武寧王か王妃のものとみられる人骨を38年ぶり発見

出土遺物の再調査で判明

王族の系譜の秘密が明らかになるか

 1971年7月に忠清南道公州で発掘された百済・武寧王陵で、武寧王もしくは王妃のものと推定される骨片が38年ぶりに確認された。

 国立公州博物館(兪炳夏〈ユ・ビョンハ〉館長)の関係者は7日、「武寧王陵発掘報告書を新たに作成するため、保管している出土遺物を再調査する過程で、最近、人の脛骨(けいこつ)4点を発見した」と語った。武寧王陵には殉葬の痕跡がないため、この骨片は武寧王か王妃のものと推定される。韓国の古墳から王や王妃のものと確認できる人骨が出土したのは初めてだ。

 今回の武寧王陵での人骨発見は、百済の王族の系譜など、武寧王に関する多くの謎が明らかになるものと期待されている。ソウル大のイ・ジュンジョン教授(考古学)は、「骨の保存状態によって違いはあるが、放射性炭素による年代測定、安定同位元素による分析、DNA分析などを実施すれば、死因や性別、健康状態、食生活、死亡推定年齢や背丈などを判明することができる」と語った。

 三国時代を通じ唯一墓の主人が確認された王陵で、「20世紀韓国考古学最大の発掘成果」に挙げられる武寧王陵は、当時から、拙速な発掘で大きな非難を浴びた。その上、数十年後に重要な遺物である骨片が確認されるという事態まで起こったことから、国立博物館は出土した遺物すらきちんと把握できていない、という非難は避けられないと見られる。

 1971年、長雨による浸水が懸念された宋山里6号墳の排水路を整備する過程で、偶然発見された百済第25代国王・武寧王(在位:501-523)と王妃の合葬墓は、調査と遺物収集をわずか17時間で終えた上、1973年に発行された発掘報告書も、王と王妃の木棺を取り違えていた。

 当時、発掘調査団の一員だった趙由典(チョ・ユジョン)京畿文化財研究院長は、「見物人が集まってきたことで切羽詰まった発掘団は、大きな遺物だけを大まかに収集し、残りは草の根が絡んだまま袋にかき入れていった」と回顧した。

許允僖(ホ・ユンヒ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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