四百二十夜【04202001年11月14日

Seigow's Book OS / PIER
カルロス・カスタネダ
『呪術師と私』
1972 二見書房
Carlos Castaneda : The Teachings of Don Juan 1968
真樹義博 訳
[表紙]呪術師と私
© 二見書房
Amazon

オンライン書店bk1


 
  この本が刊行された1968年はのちに「ターニング・ポイント」とよばれた
 そのことについては何度も書いているので、ここでは重ねて説明しないが、パリのカルチェ・ラタンに火が吹き、全共闘運動が日本の主要大学を活動停止に追いこんだ。欧米日におこった国際カウンターカルチャー運動の絶巓なのである。
 その後、アジアや中東、あるいは東欧や南米にはこのような運動が類似的におこったけれど、なぜか欧米や日本にはまったくおこらなくなった。このことについてはいずれよく考えてみるべきだろうが、それはここでは措いて、この年にカスタネダの第一弾が放たれたということは、この年にキューブリックの『2001年宇宙の旅』が公開されたこと、スチュワート・ブランドの『ホールアース・カタログ』が創刊されたことと並んで、いろいろ考えさせる。

 ブラジル生まれの文化人類学者というふれこみで、カスタネダがヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンに学んだ自己体験記録書ともいうべき本書は、『呪術師と私』を嚆矢に『呪術の体験』『呪師に成る』『呪術の彼方へ』というふうに次々に続いた。
 それが、当時はヒッピーとかフラワーチルドレンとかとよばれた若者たちに、ナイーブな砂に水が滲むように波及した。たとえば、このシリーズではしばしば「セパレート・リアリティ」という言葉が使われるのだが、この言葉自体が各所で流行した。
 ぼくが『遊』にスワミ・プラブッタこと星川淳に連載を依頼したときも、この言葉がタイトルに選ばれた。星川君がプラブッタという変わった名前をもっていたのは、彼がバグワン・シュリ・ラジネーシの教団に所属していたからだった。

 カスタネダの本がベストセラーになったのには、いろいろ理由がある。ひとつは初めてメキシコのネイティブ・インディアンの思索と行動を通して、その宇宙観や世界観が紹介されたことである。それは「知恵」ともいうべきものだった。この「知恵」が物質文明や技術文明に毒されている者にとってたいそう斬新だったのである。驚くべき知恵だといってよかった。
 もうひとつは、その「知恵」をヤキ・インディアンの呪術師として登場するドン・ファンがペヨーテ、ダツラ、キノコといった幻覚誘発植物をつかって"発見"したことである。
 このことにも若者は驚いた。すでにロックミュージシャンやヒッピーたちがマリファナやLSDをつかってサイケデリックな知覚イメージの拡張に耽っていることはよく知られていたのだが、ドン・ファンの「知恵」はなんら消費的な快楽と関係のないもので、まさに宇宙的実感を得るためのものだった。
 そのため、マリファナやLSDに代わって幻覚キノコが流行し、ぼくもニューヨークのジョン・ケージの家でこれを勧められたものだった。居合わせたダンサーのマース・カニングハムも音楽家の小杉武久も、それが森の神秘に直結するキノコであることを、まるで神様の提供物であるかのように丁寧に扱っていた。

 ともかくも本書の登場はひとつのセンセーションだった。ヤキ・インディアンがいるメキシコのソノラ州に行く者もふえた。ドン・ファンに会いたがる者も多かった。シャーリー・マクレーンもその一人だった。
 ドン・ファンが教える"定め"を自分の周囲に導入しようという者もふえた。この"定め"はヤキ・インディアン独自のルールによるもので、知者になるための努力をすること、盟友をもつことの重要性、独得のプログラムの実践といったことがあれこれ含まれているのだが、一言でいえば、日常のリアリティから離れて、もうひとつのリアリティに、すなわちセパレート・リアリティに入っていくことが称揚されていた。
 しかし、幻覚剤をつかっても、そんなことが容易にできるわけではない。ついついセパレート・リアリティを形骸的に真似をするだけの者も少なくなかった。そのためか、いっときは実はカスタネダはフィクションを書いただけで、実はドン・ファンなんて呪術師は架空のものだという噂までとびかった。

 そのように形骸的にセパレート・リアリティが流行してしまった原因は、著者のカスタネダにもある。
 というのも、本書は第1部では、ドン・ファンがいろいろな機会で喋ったことを1960年から日付順に報告しているのだが、第2部ではカスタネダが学者のような"まとめと分析"をしていて、発売当時から、これが知識人のあいだでは不評を買っていた。「最上の題材について書かれた最悪の本」という批評も立った。日本で最初に本書に言及した鶴見俊輔さんなどは、カスタネダが石頭だったからこそドン・ファンの貴重な話を根掘り葉掘り聞けたのであって、これはシャーロック・ホームズにおけるワトソン博士の役割として必要だったときわどく擁護したほどだった。
 ともかくもカスタネダの"整理"は、ドン・ファンを真似たい現代の若者にとっては便利でもあったらしく、この本のシリーズで急造のアシュラムやアリー(盟友)の"結社"をつくる者たちがそうとうに雨後のタケノコならぬキノコとなったのである。

 ところで、ぼくは本書を活字で読んだのではなかった。そういうこともあるのだと、いまではすっかり懐かしい体験になっているのだが、本書は何度かの会合で、そのエスキースがとても柔らかい口調で朗読されたのだ。むろん第1部だけである。
 英語であったが、なんとも心地よい。うっかりするとトリップをしそうなのである。ぼくがそのような会合に顔を出したことはすぐに知られ、その後に吉福伸逸や真崎守に誘われるようになった。わずか1、2年のことだったが、そのときに紹介されたのがさきほどの星川淳君である。
 かれらはさかんにマリファナやLSDをすすめたが、どうもぼくには効かなかった。むしろ体がゆっくりし、かえって落ち着いてしまうのだ。ほかの連中たち、たとえばミュージシャンたちにはめっぽう効いた。それも多くはバッドトリップで、たとえば日頃は仲良くしているように見える仲間どうしが、ドラッグをやるにしたがって憎しみあった。
 ぼくには効かないことを不思議がったかれらは、ぼくをとりあえずハイパートリッパーと呼んだ。もともと高速な意識をもっているとドラッグがかえって減速剤の役割をはたすという苦肉の説明だったが、その後は、この手の"実験"をしていないので、真相はわからない。
 カルロス・カスタネダ。いったいその後はどうしているのだろうか。ぼくが知らないだけなのかもしれないが、その後の噂を聞いていない。








 






 

RSSを表示する

 
松岡正剛の最新情報はこちら
いつでも見たい、松岡正剛
 

書名、または著者名からバックナンバーを検索できます

Web www.isis.ne.jp


千 夜 千 冊 BACK NUMBER

[目次]

1144

『海上の道』柳田国男

1143

『異装のセクシャリティ』石井達朗

1142

『日本人の自画像』加藤典洋

1141

『稲と鳥と太陽の道』萩原秀三郎

1140

『猿と女とサイボーグ』ダナ・ハラウェイ

1139

『カムイ伝』白土三平

1138

『江戸の枕絵師』林美一

1137

『ゲイ文化の主役たち』ポール・ラッセル

1136

『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド

1135

『非常民の性民俗』赤松啓介

1134

『日本創業者列伝』加来耕三

1133

『市場の書』ゲルト・ハルダッハ&ユルゲン・シリング

1132

『女帝の手記』里中満智子

1131

『日本/権力構造の謎』上・下 カレル・ヴァン・ウォルフレン

1130

『多文明共存時代の農業』高谷好一

1129

『木村蒹葭堂のサロン』中村真一郎

1128

『江戸商売図絵』三谷一馬

1127

『性的差異のエチカ』リュス・イリガライ

1126

『インターネット資本論』スタン・デイビス&クリストファー・マイヤー

1125

『ボランティア』金子郁容

1124

『アヴァン・ポップ』ラリイ・マキャフリイ

1123

『笑いの経済学』木村政雄

1122

『ぼくの哲学』アンディ・ウォーホル

1121

『百物語』杉浦日向子

1120

『女性の深層』エーリッヒ・ノイマン

1119

『北条政子』永井路子

1118

『ネット・ポリティックス』土屋大洋

1117

『T.A.Z.』ハキム・ベイ

1116

『江戸の身体を開く』タイモン・スクリーチ

1115

『資本主義のハビトゥス』ピエール・ブルデュー

1114

『猫と小石とディアギレフ』福原義春

1113

『江戸の市場経済』岡崎哲二

1112

『田中清玄自伝』田中清玄・大須賀瑞夫

1111

『黒い花びら』村松友視

1110

『昭和という時代』鈴木治雄対談集

1109

『澄み透った闇』十文字美信

1108

『市場対国家』ダニエル・ヤーギン&ジョゼフ・スタニスロー

1107

『負ける建築』隈研吾

1106

『未来派』キャロライン・ティズダル&アンジェロ・ボッツォーラ

1105

『写真ノ話』荒木経惟

1104

『建築的思考のゆくえ』内藤廣

1103

『バイ・バイ・キップリング』ナム・ジュン・パイク

1102

『コンセプチュアル・アート』トニー・ゴドフリー

1101

『モダンデザイン批判』柏木博


各ナンバーをクリックすると、別ウィンドウで一覧が表示されます。
クリックするとランダムにバックナンバーが出現します。
電子の自由が選んだ一冊を、あなたに。




 
 
 
 

ISIS

© Copyright Editorial Engineering Laboratory.
All rights Reserved.
│ ISIS編集学校 │ いと◎へん