先日、さほど混んでいなかった電車の車両内で
若い男性が2人
ドアの近くにしゃがみこんで話しているのを見ました。
最近は
そういう光景をあまり見なくなった気がしていたのですが。
電車が駅に到着してドアが開くと
その若者達はちゃんと立ち上がるのですが、
ドアが閉まればまたしゃがみこむ。
その様子に、車内には「あらー」という空気が流れていました。
彼らはもしかしたら
「誰にも迷惑をかけてないんだから、どこに座ろうと自由だろ」
と思っていたのかも知れないなーと思いながら、
今回は「自由」について考えてみることにしました。
一般的に「自由」というと
「やりたいことができる」状態のようだけど
かの哲学者サルトルは
「できることをしたいというのが自由だ」
と言っております。
「人間は自由という刑に処されている」という言葉も残しています。
哲学的なこ難しい解釈は置いておくとして、
僕も『何でも自由』と言われるのは実は1番厄介だと思っています。
それは、「責任を委ねられた」ことと同義だから。
世の中も変わってきました。
もっと世の中の自由度が低かった昔、
「学生紛争」などの様々な争いが起こりましたが
それらは大抵戦うべき敵が明確でした。
その後世の中の「自由度」が広がった現在、
以前のような明確な「敵」は少なくなりました。
でもその分世の中に
漠然とした不安が広がっているような気が・・・・。
また、世の中自体も優しくなっている気がします。
例えば、新卒がなかなか内定を取れない状況をさす言葉は
「就職難」。
以前よく使われた「受験戦争」のように
「就職戦争」とはなぜか言わない。
(少なくとも僕は聞いたことがない)
なかなか内定が取れない状況を
「あなた達は悪くない」と伝えているような
世の中の空気感を感じるのは僕だけでしょうか。
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「自由」に話を戻して、
ビジネスシーンにおける「自由」を考えてみます。
「ベンチャー」を志向している僕達は
やりたいことも、やり方も、成果に対する評価も
非常に自由度が高い。
でも、その分
全ての成果とプロセスに対して
自らを律することができなければ
退場を余儀なくされてしまうことを
僕は強く認識しています。
くー キビシイ~(x_x;)