、最近では、明るいイメージを打ち出して若者を呼び込む新業態のバーが人気化している。テレビでスポーツ観戦ができる「スポーツバー」、ダーツゲームを楽しめる「ダーツバー」、女性のバーテンを起用した「ガールズバー」などが、それだ。老舗店も続々と彼らのマネをし始めた。
「ガールズバーに対抗し、女性アルバイトを入れたところ、客足が戻っています。バイト料をはずまないと気の利く女性が集まらないので、コストは嵩みがちです。でも、女性に辞められるとお客もダイレクトに減るので“痛し痒し”ですね」(荻窪のショットバー)
利益捻出の“隠れ蓑”として、チャージ(サービス料)を上げる店も。
「チャージを500円から1000円へ上げ、そのぶんサービスを充実しています。お客がトイレに行くときはイスを引き、戻って来たらその場でお絞りを手渡す。“チャージが高いバーほど高級店”というイメージが根強いため、お酒の値上げよりもお客の抵抗感が小さいんです」(練馬の高級バー)
まさに爪に火をともすように生き残りを図る人気バーの経営者たち。淘汰は世の常なれど、「サラリーマンの憩いの店」のともし火が大きく揺らいでいるのは、何とも寂しい限りである。
(ダイヤモンド・オンライン特別取材班)
http://diamond.jp/series/analysis/10085/
DIAMOND ON LINE 2009年05月21日
サラリーマンの“憩いの店”が大ピンチ
大不況で消える「人気バー」のともし火
「いつまで営業できるか、見通しが立ちませんよ。経営環境がどうにも厳しくなってしまって・・・・・・」
JR中央線の阿佐ヶ谷駅からほど近い、ある老舗バーのオーナーは寂しそうに笑う。
サラリーマンや学生の団体で騒々しい居酒屋とは違い、仄暗い灯りの下、静かなカウンターでウイスキー、カクテル、ワイン、焼酎などをじっくり楽しめるバー業態の酒場は、コアな人気がある。長らく過当競争が続く外食市場においても、これまで一定のシェアを保ち続けて来た。
「お客の8割方が仕事帰りのサラリーマンやOL。1人でゆっくり飲みたい人や、バーテンダーに仕事や家庭の悩みを聞いてもらいたくて来る人が多い。“隠れ家”的な心地よさがあるんでしょうね」(オーナー)。
そんな「サラリーマンの憩いの店」とも言えるバーが、「ここに来てかつてない苦境に直面している」と、オーナーは肩を落とす。
原因はこの大不況だ。「背伸びをせずに常連客の口コミで成り立っている」という個人経営店が多いバーは、資金力も宣伝力も居酒屋チェーンなどと比べて、極端に弱い。過去においても、不況の影響を強く被って来た。そんな彼らにとって、大手資本の居酒屋さえ淘汰の波に飲み込まれている今回の不況は、さすがにこたえるようだ。
「昨年末からお客が目に見えて減り始め、月間の売り上げが2割は減っています。“せいぜい2000~3000円程度”という客単価を考えても、むしろ居酒屋より安上がりなのですが・・・・。サラリーマンの小遣いが想像以上に減っているのかもしれませんね」(オーナー)
方々で話を聞くと、こんな苦境に陥っている人気バーは、首都圏全般に広がっているようだ。
日本フードサービス協会によれば、パブレストラン(バーを含む)や居酒屋などの全店売上高は、3月時点で対前年同月比93.8%、店舗数は同97.7%、利用客数は同93.8%と、昨年以降、毎月のように落ち込み続けているという。
「3月決算で大赤字を出したバーが金融機関から貸し剥がしに会い、この界隈だけで30店以上潰れたと聞きます」と明かすのは、新宿・歌舞伎町の雑居ビルでワインバーを営むオーナーだ。
「以前は舞台俳優やテレビ局の制作関係者が毎週のように朝まで飲んでくれましたが、接待費やタクシー代の削減により、今では月に1度来てくれるかどうか。売り上げは年初から3割減りました」(ワインバーのオーナー)
苦境に拍車をかけるのは、不況による客足減ばかりではない。仕入れ値や不動産価格の高止まりといった、構造的な問題もある。
コスト高の影響を最も被っているのは、トウモロコシや麦類を主原料とするウイスキー、とりわけバーボン・ウイスキーの専門店だ。
「昨年前半の原燃料高の影響で、銘柄によっては仕入れ値が2~3割も上昇しました。たまらず、ワイルド・ターキーやI.W.ハーパーなど人気銘柄のシングル価格を、600円から800円に値上げしました。燃油サーチャージが上昇したお陰で、海外にレアものを買い付けに行くこともできなくなってしまった」(高円寺のバーボンバー)
年後半に原燃料高が一服した後も、コストはなかなか下がらない。
「今度は不況が始まってメーカーや卸業者の利益が減り始めたため、多くの銘柄は値下げされず、酒類販売店の店頭価格が高止まりしたまま。一方でお客は減り続けているから、これではクビが回りません」(バーボンバー)
不況で下落し続けているはずの不動産価格も、客足が多い人気地域では高止まりしている。そのため、再開発が進んだ六本木、東京地下鉄副都心線が開通した新宿三丁目界隈などの人気既存店は、四苦八苦だ。
六本木の東京ミッドタウンに面するテナントビルでロックバーを営むオーナーは、こう嘆く。
「不況にもかかわらず、人気ビルともなれば一坪当たりの賃料が、歌舞伎町の1.3~1.5倍程度の水準で高止まりしています。ビルのオーナーが賃下げに応じてくれず、毎月の賃料だけで70~80万円も出て行ってしまう。地域柄、客足は多いものの、毎月収支をトントンに持って行くだけで精一杯」
このような苦境のなか、彼らは知恵を絞って“アイデア経営”を行ない、どうにかしのいでいる。
「何となく入りづらい」という従来の印象を払拭すべく、最近では、明るいイメージを打ち出して若者を呼び込む新業態のバーが人気化している。テレビでスポーツ観戦ができる「スポーツバー」、ダーツゲームを楽しめる「ダーツバー」、女性のバーテンを起用した「ガールズバー」などが、それだ。老舗店も続々と彼らのマネをし始めた。
「ガールズバーに対抗し、女性アルバイトを入れたところ、客足が戻っています。バイト料をはずまないと気の利く女性が集まらないので、コストは嵩みがちです。でも、女性に辞められるとお客もダイレクトに減るので“痛し痒し”ですね」(荻窪のショットバー)
利益捻出の“隠れ蓑”として、チャージ(サービス料)を上げる店も。
「チャージを500円から1000円へ上げ、そのぶんサービスを充実しています。お客がトイレに行くときはイスを引き、戻って来たらその場でお絞りを手渡す。“チャージが高いバーほど高級店”というイメージが根強いため、お酒の値上げよりもお客の抵抗感が小さいんです」(練馬の高級バー)
まさに爪に火をともすように生き残りを図る人気バーの経営者たち。淘汰は世の常なれど、「サラリーマンの憩いの店」のともし火が大きく揺らいでいるのは、何とも寂しい限りである。
(ダイヤモンド・オンライン特別取材班)
http://diamond.jp/series/analysis/10085/
2009年05月19日
まなざしの立ち位置 / 世界とつながるニュース.13
お仕事をがんばっている皆様へ今日のニュースです。
選挙が間近、だからというわけではありませんが、
示唆に富む、ものの見方についてのお話をご紹介いたします。
以下、最新約 コピーバイブルからの引用です。

美濃部さんが、と書けばちょっと古い話だけれ
ど、都知事の選挙に出たときの話が新聞に出てい
た。面白かったので、ご紹介してみたい。
選挙戦のさ中、この新聞社は候補者に向かって
ある質問を出したという。それは「東京で自慢で
きるものを三つ挙げて下さい」というのである。
戦っているのは主に二人であった。一人は保守系
で、かなり本命視されていたと思う。彼が答えた
三つとは
「皇居、地下鉄、高速道路」
であった。一方、美濃部さんの方は、答えがか
なりちがっていた。彼があげたものは
「半蔵門付近のお堀ばた、ソバとうなぎ、きれい
な若い女性」
というのである。これを見て、当時の新聞社の
社会部では
「ああ、これで勝負あった」
と思った、という。
この記事を読んだとき私は体が小刻みに震え出
すくらい感動した。なんという出来事だろう。
ここでは、選ばれた言葉が、一つの選挙の命運を
支配しようととしている。なんという力だろう。
「ああ、これが言葉というものだ」
と私は思った。
(中略)
さっきの回答をもう一度見ていただきたい。言
葉そのものは、べつだん目新しくもなければ、な
にひとつ奇抜でない。むしろ、当たり前にそこい
らにあるフツーの言葉である。「ソバとうなぎ」な
んて。なんだ、という目で見てしまいそうになる。
でも、ちょっと待ちなさい。
言葉があたらしいのではない。その言葉をつか
う姿勢がすばらしいのだ。対立候補が「皇居」と
言っている対象を、美濃部さんのサイドでは「半
蔵門付近のお堀ばた」と表現している。「皇居」と
言ってしまったのでは、ほとんど絵ハガキではな
いの。この一語からはなにひとつ語りかけてくる
ものがないでしょう。
もう一方では、これと同じ眺めをじつに生き生
きと表現している。半蔵門付近のお堀ばた、とき
くと、私たちの頭には四季おりおりの移りかわる
木や花のたたずまいが、色あざやかに浮かんでく
る。これが、絵ハガキ風の一語との大きなちがい
だ。さらに、もっと大きなちがいを書くなら。「皇
居」と「半蔵門付近のお堀ばた」とでは、おなじもの
にしても、それを眺めている立場がまるでちがう
でしょう。向こうから見るお堀なのか。こっち側
から眺めるお堀か。この視線落のちがいも大きい。
そんないろいろが混じりあって、両者の答えの
間にはお堀のような深いミゾができてしまった。
(後略)
土屋耕一
「最新約 コピーバイブル」から引用。
編者:宣伝会議コピーライター養成講座
発行:宣伝会議
機会があれば、沖縄の地場産業の社長と政治家と、それからNPOの代表に、
次のような質問を投げかけたらどうでしょう。
「沖縄で自慢できるものを三つあげてください」
土屋耕一氏についてWikipediaから以下引用させていただきました。
●生涯
東京府東京市麻布区(当時)の麻布十番で写真館を経営する父と、小唄の師匠をしていた母との間に生まれる。
戦時中、千葉県へと疎開し、そこで終戦を迎えるも、19歳の時に原因不明の病にかかり、5年近い闘病生活を送らざるを得なくなる。そのため、通学していた東京都立九段高等学校を中退(正確には、戦後の混乱期により除籍)することとなる。
23歳の時に、知り合いからTBSラジオのモニター募集に採用され、朝日新聞に匿名で批評を書くなどの仕事を経て、ラジオの企画立案者募集(実際には、ラジオの企画立案の方はすでに採用者が決まっていたらしく、残っていたのは広告文案家の求人のみだったという)の広告を見て、応募。のちに資生堂の宣伝文化部を紹介され、1956年に嘱託社員として入社。デザイナーならびにイラストレーターをしていた山名文夫・水野卓史などのデザイナーのもとで、コピーライターとしての研鑽を積んでゆく。
資生堂を経て、1960年に日本初の広告制作プロダクションとして設立されたライトパブリシティへ入社、当時の主要アートディレクターならびにデザイナーとして知られる大橋正や和田誠、向秀男らと組んで、明治製菓やキッコーマン、伊勢丹、東レなどの企業広告のコピーを書いてゆく。
1976年にライトパブリシティを退社後は、フリーに転じ「土屋耕一の仕事場」を開いた後も、コピーライターとして活躍し続け、その間に回文集「軽い機敏な子猫何匹いるか」(誠文堂新光社)や「さも虎毛の三毛 住まいの愉快学」(住まいの図書館)などの著作を発表した。また長年に渡り、伊藤園から発売されている「おーいお茶」のパッケージに記載されている季節の川柳選者としても、その名を知られた。
2009年3月27日、肝細胞がんにより死去。享年80(満78歳没)。
●人物
話し言葉の持つ特性を生かし、その時々の空気を反映した軽妙かつ洒脱な文章を書くことで知られた。元々母親が小唄の師匠だったことや、幼少期から寄席などに通うなどしていたこともあり、特に回文はその卓越したセンスを1980年代に新聞で掲載された紀文や明治製菓などの3ベタ広告などで披露していたことで知られる。のちに前出で後年の伊藤園の「おーいお茶」の川柳選者を長年に渡ってつとめていたのは、こうした影響によるものと言えよう。
コピーについては、句読点の使い方にこだわりを持っていたことで知られ、余程のことがない限り、感嘆符・疑問符の使用が殆ど無かったことでもその名を知られた。また文字面を視覚的にイメージさせるという思考の持ち主でもあった。これは土屋が最初に入社した資生堂宣伝文化部では、山名文夫・水野卓史らのデザイナーが広告制作の主導権を握っていたことで、土屋がコピーを考え出す前に、山名らが広告のラフを創り上げ、空いた場所に「句読点含めて何文字以内におさめるようにキャッチフレーズを作成せよ」というデザイン先導の広告クリエイティヴで培ったセンスによるものである。
●有名なキャッチコピー
* …かるく・あかるく・あるく・はる(伊勢丹)
* キナリ 好きなり 春となり(同上)
* こんにちは土曜日くん。(同上)
* 土曜日には汗をながそう。(同上)
* なぜ年齢を聞くの。(同上)
* テレビを消した一週間。(同上)
* 戻っておいで・私の時間(同上)
* あ、風がかわったみたい。(同上)
* ああ、スポーツの空気だ。(同上)
* 太るのもいいかなぁ、夏は。(同上)
* 女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。(同上)
* おれ、ゴリラ。おれ、景品。(明治製菓)
* 君のひとみは10000ボルト。(資生堂・ベネフィーク)
* A面で恋をして。(資生堂・サイモンピュア)
* 天使予報。(資生堂・ルア)
* サクセス、サクセス、(資生堂・アクエア)
* 香りは、女の、キャッチフレーズ。(資生堂・インウイ)
* ドアを開けておくには、危険な香りだと思います。(同上)
* 美しさは、それだけで一つのセンセーションだ。(同上)
* 君の、まばたきの数で、夜の長さを計りたい。(同上)
* 彼女が美しいのではない。彼女の生き方が美しいのだ。(同上)
* 都市は香りに渇いています。(同上)
* 女性の美しさは、都市の一部分です。(同上)
他多数。
● 著書
* 軽い機敏な仔猫何匹いるか 土屋耕一回文集 誠文堂新光社, 1972(のち、角川文庫)
* 土屋耕一のガラクタ箱 誠文堂新光社, 1975
* 土屋耕一の一口駄菓子 誠文堂新光社, 1981.3
* コピーライターの発想 講談社, 1984.3
* さも虎毛の三毛 住まいの愉快学 住まいの図書館出版局, 1987.12
* 十七文字のチカラコブ 伊藤園編 土屋耕一選 マガジンハウス, 1996.11
* 臨月の桃 句集 光村印刷, 1996.5
選挙が間近、だからというわけではありませんが、
示唆に富む、ものの見方についてのお話をご紹介いたします。
以下、最新約 コピーバイブルからの引用です。
美濃部さんが、と書けばちょっと古い話だけれ
ど、都知事の選挙に出たときの話が新聞に出てい
た。面白かったので、ご紹介してみたい。
選挙戦のさ中、この新聞社は候補者に向かって
ある質問を出したという。それは「東京で自慢で
きるものを三つ挙げて下さい」というのである。
戦っているのは主に二人であった。一人は保守系
で、かなり本命視されていたと思う。彼が答えた
三つとは
「皇居、地下鉄、高速道路」
であった。一方、美濃部さんの方は、答えがか
なりちがっていた。彼があげたものは
「半蔵門付近のお堀ばた、ソバとうなぎ、きれい
な若い女性」
というのである。これを見て、当時の新聞社の
社会部では
「ああ、これで勝負あった」
と思った、という。
この記事を読んだとき私は体が小刻みに震え出
すくらい感動した。なんという出来事だろう。
ここでは、選ばれた言葉が、一つの選挙の命運を
支配しようととしている。なんという力だろう。
「ああ、これが言葉というものだ」
と私は思った。
(中略)
さっきの回答をもう一度見ていただきたい。言
葉そのものは、べつだん目新しくもなければ、な
にひとつ奇抜でない。むしろ、当たり前にそこい
らにあるフツーの言葉である。「ソバとうなぎ」な
んて。なんだ、という目で見てしまいそうになる。
でも、ちょっと待ちなさい。
言葉があたらしいのではない。その言葉をつか
う姿勢がすばらしいのだ。対立候補が「皇居」と
言っている対象を、美濃部さんのサイドでは「半
蔵門付近のお堀ばた」と表現している。「皇居」と
言ってしまったのでは、ほとんど絵ハガキではな
いの。この一語からはなにひとつ語りかけてくる
ものがないでしょう。
もう一方では、これと同じ眺めをじつに生き生
きと表現している。半蔵門付近のお堀ばた、とき
くと、私たちの頭には四季おりおりの移りかわる
木や花のたたずまいが、色あざやかに浮かんでく
る。これが、絵ハガキ風の一語との大きなちがい
だ。さらに、もっと大きなちがいを書くなら。「皇
居」と「半蔵門付近のお堀ばた」とでは、おなじもの
にしても、それを眺めている立場がまるでちがう
でしょう。向こうから見るお堀なのか。こっち側
から眺めるお堀か。この視線落のちがいも大きい。
そんないろいろが混じりあって、両者の答えの
間にはお堀のような深いミゾができてしまった。
(後略)
土屋耕一
「最新約 コピーバイブル」から引用。
編者:宣伝会議コピーライター養成講座
発行:宣伝会議
機会があれば、沖縄の地場産業の社長と政治家と、それからNPOの代表に、
次のような質問を投げかけたらどうでしょう。
「沖縄で自慢できるものを三つあげてください」
土屋耕一氏についてWikipediaから以下引用させていただきました。
●生涯
東京府東京市麻布区(当時)の麻布十番で写真館を経営する父と、小唄の師匠をしていた母との間に生まれる。
戦時中、千葉県へと疎開し、そこで終戦を迎えるも、19歳の時に原因不明の病にかかり、5年近い闘病生活を送らざるを得なくなる。そのため、通学していた東京都立九段高等学校を中退(正確には、戦後の混乱期により除籍)することとなる。
23歳の時に、知り合いからTBSラジオのモニター募集に採用され、朝日新聞に匿名で批評を書くなどの仕事を経て、ラジオの企画立案者募集(実際には、ラジオの企画立案の方はすでに採用者が決まっていたらしく、残っていたのは広告文案家の求人のみだったという)の広告を見て、応募。のちに資生堂の宣伝文化部を紹介され、1956年に嘱託社員として入社。デザイナーならびにイラストレーターをしていた山名文夫・水野卓史などのデザイナーのもとで、コピーライターとしての研鑽を積んでゆく。
資生堂を経て、1960年に日本初の広告制作プロダクションとして設立されたライトパブリシティへ入社、当時の主要アートディレクターならびにデザイナーとして知られる大橋正や和田誠、向秀男らと組んで、明治製菓やキッコーマン、伊勢丹、東レなどの企業広告のコピーを書いてゆく。
1976年にライトパブリシティを退社後は、フリーに転じ「土屋耕一の仕事場」を開いた後も、コピーライターとして活躍し続け、その間に回文集「軽い機敏な子猫何匹いるか」(誠文堂新光社)や「さも虎毛の三毛 住まいの愉快学」(住まいの図書館)などの著作を発表した。また長年に渡り、伊藤園から発売されている「おーいお茶」のパッケージに記載されている季節の川柳選者としても、その名を知られた。
2009年3月27日、肝細胞がんにより死去。享年80(満78歳没)。
●人物
話し言葉の持つ特性を生かし、その時々の空気を反映した軽妙かつ洒脱な文章を書くことで知られた。元々母親が小唄の師匠だったことや、幼少期から寄席などに通うなどしていたこともあり、特に回文はその卓越したセンスを1980年代に新聞で掲載された紀文や明治製菓などの3ベタ広告などで披露していたことで知られる。のちに前出で後年の伊藤園の「おーいお茶」の川柳選者を長年に渡ってつとめていたのは、こうした影響によるものと言えよう。
コピーについては、句読点の使い方にこだわりを持っていたことで知られ、余程のことがない限り、感嘆符・疑問符の使用が殆ど無かったことでもその名を知られた。また文字面を視覚的にイメージさせるという思考の持ち主でもあった。これは土屋が最初に入社した資生堂宣伝文化部では、山名文夫・水野卓史らのデザイナーが広告制作の主導権を握っていたことで、土屋がコピーを考え出す前に、山名らが広告のラフを創り上げ、空いた場所に「句読点含めて何文字以内におさめるようにキャッチフレーズを作成せよ」というデザイン先導の広告クリエイティヴで培ったセンスによるものである。
●有名なキャッチコピー
* …かるく・あかるく・あるく・はる(伊勢丹)
* キナリ 好きなり 春となり(同上)
* こんにちは土曜日くん。(同上)
* 土曜日には汗をながそう。(同上)
* なぜ年齢を聞くの。(同上)
* テレビを消した一週間。(同上)
* 戻っておいで・私の時間(同上)
* あ、風がかわったみたい。(同上)
* ああ、スポーツの空気だ。(同上)
* 太るのもいいかなぁ、夏は。(同上)
* 女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。(同上)
* おれ、ゴリラ。おれ、景品。(明治製菓)
* 君のひとみは10000ボルト。(資生堂・ベネフィーク)
* A面で恋をして。(資生堂・サイモンピュア)
* 天使予報。(資生堂・ルア)
* サクセス、サクセス、(資生堂・アクエア)
* 香りは、女の、キャッチフレーズ。(資生堂・インウイ)
* ドアを開けておくには、危険な香りだと思います。(同上)
* 美しさは、それだけで一つのセンセーションだ。(同上)
* 君の、まばたきの数で、夜の長さを計りたい。(同上)
* 彼女が美しいのではない。彼女の生き方が美しいのだ。(同上)
* 都市は香りに渇いています。(同上)
* 女性の美しさは、都市の一部分です。(同上)
他多数。
● 著書
* 軽い機敏な仔猫何匹いるか 土屋耕一回文集 誠文堂新光社, 1972(のち、角川文庫)
* 土屋耕一のガラクタ箱 誠文堂新光社, 1975
* 土屋耕一の一口駄菓子 誠文堂新光社, 1981.3
* コピーライターの発想 講談社, 1984.3
* さも虎毛の三毛 住まいの愉快学 住まいの図書館出版局, 1987.12
* 十七文字のチカラコブ 伊藤園編 土屋耕一選 マガジンハウス, 1996.11
* 臨月の桃 句集 光村印刷, 1996.5